「法華岩」に着岸したその夜、役人は日蓮聖人を残して他所にいなくなってしまったそうです。
今でこそキレイな街並みがありますが、これは江戸時代に造られた町であって、750年も昔は・・・どうだったのでしょうか。
法華岩から100mも歩かない場所に、日蓮聖人が佐渡で最初の晩を過ごしたご霊跡があります。
「御逗留霊木」とありますね~。
「おけやき」というご霊跡です。
題目法塔の側面には「日蓮大菩薩 御槻所」と刻まれていました。
「槻」は「つき」って読むから、「お祖師様がお着きになった場所」なのかな?
でもネットで調べると、ケヤキ(欅)って別名ツキ(槻)と言うらしいです。そっちの意味でしょうね。
おぉ~!圧倒的な迫力!!
今から30年前の環境庁の調査で、この欅は幹廻り6.83m、樹齢300年以上とわかったそうです。
多分2代目の欅の木だろうということです。
それこそ日蓮聖人の顔も名前も誰も知らない離島、それも寒い晩秋の夜、この「おけやき」の空洞で過ごしたと伝えられています。
白髪の老人に姿を変えたこの地の氏神・春日明神に、日蓮聖人は「おけやき」に導かれたそうです。
「おけやき」の所有者のお婆さん(てことはこの付近に当時お住まいになってたんですね!)が、名も知らぬお坊さんのために三日三晩、お粥を作って差し上げたという逸話が残っています。
僕も今回佐渡に来て、人の温かさを実感しました。人なつこいというか、よく話しかけてくれるし、助けてくれるし・・・当時のお婆さんもごく自然にお粥を供養されたと想像できます。
日蓮聖人はそのお礼に、自らの血で(!)書かれた血曼荼羅を差し上げたそうです。
氏神様の不思議なお導きと、優しい松ヶ崎の人の助けで、日蓮聖人は命をつないだのですね!
一信徒として、深い感謝の気持ちで、美しい松ヶ崎の街並みを歩きました。