あかない日記

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社会運動家 賀川豊彦

2020-04-23 | 人物忌

 

4月23日は キリスト教伝道者・社会運動家
賀川豊彦(1888-1960)が亡くなった日。
享年71

 

賀川豊彦は

1888年 神戸に生まれる
   4歳の時 父母と死別し徳島へ
1903年 徳島中学時代 
   宣教師 H.W.マイヤーズより受洗

1907年 明治学院神学予科修業後
         神戸神学校に入学したが
         肺結核となり療養

1909年 神戸新川で極貧の
   人々とともに生活しながら伝道

1910年 神学校卒業
1913年 芝ハルと結婚
1914~16年までプリンストン大学
  および神学校に学ぶ

1917年 帰朝後 貧民救済 労働運動
  文書出版活動
   巡回伝道 
  震災救護活動などを
  積極的に展開した。


 

キリスト教社会主義思想を背景にし

弱者を救い しいたげられていた
労働者のため

労働争議などで問題を
解決する様を描いた自伝的小説

「死線を越えて」(1920年)は

 400万部が売れ 
大正期最大のベストセラーに。

 


一方 弱者救済を訴え
「農協」「生協」「労働組合」など

現在にまで続く日本の相互共助の
基礎を作り上げてもいる。

 

様々な社会改革運動の
先駆者として活躍し

シュヴァイツアー や
ガンジー と並ぶ

「20世紀の三大聖人」とも呼ばれ
ノーベル文学賞に2回 
ノーベル平和賞に3回

その候補に選ばれているが 
残念ながら受章しなかった。

 

 

晩年 賀川から
日野原重明博士(1911-2017)に

メッセイージいりで贈られた
ウイリアム・オスラー博士の
名著
「内科学総論」

「 太陽は 世界を隅々まで
 照らしていくけど
 之を敞ふ 罪の黒幕
 之をとり去る 愛と十字架

 感謝の1959年クリスマス

                  賀川豊彦

  日野原重明博士  」

 

 

(資料:BS朝日「昭和偉人伝」・ウィキペディア)


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