日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

比叡山延暦寺(大津市坂本本町)

2019-08-13 13:12:49 | 旅行
若き日の日蓮聖人(当時は蓮長法師)がご遊学されていた天台宗の総本山・比叡山延暦寺を訪問しました!
アクセス道路は唯一、奥比叡ドライブウェイのみ。
2380円の通行料金のせいか、交通量が少なくスイスイ。


結構上がってきたぞ!琵琶湖がよく見えるなぁ。


奥比叡ドライブウェイを走っていると、誰でも知ってるビッグネームのプレートが次々に現れます。
その昔、比叡山は仏教の総合大学のような場所だったようで、それぞれのお上人方が修行をされた場所が示されています。

まずは日蓮宗の開祖・日蓮聖人のプレート。
日蓮聖人は21才から32才までの足掛け12年間、ここ比叡山で修学されました。


この奥には横川定光院があります。後日、レポをあげたいと思います!


そのほか浄土宗の開祖・法然上人や


浄土真宗の開祖・親鸞上人のプレートも。
まるで日本仏教の開祖めぐりロードのようです!


途中、ひときわ大きな銅像を見つけました。
伝教大師最澄上人のご尊像です。


比叡山延暦寺は今から1200年前、唐から帰国した最澄上人により開かれました。
旧来の政治と直結した貴族中心の奈良仏教に変わって、庶民を救う新しい仏教を比叡山から広めようとされた方です。

お祖師様の教えの根幹は、最澄上人にもルーツがあるといわれています。感謝を込めて、合掌。


広い広い延暦寺の総本堂ともいうべき根本中堂は国宝指定されているそうです。
・・・が、老朽化により現在全面改修中!平成28(2016)年から10年計画での大改修だそうです。
延暦7(788)年に最澄上人により創建された「一乗止観院」というお堂がルーツで、1200年間、途切れさせたことがない法灯(火)が今も灯っているといいます。


このお堂は大講堂です。比叡山で学ぶお坊さん達が講義を聴いたり、互いに議論を戦わせる道場だといいます。
内部には天台宗の高僧だけでなく、比叡山で学んで羽ばたいていった各宗の開祖達の木像、肖像画がお祀りされています。


大講堂の脇道には、比叡山で修行された高僧たちの紹介看板が並んでいます。
多くの教団の源流がここにあることを再認識させられます。


もちろん横川定光院で修行された日蓮聖人についても、紹介されています。
比叡山から安房・清澄寺に戻られて間もなく行った、立教開宗宣言の逸話ですね。


比叡山の広大な境内の中でも、最高の聖域は伝教大師最澄上人の御廟でしょう。
浄土院というそうです。


深い杉木立の中を、よく清められた参道が延びています。


しばらく歩き、浄土院に到着。


このお堂の裏手に、伝教大師最澄上人の御廟があります。


ここ比叡山の近くで生まれ育った最澄上人は、比叡山に一乗止観院(延暦寺の前身)を創ったのち、38才で遣唐使の一員として唐に留学したそうです。
政権とズブズブだった奈良仏教から距離を置こうとした桓武天皇の意図も背景にあったようです。
唐では智顗(ちぎ)上人が開いた天台山で修行し、法華経こそがお釈迦様の教えの真理だと確信し、帰国しました。


法華経による国の安泰を目指す最澄上人は奈良仏教とも対立しましたが、ことごとく論破してゆくことで、当時の天皇の信頼を勝ち取ったといいます。
日蓮聖人よりも400年以上も昔に、実は日本が法華経を中心に据えた国家になっていたのです。


伝教大師最澄上人の御廟です。
広大な比叡山の中でも、ここは最高の聖域でしょう。


浄土院の説明板によると、御廟を守るお坊さんを「侍眞」というそうです。
12年間も山を降りずに身を清め、霊前のお給仕に明け暮れるといいます。たとえ病気になっても、親が亡くなっても、山を降りずに同じようにお給仕し続けるのだそうです。
生半可な覚悟でできるもんじゃありません・・・まるで修道院のようですよね。


最澄上人は当時唐で盛んだった密教についても留学中に学び、持ち帰っていたといいます。
世の中が不安定であった平安時代、人々は日常のあらゆることを加持祈祷に求め、その流れの中で天台宗は徐々に変容していったようです。


最澄上人ご入滅後、比叡山3世の円仁上人は密教を大胆に採り入れた「天台密教」の基礎を造り上げました。
「比叡山が生んだ高僧」の筆頭に円仁上人が挙げられているということは、今でも天台宗の偉大な功労者として崇められているのでしょう。

しかし、法華経を中心に据えていた最澄上人の思想とは、明らかにベクトルの異なる比叡山になってしまったのです。


蓮長法師はお釈迦様の教えの真理を求めて比叡山に入られたわけですが、早い時期にその違和感を感じていたに違いありません。
このあと比叡山を拠点として、蓮長法師が奈良仏教の中心寺院や真言密教の総本山にも敢えて遊学された背景が、よく理解できます。
そして辿り着いた答えが、法華経だったのです。


さきほどの大講堂、もちろん内部は撮影できませんでしたが、印象的だったのは日蓮聖人の木像です。
他の高僧たちの木像がみな合掌や座禅、瞑想姿のなか、日蓮聖人のお像だけが一心にお経を読んでおり、近くに法華経八巻が置かれているのです。

他の高僧たちのお像と並んでいるなんて比叡山でしか見られないでしょうが、並んでいるとなおさら、お祖師様の本質が浮き彫りにされるというのは大きな発見でした。


最後に↓これは僕の行衣ですが・・・
行衣背面にあるお曼荼羅には「天台伝教大師」と書かれています。
(お曼荼羅により多少違いはあり、「南無天台大師」「南無伝教大師」と書かれているものもあります)

今回、比叡山を歩いて、日蓮聖人が天台大師智顗上人と伝教大師最澄上人をそこまで敬う理由が、ほんの少しわかりました。