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あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

島根旅行(74) 佐毘売山神社

2015-03-16 | 国内・島根

 

  100段ほどの石段の先に社殿がある。



龍源寺間歩を出たところが 栃畑谷である。

そこから「銀の小径」を下ったところに 

「佐毘売山(さひめやま)神社」がある   


この神社 鉱山の守り神「金山彦命」を祀っており

 石見銀山では 最大の神社


また 山神社では国内最大級の社殿がある。

 
資料によれば さひめ山とは 三瓶山の古名で

当初は、金山姫命・埴山姫命・木花咲耶姫命の

三柱の姫神を祀った
姫山神社であったが 

1430(永享6)年頃 周防の大内氏が石見国美濃郡益田村から


金山彦命を勧請合せて大山祇命をも祀って

 五社大権現と称していた。

   
鉱山を領有した大内氏 尼子氏および毛利氏により

崇敬保護されたという。

 

 


島根旅行(73) サザエ灯

2015-03-15 | 国内・島根

 

 こちらは 間歩(坑道)で用に使われていた

「螺灯」(らとう)というレプイカだが

サザエの殻になたね油を入れて火を灯す明かりのこと。

坑口を出たところに飾ってあった。 

因みに この螺灯と鉱夫をモチーフにして 

太田市のスコットキャラクター「らとちゃん」にもなっている。 

「恥ずかしがり屋さんだけど いったん「火」がつくと

ソコヌケに明るい性格なのだとか…。


頭に揺れる小さな炎で 人々の心や地域の

未来に明かりを灯します。」 とあった。

 


島根旅行(72) 鉱脈と植物

2015-03-14 | 国内・島根

 

 

間歩の入り口周辺には「シダ」が多く茂っている。

このシダは鉱山鉱脈を探し当てる一つの手掛かりになっているそうだ。

古くから山師連中から 金山草(かなやまそう)と呼ばれていたが

和名は蛇の寝御座(ヘビノネゴザ)で 夏緑性のシダ植物。

このシダは 有毒な金属を無毒化し周辺への拡散を防ぎながら

自然を回復する力をもっているそうだ。

また シダの中に細い茎の先に可憐な白い花は

「白山旗竿」(ハクサンハタザオ)で 
同じシダの仲間だが 

どちらも金・銀・銅山などの露頭や鉱床に咲くというので 


これも鉱脈探しの一つとか。

 因みに 「ヘビノネゴザ」はカドミウム 亜鉛 銅および鉛に

「ハクサンハタザオ」は カドミウム等の土壌汚染に効果がある。

 「梅」も 一役かっている。

坑内作業では粉じんによる鉱毒を防ぐため 

マスクに梅肉を挟んで銀を掘り 


 重労働の鉱夫の疲労回復や健康維持の活用から 梅多く栽培された。


今もこの周辺では 梅の木が多くみられる。


また一方で「竹」も当時 坑内の水抜きなどに多く利用されていた。

しかし廃坑以降 その竹藪が放置されてしまった結果 


竹の根が 岩の裂け目等にはびこり坑道を破壊し


まさに廃坑になっていることから


今ボランテアの手を借りて 竹藪の伐採を行っているそうだ。

 

 


島根旅行(71) 労災制度

2015-03-13 | 国内・島根

 

                                       龍源寺間歩の出口に飾られている鉱石

  

この石見銀山は 流刑人を強制的に働かせた佐渡金山などとは違って  

近隣から集まった人々を雇いあげて働かせていたという。


当時のイメージでは考えられないほどの扱いであり

山師などは専門職として準武士扱いで 苗字帯刀も許されていた。

天領地であったので 鉱夫は柵内と呼ばれる杭のあった外へは

出ることは許されなかったようだが


しかし いくつかの職住一体型の集落を設け

最盛期には20万人にもなり結構裕福に生活していたようだ。

また 驚くことに 極悪な環境での作業で 働けなくなると 

60日間 米五合や味噌などが支給されたりしていたという。

このことは 日本での最初の労災制度ともみられている。




島根旅行(70) 長寿の祝

2015-03-12 | 国内・島根

 

 一般の間歩の出入り口は一つであるが

現在の「龍源寺間歩」には 


平成元年に157mのところから新しく観光用に

 ややのぼりの116mの坑道(栃畑谷新坑)が設けられた。


右壁には 島根県指定文化財(古文書)「石見銀山絵巻二巻」のうち

上巻から坑道内作業の様子を15枚が 電照板として展示されている。

 

その人夫たちは 幕府から十分な食料を与えられて

裕福な生活をしていたが


それと引き換えに 過酷な労働を強いられ

また落盤事故や鉱山病などで 

30歳まで生きられる者はほとんどいなく 

30歳を迎えたときは 豪華に長寿?のお祝いをしたそうだ。

 

 


島根旅行(69) 龍源寺間歩 2

2015-03-11 | 国内・島根

 

「龍源寺間歩」の 坑木などを組み合わせて作られている坑口から入ると

今まで歩いてきた汗がスーっとひいて 一気にクールダウンしていく。


間歩のなかは 年中15℃前後になっているそうだ。


坑道は 大久保間歩に次いで長く約600mあるが 

一般に公開されているのは そのうち273m(新坑道含む)で

 世界遺産の坑道としては あっさりしたもので

 ここまで歩いてきたのに 少々期待外れであった。


 今までに見てきた新潟県の「佐渡銀山」や

大分県の「鯛生金山」のほうが

坑道も長くそして変化があって 見応えがあったと思うが。


坑道の壁面 には当時のノミの跡がそのまま残っており

 排水のため垂直に100mも掘られた竪坑も見ることができ

当時の作業の様子がわかる。


また 新道坑には石見銀山絵巻等を展示している。

 

 


島根旅行(68) 龍源寺間歩 1

2015-03-10 | 国内・島根

 

 

やっとのことで「龍源寺間歩」にたどり着く。


 この間歩は 御直山(おじきやま)五ヶ山(龍源寺、永久、大久保、新切、

新横相の間歩)のひとつ 江戸時代の中頃に開発された

代官所直営の坑道で 

現在 唯一 一般公開されている間歩である。


石見銀山の間歩群では 龍源寺をはじめ

釜屋、新切、大久保、福神山、本、新横相の7つの間歩が

国の史跡として登録されているがこのほかにも

石見銀山には 600を越える間歩があり、

龍源寺間歩よりも規模の大きい間歩や

 露頭掘り跡がたくさん残されているそうだ。

 

 


島根旅行(67) 福神山間歩

2015-03-09 | 国内・島根

 

 

 龍源寺間歩の手前 銀山街道の右側に

 「福神山間歩」の坑道口が見える。

「間歩」とは 鉱山の掘り口のことをいう。

説明文によれば


この間歩は 採掘にあたった山師個人が経営した「自分山」であったが


一時期 代官所直営の「御直山」(おじきやま)に

なったことがある間歩だそうだ。


「御直山」は23か所あり 

「自分山」は1730(享保14)年には55か所あったが


1844(天保15)年には9か所になってしまう。

坑口が3ヶ所あって 上段の坑は空気抜き坑 下段の2坑は中でつながり

銀山街道の下から 銀山川の下をくぐって 

後にそびえる銀山の最高地「仙の山」の方向に

掘り進んだと伝えられ 

一般の坑口は「仙の山」方向に開いているが

 この坑道は逆方向に向かって開いている 珍しい坑道だそうです。

 

 

 


島根旅行(66) 高橋家

2015-03-08 | 国内・島根

 

 さらに歩を進めると

ボランテアガイドが 熱の入った説明をしている「高橋家」がある。

この高橋家は 唯一残っている山組頭(やまぐみがしら)の遺宅だそうで

説明文によれば 山組頭は

 代官所と鉱山経営者である銀山師たちとの

取次ぎなどを勤める役職で 銀山師の中から選ばれた。


また 町年寄は 周囲に拡がっていた銀山経営に

携わる人たちが住む町の運営に係る役職とのこと。


建物は通りに面して主屋があり 北側に茶室

 南側に離れ座敷を設けている。


付随する建物では酒造なども行っていたそうだ。


島根旅行(65) 吉岡出雲

2015-03-07 | 国内・島根

 

遊歩道を進む中 「吉岡出雲墓」を見る。

 元は吉岡隼人と名乗り 毛利氏に仕えていたが

 徳川家康の石見銀山支配にあたり

大久保石見守に仕え代官として石見銀山のほか

伊豆 佐渡金銀山の開発にも 
功績を上げている。

1601(慶長6)年に伊豆湯ヶ島に見分に出かけ 

その時に授けられた「伝馬朱印状」は今も伝わっており

 また 徳川家康に拝謁した際に「出雲」の称号を賜り

 
同時に拝領した「辻が花染丁字紋道服」は

 国の重要文化財として東京国立博物館に収蔵されているそうだ。

 


島根旅行(64) 清水寺

2015-03-06 | 国内・島根

 

銀山公園から 龍源寺間歩方面に向かって

緑陰の遊歩道 「銀の小径」 が約3km続く。

その中程に「清水寺」を見る。

「きよみずてら」ではなく「せいすいじ」というそうだ。

創建は 推古天皇の時代で歴史のある真言宗の寺で

本堂の天上には 丸に桐  鷹の羽紋

、大久保長安の家紋である下り藤などが描かれている。


格天井は ともに銀山開発に
打ち込んだ

長安と地役人の吉岡出雲らが奉納したと伝わっており 

銀山百カ寺と讃えられた石見銀山でも

長安の家紋をとどめた格天井は 清水寺のみだそうだ。

寺宝の 「辻ヶ花染丁字文胴服」 は 

徳川家康から拝領されたもので 

国の重要文化財に指定されている。
                     (東京国立博物館所蔵)


また 大久保石見守配下の山師は 

この寺に 7日7夜籠り祈願し 釜屋間歩を見つけた。

その間歩からは約13.5トンもの運上金を

納めるほどの銀であったとも伝えられている。

 

 


島根旅行(63)  ベロタクシー

2015-03-05 | 国内・島根

 

こちらは「ベロタクシー」です。

ドイツ生まれの 電動アシストモーター付き自転車タクシーだそうだ。

後ろの席に大人2名を乗せ 運転手がペダルを漕ぐ乗り物で


石見銀山の世界遺産への登録の決め手の一つに

 「自然との共生」があって


環境を大切にした鉱山ということが評価され

 排ガスや騒音に配慮する乗り物になっている。

よって 観光もエコになっており 車は指定駐車場に

 徒歩が観光のメインになっている大森のバス停から

目的の龍源寺間歩までは 往復5kmにもなる。

 因みに 銀山公園から龍源寺間歩までは 

片道2200円 往復4100円だそうだ。

また 自力では レンタルサイクル アシスト付も用意されている。

 

 


島根旅行(62) 音声ガイド

2015-03-04 | 国内・島根

 

石見銀山の見学には 

ガイドがつかず 単独で回れという。

 
そこで ツアーフリー散策や自分のペースで歩く人向きに

「音声ガイド」を貸し出しているとのことで

55 ヶ所のポイントの説明が聞ける

音声ガイド機(イヤホンタイプ)を

観光案内所で借りる。


貸出料 1台500 円だが 貸出時に別途 1 ,000 円を

保証金として払い  返却時には返してくれる。

一つでも遺跡の価値を理解しようと借りたが

途中からは面倒くさくなってしまった。
 

 

 


島根旅行(61) 世界遺産「石見銀山」

2015-03-03 | 国内・島根

 

 銀山公園にある観光案内所

 

ツアーバスは 太田市の

世界遺産「石見銀山」に 10時半すぎ 到着


石見銀山遺跡は 2007年 世界遺産に登録された。

石見銀山の特徴は、自然を破壊せず 

周辺の環境に配慮した「自然環境と共存した産業遺跡」であり

その点が高く評価され 世界遺産登録となった。


大航海時代の16世紀 世界で流通した

銀の約3分の1が 日本の銀であり


そのほとんどが 石見銀山で産出されたものであった。


その影響力の大きさを示すのが 

当時ヨーロッパで作成された世界地図に


日本の中でも「石見銀山」が大きく扱われ

その存在の大きさを表しているという。

 


島根旅行(60) 多伎いちじく

2015-03-02 | 国内・島根

 

さらに進む途中 「多伎いちじく館」を見る。

ここ多伎町は 粘性の土壌 日本海の潮風 

山おろしといった気候風土に恵まれ


霜の心配もないところで 

南方育ちの「いちじく」とっては 

栽培に適しているという。

小ぶりで甘みが強い「多伎いちじく」として

また 多伎の潮風で育ったことによって

さらに多くのミネラルや食物繊維を含んでいるので

 全国的に人気がある。


 8月中旬から10月までが 生食の旬であるが

 加工品も多く作られているそうだ。