日本の最北端 宗谷岬に建つ「間宮林蔵」像
間宮林蔵は 間宮海峡を発見し 蝦夷地や千島列島などの
北方探検家として歴史上に足跡を残し 伊能忠敬の弟子としても
北海道の沿岸地図の作製にも関わった。
また幕府の隠密でもあった。
1800年代に ドイツ人のフォン・シーボルトが来日し
鳴滝塾を長崎で開設 江戸時代の日本の医学の発展に
大きく貢献した。 そして 帰国するとき伊能忠敬が作成した
精密な日本の沿岸地図を極秘裏に持ち出そうとしていることを
間宮林蔵は幕府に密告している。
しかし 没収されなかった地図は 密かに持ち出された。
その精密さは ヨーロッパの研究者達を驚嘆させている。
宗谷岬の近くには 間宮林蔵が松田伝十郎と共に
1808(文化5)年4月にカラフト探検に向かった地
「間宮林蔵 渡樺の地」もある。
こちらは 生家に建つ間宮林蔵 像 (茨城県・つくばみらい市)
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