あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

島根旅行(43) 祖霊社

2015-02-13 | 国内・島根

 

千家国造家よりさらに西方に 大きな瓦屋根の建物がある。

この建物は祖霊社(正式:出雲大社教祖霊社)。


資料によれば その歴史は1875(明8)年に始まる。


前回話題の 出雲大社教初代管長 千家尊福公が 


大国主大神さまが「幽(かくれ)たる神事」を 

お治めになる御神徳を現されることから 

今現世に生かされている人々が亡くなって後も
 
その御霊が安らかに家の守護神として鎮まって戴けるよう

大神さまに安寧をお願いしお守り戴くための葬祭(葬式)を行い

 “御霊さま” に永久に安らかにお鎮まり戴く

時々の追遠のお祭り(法事)を行う処として建立された。

現在 檀家(斎家)は 大社町内外に2000戸以上あり

祖霊社も 他のお社のように 自由に参拝できるそうだ。



島根旅行(42) 千家国造家

2015-02-12 | 国内・島根

 

神楽殿を南に出て すぐ右手に 

出雲大社の宮司にして 出雲国造の千家家の お屋敷がある。

出雲大社 創建以来 天照大神の子の

天穂日命を祖とする 出雲国造家が祭祀を担ってきた。

現在の宮司は 2014年9月7日に 

千家 国麿 氏が 85代権宮司に就任している。

現在は 典子さまも ここにお住まいのことと思います。

宮司の正装の紋様は 

神社本庁の定める黒綾文輪なし 裏同色平絹ではなく


黒綾にご神紋である 二重亀甲剣花角 の文様を 練り込んでもので


他になく 特徴的なものになっている。

 

 


島根旅行(41) 一月一日

2015-02-11 | 国内・島根

 

  

神楽殿の前に「一月一日」の碑があった。

出雲大社第80代宮司 千家 尊富 氏が作詞した唱歌「一月一日」の碑である。

千家尊富氏は宮司を退いてからは埼玉、静岡、東京の知事を務め

司法大臣になった人物で

詩人 歌人としても有名。

刻まれた歌詞を見れば

「年の始めのためしとて 終りなき世のめでたさを

松竹立てて門ごとに 祝ふ今日こそたのしけれ

初日の光差し出でて 四方に輝く今朝の空

君がみかげにたぐえつつ 仰ぎ見るこそ尊けれ」

と自然に 口遊んでいた。

 この 千家尊福 公の像が 勢溜門脇に 

高さ2m 左腰にサーベルをつるし

 
右手に帽子 左手に手袋を持ち ひげを生やし


磨き上げられた銅像があった。

 


島根旅行(40) 国旗掲揚塔

2015-02-10 | 国内・島根

 

神楽殿の前に 大きな日の丸が掲揚されている。

注連縄の大きさや重さも凄いが

こちらの掲揚塔の高さ 47mもあって 掲げらている日の丸の旗は

写真では その大きさはわからないが

日本一大きく なんと縦9m×横13.6mで75畳分もある。

毎日 掲揚されているそうだが 旗の重さも49kgあるそうで

これを担当する人は大変だなと思ったら

電動で行っているそうだ。納得!

因みに 
この掲揚塔は 昭和11年に奉納されて 

現在の掲揚塔は 平成15年に奉納により立て替えられている。

 

 

 


島根旅行(39) 注連縄

2015-02-09 | 国内・島根

 

拝殿にも奉納されていたが 

ここ神楽殿にも 大きく重量感ある注連縄が奉納されている。

長さ13m 周囲9m 重さ5tあって 日本一の大きさだ。

注連縄は「標縄」「七五三縄」とも書くが

神前または神事の場に不浄な物の進入を禁ずる印として

張る神垂(かみしで)をつけた縄のことで

一般的には右縫いの注連縄が多いのだが

出雲大社をはじめ島根県では 左縫いの「大黒締め」といわれ

独特の技法で縫われた注連縄のところが多いとのこと。

 

 


島根旅行(38) 神楽殿

2015-02-08 | 国内・島根

 

 

西の門から川を渡ったところに神楽殿がある。

案内板には「婚儀殿」とあって

一般の婚儀は こちらで執り行われる。

のちに 典子様の婚儀は こちらかと思ったが 拝殿で行われたらしい。

朝夕のおまつりの他 御神楽や御祈祷が奉仕されている。


神楽殿は 1879(明12)年 出雲大社教の創設当時

その教化のために本殿とは別に

大国主大神を祀ったことに由来している。


現在の神楽殿は 1981(昭56)年に造営され

270畳敷き大広間もあって

正面破風の装飾には 神社建築にはめずらしい 

ステンドグラスが使われている。


島根旅行(37) 本殿

2015-02-07 | 国内・島根

左手前が筑紫社で奥に本殿

 
 出雲大社は 実は西側が正面なのだそうだ。

拝殿 八足門と参拝して 

またまたこちらで参拝することになった。

本殿は 高さ24m 日本の神社で最大で

妻入りで九本の柱を田の字型に並べ「大社造」と言われている。

平成25年の「平成の大遷宮」によって修造された。

 遷宮とは 御神体や御神座を本来あったところから移し

社殿を修造し 再び御神体にお還りいただくことだが

その意味には諸説ある。

 
 (1)木造建築の建物を維持していくため

      (2)社殿の建築など様々な技術を継承していくため
   (3)神社は清浄であることが必要なため

 などと言われていまる。


島根旅行(36) 屋根材

2015-02-06 | 国内・島根

 

社務所に 60年間 出雲大社を支えてきた屋根材(ヒノキの皮)の一部が
飾られ その屋根材を使って縁結びのお守りとして売られていた。


このお守り 出雲大社の遷宮が完全に終わる 
平成28年までの期間限定品だそうだ。

御本殿の修造は 大屋根檜皮(ひわだ)の撤去などを経て
新しい檜皮による葺き作業が 平成24年3月に完了し
その
夏に 新しく生まれ変わった御本殿ができた。

 この修造には 震災被害にあった東北地方の木材なども使われ
銅板などは130年ぶりに「ちゃん塗り」と呼ばれる特殊な塗装を施されている。
そして大屋根には 約70万枚もの膨大な檜皮(ひわだ)が敷き詰められた。

因みに 檜皮は防水性に優れ 伝統的木造建築の最高の屋根材といわれている。

出雲大社では 一般の約1.5倍の長さの檜皮が用いられ
御本殿大屋根の面積は 約180坪 軒先の厚さは約1mにもなるそうだ。

 

 

 

 


島根旅行(35) 八足門

2015-02-05 | 国内・島根

                                             

拝殿を 左まりに進むと

左右(東西)に回廊のある「八足門」(やつあしもん)がある。


この門からが ご本殿に一番近いが 

通常これより先に中は入れないので

ここで再度お参りするようにと案内がある。

ただし お正月(1~5日)と”おにわふみ”ができるときだけ

入ることが許されているそうだ。

写真の手前に 梅の花のように見えるものがあるが

これは先に話題にした高層神殿を連想できるようにと

発掘跡の印で 巨木3本を束ねた柱跡だそうだ。

  


島根旅行(34) 出雲大社

2015-02-04 | 国内・島根

 

 

出雲大社は 大国主命(おおくにぬしのみこと)を祭神としている。

大国主命は 大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)とも呼ばれ

出雲の国を造ったと言われている。

また 正式名称は「いづもおおやしろ」であるが
一般には「いづもたいしゃ」と呼ばれている。

 資料によれば

大国主命が治める豊かな出雲の国を見て
天照大御神(伊勢神宮の祭神)が
自分の子孫が治めることを大国主命に迫る。

稲佐の浜で談判し 出雲の国は 天照大御神の治める
高天原に譲られることとなります。

この時 国を譲るにあたり出雲大社の祭神である大国主命は
「壮大な御殿を造ってほしい」と願い出る。

その時に造営されたのが出雲大社の始まりと言われている。

そして大国主命はこの国譲りの時に
「私はこれから かくれたる神事を治めよう」と言われ

以後 天照大御神は「目に見えること」を 
大国主命は  人の運命や縁など「目に見えないこと」を
司ることになったとの事です。


この事から 大国主命を祀る出雲大社は 
縁結びの神様と言われるようになったそうだ。

 


島根旅行(33) 拝殿 

2015-02-03 | 国内・島根

 

 一般の神社での参拝は 

手を二回打つ二拍手が一般的だが

ここ出雲大社は 
二度拝礼して 四回拍手打ち

最後にまた一回拝礼する「二礼四拍手一礼」が正しい作法とのこと。

お祈りでは 自分の住所 名前を心の中で言った後に

 お願い事をするのだそうだ。


因みに 白いものを身につけて参拝するのが良いとされているが

 この日の 当方の姿は 黒ずくめであった。

 果たして・・・・。


 


島根旅行(32) 神馬・神牛

2015-02-02 | 国内・島根

 

 

 前回はご利益の話題でしたが もう1つ 

拝殿前の銅鳥居をくぐって 

左手に神馬・神牛が置かれている。

特に神馬は「かねおまさん」と呼ばれ 

鼻の部分を触ると子宝を授かると言われている。

一方 神牛は 学力アップや五穀農穣にご利益があるようだ。

そのため 大勢の人に触られて 

神馬は鼻  神牛は全身が ピカピカに光り輝いていた。

 


島根旅行(31) 第四の鳥居

2015-02-01 | 国内・島根

 

拝殿への入り口には 最後の第4の銅の鳥居が立つ。

この銅製の鳥居は 1666(寛文6)年に毛利輝元の孫に当たる

藩主毛利綱広の寄進によるものという。

毛利家は 大江氏の出と言われ 

大江氏の祖が出雲国造と同じ天穂日命であるため 


崇敬の念が篤かったとのこと。 

この銅鳥居に触ると 金運がアップすると言われて

 人気があるそうだ。