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あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ベトナム紀行(87) 大砲

2014-09-02 | ベトナム紀行

ガン門近くにある大砲

 


 王旗塔の両側にある門の近くに

「9つの聖なる大砲」と呼ばれる大砲が展示されている。

そのガン門に近くにある 大砲4門(1803年製)は

 それぞれ 春・夏・秋・冬の名前が付けられ

 もう一方のクアンドック門には 

金・木・水・火・土の自然神を 称える5行を表した名がつけられている。

 グエン王朝の初代皇帝の嘉隆帝(在位:1802~1820年)時代に

1年がかりで造られた青銅製の大砲であるが

 実際に武器として一度も使われたことはなくかったそうだ。

因みに 本日9月2日は ベトナムの「独立記念日」
ホー・チ・ミンがハノイのインドシナ総督府正面において
日本帝国政府がポツダム宣言による降伏文書に調印したこの日に
、正式にベトナム民主共和国の独立宣言が発表された。

 

 


ベトナム紀行(86) フラッグタワー

2014-09-01 | ベトナム紀行

 

ガン門をくぐると左手に 大きな旗塔があり

青空に赤のベトナム国旗が鮮やかにたなびいている。


1809年 初代ザーロン帝の時代に建てられ


新市街からでも一望できる巨大な旗がたつのが

旗塔(フラッグタワー)である。


台座は 三層式で 下から「地」 中層は「人」 上層は「天」を表し
 
高さ17.4m 塔の頂点までは29.52mにもなる。

建造当時は木製であったが 大嵐や戦争で何度か破壊されている。 

現在のものは1969年に建てられコンクリートでできている。


ベトナム紀行(85) ガン門

2014-08-31 | ベトナム紀行

 

王宮は 二重構造となっており 

外堀 2.2㎞四方 内堀 600m四方の城壁に囲まれて

城壁の外には幅23mの濠が廻らされ 各門からの石橋で外と結ばれている。

その外側には さらに護城河と呼ばれる

香江から引かれた幅40mの濠が廻り 幾重もの防衛線を形成している。


城の外壁には、10ヶ所か門が造られており

その各々に2層の監視塔が設けられている。

その一つで 王宮への入口になっているのが「ガン門」(体仁門)である。 

 門の内側に 左将軍廠があることから 「ガン門」と呼ばれている。

門の入口幅は 狭く一方通行だが車やバイクと人も一緒に

通行するので 気をつけなければない。

 

 


ベトナム紀行(84) 阮朝王宮

2014-08-30 | ベトナム紀行

 

 

 

ティエンムー寺の見学を終え 

旧市内にある フエを象徴する 一大観光スポット「阮朝王宮」へ。

世界遺産に登録されている建築物の中でも

最も重要なものとなっている。 

歴代阮王朝が ここで政権を執行してきたが 

中部フエは ベトナム戦争の激戦区となり

最も被害を被ったのは この阮朝王宮で

 その大半が 破壊されてしまった。


現在 世界遺産に登録されたこともあり

 復元の作業も続けられ

 
徐々に その当時の王宮が再現されてはいる。

 

 


ベトナム紀行(83) オースチン車

2014-08-29 | ベトナム紀行

  

 格納されているオースチン

 

 何故!外国車がこんなところにと 場違いとも覚えるような

境内の一角に古い車が展示されている。 

これは ゴディンジエム政権の時代 政府高官や軍幹部全てはカトリック教徒で

 人口の大半を占める仏教徒を迫害し 

自分たちの権益だけを守ろうとしていた 1963年の6月11日に

仏教の弾圧に抗議して焼身自殺した住職ティック・ファン・ドンのものだそうで

 ここからサイゴンまで自ら運転して乗っていったオースチン車で

 遺品として残されているのだという。

ガソリンをかぶり 燃え盛る炎の中でも座禅姿を

崩さなかった焼身のニュースは全世界に発信され 写真をみた記憶がある。 

フエの人は穏やかなと 先に紹介したが

先にも話題にした開高健の「ベトナム戦記」でも触れられており

 フエ 古都は知性と宗教 学者と高僧の町であることから

古都ながら反逆と情熱に満ちた町と紹介し 

時の独裁政治に抗議し焼身供養を敢行した僧もここの出身

 また軍事独裁打倒の狼煙をあげたのもこの町の学者と僧であったと。

穏やかであっても こと大事な時には

立ち上がる正義と勇敢さを持つ人々のようである。

 


ベトナム紀行(82) ティエンムー寺(3)

2014-08-28 | ベトナム紀行

 

 

ティエンムー寺院は 禅寺で煉瓦造り塔の作りなど

全般に中国の影響を色濃く受けていることがわかる。

寺の屋根の四方のそり方は上に跳ね上がって

陶器の破片で屋根の上に龍や鳳凰が飾り付けられている。


色彩を押さえ落ち着いた雰囲気で日本の禅寺ともよく似ている。



ベトナム紀行(81) ティエンムー寺(2)

2014-08-27 | ベトナム紀行

 

 

  

境内の中心には 釈迦を祀ったダイフン寺がある。

ベトナム人の8割は仏教で 

大乗仏教に非常に熱心な教徒が多い国としても知られている。


現地の人の参拝も見受けられる

大乗仏教は 宗教による束縛 強制のない緩い宗教観を持っているが

ベトナムでは 月に一回ないし二回断食のようなものが行われ

 戒律を守って その日は魚や肉類を食べることは 禁止されているそうだ。

因みに ベトナム以外の東南アジア諸国の仏教は すべて小座部仏教で

きびしい戒律があって 「仏教を信じないものはすべて地獄行き」という教えがある。

しかし 日本も大乗仏教で 

「どんな宗教に属していても いいことをすれば 天国に行ける」 

という教えが主流で

 断食のような戒律はないですね。



ベトナム紀行(80) ティエンムー寺(1)

2014-08-26 | ベトナム紀行

 

 

 

 

フエ最初の見学は 街の西 フォーン川沿いにある「ティエンムー寺」 

天女伝説があるこの寺は 王宮から西へ進んだ外れにあるが

観光船がフォーン川を利用して 新市街地との間に乗ることもできる。


ティエンムー寺は 七重八角の塔(1845年建立)が 高くそびえ

 
7塔(21.24m)から成り はすの花の形(八角形;トゥニャン塔)をして

シンボルとなっている。

 境内の奥には釈迦像が祀られ 塔の隣には重さ2トンの鐘楼もある。 

 ここティエンムー寺には テイエン(天国)ムー(お婆さん)

”天国のおばあちゃんのお寺” と言われ

「天女伝説」という話が 古くから伝わっている。

この寺が作られた由縁ともなっているのだが 

ある日 老婆がこの寺がある高台にひとり座っていて

 その老婆が国民に
「間もなくここに支配者が現れる。

そして この敷地に大きな塔を建てるだろう」と予言したという。


実は この老婆は人間の姿に変化した“天女”だという。


そして 1802年グエン王朝が(初代ザーロン帝)誕生

1844年3代テイエウテイ帝が それに感謝してお寺を建てと伝えられる。

 

 

市内とティエンムー寺を結ぶ遊覧船

 


ベトナム紀行(79) フエ

2014-08-25 | ベトナム紀行

 

 

  ベトナム中部の古都「フエ」は 

人口30万余人 面積83kk㎡ 「香河」(フォーン川)を挟んだ

小規模の都市で 前にも紹介したが人々は穏やかな性格であり

 街の喧騒もなく静かに暮らしているようで 

日本でいえば「京都」のような都市である。


 ベトナム最後の王朝「阮(グエン)朝」(1802~1945)の都が置かれて繁栄し

 壮麗な建築物が多かったが1968年2月にベトナム戦争の

激戦場となって大半が破壊されてしまった。

しかし 現存する歴史的建造物群は

1993年世界文化遺産としてベトナムにおいて 最初に登録された。

 

フエは 当時の中国である清国を宗主国として中国風の文化を

 途中フランスの占領下にあったことから

フランス様式の建物もあるのが特徴になっている。




ベトナム紀行(78) ホテル

2014-08-24 | ベトナム紀行

 

 

 昨夜 いや今日着き 5時間ほどの睡眠から目が覚めた「フォンジャンホテル」

フエは大きく分けて「旧市街」と「新市街」に分けることができるが

フエの象徴である阮朝王宮はフォーン川を挟んだ北側が旧市街で

 我々のホテルはその対岸 南側の新市街にあり


ホテルやレストランなどは新市街地に多くある。


ホテルからはチャンティエン橋を左に眺めることが出来る。 

このフォンジャンホテルは

部屋には籐で作られた家具が配置され 洗面室との仕切り壁には

 鯉?画描かれたガラスがはめ込まれて独特な雰囲気ではあった。

 
ホテルレストラン脇には中国のホテルかと思うような

フエ名物宮廷料理の宮廷レストランもあった。 


ベトナム紀行(77) ベトナム再入国

2014-08-23 | ベトナム紀行

 

                                       

ベトナム紀行は 第76回(5月21日)以来 本回から再び話題になる。 

 

 カンボジア・シェムリアップ18時に飛び立ち ベトナムに再入国し

ホーチンミン経由でダナン国際空港に22:35着陸した。


直ちに 待機しているツアーバスへ乗り込む。
 

現地出発 23時 これから 100km先のフエへ

2時間半かけてのバスの旅

バスは暗くなった道をかなりのスピードで走りだすが
 
今日の疲れがでたのか乗客は一人二人と眠りだす。 


当方も眠い眼と闘い続けたが・・・

フエのホテルに到着したのは 

到着予定を30分ほど早めていた深夜の1時だった。

運転手が相当に頑張ってくれたので

当初の日程に戻すことができたようだ。

 

 

 


ベトナム紀行(76) フォー

2014-05-21 | ベトナム紀行

 

  

ツアー2日目 ホーチミンでの 昼食は ベトナム名物麺「フォー

場所は ドンコイ通り 人気店「フォー24

この店の名の“24”は24時間以上煮込んで作られる

コクのあるスープに由来しているとか。

フォーは米麺で レア牛肉入りフォー・ポー・タイと 鶏肉入りフォー・ガー が人気。
 
 フォーには 香草と野菜を適当にちぎって入れて 

また 決して音を立てたり 碗に口をつけないのだと説明がある。

 家人は鶏肉 当方は牛肉を食したが 

日本のラーメンのような癖のない さっぱりした味で 完食でした。

 


ベトナム紀行(75) ベトナム人民軍

2014-05-20 | ベトナム紀行

 

幹線路「ナムキーコイギア通り」のタンソンニャット国際空港近くに

「ベトナム人民軍
」の施設を見る。


1944年12月22日 日本やフランスの支配下から解放されるために

「ベトナム解放軍部隊」が作られた。


後に「ベトナム解放軍宣伝隊」と改名し 

1950年に現在の名称の「ベトナム人民軍」になった。


今年は 創設70周年になる。


トナム人民軍」は、ベトナム社会主義共和国の国防を担当する軍事組織。

事実上国の正規軍とみなされているが 

中国人民解放軍と同様 共産党が指揮する「党軍」という側面もある。

憲法上は国家主席だが 事実上、共産党総書記をトップとする等

中央軍事委員会が最高意思決定機関となっている。


人民軍は、陸軍、海軍、空軍で かつては総兵力170万の大軍であったが

カンボジアやラオスから撤退 軍縮を進めて 現在は約48万人強。

ベトナムは「全民国防」を軍事政策の基本と 徴兵制を導入している。

海軍(3年)など一部を除き 期間は2年。

 ベトナム社会主義共和国のときは 中ソ論争では中立を
 
ベトナム戦争時は中国とソ連の支援を受けた。


ベトナム戦争終了後 右派ミャオ族に対して民族浄化を行ったラオス内戦。


1979年 中国と対立してた中越戦争。


1984年 国境地帯で中国人民解放軍と衝突を繰り返した中越国境紛争。


1990年代は 中国と和解し 未確定となっていた陸上やトンキン湾の境界を定めた。


 現在 未確定の南・西沙諸島の領有権をめぐって 依然対立して

暴動まで起こっている。 この先どうなるか・・・

 


ベトナム紀行(74) ハチハチ

2014-05-19 | ベトナム紀行

 

 

タンソンニャット国際空港とホーチミン市街とを結ぶ幹線路「ナムキーコイギア通り」

統一鉄道の踏み切り脇に 「Hachi Hachi」を見る。 


看板を良く見ると 「ジャパニーズショップ ハチハチ」とマーク “蜂”が書かれてある。

 調べたら 2007年にオープンした25000ドン(約185円)均一の店であるが

 
なぜ「ハチ・ハチ」なのかわ分からない。


しかし 1品185円なので 日本の百円ショップよりは高いが

ホーチミンでは買えない またはスーパーに有っても割高になっている日本の和・用食器

 
台所用品 文房具、雑貨、洗剤など日用品をそろえているようだ。
 

 近年ベトナムでは 日本の品物は人気があり 日本の名を看板に 

中国製のものを混ぜて売っている店も多いので注意が必要とのこと。



ベトナム紀行(73) 踏切

2014-05-18 | ベトナム紀行


   サイゴン駅方面を望む


タンソンニャット国際空港とホーチミン市街とを結ぶ幹線路「ナムキーコイギア通り」


統一鉄道の踏切に差し掛かる。 


民家の軒下すれすれに ここを列車が走るのかと思うと ぞっとするが。



道路上の遮断機は 設置されてはいるが 

 
摩訶不思議 線路上にも「SOTP」の遮断機 またその奥には 「右折」の標識がある?


察するに 列車に対する標識ではなく 線路の両脇は民家が軒を並べていることから
 
この線路自体が “生活道路化” していて


その通行のためのもの また日に数本しか走らない列車ならば・・・ あり得ると思われるが。


因みに 統一鉄道は ベトナムの国鉄で ホーチミンからハノイの区間 1726km におよび

その所要時間は 約30時間 とのこと。