-日々余話- 戦いぬいた闘士
昨朝、起きると声が出ない。
嗄れ声どころではない、息を送れども、まったく声帯は鳴らない。
前夜、呑みながら喋りすぎたのだ。こういう羽目に陥るのはまことに久しぶり‥。
市岡美術のOBたち、Kさんを囲んで、17期がO君、I君、U君、M君、T君、18期がO君とK君、そして15期の私。
女人を交えず野郎ばかり-、往々にしてしつこいほどの議論になるが、それがまた愉しくもあり。
Amazonレビユーの「おじいさん」の話題を供したが‥、
その彼は、昨年の暮れ、前立腺癌の手術をした、との情報に愕然。
昨日の午後、O君への彼からのメールが転送されてきた。
-以下は、その戦いぬいた闘士の、絶叫にも似た一節
私は、精神医療の現場の渦中にのなかに、はいりました。自ら選んだみちです。
そのなかで 生きごろされている 人々に 出会いました。
私は 戦いました。
現在 ただいまも 戦っています。
しかし、同志たちが 死んでいきます。
その 悲しみを 諸氏は 感じて ください。
現状は 敗北です。
私から言わせれば 過去の 戦った 諸氏の 動きを 忘れ去った
「近代合理主義者」が 主導権をにぎっており 国家と仲良し。
このような 連中へは 怒りと無残さが 残り、
「無残であった戦い」のことをおもいだすのみ。
悔しい。まことに悔しい。
こいつらの 戦い方を封じ込める力は われらには ありません。
こいつたちは、所詮 近代合理主義にもとずく 奴隷です。
アメリカの奴隷たち。
それを自覚していない 最低限の「いきもの」です。
本来は 「畜生」と いうべきものたち。
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悔しい。
怒り。
殺意。
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私は 人殺しはしません。
しかし、今の精神医療の世界を 変えて見せるぞと がんばった 私たちの 無念は はらせません。
せめて まきび病院が 抱いてきた 戦いを続けてくださるよう おねがいします。
私も、4回目の癌、前立腺癌で 明後日より 入院し、手術をうけます。
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諸君、決して負けないでください。
戦い続けてください。
Photo/倉敷市真備町箭田、まきび公園にほど近いところに「まきび病院」はある
―山頭火の一句― 其中日記-昭和9年-262
2月10日
晴、朝は霜で冷えたが、日中はほんたうにぽかぽかだつた。
アルコールのおかげで、ぐつすり寝られた、同時にそのまたおかげで胃が悪い、ありがたくもありありがたくもなし、か。
朝酒はうまし、朝茶もうまし、敬坊とふたりで、しめやかな朝飯をたべた、いつもかういふ調子だと‥よすぎます!
葉も実もすつかりおとしてしまつた木のゆうぜんたるすがたはよいかな、うらやましいかな。
敬君が実家を見舞ふといふので、連れ立つて街へ。
帰庵して、間もなく敬坊も来庵、餅を持つてきてくれた、それにしても其中庵は家庭よりも、そんなにいいのだらうか!
樹明君から来信、今日午後、岐陽、呂竹の両君といつしよに、御馳走を携へてくるとのこと、日々好日、今日大好日。
彼等を待つ間のしんきくささに、二人で山を散歩する、‥せめて、私たちの生活をして二二ケ三ぐらゐであらしめたい、などと話しながら。‥‥
待つていた三人がやつてきた、枯れ枝を焚いて酒をあたため飯を炊く、ヂンギスカン鍋はうまかつた、みんな酔ふた。
それから三人は街へ、どろどろ、どろどろになる、私は私の最後の一銭まではたいた。
私が最初に帰庵、そけから敬君、最後に樹明君、一枚のフトン、一つのコタツに三人が寝た。
※表題句の外、4句を記す
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