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あきじの気まぐれ日記Ⅱ

「あきじ」が日頃、撮影した鉄道・バス・船など
様々な写真などを紹介して行きたいと思います。

明日から東京へ

2011年12月04日 | 旅行
明日の休みと明後日の有休を利用して2日間、
全日空B787搭乗を目的に東京に行ってきます。

B787乗るだけじゃつまらんから、
羽田空港で撮影したり、お世話になっている方が、
現在開催中の東京モーターショーにブースを出展されているということで、
東京モーターショーに行ってきます。

軍艦島へ行ってきました!復路編

2011年10月13日 | 旅行
今日は軍艦島から長崎港まで撮影したものをUPします。

軍艦島(端島)での上陸見学を終えたツアー参加者は、再び船に戻り、長崎港に
戻る事になります。

出港後、島を1周してくれます。

この角度が、よくポスターやパンフレットなどに使われる撮影ポジションです。
軍艦に似ているでしょうか?

真ん中にぽっかり空いている部分は寺院があった場所で木造だった為に、
朽ちて崩れています。

鉱員社宅群


ぐるり1周して、いよいよ軍艦島とお別れです。

軍艦島の北に浮かぶ中ノ島です。
軍艦島には火葬場やお墓はありませんでした。
その為、中ノ島まで行って火葬、葬られていました。

火葬場などが有った場所でしょうか?
レンガが残っています。

軍艦島と中ノ島

伊王島にある沖ノ島天主堂

神ノ島教会とマリア像

上の画像ではマリア像がわかりにくいので拡大

三菱重工業長崎造船所立神工場には、建造中の海上自衛隊 あきづき型2番艦の「てるづき」

建造中の自動車運搬船

ツアー終了後には、「軍艦島上陸証明書」をいただきました。

歴史ある軍艦島に上陸できて良かったです。
また機会有れば行ってみたいなぁ~

ツアーに関しては数社が運航しています。
以下のサイトに運航会社のHPアドレスが掲載されていますので
ご参考に・・・
http://www.at-nagasaki.jp/archives/d/135

軍艦島へ行ってきました!上陸編

2011年10月12日 | 旅行
今日は上陸後のことについてUPします。

まずは簡単に軍艦島について説明。
軍艦島とは、長崎半島から西に約4.5km、高島から南西に2.5km、
長崎港から南西に約19kmの沖合いに位置する「端島」の通称であります。
端島は南北に約480m、東西に約160m、周囲約1,200m、
面積約6,300㎡という小さな海底炭鉱の島で、岸壁が島全体を囲い、
高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから
「軍艦島」と呼ばれるようになったそうです。
1890年(明治23年)から三菱の経営によって主として
製鉄用原料炭を供給してきましたが、国のエネルギー転換政策によって
1974年(昭和49年)1月15日に閉山、同年4月20日に無人島になりました。
炭鉱閉山後の「端島」ですが、2009年(平成21年)1月5日に、
「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産の一つとして
世界遺産暫定リストに掲載されました。
2009年(平成21年)4月19日に上陸解禁となりました。

長崎港から40分、軍艦島に到着。いよいよ上陸です。
上陸後、入口で長崎港で受取った長崎市端島見学施設利用券を同行していた誘導員に
渡します。
やまさ海運の場合、往路の船内でグループ分けしていたのですが、
そのグループごとでの見学となります。(ネックストラップのカードの色で識別)

見学場所も決められており、島内に3ヶ所の見学広場があります。
それぞれコンクリート舗装された見学通路で結ばれており、見学広場でガイドによる
説明があります。


ガイドの説明を聴き入るツアー参加者

肥前端島灯台と貯水槽跡です。
ライフラインは電気は海底ケーブルを敷かれていましたが、水道は船で運ばれてきて
貯水槽に蓄えていました。その後、海底送水管が敷かれて送水されるようになりました。
灯台は2代目で現在も活躍中。

貯水槽と同じく高台に建つのは職員住宅(幹部用)跡です。
この建物だけに風呂がありました。

第二竪坑坑口桟橋跡
炭坑マンは写真にある階段を降りて、そこからエレベーターで海底の炭田へと
向かったそうです。
採掘作業は海面下1,000メートル以上の地点まで及び、
作業環境は気温30℃・湿度95%という過酷なものだったそうです。 

「端島」の沖に浮かぶ三ツ瀬
この海底まで坑道が延びていて採掘していたそうです。

総合事務所跡
鉱山の中枢であっレンガ造りの建物です。
ここには炭鉱マンたちのための共同浴場がありました。
それも海水を沸かしたもので、上がり湯のみ真水でした。
浴槽は常に真っ黒だったそうです。


当時は建物が建ち並んでいたそうですが、そのほとんどが崩壊し、瓦礫が散乱。

30号棟・31号棟アパート
手前の30号棟アパートは、鉱員社宅で1916年(大正5年)に建てられた日本最古の
7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパートといわれているそうです。
左奥の31号棟アパートの地下には共同浴場があり、
1階には郵便局や理髪店が設置されていました。

島にはプールもありました。
1958年(昭和33年)に完成。25mプールと幼児用プールがありました。
それまでは小中学校に有ったそうです。
ちなみに海水を使っていました。

天川の護岸
島の拡張に伴う護岸づくりは、石炭と赤土を混ぜた
天川(あまかわ)と呼ばれる接着剤を用いた石積み工法により、
盛んに行なわれていたそうで、島の至る所に残っています。

正面に写る骨組みは巻揚げ櫓(入気口)です。

貯炭ベルトコンベヤー支柱
精選された石炭はベルトコンベヤーによって貯炭場に蓄えられ、
運搬船に積み込まれていました。

船に戻ると、別の会社が運航する船2隻が到着し、沖合いで
我々が出港するのを待っていました。

軍艦島コンシェルジュ(株式会社ユニバーサルワーカーズ)が運航する
クルーズ船「はやて2」です。元は長崎港の交通船の様です。

シーマン商会が運航するクルーズ船「さるく」

つづく

軍艦島へ行ってきました!往路編

2011年10月11日 | 旅行
先日(10月5・6日)、訪れた長崎の2日目は、以前から行ってみたかった長崎市の沖合いに
浮かぶ軍艦島に行ってきました。

軍艦島に行くには定期航路はなく
長崎港等発着で数社が運航する事前予約制のクルーズ船で上陸する事になります。
また、クルーズ船は、前日までに予約する事になっています。
出発前の天気予報では、2日目もあまり天気が良くなかったので、予約はしませんでした。

2日目の朝、天気も回復していたので、
宿泊したホテルの近くにある長崎港ターミナルから発着する
やまさ海運に問い合わせてみると、
当日でも空きが有れば乗船できるとの事。
予約状況を調べて頂くと、空席がありますので、
集合時間までにターミナルに来ていただいたら、乗船できますとの事で、
身支度を済ませてホテルをチェックアウト。

ホテルから歩いて約10分、長崎港ターミナルに到着

窓口で料金を支払い、誓約書へ署名して手続きを済ませます。
※上陸するには、誓約書への署名が、上陸の許可条件になります。

窓口で乗船券(乗船する際に回収)、長崎市端島見学施設利用券、パンフレットを
受け取って手続きを終えます。

乗船する船は同社所有の「マルベージャ3」
何とか2階の展望デッキの席を確保。

いよいよ出港 長崎港ターミナル桟橋から「稲佐山」を望む

三菱重工業長崎造船所立神工場で建造し、進水した護衛艦「あきづき」が
公試でしょうか?出港して行くのを出港前に見掛けました。
コレが撮りたかったのに、残念!

出港して直ぐに、海上保安庁 第7管区海上保安本部 長崎海上保安部所属
巡視船「でじま」をゲット!

九州商船の長崎~奈良尾~福江航路の高速船(ジェットフォイル)「ぺがさす2」と
すれ違いました。
前名は「ゆにこん」で東日本フェリーが函館-青森間で運航する航路で
使用していましたが、廃止になり九州商船に譲渡されました。

出港して直ぐに女神大橋の下を通航
女神大橋は、長崎港によって分断されている長崎市南部・西部を結んでいる橋で
長崎港に大型の客船が出入りすることを考慮して、水面から高い場所に架かっています。
世界最大級の客船クイーン・メリー2もこの下を通過出来てます。

五島産業汽船の長崎~上五島航路の高速船「びっぐあーす」とすれ違いました。
以前は、同社が運航する大阪~神戸~小豆島~高松で使われてましたが、
現在は上五島航路で使われています。
元徳島高速船の高速船です。

三菱重工業香焼工場の100万トンドック 間近で見るとデカイ!

長崎市側と伊王島を結ぶ伊王島大橋が見えてきました。
右側が伊王島になります。

伊王島大橋の下を通航すると、高島が見えてきます。
この島が見えると、軍艦島まで少しです。

目的地の軍艦島が見えてきました!
色々条件がありまして、上陸できるかは近づかないと判断できません。

桟橋が見えてきました。波も高くなく上陸できるようです。

手前の海上に建っているのは、積込桟橋の橋台です。
奥に写っている建物は、小中学校だったところです。

いよいよドルフィン桟橋に接岸し上陸です。

上陸編につづく