―四方のたより― ふたり旅
この一月半ばかりで少々ストレスを溜め込んだらしい。
何処か、小さな旅をしたくなった。
ところが、連合い殿にはこの連休も思うにまかせずお休みとはいかぬらしい。
で、4月に4年生となった娘と、ふたり旅をすることになった。
もう10歳になるし、この二年で背丈は伸びに伸びて142㎝にまでなったものの、まだ幼さばかりが先立つ子どもだ。そんな娘と、もうすぐ67歳になる老親の、ふたり旅。
おそらく、今後とも、そんな機会は訪れないだろう。
彼女の、記憶に残る、旅をしよう。
<日暦詩句>-25
≪根失い毬となってころげ
風のなかに生きる沙漠の木≫
海をのんで
脳の皺かたどり 化石した鉱滓の陸
さらに液状の鉱滓-ノロ-
火の舌抜かれつつ散乱し
陽なく 陽炎もえる
嘔吐しきれぬトロッコを捨て 誰もいないが
製鉄所裏のそこには
いつも僕を抜けでた僕がいる
黄いろく風が吹く日
鎔鉱炉はスフィンクスに変り
頭をふると沙漠の木が走る
-関根弘詩集「絵の宿題」所収「沙漠の木」より
―今月の購入本―
セルジュ・ラトゥーシュ「経済成長なき社会発展は可能か?」作品社
鎌田東二.他「モノ学の冒険」創元社
グスタフ・ルネ・ホッケ「迷宮としての世界-上-マニエリスム美術」岩波文庫
グスタフ・ルネ・ホッケ「迷宮としての世界-下-マニエリスム美術」岩波文庫
加藤隆「新約聖書の<たとえ>を解く」ちくま新書
佐藤泰志「海炭市叙景」小学館文庫
―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-158
6月15日、同前。
午前は晴、午後は雨、これでとうやら本格的な梅雨日和となつた訳だ、空梅雨ではあるまいかと心配してゐた農夫の顔に安心と喜悦との表情が浮んでゐる、私も梅雨季は梅雨季らしい方を好いてゐる、行乞が出来ないので困ることは困るけれど。-略-
午前は松谷の松原を散歩した、一句も拾へなかつたが、石を一つ拾つた。
昨日今日はまことにきゆうきゆううつうつである、酒の代りにがぶがぶ茶を飲み、たびたび湯にはひつた。‥‥
-略-
ここに滞留してゐて、また家庭といふもののうるさいことを見たり聞いたりした、独居のさびしさは群棲のわずらはしさを超えてゐる。
このあたりは、ほんたうにどくだみが多い、どくだみの花が家をめぐり田をかこんで咲きつづいてゐる。
自殺した弟を追想して悲しかつた、彼に対してちつとも兄らしくなかつた自分を考へると、涙がとめどもなく出てくる、弟よ、兄を許してくれ。
昨日も今日も連句の本を読む、連句を味ふために。
どうやら「其中庵の記」が書けそうになつた。
だんだん心境が澄みわたることを感じる、あんまり澄んでもいけないが、近来あんまり濁つてゐた。
清澄、寂静、枯淡、さういふ世界が、東洋人乃至日本人の、つゐの棲家ではあるまいか-私のやうな人間には殊に-。
柿、栗、筍、雑木、雑草、杜鵑、河鹿、蜩、等々々。
いづれも閑寂の味はひである。
さみしい夜が、お隣の蓄音機によつて賑つた、唐人お吉、琵琶歌、そして浪花節だ、やつぱりおけさ節が一等よかつた。
※表題句の外、3句を記す
Photo/川棚温泉松谷にある若宮神社
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