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片瀬・龍ノ口
日蓮聖人の生涯最大の危機ともいうべき龍ノ口の法難があった場所です。
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日蓮聖人が首を斬られそうになった場所には現在、題目法塔が建っています。
鎌倉時代、ここは刑場だったそうです。
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(画像は鎌倉松葉ケ谷の安国論寺の扁額)
龍ノ口の法難は、日蓮聖人が著した「立正安国論」を幕府に提出したことが、日蓮を疎ましく思っていた侍所・平頼綱の怒りを買い、起きたとも言われています。
日蓮聖人は立正安国論の中で、近いうちに外国による侵略があることを予言されています。
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この予言は的中し、立正安国論献上から14年後の文永11(1274)年、元軍が九州に来襲しました。(文永の役)
このとき「神風」が吹き、元軍は敗走したと、歴史の授業で習ったような記憶があります。
この元寇に関わった元国の使者が弔われている日蓮宗のお寺が近くにあるというので、訪問しました。
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江ノ島モノレールの駅があります。
工事中なのかな?
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もうすこし山側に入ると何やら石碑が
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道標(みちしるべ)の石碑のようです。
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「右に行くと江ノ島」「左に行くと龍ノ口」っていう案内です。
昔は参詣者が多く歩いた道だったことが窺えます。
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緑の多いお寺がありました。
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龍口山常立寺です。
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山門です。
堅牢な造りです。
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何気なく建っている法塔
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実は五百遠忌、ゆうに200年以上経過している古いものです。
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六地蔵が並んでいました。
お地蔵さんといえば赤い頭巾と前掛けですよね!
とても身近な菩薩様です。
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ゴトゴトゴト・・・
あ、モノレール
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落ち着きのある本堂です。
もともとここは真言宗のお寺だったそうですが、室町時代に日蓮宗に改宗したそうです。
このお寺の紋は「丸に橘」なんですね!
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本堂脇の石灯籠には葵の紋
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有章院殿の奉献されたもののようです。
徳川七代将軍・家継公が関係しているみたいです。
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ひときわ大きな題目碑があります。
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「誰姿森」
たがすのもり、って読むみたい。
昔、刑場があったこの一帯の地名なのかな?
刑場で処刑された人を弔う題目碑のようです。
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香炉には「誰姿森」の下に「元使塚」という漢字があります。
文永の役の翌年、フビライ・ハンは日本に対し、「降伏しないと次は本気で襲っちゃうぞ!」という国書を寄こしました。脅しをかけたわけですね。
その国書を持参したのが杜世忠を代表とした使節団でした。
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記録によると、使節団は今で言うモンゴル、中国、韓国、そしてウイグル人から成っていたそうです。いかに元がでかい国だったか想像できます。
当時の執権である北条時宗は、使者5人を捕らえ、龍ノ口の刑場で処刑しました。
誰姿森の題目法塔の前にある五輪塔は「伝元使塚」といって、処刑された元の使者を弔うための石塔だそうです。
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モンゴルでは青い布は英雄に贈られるそうで、5柱の五輪塔ひとつひとつに丁寧に巻かれていました。
朝青龍関や白鵬関といった大相撲のモンゴル力士が、代々藤沢巡業の折に巻き直してきたそうです。
※前夜の強風でお塔婆が傾いてました。何となく元寇を連想しちゃいました!
使節団の辞世の句が刻まれた石碑がありました。
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これは代表の杜世忠のもの。
出発の時に寒さを凌ぐための衣を贈ってくれた妻子に想いを馳せる句です。
漢字だけでしたがおおよそ意味は想像でき、胸が熱くなりました。
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別の使者の方の辞世の句にも「寒」という漢字がありました。
調べると使節団が来たのが2月。寒さがいっそう身に凍みたのでしょう。
恐怖の国書を手渡される幕府側も命懸けですが、手渡しに行かされる使節団も命と引き換えの悲しい大仕事だったのですね・・・。
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その後、2度目の元寇(弘安の役)があり、大艦隊を率いて九州を襲うも、またも元軍が嵐に遭って壊滅的な被害を被り、撤退しました。
福岡周辺には元寇の戦争遺構が今も沢山残されているようで、いつか訪問してみたいものです。
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今回、いろいろ調べ物をしてゆくと、元寇の前に何度も元からの使節が来ていたことがわかりました。
幕府内にも焦りがあったのでしょうか、日蓮聖人が佐渡から帰還後、まもなく幕府に3度目の諌暁に上がった時に、日蓮聖人は平頼綱から元寇の予見を聞かれたそうです。
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日蓮聖人は、年内に起こりうることを示唆して幕府評定所をあとにしたそうです。
そのわずか半年後、日蓮聖人がその14年も前に立正安国論の中で予言した「他国侵逼難」(たこくしんぴつのなん)は、二度の元寇という形で現実のものとなりました。
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それにしても元の使者が弔われているお寺が、のちに日蓮宗のお寺になったというのは、巡り合わせなのでしょうか。
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敵の勇者を今も手厚く供養し続ける常立寺。
ごく自然に手が合わさる、温かみを感じたお寺でした。