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あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ベトナム紀行(42) ベトナム通貨

2014-04-11 | ベトナム紀行

 

ベトナムの公式通貨は ベトナムドン(VND)。

「ドン」とは“銅”のことで チャム族が興したチャンバ王国時代は

ホイアンの港から広く交易を行っていたことで知られ

 日本とも幅広く貿易が行われ 特に香木(沈香、その中でも高級な伽羅)は

日本へ輸出され そのときの代価が銅貨であったことが ドンの元とも言われている。


紙幣の種類は

50万 20万 10万 5万 2万 1万 5000 2000 1000 500 200 100ドンと


12種類ある。

ただし 200 100ドンはほとんど流通せず また 2万と1万は2種類あるが

 2013年 コットン紙幣の方は流通停止され ポリマー紙幣のみとされた。

ポリマー紙幣は 透明の箇所があって偽造しにくく 

折り目がつきにくいことから 暫時切り替えていくようだ。


硬貨は 5000 2000 1000 500 200ドンの5種類だが

 なかなか お目にかかれないそうだ。


ベトナムには 硬貨を使う自動販売機などは無いからかもしれない

因みに 100ドンを除く紙幣には 総てホーチミンの肖像が入っている。

 

 


ベトナム紀行(41) ホーチミン像

2014-04-10 | ベトナム紀行

 

ホーチミン人民委員会庁舎前 レタイトン通りを挟んだ所に こじんまりした公園がある。

そこに 庁舎を背にして “少女を抱いたホーチミン像”がある。

台座には 「BAC HO」と 記されており 

建国の父 ホーチミンに対する尊敬と親しみを込めて 


「ホーおじさん」という意味だそうだ。

  先の 中央郵便局内の正面壁にも ホーチミンの肖像画が飾られて

 ホーチミン市内いたるところに

ホーチンミンの像や絵が見受けられる。 

“ベトナム紙幣” にも。


ベトナム紀行(40) ホーチミン人民委員会

2014-04-09 | ベトナム紀行

 

 グエンフエ通りの突き当たり レタイトン通りを挟んで

「ホーチミン市人民委員会庁舎」がある。


1908年 フランス統治時代に建てられ 当時は市庁舎として使用され


パリの市役所の建築デザインを ベースにデザインされた。


中央の時計台を挟み 左右対称のバルコニーと 

“東洋のパリ” にふさわしい美しい建物になっている。


「人民委員会」とは ベトナムの行政機関の名称で 建物としては「市庁舎」

南ベトナム時代には サイゴン市庁舎として 

今も 政府の行政機関として使われている。


夜は ライトアップされ さらにその優雅さを 浮き上がらせている。



ベトナム紀行(39) ホーチミン市民劇場

2014-04-08 | ベトナム紀行

 

一直線に伸びる レロイ通りとドンコイ通りが交差する場所に

 重厚なバロック建築の「ホーチンミン市民劇場」がある。


フランス統治時代の 1898年にオペラハウスとして建てられ

 現在は 約1800席ある市民劇場として

コンサートやバレエ、演劇などの公演で使用されている。

この建物も ベトナムの歴史を見てきており 

南ベトナム共和国当時は 下院議員の国会議事堂として使用され

 外観や内部は 簡素に改装されるともに

彫刻や調度品は 全て撤去されてしまった。

1976年  南北統一後は 戦争での被害を修復し

 市民のための劇場として再出発した。


その後 サイゴンの市政300周年を迎え 

1998年 創建当時への復元工事で 

改装された外観や撤去された彫像や彫刻 装飾品を再配置され

 100年前の姿に戻っている。

 


ベトナム紀行(38) 郵便事情

2014-04-07 | ベトナム紀行

 

中央郵便局前に 「黄色いポスト」が置かれているが 

この黄色いポストは 国内郵便専用になっている。

ベトナムの郵便事情の話題を

ベトナムの郵便局は

、Vietnam Posts and Telecommunications Group(VNPT)と

呼ばれる「郵電公社」が運営しており 郵便・小包の取り扱いとともに

 電話やFAXも利用することができる。


ポストの数は少ないので 直接郵便局に持ち込むことになるが

 切手は 売店や書店などで購入することがでる。

 しかし ベトナムの郵便事情は

遅延 遅配 誤配 紛失などかならずしも良くない。


小包などを 海外に発送するのには 割高ではあるが

民間業者のFedEx DHL 佐川急便などを

利用したほうが迅速・確実に届くそうだ。
 

昨年9月 日本の郵便システムを導入することで

 ベトナム政府と日本・総務省が合意したとニュースがあったが

  導入されば 定評ある日本のシステムにより

確実な収集、配達が確保されるだろう。

 

 


ベトナム紀行(37) 中央郵便局

2014-04-06 | ベトナム紀行

 

聖母教会に続き 隣にある「サイゴン中央郵便局」へ

今までのツアーで 郵便局を改めて 見学したことはないが
 
ここベトナムに来て 初の郵便局見学に 少々疑問を持っていた。 中に入って納得した。


建物がコロニアルスタイルで 内部はドーム型になっている天井のかたちがすばらしく

 アールデコ調の装飾が施され 特に窓枠や天井の格子状が特徴をかもし出している。


ということで 市内観光の名所としても 著名になっている。


 1891年に当時のフランス領インドシナの郵便・電信施設として建築された。

パリのオルセー美術館 (当時駅舎)をモデルにしたといわれ

 鉄骨設計は ギュスター・エッフェル が手がけている。


現在でも 通常の郵便・通信業務を行っており 

ホールの中央部および建物入り口の両脇は みやげ物売り場になっている。


ホールには 現在でも郵便をはじめとして

各種通信・金融サービスカウンターが コの字形に並び


国際電話用の電話ボックスやATMが置かれている。


NHKの「世界ふれあい街歩き」でも このカウンターで 

ボランティアで代筆する やさしそうな老人が映し出されていた・・・

 

 

                         サイゴン市制300年記念事業のモニュメント
                                      「現代の郵便制度に改革した人たち」からの中央郵便局


ベトナム紀行(36) 聖母マリア像

2014-04-05 | ベトナム紀行

 

教会の前の広場には 教会を背に 高い台座に

 ドンコイ通りに面して 「聖母マリア像」が建てられている。

手しているもは丸いものは 何かはわからない?

2005年に“聖母マリア像が涙を流した”と 大騒ぎがあったそうで 

真相は 時の長雨で 像の材料の一部が流れ出て


右目下に 筋がついたものだったそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


ベトナム紀行(35) サイゴン大教会

2014-04-04 | ベトナム紀行

 

 

統一会堂の見学を終え次は 同じ1区にある

サイゴン大教会」(サイゴン聖母大教会)カトリックの大司教座大教会へ。

 聖マリア大教会とも呼ばれ フランスの植民地時代の1863年から1880年にかけて

材 資材を全て本国フランスから取り寄せて建設され ネオ・ゴシック様式の教会。

赤煉瓦で建てられ 
35m 奥行96m 高さ57m


美しい2つの塔が その特徴を現し


内部は
アーチ状の巨大空間が広がり 美しいステンドグラスが


 厳かな雰囲気を漂わせている。


ベチナムには
 カトリック教徒も多く 

休日のミサには 多くの敬虔な市民による お祈りがおこなわれている。

 

 


ベトナム紀行(34) ベトちゃん・ドクちゃん

2014-04-03 | ベトナム紀行

 (「JIET JO」から)

ベトナム戦争といえば このことも忘れられない!

1981年2月 ベトナム戦争で使用された枯れ葉剤の影響で

結合双生児 「ベトちゃん・ドクちゃん」が生まれ 

1988年10月 ホーチミンのツーズー病院で日本の医師立会いのもと

二人の分離手術が 12時間に及び行われ無事分離に

成功したことは 大きくニュースになった。


それから25年の 2013年10月6日 ホーチミン市で 

記念の式典があったとニュースがあった。

記事に寄れば ドクさん(32)は 結婚して双子の父となり

 病院職員として働き

長男は フーシー(富士山) 長女は アインダオ(ベトナム語で桜の意味)と

日本にちなんだ名をつけた。 

なお ベトさんは 手術から 19年後の 2007年に他界している。


このように 戦争の傷跡はいたるところ いろいろな形で影響を与えている。

 

 


ベトナム紀行(33) ホーチミン市博物館

2014-04-02 | ベトナム紀行

 

 

市内1区 リートゥチョン通りとナムキーコイギア通りの

交差点角に「ホーチミン市博物館」がある。


ツアーバスは 通り過ぎてしまったが 屋外に展示されている
 
戦車 ヘリコプター 戦闘機等が見える。


建物は 1886年のフランス植民地時代に建てられたもので 白く美しい。

当初は フランス官僚の官舎だったが

ベトナムの近代史の生き証人ごとく 歴史の波にもまれ
 
その都度 所有者や建物名が変わるなどしてきている。
 
特に ベトナム共和国成立時の大統領 ジェムが

を隠すために使ったことで 有名になったことも。


現在は 市の博物館となって 館内の展示室は9室 それぞれの部屋にテーマがあり
 
フランスから解放されるまでの 写真や武器の展示 

市内の地質や環境などの紹介や 戦時中の様子などが再現され
 
また 通貨の部屋には ベトナムの古コインや現在の紙幣も展示しているとのこと。



ベトナム紀行(32) 4月30日公園

2014-04-01 | ベトナム紀行

 

 

統一会堂とサイゴン大教会の間に

ホーチミン市民の憩いの場となっている 「4月30日公園」がある

珍しい名の公園だが ベトナムの統一記念日が名前の由来となっている。

この公園は、ホーチミンの学生や若者たちの "デートスポット" でもあり

憩いの場でもあるようで 午後になると 自然に若者が集まってくるようだ。


周辺には カフェも並び 中央郵便局や統一会堂 ダイヤモンドプラザなどの

観光スポットにも近い場所にある。



女優・水川あさみが 今年正月放映  BSTV

「ベトナム国道一号線1800キロを 路線バスに乗り継いでたどる旅」後篇で

 同世代の女性と この公園で落ち合って

自分たちの将来について 語り合ってもいた。

 


ベトナム紀行(31) 厨房

2014-03-31 | ベトナム紀行

 

 

地上階には 大きな厨房があり 

シンク レンジ ミキサーなどの調理機器が

 
当時のまま 残されている。


そのほとんどの 厨房機器が日本製で

「AKIMOTO」「HITACHI」「旭硝子」などの標示が見える。

この広さと機器で 何人が働き 名人分の食事を作っていたのだろうか?

また 厨房を見学するのも「ノイシュヴァンシュタイン城」以来かな・・


 

 

 


ベトナム紀行(30) テト攻勢

2014-03-30 | ベトナム紀行

  

前回話題のアメリカ領事館前 レユアン通り脇に

1968年に襲撃された ベトコンの「テト攻勢」の記念碑が建っている。


この「テト攻勢」とは ッベトナム戦争において

 1968年1月30日夜から展開された 

北ベトナム人民軍及び南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)による大攻勢が
 
南ベトナム各地で展開され ベトナム戦争最大の転機となった。

「テト」とは ベトナム語の旧正月を意味する。

当時のアメリカ大使館もその攻勢を受け アメリカ特命全権大使 

駐ベトナム軍総司令官は 辛くも難を逃れたが 

大使館は 一時 北ベトナム軍に占拠されてしまった。


このテト攻勢の時 逮捕された 南ベトナム解放民族戦線の将校を
 
サイゴン市警察長官が 路上で 射殺・処刑する写真が

全世界に報道され 大きな衝撃を与えたが これも覚えがある

 

 


ベトナム紀行(29) アメリカ大使館

2014-03-29 | ベトナム紀行

 統一会堂から一直線に延びる「レユアン通り」に面して「アメリカ領事館」がある。

 

ベトナム戦争中 当初のアメリカ大使館は ハムギ通りの39番地で

ホー・トゥン・マウ通りとの交差点 サイゴン川近くにあった。 

現在は ホーチミン市金融大学(別名「銀行大学」)になっている。

 1969年 サイゴン陥落後は アメリカ大使館は

廃墟同然の状態で ほったらかしにされていた。


戦争は終わっても アメリカは20年間 ベトナムに経済制裁を加えていたが

 1995年 やっとアメリカとの国交正常化が行われた。


その後 アメリカ大使館が ハノイに建設され ホーチミンには1999年

 現在の総領事館が 建設されて 業務が再開されている。

 
今は ビザを求めるベトナム人が多いとのこと。

 


ベトナム紀行(28) ミス・サイゴン

2014-03-28 | ベトナム紀行

 統一会堂の格子窓から 戦車が突入してきた正門・レユアン通りを望む。

 

前回 屋上からの脱出の話題に振れたが このときの様子をヒントに 

ベトナム戦争末期のサイゴンの売春バーで働く

ベトナム人少女キムとアメリカ大使館で軍属運転手を務める

クリスとの間に繰り広げられる物語 ミュージカル「ミス・サイゴン」がある。

この「ミス・サイゴン」 は 1989年9月20日に

ロンドンのウエストンエンドで初演されたミュージカルで


初演から9年9か月後の 2001年1月28日に4097回目で幕を閉じている。


また 日本 アメリカ 含む多くの国々でも上演されて

ブロードウェイではロングラン公演歴代9位に位置づけられている。

 因みに 2008年から6年ぶり 今年の7・8月には帝国劇場
 
その後 地方都市でも上演されるとのこと