あかない日記

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信州紀行 軽井沢21 三笠ホテル2

2020-02-04 | 国内・長野

八角の塔屋と非対称形が
荘厳さを表している。

 

大勢の政財界人などに利用され
「軽井沢の鹿鳴館」
とまで言われたが

経営は赤字続きであったという。

1925(大正14)年には
山本直良は経営権を

明治屋社長の磯野長蔵
(1874~1967)を譲っている。

その後も 赤字経営は
変わらなかったようだ。

1941(昭和16)年から始まった
太平洋戦争で
日本の戦局が不利に
傾き東京での空襲が始まると

万平ホテルがソ連、トルコ、
ドイツ大使館などの疎開先となり

軽井沢は 各国大使館・公使館の
疎開先となった。

三笠ホテルにも
外務省軽井沢出張所が置かれ

昭和19年から20年まで
休業することになった。

更に敗戦後も国内のホテルと
同様、米軍に接収された。


1952(昭和27)年 
接収解除後は、万平ホテルの
山名傳兵衛が
支配人となり
「三笠ハウス」として再開し

1970(昭和45)年に
廃業されるまで使われた。

その後 建物は日本長期信用銀行
(現新生銀行)の所有となり

1980(昭和55)年 
軽井沢町に寄贈された。

なお、その間に建物は
約70m南から現在地まで曳家され

保存修理工事が行われている。

 

明治以降の近代日本の著名な
建物が消えつつある中にあって

1905(明治38)年に
建築された三笠ホテルは

木造純西洋式ホテルとしては
札幌にあると豊平館
(1880・M13)に次ぐ

古い建物として高く評価され
1980(昭和55)年に国の
重要文化財に指定された。

1983(昭和58)年から
一般公開され
軽井沢町の
観光名所の一つになっている。

 

現在の玄関に直接して
2階への階段があるが

かつてはロビー側に玄関があった。

 


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