かずけんの随想録

ミノルタ大好き開放野郎。
今年の目標はフィルム6本。
(2018:3,2017:4,2016:25,2015:60)

ミノルタ”α”経営の現場

2009年01月19日 00時03分17秒 | 
ミノルタ”α”経営の現場
 講談社(1989年3月)


不屈の精神だ。約8年ごとの経営危機を、社員の総力で乗り切ってきた。(帯の言葉より)


第1章 会社をよみがえらせた大ヒット
 1988年、創業60周年をα7700iの大ヒットで飾った。

 1985年、α7000で一眼レフのシェアトップにもなった。
 しかし3年も経つと新鮮さを失いはじめた。
 しかも円高の打撃で経常利益が前年の半分。
 α7000の時とはまた違った緊張感があった。

 α7000の開発の話。マウントの変更の技術者と営業の駆け引き。
 それを超えるα7700iの開発。


第2章 ”光”に夢をもとめて
 ミノルタの創世記、いや日独写真機商店のエピソードから戦後の千代田光学まで、
 当時のモデルを交えての歴史。


第3章 危機にピントが合う体質
 戦後に指名解雇をするほどの経営危機に見舞われる。
 その中での新しいスタイルのミノルタメモの発売。
 技術者の発想を生かす経営風土。
 
 アメリカでの営業の苦境の分析(重さとストロボ)と対応。
 事務所や本社の建物より工場設備の充実。
 
 神武景気の後退による苦境。
 またもや希望退職と会社発祥の地の売却。
 
 
第4章 技術革新と経営近代化
 なべ底景気時の営業のてこ入れ。
 レンズシャッターカメラのシャッタースピード向上の技術。
 (この時期にオリンパスよりも早くハーフカメラの提案もあったらしい)
 ミノルタスカイを諦め一眼レフへ。
 コンピュータの導入によるレンズの設計。
 宇宙を飛ぶカメラとプラネタリウム。

 技術至上主義の誤算。そしてふたたび危機。
 倒産協力工場との交渉。人情のある言葉。
 月に行く露出計。ライツ社との携帯。どちらにも大変な努力が。
 XシリーズとCIの導入。
 
第5章 新しい時代を拓く
 新人事処遇制度の導入。
 シンボルマークの統一。
 「次の世代に伝えるものは、自分の目で見、頭で考える創造性を大切にして、
 危機を突破してきたマネージメントである。」



まだ、カメラ事業を撤退した事が信じられない。