日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

身延山端場坊(身延町身延)

2022-05-01 12:00:00 | 旅行
僕は毎年3回ほど、身延山を参拝します。

可能な限り、朝勤にも出るようにしているのですが・・・5時半から始まる朝勤に間に合わせるためには、湘南を夜中の2時台に出なければなりません。

結果、帰路は疲れがドッと出て、眠気と闘いながらの運転となります。
安全の上からも、これは改めなければ、と思っていたんです。


考えてみれば、身延山には坊が沢山あるんですよね!
(久遠寺境内から西谷を望む)
坊に前泊すれば、時間に追われることなく、ゆっくりと祖山を堪能できるし、何よりも体が楽でしょう。

・・・ということで、今後、身延山を参拝する際は、坊に泊まってゆこうと思っています!


今回、宿泊したのは「端場坊(はばのぼう)」です。
白壁に囲まれ、武家屋敷みたいな雰囲気です。
そう、ここは鎌倉武士として名を馳せた四條金吾頼基公が開いた坊なのです!


四條金吾頼基公というと・・・

(↑四條金吾邸跡に建立された鎌倉・長谷の収玄寺)
北条一族の江間光時の家臣であった四條金吾頼基公は、鎌倉武士でありながら、日蓮聖人の教えに深く帰依した方です。
気は短いが義に厚く、龍ノ口法難の際には殉死の覚悟で日蓮聖人に付き添った、まさに信徒の鑑、僕の中のヒーローでもあります。


頼基公が由緒の端場坊は、東谷の奥、ちょうど身延山大学に隣接する場所にあります。
右側は端場坊の石垣です。
中央のゆるい坂を行くと身延山大学、左の道を行くと久遠寺の甘露門に至ります。



端場坊の前の道は、下山に通じる「裏参道」です。
義父のお墓が寺平の聖園墓地にある関係で、この道はよく使います。


宿坊は「泊まれるお寺」です。
まずはお寺としての端場坊を紹介します。

山門です。
周囲の白壁に映えますね~



山門をくぐると、左側に本堂があります。



扁額には「四條殿」。
堂内にはお祖師様とともに頼基夫妻のお像が奉安されています。


(↑画像左・鷹取山の肩口にチラッと見えるのが七面山)
また、端場坊は七面山が望める身延山唯一の坊ということで、本堂には七面大明神もお祀りされています。


本堂の裏手に回り、端場坊歴代お上人の御廟を参拝。
すぐ後ろ側は急峻な杉林、上の山につながります。
これまで端場坊の法灯を継いでくださった先師に感謝し、合掌しました。


体調を崩された日蓮聖人をお近くで給仕するため、四條金吾頼基公が弘安3(1280)年、ここに庵を構えたのが端場坊のルーツです。

開山として
収玄院日頼上人(頼基公)、
殊勝院日眼上人(頼基公の奥様) が並んで刻まれています。


日蓮聖人は頼基公個人に対し、多くのお手紙をしたためられ、また開目抄などの重要な著作も、頼基公を通じて弟子信者に届けられました。
と同時に、「四條金吾殿女房御返事」「日眼女釈迦仏供養事」など、奥様に宛てたお手紙も残されています。
(「高祖日蓮大菩薩御涅槃拝図」[大坊・本行寺で購入]より)
ご夫妻で日蓮聖人によく供養して差し上げたのでしょうし、お祖師様もお二人に絶大な信頼を寄せていたことが窺えます。
頼基公にゆかりのあるお寺で、頼基公「ご夫妻」を、開山としているのも頷けます。


また、お二人の命日もたった2日違いということで、ゆかりのお寺では3月15日に、ご夫妻の遠忌法要と開山会を修めているようですね!


ところで端場坊の場所、東谷の最奥にあります
日蓮聖人がおられたご草庵からは結構、離れていますよね?
何故こんな場所に拠点を設けたのでしょう??

端場坊のご住職に伺うと、「これは私の推測ですが」と前置きして、興味深いお話をしてくださいました。



今でこそ身延山の参詣は、南側の総門をくぐって門前町を抜ける、いわゆる「表参道」が一般的ですが、昔はあの辺り、渓流沿いの寂れた山道で、結構歩きにくかったのではないか、と考えられているそうです。


日蓮聖人が御入山される際、行く手を妨げていた大石が稲荷大明神の法力で割れ、そのおかげで日蓮聖人は御入山できた、という逸話が残っているくらいです。
当時の表参道の険しさは想像に難くありません。
(↑石割稲荷大明神が示現された大石)
ちなみに大石を割り、日蓮聖人に道を開いた稲荷大明神は、「石割稲荷」として手厚く祀られ、現在も清められています。

(↑御坂路・黒駒付近)
一方、鎌倉と甲州は、当時から官道「御坂路」で結ばれていました。
いわゆる鎌倉街道ですから、甲州入りするには御坂路を使う人が多かったでしょう。



とすると、甲府盆地から身延山に入るには、「裏参道」が近道。
むしろ裏参道の方が、人の往来は盛んだったと思われます。

ただ、日蓮聖人を訪ねて裏参道を上がって来るのは、お弟子さん、信者さんだけとは限りません。
日蓮聖人の命を狙おうとする悪者の入山だって、十分考えられます。


そこで、裏参道から入山する者に睨みを利かせるために、鎌倉武士として名を馳せた頼基公の拠点が、ここに設けられたのではないか、と端場坊のご住職は仰っていました。

お~、納得!!
関所の役割も担うために、御草庵(今の御廟)から離れた端っこの場所に、わざわざ坊を設けたのかもしれませんね!



そう聞くと、「端場坊」という名前も、とても高潔なものに感じます。
ちなみに身延山内の坊、山号はみな「身延山」だそうです。


それでは宿坊としての端場坊を紹介してゆきましょう。

こちらが坊の玄関です。
坊、というより老舗旅館ぽい雰囲気ですね!


コロナ禍の今、端場坊でも宿泊者の受付を大幅に減らして、営業されているようです。
ご住職と奥様のお二人で、切り盛りしています。
お二人とも温厚を絵にかいたような方々です。

受付を済ませ、お部屋に案内されます。



広く、清潔な和室です。
テレビはなく、逆にそれが居心地の良さにつながっています。



普賢菩薩勧発品の偈文が書かれたお軸が掛かる床の間。
海外のお客様も喜びそうです!



トイレ、風呂、洗面所は、とても清潔に保たれています。



ホールもご覧の通り。
和モダンがベースの、寛ぎの空間です。


身延山お参りマップを見ながら、コーヒータイム。
Facebookなどで、生きた身延山情報を発信し続けてくださる「ゆる身延」さん作です。
このマップによると、身延山内には現在、31の坊が存在し、うち20が泊まれる坊のようですね。
これだけ多くの坊が残っているのは、関東近郊では武蔵御岳山、丹沢大山と、身延山くらいでしょう。


夕方5時半からは、端場坊本堂で夕勤が始まります。

お経本も置いてありますし、何よりご住職がゆったりとしたリズムで導いてくださるので、みんなでお経を供養しているという一体感があります。


夕勤のあとは晩ごはん!

「天の三光に身を温め・・・」から始まる食法を唱えてから、いただきます。
精進料理とは聞いていましたが、品数が多く、味、ボリュームとも大満足!!
ご馳走さまでした!



その後、お風呂をいただき、身も心もスッキリ。


朝方の寒さを想定してのことでしょう、電気毛布まで入れてくださいました。
せっかくテレビのないお部屋に泊まるわけですから、今晩はスマホも触りません。
夜9時には熟睡してましたzzz…。


翌朝は久遠寺の朝勤に参加しました。

境内までたった5分(←ホントに)、それもほぼ上り坂なく行けます!



朝5時起床なのに超余裕!
夜中の2時台に自宅を出発することを考えれば、この差はでかいですね~!


坊に戻ると朝食が用意されていました。

丸いお饅頭みたいなの、手作りのがんもどきです。
これがまた超美味、生涯でこんな美味いがんもどき、食べたことありません。
ご馳走さまでした!


朝食後、ご住職とお話させていただきました。

身延山内の諸坊のお上人方は、持ち回りで七面山と奥之院に奉職されるそうです。
端場坊のご住職は、自坊を切り盛りしながら、奥之院にも勤務されているといいます。コロナ禍で奥之院の参拝者が少なく、寂しいと仰っていました。ロープウェイのゴンドラもリニューアルされたようですし、行ってみようかな?


端場坊では、宿泊予約をネットでできるようにして以降、宿泊客の年齢層がグッと低くなったそうです。また、久遠寺参拝の前泊として利用するのではなく、宿坊体験そのものを目的として泊まる若者が、意外なほど多いといいます。


僕が宿泊した数日後にも、水行をしたいという予約が入っているそうですよ!

一般の人にとって、普段は近寄りがたいお寺、お坊さん。宿坊に泊まれば一気に距離が縮みます。
お寺でこんなことをしたい、お坊さんに相談してみたい、などなど、実現できるかもしれません。
これってPRしようによっては利用者が増えるかも・・・!?



そういう機会を探している人と、受け入れてくれる宿坊をマッチングさせるビジネスも、既に始まっているそうですよ。
宿坊体験が、人生を変えるきっかけになると良いですね!

端場坊さん、お世話になりました!!