あかない日記

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小説家 織田作之助

2021-01-10 | 人物忌


(日本経済新聞 2004/2/7)


1月10日は 
 小説家 織田作之助が亡くなった「善哉忌」

織田作之助は

1913(大正2)年
 大阪市天王寺区 
 仕出屋の長男として生まれる
1931(昭和6)年
 第三高等学校
 (京都大学教養部の前身)
 文科甲類に合格
1934(昭和9)年
 卒業試験中に喀血し
 白浜温泉へ転地療養 その後復学
1936(昭和11)年
 出席不足で退学
1935(昭和10)年頃
 宮田一枝と同棲生活へ

 同時期 作家活動を開始
 当初は劇作家志望で
 戯曲「饒舌」を発表したりしたが

 スタンダールに影響を受けて
 小説家へ志向を転換

 青山光二らと共に
 同人誌「海風」を創刊
1938(昭和13)年
 
処女作「雨」を発表して
 武田麟太郎の注目を受ける
1939(昭和14)年 
 帰阪し業界新聞の勤務を経験
 一方で作家活動も続け
「俗臭」を発表
 
室生犀星の推薦で
 芥川賞候補作となって注目される

 「夫婦善哉」が 改造社の
 第一回文芸推薦作品となり

 これを機に本格的な作家生活へ
1943(昭和18)年
 「聴雨」「勝負師」

1944(昭和19)年
 「木の都」発表

1946(昭和21)年
 「可能性の文学」は
 将棋棋士坂田三吉を題材

 12月 結核による大量の
 喀血を起こし入院

1947(昭和22)年1月10日
 死去 享年33

         (参照:ウィキペディア)



「善哉忌」にもなっている
作品「夫婦善哉」は
映画化(豊田四郎監督 1955年)され
日本映画ベスト150でも
49位に選ばれている。

森繁久彌と淡島千景の
掛け合いが秀逸

 

 

 



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