あかない日記

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小説家 森鴎外 4 藪下通り

2022-07-21 | 人物忌

 


 現在の「藪下通り」 左手は文京区立汐入小学校

 


(goo古地図・明治期から)

 

 

森鴎外がよく散歩道とした
「藪下通り」がある。

観潮楼(森鴎外記念館)から
根津神社北参道近くに続く 

道幅4m 500mほどの道

説明文には
「藪下通り
 本郷台地の上を通る中山道(国道17線)
と下の根津谷の道(不忍通り)の中間、

つまり本郷台地の中腹に、根津神社裏門から
駒込方面へ通ずる
古くから自然に出来た脇道である。

「藪下道」ともよばれて親しまれている。
 むかしは道幅もせまく、
両側は笹藪で雪の日は、
その重みでたれさがった笹に道を
ふさがれて歩けなかったという。
この道は、森鷗外の散歩道で、
小説の中にも登場してくる。
また、多くの文人が
この道を通って鷗外の観潮楼を訪れた。

 現在でも、ごく自然に
開かれた道のおもかげを残している。

団子坂上から上富士への区間は、
今は「本郷保健所通り」の
呼び方が通り名となっている。

 文京区教育委員会 平成7年3月 」

 

鴎外の小説「青年」に

「藪下の狭い道に這入る。
多くは格子戸の嵌まっている小さい家が、
一列に並んでいる前に、
売物の荷車が止めてあるので、
体を横にして通る。
右側は崩れ掛って住まはれなくなった
古長屋に戸が締めてある。
九尺二間(くしゃくにけん)と
いうのがこれだなと思って通り過ぎる。

   (中略)

 爪先上がりの道を、
平になる処まで登ると、
又右側が崖になっていて、
上野の山までの間の人家の
屋根が見える。
ふいと左側の籠塀(かごべい)の
ある家を見ると、毛利某という
門札が目に附く。
純一は、おや、
これが鷗村(おうそん)の家だなと思って、
一寸立って駒寄(こまよせ)の
中を覗いて見た。」

 注)「鴎村」は鴎外?

*永井荷風は 随筆「日和下駄」で
「私は東京中の往来の中で
この道ほど興味ある処は
ないと思っている。」
と書いている。

*司馬遼太郎も
「街道をゆく・37号の本郷界隈」で
 触れている。

 

 

 

 

 



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