日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

松﨑山本行寺(佐渡市松ヶ崎)

2018-08-24 22:53:24 | 旅行
古くから越後からの船の上陸地点であった松ヶ崎は、佐渡国府の港として、また松前船の中継地として栄えた港町でした。


日蓮聖人が上陸後、最初の晩を過ごしたと言われる「おけやき」だけでなく、


ん!?「日蓮さんの腰懸石」もあるぞ。行ってみよう!


いい路地だな~


このあたりでは今でも苗字とは別の「屋号」が現役で使われており、墓石にも「○○家」の他に「○○エ門」「○○屋」みたいな屋号が刻まれてます。


各お宅には屋号の表札も掛かっているんですよ!
この八幡屋さんと鍛冶屋さんとの間に、腰懸石はあります。


この平たい石が、地元の方の間で昔から「日蓮さんの腰懸石」と伝承されてきた石です。
しかし看板も矢印もなく、足下に自然に、置かれています。
宗門関係の広報とか本にも載っていない石だけど住民の言い伝えがある・・・ご霊跡めぐりの醍醐味ですね~!グっときます!
同時に松ヶ崎の住民にとって、お祖師様がとても身近な存在であることが窺えます。


松ヶ崎の町なかに日蓮宗の古刹があります。


本行寺です。


わ~、立派な法塔!550遠忌だから、200年近くも前のものですね。


「大士著岸之𦾔跡」とあります。
「著」っていう漢字、「着」の意味があるのかなぁ?


山門です。
江戸時代、本行寺の再興に貢献した菊池家の門を移築したものだそうです。
華美な色彩を排除した山門だけに、ひときわ「防火水そう」の赤看板が目立ちます!


山号は地名から取ったのでしょう、「松﨑山」です。


本堂です。
屋根の高さといい瓦の色といい、松ヶ崎の街並みに溶け込む、落ち着いた造りです。


本堂の裏手には墓地がありますが、そのすぐ向こうに海が見えます。
まさに海辺の古刹、ですね!


歴代お上人の御廟に参拝。
大切なご霊跡「法華岩」や「おけやき」を含め、現在まで維持してくるのには、大変な苦労があったと思われます。感謝しかありません。


日蓮聖人が上陸された当時、この場所には真言宗の庵があったそうです。
庵主はいわゆる「塚原問答」の場に臨み、日蓮聖人に帰依、庵を法華に改めたそうです。
開山は日蓮聖人、二祖が庵主・仏善坊日量上人ということです。


本堂の左側には以前、松の大木「龍燈の松」があったそうです。
それはそれは大きな松で、海上からもひと目でわかるほどだったようです。



その松があった場所に、現在は日蓮聖人のご尊像が鎮座しています。「龍燈説法像」だそうです。

1271年10月28日、日蓮聖人を乗せた船が佐渡に近づいたのは、夜の帳が下りた頃だったのかもしれません。
ここにあった松の大木に、燈明を掲げる龍神様が現れ、そのお導きで着岸できたといいます。
今でもこの古松跡にはお祖師様の魂が棲み続けているということなのでしょう、22年前の立教開宗の日にご尊像が建立されたそうです。


日蓮聖人は着岸3日後の11月1日に、いよいよ塚原に入らねばならないことになっていたようです。
そのためには小佐渡山地を越えなければなりません。体力的にもキツかったんだろうな~。


このあと、日蓮聖人が山越えした道、山越えする際に残されたご霊跡を訪問してゆくのですが・・・

これに関して、本行寺のお上人がものすっごく協力して下さいました!


次回を待て!!


おけやき(佐渡市松ヶ崎)

2018-08-24 20:02:59 | 旅行

「法華岩」に着岸したその夜、役人は日蓮聖人を残して他所にいなくなってしまったそうです。



今でこそキレイな街並みがありますが、これは江戸時代に造られた町であって、750年も昔は・・・どうだったのでしょうか。



法華岩から100mも歩かない場所に、日蓮聖人が佐渡で最初の晩を過ごしたご霊跡があります。
「御逗留霊木」とありますね~。



「おけやき」というご霊跡です。



題目法塔の側面には「日蓮大菩薩 御槻所」と刻まれていました。
「槻」は「つき」って読むから、「お祖師様がお着きになった場所」なのかな?
でもネットで調べると、ケヤキ(欅)って別名ツキ(槻)と言うらしいです。そっちの意味でしょうね。



おぉ~!圧倒的な迫力!!



今から30年前の環境庁の調査で、この欅は幹廻り6.83m、樹齢300年以上とわかったそうです。
多分2代目の欅の木だろうということです。



それこそ日蓮聖人の顔も名前も誰も知らない離島、それも寒い晩秋の夜、この「おけやき」の空洞で過ごしたと伝えられています。



白髪の老人に姿を変えたこの地の氏神・春日明神に、日蓮聖人は「おけやき」に導かれたそうです。



「おけやき」の所有者のお婆さん(てことはこの付近に当時お住まいになってたんですね!)が、名も知らぬお坊さんのために三日三晩、お粥を作って差し上げたという逸話が残っています。

僕も今回佐渡に来て、人の温かさを実感しました。人なつこいというか、よく話しかけてくれるし、助けてくれるし・・・当時のお婆さんもごく自然にお粥を供養されたと想像できます。



日蓮聖人はそのお礼に、自らの血で(!)書かれた血曼荼羅を差し上げたそうです。



氏神様の不思議なお導きと、優しい松ヶ崎の人の助けで、日蓮聖人は命をつないだのですね!

一信徒として、深い感謝の気持ちで、美しい松ヶ崎の街並みを歩きました。