日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

行時山光則寺(鎌倉市長谷)

2016-12-29 16:10:17 | 旅行
700年以上経過した今でも、往時を思わせる、というより、とっても生々しいご霊跡がありました。

観光地が密集している鎌倉・長谷。
近年は旅番組人気のせいか、平日でも夥しい人数の観光客を目にすることができます。


でも一本通りを折れると、閑静な住宅地。
光則寺の案内碑が立っていました。

ふむふむ、
「日蓮聖人 立正安国論上書ご霊跡」
「日朗上人 土の牢」


もうちょっと進むと別の案内碑が。

ふむふむ、
「宿谷左衛門行時・光則邸址」
「日蓮聖人 立正安国論推厭霊跡」 

いろいろ因縁のありそうなお寺ですね・・・


ここが境内の入口かな?
背景からも、うしろに山を背負ったお寺だということがわかります。
山号は「行時山(ぎょうじさん)」です。


山門です。
朱塗りで味があります。


本堂です。


もともと宿谷光則公という、北条時頼の側近の武士の自邸だったそうで、当時の高級武士の家の雰囲気が偲ばれます。
(宿谷の「谷」は、書物によっては「屋」となっているものもありますが、お寺での表記は全て「谷」でした)


画像左に、「立正安国論御勘由来聖筆碑」があります。
これによると、日蓮聖人が北条時頼に立正安国論を進献する時に取り次いだのが宿谷光則公というのがわかります。

主張が認められず、日蓮聖人は佐渡へ流されてしまいました。
この時、弟子の日朗上人も、幕府の監視対象になり、宿谷光則邸の裏山にある土牢に閉じ込められてしまったのです


今でもこの土牢があるというので、向かってみましょう。
本堂の右手の小径を進むと、細く長い階段が続いています。


しばらく登り、山の中腹でしょうか。
景色が良く、真ん中に入り江が見えますね。由比ガ浜です。


そして・・・
ありました。土牢です。
岩をくりぬいて作った横穴
(あとから作り直したんだろうけど)牢屋の木の格子が生々しい・・・


見取り図がありました。
内部は、だいたい幅・奥行・高さとも5m程度です。

捕らえられたのは日朗上人だけでなく、他にも数人のお弟子さんがここに閉じ込められたそうです。
とにかく狭いし、冬は寒いし、夏は蚊がいっぱい襲ってきたんだろうな・・・


日蓮聖人は佐渡に流される自分のことは二の次で、とにかく弟子たちの安否を気遣う手紙を書かれたそうで、これは宿谷光則公の心を強く動かしたといいます。
牢中の弟子たちの態度にも感心していた宿谷光則公は、のちに日蓮聖人に帰依することになります。


日蓮聖人が身延に入られたあと、宿谷光則公は日朗上人を迎えて、自邸をお寺「光則寺」にしました。
だからこのお寺の開山は、日朗上人です。


境内はいろんな草木が植わっており、植物園の様相を呈しています!
またそれぞれがよく手入れされてる~
境内の植物案内もありました!
植物マニアにはたまらないお寺かもしれませんね!

袈裟掛けの松(鎌倉市稲村ケ崎)

2016-12-26 17:26:39 | 旅行
波乱万丈な生涯だった日蓮聖人については、その辿った道さえも細かく研究されているようです。
そしてその道の途中途中に、一般の方なら気付かないような御霊跡があります。

表向き佐渡流罪の名目で、日蓮聖人は松葉ケ谷の御草庵で平左衛門頼綱に捕らえらました。
実は頼綱には、龍ノ口の刑場で日蓮聖人の首を斬ってしまおうという目論見があったのです。

真夜中に捕らえられた日蓮聖人は、暗い中を裸馬に乗せられ、
極楽寺の切り通しを通ってゆきました。
昼でもほの暗い切り通し。
当時の真夜中ってヤバいくらいに真っ暗だったんじゃないかな。


極楽寺の門前を過ぎると・・・


針磨橋(はりすりばし)があります。
石碑によると「この近くに針磨を仕事にしている人が住んでいた」のが地名の由来みたい。

以前、鎌倉に住むサーファーの知人が、このへんの川砂は砂鉄が多いから、稲村ケ崎の界隈だけ浜の砂質が違うんだと教えてくれたことがありました。
砂鉄と針・・・関係あるかも!

日蓮聖人はここを通過していったようです。


橋ってこれかな?


更に龍ノ口方面へ歩いてみよう。
わ~!
江ノ電の線路近い~


これだ!
袈裟掛けの松・・・ほんっとに道沿いに何気なくあります。

龍ノ口の刑場に連れてゆかれる途中、死を覚悟した日蓮聖人は、せめて神聖な袈裟だけは血に染まってはいけないと、近くにあった松の枝に掛けたといわれています。


当時の松はもうなくなってしまったそうです。
石碑とともに、一本の松が植えられていました。
石碑の文字は、日朗上人が土牢に幽閉された長谷・光則寺のお上人のものです。


石碑の裏側には、鎌倉駅近くの「おんめさま」、大巧寺のお上人のお名前。


道路をはさんで反対側の一角には、日實法師の石碑。
日實法師は材木座・實相寺の歴代お上人のお弟子さんで、ここに住んで袈裟掛けの松を守り続けたそうです。


一本の松を守るために実に多くの先輩方が介在し、
松なきあとも日蓮聖人の御霊跡としてホントによく整備され清められているのがよくわかりました。
御霊跡を守り続けてゆくのも信仰のかたちですね。


頭が下がります。

四条山収玄寺(鎌倉市長谷) 

2016-12-22 15:26:57 | 旅行
日蓮聖人の生涯を記した文章に、しばしば名前が出てくるのが「四條金吾」です。

先日、うちの菩提寺でお会式があった時に、日蓮聖人ご入滅時の状況を詳細に描いた絵巻物が公開されていましたが、日蓮聖人のすぐ近くで肩を落としている四條金吾公も見て取ることができました。

とてもとても篤い信者だった四條金吾公の屋敷跡にあるのが「収玄寺」です。
日蓮聖人の直接の御霊跡ではないかもしれませんが、訪問してみました。


長谷には有名観光スポットが目白押しです。


その目抜き通りの混雑している場所に、驚くほどひっそりと建っています。


境内に入るとすぐ、巨大な石碑があります。
東郷平八郎元帥が書いた「四條金吾邸址」の文字が!!


その裏側には、「四條金吾は義理にあつい日本武士の鑑だ」的なことが書かれていました。

武士だったんだ・・・


由縁がありました。何と!北条一族の家臣だったそうです。
板挟みとかいろいろ大変だったんだろうな。

四條金吾公は日蓮聖人が鎌倉にいるときだけでなく、佐渡や身延時代にも近くで給仕を続けた、日蓮聖人の大檀越です。
特に、死のお供をする覚悟で刑場に連れ添った、龍ノ口の法難の逸話は有名です。
日蓮宗は、四條金吾公の存在なくしてはありえなかったかもしれません。

心から感謝します。


山号は四条山です。
江戸時代に屋敷跡は「収玄庵」としてお寺になり、大正時代に「収玄寺」という寺名になったようです。


小さめの本堂ですが、周りの草木がよく手入れされていていい雰囲気!
「花の寺」とも呼ばれているようです。

暖かくなったらもう一度来ようっと!!!

経栄山題経寺(葛飾区柴又)

2016-12-22 08:00:47 | 旅行
柴又帝釈天を訪問しました。

最寄り駅は京成線の柴又駅です。


駅前にはお決まりの寅さん像
おじいちゃんおばあちゃん達がこぞって2ショット撮影していました!


門前町には味のあるお店が多数。


平日でしたが、どこもそこそこ混んでいました。


食堂のメニュー見本。レトロ~


立派な法塔!


「帝釈天王安置」って刻まれています。


お猿の像です。
逗子・法性寺のお猿畠や鎌倉・松葉ケ谷には、お猿が日蓮聖人の窮地を救ったという逸話が残っていますが、ここにも何か逸話がありそうです。


見えてきました。


立派な「二天門」が迎えてくれます。


帝釈堂です。
柴又帝釈天は正式名称「経栄山題経寺」といいます。日蓮聖人が彫られたという帝釈天の御本尊が安置されていることから、昔から帝釈様と慕われてきました。

帝釈天は、信仰をする者、修行をする者を守護する神様です。


日蓮聖人が彫られた帝釈天の御本尊は、一時行方不明になっていましたが、今から240年ほど前の庚申(かのえさる)の日に見つかったことから、庶民の庚申信仰の対象になってきたようです。


信徒の間では、「見つかった」というよりも「帝釈様がお姿を現わした」という解釈になっているようです。


そうか・・・このお寺のお猿は、庚申(かのえさる)に由来してるんだな!


お祖師様が板に彫られた帝釈様、僕も拝ませて頂きましたが↑こんなお姿です。

実は僕の祖父が毎日お勤めしていた仏壇と、妻の祖父が毎日お勤めしていた仏壇には、まさにこのお姿の帝釈様の、同じ掛け軸が掛かっています。(もちろん祖父同士全く他人です)

妻とは縁の糸があったのかもしれませんね!


ご首題をお願いしようと列の5番目に並ぶと、実はそれは帝釈天のご朱印の列で、ご首題の受付には一人も待っていませんでした。
帝釈様、人気者っス!!


帝釈堂をぐるっと囲むように、法華経のお話にまつわる見事な彫刻が組み込まれています。
それはもう、圧巻!!


例えばこれは提婆達多品第十二で説かれている女人成仏の図のようです。
昔のインドでは女性は成仏できないと考えられていたのかな?
日蓮聖人は信徒に宛てた手紙の中で、法華経で女人成仏が説かれている事を書いていますが、てことは法華経以外では説かれてないのかな?
知識がなくてすみませんっ!!



瑞龍の松と御神水です。
開基の日栄上人が柴又を訪れた時、見事な枝ぶりの松と、傍らにこんこんと湧く清水を見つけ、その場所に庵を建てたのがこのお寺のルーツです。


御神水には龍神様の置物がいっぱい!


今週の講中~!
龍神祈祷講~!


本堂です。


本堂裏は広い庭園です。
よく手入れされています。大変でしょうね!


釈迦堂です。


釈迦堂のすぐ横、ちょっと奥まったところに、真っ黒な仏像が2体、座っていました。
何となくエスニックな雰囲気の仏像でした。


立派な大鐘楼堂です。
関東では一番でかいみたい。


もう既に初詣の準備が始まっていました。
沢山の参拝者で混雑するんだろうな~。
有名なお寺の割には境内が狭いし・・・


いやいや、実は帝釈天は奥に広い!
ず~~~っと奥まで敷地がありました。


帝釈天の裏側に、多分お寺が経営する幼稚園がありました。
ここって「男はつらいよ」にも出てきません?何だったか忘れましたが寅さんが幼稚園生になって園庭を走り回ってたような・・・

ルンピニーってお釈迦様が生まれた地名ですよね!
エスニック~

霊山(鎌倉市極楽寺)

2016-12-20 21:27:55 | 旅行
いや~、すごい経験をしました!
今、思い出しても、夢のような・・・

鎌倉の霊山を訪問しました。
霊山というのはお寺の山号ではなく、単純に山の名前だと思われます。


有名な極楽寺の切り通し


その南側の崖から続く山が「霊山」です。(画像が逆光ですね!超快晴だったもんで・・・)



切り通しの突き当りにある霊鷲山 感応院 極楽律寺(真言律宗)
このお寺を開かれた良観房忍性と日蓮聖人が雨乞い対決をした舞台がまさに「霊山」なんです。

文永8(1271)年の鎌倉は雨が全く降らず、田畑も荒れ、井戸も枯れるような状態で、執権・北条時宗は極楽寺の良観房忍性に雨乞いの祈祷を命じました。
しかしいくらやっても雨は降らず・・・そんな折、日蓮聖人がお題目を唱えると、雨が降り始めたといいます。


この雨乞い対決をした場所は、霊山にある池のほとりらしいんです。
今は池がなくなってしまったようですが、雰囲気だけでも味わいたく、現地までトレッキングしました!!!
江ノ電・極楽寺駅前の細い階段を上がり・・・


お墓の裏のけもの道を上がると・・・


そこはもう山!!!深い森!!!


ところどころに特徴的な木もあり、迷わないように記憶しておきます。


自慢じゃありませんが、僕は高校・大学時代、陸上の長距離(専門:20km)の選手で、よく地元小田原の山中をクロスカントリーで走ってたんです。だから山はめっちゃ得意!どこを行けばいいのかは野性的な直感でわかります。


誰かが来ることもあるようで、急斜面にはロープがあります!!!


あれ?何だか明るくなってきたような・・・


そして・・・出た!!!!!
絶景!!絶景!!!
そこには由比ガ浜を眼下に据える絶景が広がっていました!
鎌倉イチの絶景だぁ~~~!

しばし見惚れました。誰もいないし、鳥のさえずりしか聞こえない。

・・・天国・・・



そうそう、池の跡を探さなきゃ・・・
雑草に覆われた草原・・・っっとぉ!!??


池!!!ちっちゃいけど池があるよ!!
多分ここ!ここで雨乞い対決があったんだ!!

普段は枯れているのが、たまたま最近の雨の多さで水がたまったのかもしれません。ただ、水が溜まるところって大昔から変わらないはずなんです。

日蓮聖人のお導きがあったようで、感動です。


もう一度、絶景を拝みつつ、
後ろ髪を引かれる想いで帰路につきました。


ホント、夢の中にいるような、不思議な体験でした!!

鶴岡八幡宮(鎌倉市雪ノ下)

2016-12-19 18:14:48 | 旅行
日蓮聖人の御霊跡は数多くありますが、お寺じゃない御霊跡も結構あるんです。

今回訪れたのは神社!
それも超メジャーな!!

毎年、全国初詣参拝者数ランキングで5本の指に入る巨大神社
「鶴岡八幡宮」!!!
ま~参道が長くてまっすぐ!!
「段葛(だんかずら)」っていうそうです。


まるまると太った狛犬が守っています。
これから特別な神域に入ってゆく緊張感があります。


境内の入口に池があります。
「源平池」っていうそうです。↑画像は「平家池」。逆側に「源氏池」もあります。

源氏池には島が3つ。3は「産」の事で、源氏の繁栄を意味し・・・
対する平家池には島が4つ。・・・4・・・「死」、つまり平家の滅亡を意味するとの説があります。
オカルトかもしれませんが、なかなかこれ見よがしッスね~。

個人的には落ち着いた雰囲気の「平家池」のが好きだな。


この源平池にかかる太鼓橋があるんですが、渡れないようになってました。
神様が通る橋らしく・・・なら納得!!


鶴岡八幡宮の由緒です。
もともと由比ガ浜とか材木座の方にお祀りした八幡宮がはじまりらしく、現在の地には日蓮聖人がお生まれになる30年ほど前に移ったそうです。


平成22年の3月10日(ってことは震災のほぼ1年前ですね)、爆弾低気圧による強風で樹齢1000年以上ともいわれる大銀杏が根こそぎ倒れました。我々神奈川県民にはとても悲しかったニュースとして記憶されています。
ただ、その後根っこからヒコバエ(若芽)が出ているのが見つかり、今や・・・


こんなに大きく成長しました!今やお母ちゃんを見下ろすくらいの立派な「木」です!
がんばれ!!!


本堂、もとい、本宮です。現在の建物は江戸時代の造営らしいですが、立派!
訪問したのが年末だったため、そこかしこで初詣対策の作業がされていました。


宝物殿を拝見しました。(撮影禁止のため画像なし)
鶴岡八幡宮の御神宝は「弓」と「矢」と「太刀」なんですね!
さすが武士の神社だと思いました。


あと興味深かったのが、神仏分離以前の境内図です。
現在の古神札納所あたりに「護摩行堂」と「経蔵」が描かれていました。
このあたりかな?
その昔は神仏習合といって、両方の信仰が混交していたらしいんです。
よくお寺の境内に鳥居があったりしますが、違和感がないのはその名残りでしょう。

経蔵には源実朝が取り寄せた一切経があったそうです。
日蓮聖人は若い頃にこの経蔵で勉強されたそうですよ。
神仏分離後の今は、もちろん経蔵はなく、一切経も浅草寺に移されたそうです。


日蓮聖人が生涯をかけて執権に訴えた「立正安国論」。
この鶴岡八幡宮に、命を懸けて、繰り返し諫暁しに上がったが受け入れられなかった日蓮聖人・・・。
その無念さに想いを馳せながら、広くて清浄な境内を歩きました。


本宮に至る大石段の下に、一対の狛犬が居ました。



よく見る恰幅のいい狛犬と違い、かなりスリムでした。
日本犬が好きな僕の好み!

人生でベスト狛犬かも。

法喜山上沢寺(身延町下山)

2016-12-08 15:30:00 | 旅行
ウチでは黒い雑種犬を一匹、飼っています。

甲斐犬によく似ているのですが、何せ動物保護センターの里親募集で頂いてきたやつなので、ルーツはわかりません。
とても可愛いんですが・・・
寝てばかりいまして・・・


↑ もらってきた日の晩の寝相(笑)
全然緊張感なし・・・

10才になる今も全く緊張感なく、番なんて自分の仕事だと思っていません。

日蓮聖人の身代わりになった犬だっていたんだぞ!!


身延山にほど近い国道沿いにある「上沢寺」を参詣してきました。


山号は「法喜山」です。


本堂です。


お線香の自動販売機、初めて見ました!!
100円入れて、ツマミを回すやつですね!


ここ上沢寺さんは「さかさ銀杏」で有名な、日蓮聖人の御霊跡です。

もともとここは真言密教のお寺だったそうです。
ある日、法印という修験僧が日蓮聖人と法論をして敗れました。で、表向き日蓮聖人に帰依したように装いましたが、相当悔しかったんでしょう、日蓮聖人を毒殺しようと、当時の住職・法喜と計画しました。毒餅を食べさせようとしたそうです。これを見破った日蓮聖人は毒餅を庭に放り投げました。そこへ白い犬がやってきて毒餅を食べ、身代わりになったそうです。
このありさまを見た法印と法喜は改心し、本当に帰依しました。法喜は「日受」という名前をもらい上沢寺の開祖になりました。


日蓮聖人の身代わりとなった白い犬は境内に埋葬されました。日蓮聖人は墓標がわりに持っていたイチョウ製の杖を土に刺したところ、後日、芽が出てイチョウの木になったそうです。
おお~~!!!
これがまさにそのイチョウの木!!


国の天然記念物なんだって!


枝がしだれるから「さかさ銀杏」っていうらしい。
上沢寺の方々がとても手厚く世話をされているのがわかりました。これからもよろしくお願いします!!!


落ち葉を一枚、拾って来ちゃいました!
お守りにしようっと!


自宅に戻りました。
・・・うちの犬は・・・
・・・やっぱり(笑)

御廟・御草庵跡(身延町身延)

2016-12-07 17:04:44 | 旅行
御廟所を参拝しました。

樋之沢川にかかる竜潜橋を渡ると、聖域である身延山の中でも格別に神聖な領域に入ります。


御廟に続く道はとても静謐です。
緊張さえします。


参道の途中に巨大な白い狛犬が!
一生懸命御廟を守っていました。


法務所で受付を済ませ、


身延川にかかる霊山橋を渡ったところに御廟があります。


水屋で穢れを落とし・・・



手前が拝殿、奥の白い建物が祖廟塔という、いわゆる日蓮聖人の「お墓」です。

恥ずかしながら、ここ御廟での正式な参拝の方法というものを知りません。
ただ気持ちを込めて、感謝の想いで参拝させて頂きました。


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日蓮聖人は晩年の9年間、ここ身延山で過ごされました。
ただ暮らしていたのではなく、膨大な仕事をされていたようです。

まさにその地がこの「御草庵跡」です。
御廟のすぐ隣にあります。現在は更地ですが、


こんな感じの質素なお堂があったそうです。
これは法界堂といい、実際に御草庵に使われていた材料も利用されているようです。

多分、神聖な御草庵跡に上物を建てるわけにもゆかないので、近くに御草庵に似たお堂を建てたと思われます。


御草庵跡の周囲には、杉の巨木が何本もあります。
触ると・・・ん~安心する!
いつまでも居たいな~!


付近には、直弟子のお墓、歴代お上人のお墓、篤い信者の巨大なお墓が沢山ありますが、一つ一つがあまりにビッグネームすぎて、書ききれません。

ちなみに↑の画像の右にあるのが黄門様の母・久昌院の墓、その裏側にあるのが徳川家康公の側室であった養珠院のお墓だそうです。


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実は、僕が御廟所に来る理由はもう一つあります。

2年前に亡くなった義父は日蓮宗の僧侶でありました。町なかのとても小さいお寺のお上人ではありましたが、日蓮聖人の教えを伝道することに生涯を捧げた人でした。

その義父のお骨が供養されているのが、御廟域の一角にある「教師廟」なのです。
日蓮聖人のすぐお近くにこれからもずっと居られるなんて、お父さん良かったね!


そろそろ帰ろう!

参道を引き返して歩いていると・・・
さっきの狛犬!
バックショットはキレイにパーマを当てられていました!

おしゃれ♬

大石山正慶寺(身延町相又)

2016-12-06 19:38:16 | 旅行
久遠寺参詣からの帰り道にいつも、気になっていたお寺がありました。
川の向こう側にある、歴史のありそうなお寺!


今日は時間があったので、えいやっ!と橋を渡って・・・
ついに来ました「正慶寺」!



日蓮聖人が身延山にお入りになる前に、川のほとりの大きな石に座り、休憩されました。
この石が由縁で、山号は「大石山」のようです。



その石は現存していました!なんか植物がにょろにょろ出てるけど・・・
こういう何気ないものに、むしろ感動しちゃいます~
まさに「ここに!」お座りになっていたんだ!  合掌。


この地に暮らしていた庄左衛門の妻・かつさんが、休憩されている日蓮聖人に粟飯を差し上げたそうです。
その後、その方は日蓮聖人に帰依し、この正慶寺を始められたそうです。


お寺の裏山から、小川が流れています。
これが「安産水」なのかな?
日蓮聖人がここで休憩をされている頃に、この村にお産で苦しんでいる妊婦がいました。日蓮聖人に相談したところ、ここに湧き出ている水を飲ませれば安産すると教えられ、飲ませたところホントに安産で赤ちゃんを授かったそうです。


南天の実がキレイ💛


つーかさっきから画像の中の格子が気になるんだけど・・・
何なんだ~?
鹿!!
お檀家さんは気を付けてお墓参りして下さいね!!

身延山久遠寺(身延町身延)

2016-12-04 19:15:01 | 旅行
義父の命日に、身延山を訪れました。

日蓮宗の僧侶であった義父のお墓は身延山にある「聖園墓地」にあります。
静かなお墓にお参りし、その足で総本山・久遠寺を訪問しました。


まずは総門が出迎えてくれます!

門前町を通り抜けて…


三門です。いつ見てもでかい!圧倒的な存在感~


門自体がでかすぎて、門の中にお札を売るお店もあります!
この奥に仁王像が仁王立ちしています。


久遠寺は山号が「身延山」。超メジャーっすね!


三門をくぐると、黄色く色づいたカエデが迎えてくれました!
杉の深い緑に映えてとってもキレイ!!


しばらく重厚な石畳が続きます。
数え切れないくらい多くの信徒達が踏みしめてきたのでしょう。


右手に、南部實長公の像があります。

南部實長公は日蓮聖人の大恩人です。
佐渡赦免のあと鎌倉幕府に3回目の諫暁をしましたが受け入れられず、そんな時に一帯の領主であった南部公が日蓮聖人をこの地に招き入れてくれたのです。日蓮聖人に身延山一帯の広大な土地を寄付し、更に日蓮聖人がお山におられた9年間、一族で給仕をされたそうです。

南部實長公の存在がなければ、現在の日蓮宗自体も存在しえなかったかもしれません。
僕たちにとっても大恩人です!ありがとうございます!


南部實長公の像に感動した直後に、試練は待っていました!!!
どど~ん!!
まさに壁のような石段!
この石段にはお名前があり、「菩提梯」というそうです。287段あるそうです。え?に、にひゃく・・・

今日はやめたいな・・・
僕が小学生の頃には一気に駆け上がって得意がっていましたが・・・


もうちょいラクな方法・・・
あった!坂!
男坂!


あった!坂!
もうちょい緩い女坂!!


・・・迷わず女坂を選択ぅ~
到着~
ホントはエレベーターとかもあるようですが!!
がんばりました~

今日は甘露門から入場!


本堂です。でかい建物目白押しの久遠寺において、ひときわでかい!
毎日、朝の勤行はここで行われます。
しばらく朝勤には参加していませんが、時々あの巨大な太鼓の振動を感じてみたくなります。


数年前に、境内に五重塔が完成しました。
参詣に行くたびに徐々に完成してゆく塔を見ていたので、愛着が湧きます。
最新の建築技術を使いながら、それでも木で、昔と同じ構造で作り上げられるさまは、新鮮な感動がありました!


大鐘楼です。
鐘を鳴らすのは朝夕5時頃(季節により違うみたい)。
いっかい、鳴らしたいな~


お昼の勤行は12時から、仏殿で。・・・迷わず参加!!
やっぱ日蓮聖人が長くお住まいになった地で唱えるお経は気持ちいい!


お昼の勤行を終えて外に出ると
何と・・・
12月なのに桜が咲いていました!!
ホントホント、桜ですって!!

そんな種類もあるのかな?なんかトクした気分(^^♪


ここは御真骨堂の拝殿です。
日蓮聖人の御真骨が安置されている場所を御真骨堂といい、白い堅牢な外観はチラ見したことはありますが、多分ちゃんと見ることは一生ないんだろうな~

その前面に建っているのがこの拝殿です。
ここ身延山では、御廟と並んで最も神聖な場所と言えそうです。
前を通り過ぎるたびに合掌。


菩提寺のお上人が以前、昔の五重塔は今の久遠寺の裏山あたりにあったらしいと教えて下さった事がありました。
このあたりかな~?
結構勾配あるし、建てるの大変だったんだろうな。
でも今よりもずっと「シンボルタワー」的な存在だったんだろうな。


参詣を終えて、門前町をプラプラしていると
田中屋さんの前にかわいいコーギーのわんこが!!!
ハッピーくんて名前だそうです。


最後までハッピーな参詣でした!!
また来ます!