日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

大光坊(身延町身延)

2017-12-29 08:49:14 | 旅行
上の山の丈六堂をあとにして、タクシーは更に登ってゆきます!


もう右を見ても左を見ても森・森・森・・・!!


ほどなくして到着~!標高は500mを優に超えています。


このあたりが、奥ノ院に至る道の中間点だそうです。


朱塗りの屋根のシックなお堂が「大黒堂」です。


このお堂には何と、お祖師様がお作りになった大黒尊天が安置されています!
妻のおばあちゃんがこの大黒様を強く信仰していたそうです。
その信仰を義母も継いでおり、身延山参詣時には必ず訪れるようにしているようです。


甲子の年に勧請した大黒様のようです。
甲子・・・甲子?

調べてみました。
日本では古来から数の数え方に「干支」(えと・かんし)というものを使ってきたようです。

僕らにも馴染み深い十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)のサイクルと、もう一つ十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)のサイクルを組み合わせたものです。
※十干は、身近な自然界の構成要素である木・火・土・金・水の5種類を、更に陰と陽に分けて表現したもののようです。

結果、12と10の最小公倍数である60が1サイクルになります。だから還暦が60才なんですね!
「甲」と「子」は干と支のそれぞれ一つ目なので、「甲子」(こうし・きのえね)は文句なく数えのいちばん最初!なのです。


「甲子」は大昔から、ものごとを始めるのに適している、縁起の良い干支と言われています。
お祖師様がご存命の甲子の年ってことは、計算すると文永元(1264)年になります。
文永元年・・・あわわわ、小松原法難の年、大変な年じゃないですか!!

ちなみに2017年は丁酉(ひのととり)、来年2018年は戊戌(字面が似てますね~!「つちのえいぬ」と呼ぶそうです)です。
次の甲子は2044年だそうですよ!!


この地に大黒堂が建立されたのは江戸時代のようです。


大黒堂のすぐ近くに、これまた味のあるお堂が!


三光堂です。


日蓮宗寺院の多くに、月や星、太陽をお祀りするお堂があります。
龍ノ口の法難の光り物や、依知の星下りといった奇瑞を目の前で経験した日蓮聖人とその門徒が、ことのほか手篤く三光天子をお祀りしてきた気持ちはよくわかります。


屋根の上に取り付けられている紋は、月、星、太陽なのでしょうか?


大光坊の境内には、他にも・・・
これは相輪塔といって、お釈迦様を供養する仏塔だそうですよ!


わ~!金色に輝く大仏様です!
江戸時代に造られたご尊像らしいのですが、この急峻な山中によく造ったものだと感心します。


大光坊のホームページに、身延山というお山について、こんな紹介がされていました。

昔から身延山そのものが、お祖師様のお姿と考えられてきたそうです。
つまり頂上の奥の院がお祖師様の頭、久遠寺の祖師堂など諸堂があるあたりがお祖師様の膝の上、そうするとここ大光坊はお祖師様の眼、三光天子は眼光であり、さらには丈六様は胸、すなわちお祖師様の胸にお釈迦様の心を奉帯していることを表しているそうです。

素直に感動しました!


坊のお母様が、とても優しく迎えて下さいました。
それと・・・人なつこいワンちゃん、めちゃかわいいです!

上の山、訪れてみる価値アリですよ~!!

丈六堂(身延町身延)

2017-12-16 06:30:26 | 旅行
ここ2ヶ月ほど、一人娘の大学受験の何やかやで、ご霊跡の訪問も、もちろんブログのアップもしていませんでした。
しかし、何とか娘が合格証書を頂きまして、これも日頃の唱題の功徳かな?と勝手に思っています。
受験前はそれこそ宗門の至る所に合格祈願をしていたので、お礼参りも忙しくなりそうです。

久しぶりの身延山
お礼参りと、3年前に亡くなった義父の墓参にやってきました!


三門・・・三門?あれ?人がいるぞ?
珍しい風景を見ることができました。
年末の大掃除のようで、箒で掃いたり、大工さんが補修したりしてました。
ご苦労様です~!


久遠寺伽藍群の裏山は「上の山」というそうです。
巨大な杉がニョキニョキ伸びています。
お祖師様は身延に入山されてすぐに、この森にお釈迦様の姿と、それを取り巻くように舞う千体の分身を目にしたそうです。
そのときに森全体が錦(ってどんな色なんだろう?)に輝いていたことから、お祖師様はこの森を「錦ケ森」と名付けたそうです。

今日はこの森のど真ん中にある丈六堂に向かいます。
自分の足で行った方が有り難みがあるんでしょうが、初回なんでタクシーで!


久遠寺を裏から見たの初めて~!


ほどなくしてお神輿のような形のお堂に至りました。


上行菩薩をお祀りする「本地堂」です。
なぜこの場所に!?


平成30年元日付の日蓮宗新聞にその答えが書いてありました。
本地堂がこの場所にあることで、これから行く丈六堂→本地堂→久遠寺の祖師堂が一直線に並ぶそうです。
つまり、お釈迦様から上行菩薩、そしてお祖師様へと至る法華経弘通の道筋がここに表現されているそうなんです。よく考えられてますね~!


九十九折りの山道を登ると(タクシーがね!)、
丈六堂に到着~!


まずは庫裏に挨拶!
ご首題をお願いします。
お堂のカギも貸して下さいました。中に入れる!!


シックなお堂が見えてきました。


丈六堂の全体像です。
見事に周囲の森に同化しています。


正式には釈尊堂っていうのかな?


このお堂の中には、一丈六尺(4.8m)の、金色に輝くお釈迦様のご尊像が安置されています。


お堂の中では恐れ多くて撮れませんでしたが、お堂の正面を写した画像に・・・ドーンと!!
えっ???っていうくらい大きいですが、お釈迦様の実物大らしいですよ!


今年1月に伺った依知の妙伝寺
釈迦堂です。錦ケ森の丈六堂と全く同じ一丈六尺の金色のご尊像でした。


それからまだアップしてませんが、10月に訪問した岐阜・養老の妙見堂
ここの丈六様は黒いご尊像でした。後日報告しますね!

これら三体のご尊像は、京都・中正院の日護上人という方が、1本の巨木から彫りだしたものと伝えられています。
(一体は大阪の一心寺にあったという説もあります)


ここにも書いてあるように、お釈迦様は四方を四天王に護られており、背後に千体の小さい仏様がびっしりと控えています。
実際にお堂に入るとわかりますが、娑婆とは異なる世界に迷い込んだような錯覚に陥ります。


まさにお祖師様が入山時に上の山に見た光景そのままを、再現しようとしたのでしょう。
久遠寺に丈六様を寄進したのは、宗門でもたびたび名前が出てくる、徳川家康の側室・養珠院お萬様です。


ご霊跡巡りをしてみるとわかりますが、お萬様は本当に数多くの宗門寺院に、物心両面で貢献をしていました。


七面山の女人禁制を解いたことや、極刑間近の日遠上人を救ったことはとても有名な逸話ですが、例えば先日訪問した横浜・保土ケ谷の大蓮寺では
自ら柘榴(ざくろ)の木をお手植えするなど、僕たちのごくごく身近なところにまで、その活動の跡が残っています。

絶大な権力を持っていた家康は、浄土宗だったといわれています。
お萬様の存在がなければ、今の日蓮宗の形はなかったかもしれません。
宗門のビッグマザーに想いを馳せながら、丈六堂をあとにしました。

次はもうちょっと登ったところにある大光坊!