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あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

信州紀行 須坂市12 須坂教会

2019-11-08 | 国内・長野

 

 

須坂は 神社仏閣だけではない

銀座通りに 
日本キリスト教団 須坂教会があった。

 

1993(昭和8)年の建築だが 

プロテスタント系の教会として
十字架を載せた鐘楼が

質素ながら洒落た姿を見せて
銀座通りの一角を飾っている。

明治から昭和初めまでの須坂は
南の岡谷に次ぐ北の製糸中心地で

昭和8年ごろ 
製糸業の繁栄に伴い 
職業紹介所が設置されている。

一方 公益質屋も開業するなどの
世相の中 教会に

女工さんなどが救いを求め
心の拠り所になっていたのでは・・・

 

なおキリスト教会(プロテスタント)の
「須坂聖書教会」(1990年設立)も
臥竜公園近くにある。

 

 


信州紀行 須坂市11 まゆ蔵

2019-11-07 | 国内・長野

 

 

 

 

順序よく並んだ窓に
外から梯子掛け 
繭を出し入れした。

                       

 

横町通りに
「須坂ふれあい館 まゆぐら」がある。

この建物 明治期に建てられた
三階建ての旧田尻製糸の建物で

生糸の原料となる繭を貯蔵する繭蔵。

現在は 製糸業で栄えた
須坂の歴史を後世に伝える
歴史的に貴重な建物として

また市内観光の休憩所
として開放されている。


繭蔵は 製糸工場が
大量に仕入れた「繭」を
保管する倉庫で

通風を良くすることで
温度変化があまりなく

「繭」の品質が
落ちないようにした
構造になっている。


なお この繭蔵は 
都市計画道路の整備のため 

2002(平成14)年 
南東に約180m離れた
立町から3ケ月かけて

この地に“曳家移転”したそうだ。

 

 

  

中二階部分もすべて床があり
完全な3階建てで

大量に効率よく
貯蔵できる構造なっている。

 

 

地元のボランティアの方に
お茶の接待をしていただいた。

 


信州紀行 須坂市10 ぼたもち石

2019-11-06 | 国内・長野

 

 

クラシック美術館の建物の基礎に

説明文がある。

        

「石の形が丸く
 ”ぼたもち”のようであることから

「ぼたもち石」、
「ぼたもち石積み」と呼ばれている。

自然石の形を生かしながら
石と石の間を完全に

すきまなく密着させる技法で、
大変高度な職人の技です。」
とある。

 

須坂は 名のとおり坂の町 
傾斜の土地に基礎を築くことは
容易ではないのに

更に このような
ぼたもち石を使って築く技術や
職人の心意気が伝わる。

街中で このぼたもち石積みの
建物が多くみられことから

須坂は 石の町ともいわれている。

 


信州紀行 須坂市9 須坂クラシック美術館

2019-11-05 | 国内・長野

 

観光交流センターの前に
「須坂クラシック美術館」がある。


1995(平成7)年に
横浜市在住の
日本画家・岡信孝氏から

「庶民の喜びと悲しみに
包まれた品によって

あたらしき美の発見のあること」
との願いから
古民芸や着物を中心とした

着物のコレクション
約2000点の寄贈を受けて
開館している。

建物は 明治初期に建てられた
牧 新七家の屋敷が提供されている。

牧家は 江戸時代からの呉服商で
明治時代には 仲間と共に須坂銀行を創設。

さらに 山一製糸を興し
地元に大きな功績を残した。

 

 

 


信州紀行 須坂市8 蔵の町並み

2019-11-04 | 国内・長野

 

 

 

碑にある説明文には

「この市道 
銀座通りは 旧谷街道にあたり、
この通り沿いには、
土蔵造りの町家や繭蔵が
多く残されています。

土蔵造りの盾門が多いのは、
明治大正時代に製糸業が繁栄し、
それにより 栄えた繭家や
製糸家が火災から家屋や

財産を守るために
競って造ったためで、
往時の名残りを留めています。」

しかし このように
往時の面影を残す通りに
「銀座通り」と
命名したことが分かりません。

また 銀座通りに
ふさわしい商店等も
人影も見られませんでしたね!

 

 


信州紀行 須坂市7 谷街道

2019-11-01 | 国内・長野

 

   銀座通り・旧谷街道

 

 観光交流センター前に
「旧谷街道」の碑がある。

 

谷街道といえば 
当ブログで 稲荷山を
訪れたときに知ったが

ここで繋がるとは思わなかった。

当ブロ→
信州紀行・稲荷山宿・谷街道(2017/08/09)

 

谷街道は
北国西街道稲荷山宿から
分岐して千曲川を渡り

対岸の北国街道屋代から
松代、須坂、小布施、中野を通り

飯山を経由して、
越後に向かう十日町街道に合流する。

 

                          

   起点の標識(稲荷山郵便局前)

 


信州紀行 須坂市6 蔵のまち観光交流センター

2019-10-31 | 国内・長野

 

  

横町通りの入り口に

「蔵のまち観光交流センター」が

あり 観光案内等を入手。

 

この建物は「旧角一製糸」の
3階建ての繭蔵で

当時、2、3階には
一年分の仕入れた繭を広げて
乾燥させて保存をしていたという。


角一製糸は 太平洋戦争までは
従業員 180人をかかえる
大きな製糸工場で

この建物は 明治20年代に
建てられたという。

1階は 繭を取り引きした
店と座敷があり

店には 中店と上店があったようだ。

この蔵がかつて隆盛を
誇った街の遺産の一つで


2009(平成21)年から
須坂観光の玄関口ともなっている。

 

  

 

 


信州紀行 須坂市5 馬車よ ゆっくり走れ!

2019-10-30 | 国内・長野

 

 

桜木通りを抜け 
横町中央交差点(東横町の辻)の

広場に「馬車よ ゆっくり走れ!」と
刻まれた碑がある。

これは 1998(平成10)年 
信州須坂町並みの会
設立10周年記念として

設置されている。

碑文の文字は 日本画家の
東山魁夷が書いている。

画伯がドイツを旅した際の
紀行書の題名でもあり

ドイツのローテンブルク市に
あるシュピタール門に刻まれた

一文「歩み入る者に安らぎを、
去りゆく人にしあわせを」から

引用しているという。

“急がば回れ”の意味合いも
あるのかなと思う。

 

東山 魁夷(1908-1999)
昭和を代表する日本画家の一人。
文化勲章受章者。

なお 長野市には
長野県信濃美術館・東山魁夷館がある。

 

 

 ローデンブルグ 

      左ジーベル門の先にシュピタール門がある

     右はコボルツェル門

 

  


信州紀行 須坂市4  手づくりふるさと賞

2019-10-29 | 国内・長野

 

    「手づくり郷土賞」の碑

 

須坂駅から 
歴史的な蔵づくりの町並みの
案内に沿って歩く。

その途中 
190mほどのプロムナード
市道桜木町通りがある。


この通り 平成4年の
「手づくり郷土(ふるさと)賞」に
選定されている。 


車道部分には地域の
特産品であるリンゴと
ブドウの色を配し

歩道部分には 
蔵の色である白と黒を
基調としてサクラの
赤を配している。

また 街路灯は
明治・大正時代のガス灯を
模して夜の通りを
優しい光で演出している

ことが選定の理由であった。

しかし 今は 特徴的なものは
色あせて 一般道路と変わらず


街角に賞の碑があって
初めてその存在を知る。

 

因みに「手づくり郷土賞」は

地域活動によって地域の魅力や
個性を生み出している良質な
社会資本とそれに関わった
団体を表彰するもので

1986(昭和61)年度に
創設された国土交通大臣表彰 

賞には 一般と大賞部門がある。

 

            

  地場産の松代石やヒノキで作られたベンチ

 

 

 


信州紀行 須坂市3  須坂市

2019-10-28 | 国内・長野

 

     

 

須坂は 松川と百々川が
つくり出した 2つの扇状地の
上に 町が形成され

旧街道沿いに 市街地が並び
リンゴ畑、ブドウ畑が 広がっている。

 

江戸時代は
須坂藩の陣屋町であった。

明治から昭和初期にかけては
製糸業で栄え

当時の繁栄を偲ばせる
土蔵や大壁造りの商家が残り

蔵の町として 
今は 観光都市としている。

 

しかし 信州のガイドブックを
見ても 隣町小布施などと違い

同一地域で 須坂市に
さくページは少ない。

何度か この方面には 来ているが 
この町は いつも通り過ぎで
ゆっくり見ることがなかった。


1876(明治9)年
近世以来の高井郡須坂村を
改称して 須坂町となる。


現在の人口は 5万人弱

 

    
    須坂市票

 

 


信州紀行 須坂市2  須坂駅

2019-10-27 | 国内・長野

 

 

観光のはじめは
交通の要所である 須坂駅

長野電鉄長野線の駅で
長野から12.5kmにある。


1922(大正11)年
河東鉄道
屋代 - 当駅間開通により開業。


1926(大正15)年 
長野電気鉄道 
権堂 - 当駅間が開業し


同年の9月 長野電気鉄道と
河東鉄道の合併により
長野電鉄の駅となる。

        

河東鉄道の路線は河東線
長野電気鉄道の路線は長野線と定める。

2012(平成24)年3月まで
屋代線が分岐していたが

4月から 屋代線は廃止された。

 

駅は 橋上駅舎 
改札口は駅舎2階にあり

ホームでは
「須坂市民歌」が流されているという。

 

1日3千人の乗降がある。

だが 現在の長野電鉄は 

人口減少や車社会の影響で
年々 利用者の減少傾向にある。

須坂市には 須坂駅の他に
村山駅、日野駅、北須坂駅と
4つの駅があるが

職員の削減で須坂駅以外の駅は
無人駅になっている。

                   
   末広通り 駅方面


信州紀行 須坂市1 千曲川氾濫

2019-10-26 | 国内・長野

        赤枠は決壊箇所

 

  

 

10月13日 台風19号により

東日本各地で水害が発生し

今も日常生活に

戻れない状態が続いている。

 

その中で 千曲川も堤防が決壊し
 

流域に甚大な被害をもたらし

ニュース等でその被害を知るが

地図を見ると 決壊場所の対岸が

この夏 訪れた須坂市であった。

 

須坂市は

千曲川岸の北相之島地区が

越水の被害にあったが

扇状地である中心部には

影響がなかったという。

 

少々迷ったが 

須坂の紀行文を

アップすることとした。

 

なお 当ブログとリンクを結んでいる

「信州ありふれた写真」の池様も

この流域に住まわれているが

紙一重で被災されずに済んだという。

何よりでした。

 

 

 


信州紀行 中野市 中山晋平記念館

2018-12-07 | 国内・長野

 

       晋平が18年過ごした風景が・・・偲ばれる。


 熱海の中山晋平記念館を話題にしたので

 晋平の生まれ故郷 長野県中野市も訪れてみた。

 

 

 
 中山晋平 生誕100年を記念して
  1987(昭和62)年に「中山晋平記念館」が建てられた。

 来館を五線のゲートに吊るされたカリヨン(組鐘)が迎えて
  9時~17時の定時に中山晋平作曲の鐘の音が鳴る。

   順に 紅屋の娘 カチューシャの唄  てるてる坊主

     證城寺の狸囃子 東京行進曲  波浮の港
     東京音頭  砂山  あの町この町

 

 

      玄関脇 晋平像が来館者を迎えている。

 

 

 中山晋平は 島村抱月の書生をしながら東京音楽学校を卒業
   抱月主宰の芸術座公演「復活」の
   劇中歌「カチューシャの唄」(唄:松井須磨子)で
    名声を確立する。

  その後 北原白秋・野口雨情・西条八十らの作詞家と
    組んで童謡・流行歌を発表した。

   代表作に「てるてる坊主 ・ 天竜下れば ・ 東京音頭」などがある。

 

  晋平がその生涯で作曲した作品は
   童謡823曲、新民謡287曲、流行歌468曲
   その他学校の校歌・社歌等217曲あり
    現在判明しているだけで
     1795曲の作品にものぼる。


  館内には晋平の偉業を伝える
  資料や作品集などが展示され

  晋平の生涯と作曲作品などを紹介
  しているDVD「大衆の心に歌う」を鑑賞し

  リスニングコーナーでは
   晋平のメロディを聴くことができる。

             (館内写真撮影禁止)

 

 

             シャボン玉の像

  1991(平成3)年「中山晋平生誕祭」に合わせて建立。



 


    “證城寺の狸囃子”スイッチを押すと

      シャボン玉の音楽と共にシャボン玉が飛ぶ。


 

 

 碑には  同記念会初代会長の西條八十が
 「不朽の天才作曲家・中山晋平生誕の地」
  と揮毫した文字や

  「神に願ひをララかけませうか」と
   カチューシャの唄の楽譜が彫られている。
             
(1964年建立)

 

  ちなみに 西条八十とのコンビで316曲が作曲されている。


 

       「カチューシャ」の像

 

この他に 園内には 作曲した曲のオブジェや碑が置かれている。

 

 

              中山晋平の生家

 

 1887(明治20)年に
  長野県下高井郡新野村(現在中野市)に生まれた。

 
   当時の姿のまま記念館に隣接して保存されている。

 現在も 晋平の兄の孫の代の家族が住んでおられるそうだ。

 

 


信州紀行 坂城町10 昭和橋

2018-10-31 | 国内・長野

 

 

右端 ピラミッドのような山は「岩井堂山」。別名は「自在山」という。
ここには 戦国時代には 甲斐の武田の狼煙台があった。

 

 

国道18号坂城交差点の西 千曲川に架かる 
古きアーチの姿に独特な味わいがある「昭和橋」に魅かれた。


この橋の特徴は 
鉄筋コンクリート造りの「ローゼ橋」だが
 戦争で鋼材が不足したとき
 長野県の道路技師・中島武技師が設計した
世界初の技術で架けられた。

全長500m 9つのアーチが連なる。

鋼材が自由に手に入るようになってからは
 コンクリートローゼ橋の時代は終えている。

 

坂城町には159の橋があり
その中でも 1937(昭和12)年に架けられたが

2002(平成14)年には「土木遺産」 に
認定された特別な橋になっている。


昭和橋の指定の内容は
「中島武技師によって造り出され
戦前戦後を通じて長野県下で量産された
RCローゼ桁の中で現存している戦前の5橋」
として指定されている。


昭和橋のほか 
・木曽福島町の「大手橋」
・小谷村の「姫川橋」「親沢橋」
・佐久穂町の「栄橋」

いずれも昭和11年から13年に架橋されている。

因みに 「土木遺産」は 
土木学会が社会へのアピールや
まちづくりへの活用などを目的に
2000(平成12)年から選んでいる。
幕末から昭和20年代の土木構造物が対象。

 

 

 


信州紀行 坂城町9 しなの鉄道と「ろくもん」 

2018-10-30 | 国内・長野

 

  坂城駅を通過する「ろくもん2号」(長野→ 軽井沢コース)

 


第3セクター「しなの鉄道」の軽井沢と
長野間に観光列車(2014年から運行)が走っている。

その一つ「ろくもん」が 坂城駅を通過するのを見た。

 

「ろくもん」は
「真田一族」の家紋である「六文銭」から命名され

列車の配色は 真田信繁(幸村)が
大坂冬の陣などで用いた「赤備え」
(甲冑や武具を赤で統一すること)を
イメージした濃い赤を基本色として
真田の家紋である「六文銭」「結び雁金」「州浜」を
ゴールドで飾られている。
(113系車両を改造 デザインは水戸岡鋭治氏)

 


キャッチフレーズには 信州の木のぬくもりを乗せ
高原の風と共に 景観を楽しみながら
この土地の歴史・文化にふれ
信州の幸を満喫していただく旅を提供するとある。


 

 

  「しなの鉄道」は 元は国有鉄道 国鉄分割民営化後は
東日本旅客鉄道(JR東日本)の信越本線の一部で
1997(平成9)年に北陸新幹線 高崎-長野間
(2015年の金沢延伸前は長野新幹線)が
開業した際に JR東日本から経営分離された区間。


なお  しなの鉄道では 2つ目の路線として
2015年(平成27年)に 

長野 – 妙高高原間の「北しなの線」を
開業(JRから経営分離)させている。