若き日の日蓮聖人が勉学修行に励まれた比叡山
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16才の時に清澄で出家得度し、名前も是聖房蓮長となった聖人は、鎌倉遊学ののち、21才から32才までの足掛け12年間を比叡山で学びました。
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比叡山は主に3つのエリアに分けられるそうです。
叡山三塔という、いわゆる東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)です。
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伝教大師最澄上人が開いた東塔エリアには国宝の根本中堂をはじめ延暦寺の代表的な伽藍群があり、バスやケーブルカーなど交通の拠点にもなっている比叡山の中心部です。
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比叡山2世・円澄上人が開いた西塔エリアは東塔エリアに隣接しています。伝教大師最澄上人の御廟である浄土院があり、比叡山の中でも最高の聖地となっています。
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一方、比叡山3世・円仁上人が開いた横川エリアは、東塔、西塔から北に4~5kmも離れている、ある意味とても不便な場所にあります。
しかし曹洞宗の開祖・道元上人が得度した霊跡や、浄土真宗の開祖・親鸞上人が修行したお堂があるように、修行の地としてみた場合、これほど集中して仏道に精進できる場所はなかなかないのかもしれません。
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奥比叡ドライブウェイを上ってくると・・・
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まず目にするのがこの案内板。
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入口は近そうだぞ!
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ここが参道のようです。
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深い杉木立の中を歩いてゆきます。空気が凜としてきます。
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お?橋が見えてきた。
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「ごんげんばし」かな?「こんげんばし」かな?
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橋の奥に結界が張られていますね。
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「権現之瀧」だそうです。恐らく滝行の場所と思われます。
じゃあ先ほどの橋は「ごんげんばし」ですね!
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擁壁がドーン!この上に定光院があるようです。
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よく清められた小さい祠。
無事に辿り着いたことを感謝し、合掌。
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定光院の山門です。
こう見ると定光院の境内は、険しい山中の、ほんの少しの平地に張り付くようにあるのがわかります。
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定光院は関西に於ける宗門の研修道場になっているようです。
お祖師様ご修学の聖地での研修は特別なものでしょう。
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祖師堂です。庫裏でご首題をお願いし、書いていただいている間、祖師堂内でお勤めさせてもらいました。
特に印象的だったのは、祖師像の左側にお祀りされていた三十番神です。
今でこそ日蓮宗では、法華経守護の神様として多くの寺院で目にする三十番神ですが、もともとは最澄上人が比叡山にお祀りしたのがルーツだといわれています。
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比叡山に籠っていた蓮長法師の前に、毎日代わる代わる神様が現れて厳しい修行を助けたのが三十番神なのだそうです。
僕には神様の姿を見る能力がありませんが、だからこそ定光院祖師堂で拝む三十体の御像は格別に神聖なものを感じました。
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祖師堂の奥には堅牢なお堂。
恐らく研修道場として用いられるのがこのお堂だと思われます。
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境内の最奥に日蓮聖人のご尊像があります。
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いい表情のお祖師様です!
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ご尊像裏手の目立たない場所に、由緒と思われる石碑を発見しました。
日蓮聖人銅像建設の発願文として、文字が刻まれていました。
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その昔、比叡山には三千もの坊舎があり、沢山のお坊さんが修行に励んでいたといわれています。
蓮長法師はこのうち横川の華芳谷(かほうだに)にあった「華光坊」を継がれました。この華光坊が定光院のルーツのようです。
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日蓮聖人ご修学の霊跡とはいえ、山深く積雪も多い定光院は荒廃と再建を繰り返してきました。
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この日蓮聖人御真筆の題目碑は、江戸後期に定光院の復興を記念して築かれたものだそうです。
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本格的な復興は宗門が「日蓮宗」になってからのようです。
銅像の建立は大正14年と刻まれていました。
とはいえ、そもそも定光院は天台宗所有の一坊・・・。日蓮宗が手を入れることに先師達は本当に苦心したと思われます。
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話は少し脱線しますが、今年7月1日号の日蓮宗新聞は、元号が令和に変わったのを記念して「写真と紙面で見る平成の宗門」という特集記事を組んでいました。
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ここに平成5(1993)年の出来事として、横川定光院の記事がありました!
「5月7日、日蓮聖人比叡山ご遊学の拠点・横川定光院の護持管理運営に日蓮宗が責任をもってあたるという協定が、日蓮宗と天台宗総本山比叡山延暦寺との間で結ばれ、歴史的な日となった」
と記されていました。
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現在の定光院境内の堂宇は、協定が締結された以降に整備されていったのだそうです。
平成7(1995)年には宗門史跡に指定されました。
復興にかける沢山の先師の努力を思いながら、境内を歩きました。
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境内の一画に日蓮聖人(蓮長法師)ご使用の手水鉢がありました。
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坊の荒廃や信長の比叡山焼き討ちなども経て、お祖師様がお使いになっていた現物が拝めるのは貴重です。
冷たい山の清水がたたえられています。
ありがたく手水させていただきましたよ!
そう、比叡山焼き討ちと聞いて思い出したことがあります。
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昨年春に訪問した京都・妙覺寺に、お祖師様自らが彫られた「華芳塔」なる石塔が奉安されていました。
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妙覺寺内のこのお堂の中に、焼け焦げた跡のある大きなキノコのような「華芳塔」が納められているのを拝ませていただきました。
お祖師様が比叡山時代、書写した法華経を石塔に納めて密かに立教開宗を祈ったそうですが、その石塔は信長の比叡山焼き討ちで行方不明になってしまっていました。のちに比叡山西麓の岩倉村に住む山本さんという信者が、焼けただれた石塔を土の中から掘り出し、妙覺寺に奉納したのだそうです。
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華芳塔は言うまでもなく、もともと横川の華芳谷、まさにこの場所にあった石塔なのです。
いろいろつながってきますね~!ご霊跡を巡る旅の醍醐味です。
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若き日の日蓮聖人を育んだ聖地・横川定光院。
実に多くの方々の苦労の末に、現在の姿があるのだとわかっただけでも、訪問する価値はありました。
また、日蓮宗に横川定光院の護持運営を任せて下さっている天台宗総本山延暦寺の懐の深さに、深く感謝します。
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帰り道、石碑の裏側に雪かき用のスコップがあるのを見つけました。
訪問したのはまだ雪の可能性のある3月。
今も横川は・・・大変そうです。