伊能忠敬銅像 富岡八幡宮門前(江東区富岡1丁目)
4月13日は
江戸時代の測量家
伊能忠敬が亡くなった日
伊能忠敬は
江戸時代の商人、
天文学者・地理学者・測量家。
通称は三郎右衛門、勘解由(かげゆ)。
字は子斉、号は東河。
1745(延享2)年
上総国(千葉県)で生まれ、
酒造家の伊能家のミチと結婚し
商人として生活する。
1794年に隠居をして
暦学の本を取り寄せ勉強をしたり
天体観測を行ったりしていたが
関西方面に旅をしたことをきっかけに
測量に興味を持つ。
50歳の時
19歳年下の天文学者・高橋至時に
弟子入りし 暦学・天体観測
・測量などの知識と技術を学ぶ。
1800(寛政12)年から
1816(文化13)年まで
17年をかけて日本全国を測量して
「大日本沿海輿地全図」を完成させ
国土の正確な姿を明らかにした。
1818(文化15)年 死去 享年73
碑の説明文には
「 近代日本地図の祖師である
伊能忠敬先生は、
事業に成功したあと50歳のとき江戸に出て、
当宮近くの黒江町(現在は門前仲町1丁目)
隠宅を構えていました。
約200年前の寛政12年閏4月19日
(陽暦では1800年6月11日)の
早朝に当宮に参拝して
蝦夷地(北海道)測量の旅に出かけました。
忠敬先生はこのときを含めて
全部で10回の測量を企画しましたが、
遠国に出かけた第8回までは、
出発の都度必ず、内弟子と従者を
率いて富岡八幡宮に参詣して、
無事を祈念したのち、千住、品川宿など
測量開始地点に向かって歩き出しました。
当宮は伊能測量にとって
たいへん御縁の深い場所であります。
伊能測量開始200年にあたり、
「伊能ウォーク」、地図・測量、
土地家屋調査士、伊能忠敬研究会
などの関係者が中心となって、
広く一般から浄財を公募して
建立されました。
平成13年10月
伊能忠敬銅像建立実行委員会 」
象限儀と御用旗(国土地理院ロビー)
国土地理院 展示パネル
55歳から全国を
北へ南へと歩き回って
正確な日本地図をつくる。
その距離は 地球1周に近い
35,000kmに及ぶという。
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