あかない日記

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版画家 川瀬巴水

2020-11-07 | 人物忌


川瀬巴水「増上寺の雪」(Web資料から)

 

11月7日は 
版画家 川瀬巴水が亡くなった日

川瀬巴水は

1883(明治16)年 
 糸組物職人の長男として
 現在の東京都港区で生まれる。

1908(明治41)年 
 父親の家業を継ぐが、
 画家になる夢を諦めきれず、

 日本画家・鏑木清方(1878-1972)の
 門を叩いたが、洋画家の道を
 進められた。

 岡田三郎助(1969-1939)から
 洋画を学ぶが挫折を経験

1910(明治43)年
 清方に再度入門を申し出許され
 「巴水」の画号を与えられる。

1918(大正7)年 
 伊東深水(1898-1972)の版画
 「近江八景」に影響を受けて
 版画家に転向し 
新版画を唱える
 渡辺庄三郎(1885-1962)の下で

 塩原三部作「塩原おかね道」
 「塩原畑下り」「塩原しほがま」
を制作、
 数々の作品を渡辺版画店より発表し始める。
 「旅みやげ第一集」(1920)
 「東京十二題」「旅みやげ第二集」(1921)
1923(大正12)年 
 関東大震災で
写生帖188冊をはじめ、
 自身の画業の成果をすべて失う。
 
渡辺庄三郎の励ましを受けて
 
「日本風景選集」(1926)
 「旅みやげ第三集」(1929)
 「東京二十景」(1930)
 「日本風景集東日本編」(1936)
1952(昭和27)年
 「増上寺の雪」が
 伊東深水「髪」と共に
 無形文化財技術保存記録の
 作品に認定された。

 この二点セットで日本を訪れた
 国賓の方々に日本政府から
 プレゼントされてもいた。
1953(昭和28)年
 文化財保護委員会から
 伝統的木版技術記録の
 保持者に選ばれた。
1957(昭和32)年
 自宅において胃癌のため死去。
  享年74

巴水の独自の叙情性を持つ
風景版画は“昭和の広重”ともいわれ
欧米でも高く評価されて人気があり
北斎・広重と並び称され
頭文字から風景画の
3Hと呼ばれている。


 (テレビ東京「美の巨人たち」から)

 


 (テレビ東京「美の巨人たち」から)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

川瀬巴水「東京二十景」(テレビ東京「美の巨人たち」から)

 



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