あかない日記

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信州紀行 須坂市36 浮世小路

2019-12-12 | 国内・長野

 

 

浮世小路 上中町交差点方面

道幅2m程度の
この小路「浮世小路」という。

生糸の町として栄えた
明治末から大正期にあった花街で

「太鼓橋の向こうは浮世の世界!」
ともいわれ板塀に格子戸のある
料亭、置屋、髪結い、
銭湯があったという。


今は人影も三味線の音色もなく
跡地は駐車場などに代わり
栄えた当時の面影は
全く無くなっている。

 


昭和60年の資料によれば
当時の様子がうかがい知れる。

「“浮世小路”は、中町1丁目、
入口に太光楼があるので、
俗に太光楼小路とも
呼ばれ親しまれてきた。

須坂が生糸の町として
栄華に酔っていた
明治末期から大正期にかけて
形成された花街である。

道幅は車がやっとの2m余り。
夜ごと人々が袖すり交わした。

板塀に格子戸のある料亭や
芸者衆の置屋、髪結い、
銭湯があった。

牧羊、能登源、住吉屋などが
軒を連ねた。
今は料亭「とよ松」だけだが、

見番役の料理組合や稲荷社もあり、
昔日の面影がただよう。
三味線の響く小路である。

生糸に一攫千金を夢みた
生糸の若旦那や番頭衆が、
きれいどころひく
三味線の音に酔いしれ、

端唄に興じたところである。

現在、須坂市の芸者衆は
12~13人だが、
当時は70~80人にのぼったという。


三味線など鳴り物ができる
“お姐さん”は2~3人に減った。・・・」

とある。