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古都・奈良を旅してきました!
奈良は高校の修学旅行以来、本っ当に久しぶりです。
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高校生の時は、華美なものが少ない奈良市内の見学を退屈に感じていました。
しかしあれから30年以上経過し、落ち着いた奈良の雰囲気をとても心地よく感じるようになりました。
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奈良市は景観に配慮しているためか、中心部でも高い建物がなく、繁華街でもギラギラ感がありません。
このすぐ近くに、日蓮聖人のご霊跡があります。
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春日大社に通じる大宮通り沿いに、蓮長寺の看板が出ています。
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一本小径に入ると、大通りの喧噪が消えます。
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「日蓮大聖人 南都御遊學 寄寓之旧蹟」の石柱があります。
「寓」は「仮の住まい」的な意味のようです。
お祖師様が一時期、実際にお住まいになった場所なのでしょう。
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平安京があった京都を「北都」と呼ぶのに対し、平城京があった奈良は「南都」といわれているそうです。
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一方、日蓮聖人の時代は、天台宗の拠点・比叡山を「北嶺」と呼ぶのに対し、興福寺をはじめとする奈良仏教の拠点を「南都」と呼んだとも聞きます。
北嶺で最新の教義を学ばれていた日蓮聖人が、敢えて南都に御遊学されるのは、全てを知りたいという渇望と、温故知新、何か見いだせるものはないか?という強い興味があったからだと思います。
(↑画像は一昨年再建された興福寺中金堂)
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路地の奥に、立派な山門が現れます。
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扁額には蓮長寺の文字。
南都にご遊学された日蓮聖人の、当時のお名前がそのまま寺号になっています。
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山号は「光映山」です。
蓮長寺は宗門史跡に指定されています。
日蓮宗ポータルサイトによると、宗門史跡とは「宗祖及び宗門に由緒のある重要な事跡」のことで、全国に21カ所あるようです。
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宗門史跡には、いわゆるお寺だけではなく、例えば↑裾野市の車返霊場のような、結社の方々により護持されているご霊跡もありますし、
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↑比叡山・横川の定光院のように、他宗の所有地を日蓮宗が護持しているご霊跡もあります。
とかく本山が注目されがちではありますが、実は宗門史跡はディープな縁起を持つ、選りすぐりの場所なのです。
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参拝したのが朝9時過ぎだったせいか、蓮長寺の境内は静謐。
澄んだ空気に気持ちも落ち着きます。
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本堂です。
江戸時代前期に建立の、重厚感あるお堂です。
国の重要文化財に指定されているようです。
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一つ一つの部材に歴史を感じます。
温暖化により急変する気候の中で、こういった古い木造建築物を維持してゆくのは大変なことでしょう。
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軒裏の彩色画が見事!
天女を描いたものだと思われます。
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境内には法華経の守護神である妙見様や
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三十番神をお祀りするお堂もあります。
いずれもきちんと清められており、気持ちよくお参りができます。
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蓮長法師は比叡山にご遊学中の一期間(寛元4~宝治元年)、南都仏教についても深く学ぶため、奈良を訪れているようです。
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南都仏教には六つの宗派、いわゆる律宗、華厳宗、法相宗、三論宗、倶舎宗、成実宗がある(あった※)そうです。
仏教がまだ目新しいものだった奈良時代、南都六宗は仏教の経典を究める、学問として生まれた宗派でした。宗派間の垣根は低く、学僧が互いに行き来して議論しあっていたといいます。
やがて、仏教で国を安定させたい貴族や役人の思惑と結びついてゆき、南都六宗は徐々に腐敗していったようです。
そして平安時代になり取って代わったのが、民衆救済が目的の天台宗や真言宗だったのです。
※現在も律宗、華厳宗、法相宗は存在します。律宗は唐招提寺、華厳宗は東大寺、法相宗は興福寺や薬師寺が有名です。
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もちろん蓮長法師はそういった経緯も理解しつつ、仏教を広く深く知るために、奈良にアンテナを伸ばしたのだと思います。
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この地にあった「喜見城院」という三論宗のお寺を拠点とし、↑東大寺をはじめ奈良周辺の各寺を巡られました。
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↑薬師寺では当時の経蔵に入り、一切経を閲読までしておられたようです。
日本仏教の草創期の、未熟だけどパワーがあった南都六宗から、学ぶものは多かったのではないでしょうか。
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歴代お上人の御廟に参拝。
お寺の縁起によると、室町時代、当時の喜見城院のご住職の夢に、日蓮聖人が出てきた奇瑞をきっかけとして、改宗したそうです。
京都本圀寺のお上人を開山に迎え、以来法華のお寺として歴史を重ねてきました。
我々信徒にとっても大切なご霊跡です。今日まで法灯を継いで下さったことに感謝します。
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蓮長法師がご遊学されたのは今から800年近く昔ではありますが、今日こうして西国ご遊学の霊跡を訪れてみることで、蓮長法師の知識欲と行動力は図抜けていたんだな~と、手に取るようにわかります。
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当時考えうる限りの、仏教のあらゆるものを実際に見て、理解した末に、究極の教えは「法華経」であると導き出したわけですね。
本当に理に叶っているから、この令和の世の中でも、心にストンと落ちるのだと思います。