3/14-15の記念大会、及び3/14の記念祝賀会が、皆様のご協力、ご支援で無事終了しました。記念誌も立派なものができ上がりました。
お疲れ様でした。御礼申し上げます。
私も、協会やスポ少の仕事も同時にありましたので、さすがに疲れ、3/16にはブログのアップロードをするのはちょっと不可能な体調でした。
3/14-15の記念大会は5年8チーム、6年12チームに参加いただきましたが、5年の部の会場担当をお願いしました判田チーム、6年の部の会場設営をお願いしました明野北/日岡チーム、また、県外チームのホームスティを受入れていただきました明野東チームの皆様に御礼申し上げます。
また、県外からかけつけていただきました、新谷、本城チームの皆様、有難うございました。
松山市からは、交流の深い素鵞の二神様も大会に顔を出していただき、祝賀会にご出席いただきました。御礼申し上げます。
さて記念大会では、40期生の6年生は、惜しくも準優勝でしたが、新しいユニホームを着て、新しい横断幕の前で良い思い出ができたことと思います。
5年生は、新谷や弥生、宗方などの格上チームに胸を借り、何とか3位に入りましたが、3/21-22の九州大会につながる経験を積むことができました。
◆6年の部結果 優勝:明治北、準優勝:明野西、3位:新谷、明野東、 ブラックウルフ杯優勝:戸次・吉野
◆5年の部結果 明野西杯優勝:新谷、準優勝:弥生、3位:明野西、敢闘賞:宗方、 ブラックウルフ杯優勝:鶴居
祝賀会(会場:攻玉寮)では、各大会で御世話になっています、衛藤征士郎 衆議院議員様、衛藤晟一 参議院議員様、穴見陽一 衆議院議員様が多忙な中ご出席いただき、祝辞を賜りました。有難うございました。
森岡/宮崎先生(大分県スポーツ少年団指導者協議会会長)、明治北/新庄先生(元明野西指導者)、明野西小校長・古屋先生からも祝辞をいただき、倉掛市議会議員様には乾杯の音頭をお願いしました。
大分県サッカー協会ジュニア委員長、大分市サッカー協会会長、大分市サッカー協会ジュニア委員長にも来賓としてご出席いただきました。有難うございました。
また、県内外のチーム指導者/関係者、歴代の後援会長の皆様や遠方からOBの皆様もかけつけていただきました。御礼申し上げます。
2次会にも多数の方が参加いただき、熱いサッカー談義をさせていただきました。
私は、前回30周年の挨拶で「古豪から強豪に!」と誓いましたが、そうなったかどうかは評価が分かれるところです。ただ、熱心な後援会の皆様のご支援、ご協力の下、団員と共にそれなりに頑張ったのではないかと思っています。
しかし、少子化、低学年の団員減少の現在、では次の10年は、どのようなチームにしていかないといけないのかを考えると、強豪とは、また違った方針に舵をとることも必要ではないかと思っておりますが、その解を模索する10年になるでしょう。
(明野西のチームマーク「ブラックウルフ」については、新庄先生が祝辞の中で詳しくお話をしていただきましたが、このマークを簡単に無くすわけにはいかないという使命と決意を新たにいたしました。)
最後に、今後も皆様の変わらぬご厚情、ご支援、ご協力、交流をお願いし、40周年の御礼のことばとさせていただきます。
有難うございました。
お疲れ様でした。御礼申し上げます。
私も、協会やスポ少の仕事も同時にありましたので、さすがに疲れ、3/16にはブログのアップロードをするのはちょっと不可能な体調でした。
3/14-15の記念大会は5年8チーム、6年12チームに参加いただきましたが、5年の部の会場担当をお願いしました判田チーム、6年の部の会場設営をお願いしました明野北/日岡チーム、また、県外チームのホームスティを受入れていただきました明野東チームの皆様に御礼申し上げます。
また、県外からかけつけていただきました、新谷、本城チームの皆様、有難うございました。
松山市からは、交流の深い素鵞の二神様も大会に顔を出していただき、祝賀会にご出席いただきました。御礼申し上げます。
さて記念大会では、40期生の6年生は、惜しくも準優勝でしたが、新しいユニホームを着て、新しい横断幕の前で良い思い出ができたことと思います。
5年生は、新谷や弥生、宗方などの格上チームに胸を借り、何とか3位に入りましたが、3/21-22の九州大会につながる経験を積むことができました。
◆6年の部結果 優勝:明治北、準優勝:明野西、3位:新谷、明野東、 ブラックウルフ杯優勝:戸次・吉野
◆5年の部結果 明野西杯優勝:新谷、準優勝:弥生、3位:明野西、敢闘賞:宗方、 ブラックウルフ杯優勝:鶴居
祝賀会(会場:攻玉寮)では、各大会で御世話になっています、衛藤征士郎 衆議院議員様、衛藤晟一 参議院議員様、穴見陽一 衆議院議員様が多忙な中ご出席いただき、祝辞を賜りました。有難うございました。
森岡/宮崎先生(大分県スポーツ少年団指導者協議会会長)、明治北/新庄先生(元明野西指導者)、明野西小校長・古屋先生からも祝辞をいただき、倉掛市議会議員様には乾杯の音頭をお願いしました。
大分県サッカー協会ジュニア委員長、大分市サッカー協会会長、大分市サッカー協会ジュニア委員長にも来賓としてご出席いただきました。有難うございました。
また、県内外のチーム指導者/関係者、歴代の後援会長の皆様や遠方からOBの皆様もかけつけていただきました。御礼申し上げます。
2次会にも多数の方が参加いただき、熱いサッカー談義をさせていただきました。
私は、前回30周年の挨拶で「古豪から強豪に!」と誓いましたが、そうなったかどうかは評価が分かれるところです。ただ、熱心な後援会の皆様のご支援、ご協力の下、団員と共にそれなりに頑張ったのではないかと思っています。
しかし、少子化、低学年の団員減少の現在、では次の10年は、どのようなチームにしていかないといけないのかを考えると、強豪とは、また違った方針に舵をとることも必要ではないかと思っておりますが、その解を模索する10年になるでしょう。
(明野西のチームマーク「ブラックウルフ」については、新庄先生が祝辞の中で詳しくお話をしていただきましたが、このマークを簡単に無くすわけにはいかないという使命と決意を新たにいたしました。)
最後に、今後も皆様の変わらぬご厚情、ご支援、ご協力、交流をお願いし、40周年の御礼のことばとさせていただきます。
有難うございました。