700年以上経過した今でも、往時を思わせる、というより、とっても生々しいご霊跡がありました。
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観光地が密集している鎌倉・長谷。
近年は旅番組人気のせいか、平日でも夥しい人数の観光客を目にすることができます。
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でも一本通りを折れると、閑静な住宅地。
光則寺の案内碑が立っていました。
ふむふむ、
「日蓮聖人 立正安国論上書ご霊跡」
「日朗上人 土の牢」
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もうちょっと進むと別の案内碑が。
ふむふむ、
「宿谷左衛門行時・光則邸址」
「日蓮聖人 立正安国論推厭霊跡」
いろいろ因縁のありそうなお寺ですね・・・
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ここが境内の入口かな?
背景からも、うしろに山を背負ったお寺だということがわかります。
山号は「行時山(ぎょうじさん)」です。
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山門です。
朱塗りで味があります。
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本堂です。
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もともと宿谷光則公という、北条時頼の側近の武士の自邸だったそうで、当時の高級武士の家の雰囲気が偲ばれます。
(宿谷の「谷」は、書物によっては「屋」となっているものもありますが、お寺での表記は全て「谷」でした)
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画像左に、「立正安国論御勘由来聖筆碑」があります。
これによると、日蓮聖人が北条時頼に立正安国論を進献する時に取り次いだのが宿谷光則公というのがわかります。
主張が認められず、日蓮聖人は佐渡へ流されてしまいました。
この時、弟子の日朗上人も、幕府の監視対象になり、宿谷光則邸の裏山にある土牢に閉じ込められてしまったのです
今でもこの土牢があるというので、向かってみましょう。
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本堂の右手の小径を進むと、細く長い階段が続いています。
しばらく登り、山の中腹でしょうか。
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景色が良く、真ん中に入り江が見えますね。由比ガ浜です。
そして・・・
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ありました。土牢です。
岩をくりぬいて作った横穴
(あとから作り直したんだろうけど)牢屋の木の格子が生々しい・・・
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見取り図がありました。
内部は、だいたい幅・奥行・高さとも5m程度です。
捕らえられたのは日朗上人だけでなく、他にも数人のお弟子さんがここに閉じ込められたそうです。
とにかく狭いし、冬は寒いし、夏は蚊がいっぱい襲ってきたんだろうな・・・
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日蓮聖人は佐渡に流される自分のことは二の次で、とにかく弟子たちの安否を気遣う手紙を書かれたそうで、これは宿谷光則公の心を強く動かしたといいます。
牢中の弟子たちの態度にも感心していた宿谷光則公は、のちに日蓮聖人に帰依することになります。
日蓮聖人が身延に入られたあと、宿谷光則公は日朗上人を迎えて、自邸をお寺「光則寺」にしました。
だからこのお寺の開山は、日朗上人です。
境内はいろんな草木が植わっており、植物園の様相を呈しています!
またそれぞれがよく手入れされてる~
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境内の植物案内もありました!
植物マニアにはたまらないお寺かもしれませんね!