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なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

巡り合わせ?

2007-08-16 19:53:09 | Weblog
 この時期になるとTVでよくやる「本当にあった怖い話」とか「ミステリー○○」という類の番組が好きです。・
 この辺りの趣味も家族に言わせると悪趣味に近いらしく、皆でTVを見るならばほぼ私の希望は許されないし、偶々私が先に番組を見ていたとしても、あっさりリモコンを奪われる。
 そうでなければ、皆自分の部屋に引っ込むか、風呂に入るとか、洗濯物を畳みにいくとか・・・TVの前に残るのは私一人・・・それでもこれは幸運な方です
 そういえば、TVの早碁対局、NHKの「囲碁将棋ジャーナル」でも似たような反応があるのだから、家族にとってはオカルトも囲碁も同じレベルらしい
 それでいて女房殿、外で私の知らない所で「オヤジ殿の趣味が囲碁」と言うことが話題になると「いい趣味ですね」と言われて満更でも無さそうな・・・『それは少し変です』
 『本当にそう思っていたなら良い盤石を買ってくれ!』
  更に『新しいパソコンが欲しい!』
 日頃の家族の態度から察するにそうは思っていないのは明々白々
 ともかくもう少しオヤジを尊敬して欲しいものです

 さて初めのオカルトの話題に戻ると
 私も小さな頃は臆病な性格でした・・・いや本当は今でもその頃の尻尾を引きずっているような所もあるのですが、さすがに大人ですから周りに気づかれるようなへまはしないだけです。
 それに”怖いもの見たさ”の好奇心は強い
  5人兄弟の末っ子ですから夏場になると、兄弟たちが末っ子を怖がらせて喜んだものです(私がターゲット)。
 そして従兄弟など遊びに来て泊まると・・・彼は怪談話の語りが上手い・・・ターゲットは当然私
 だからかなりの弱虫だと思われていたから、夏場のイベントのお化け屋敷などよく「連れて行かれた」物です。
 更に日常的な訓練も
  実はそれは他の兄弟のズルなんです・・・お使いなど用事は全て末っ子に回す

 ともかく夜のお使い一番チビの私の専門みたいによく行かされました。
  本家の神社までにはいくつかの”オカルトポイント”があります
 まず東海道線の無人踏切の脇になにやら慰霊塔がある。
  くらい線路脇にひっそりと立っていて
  子供にとっては何処と無く不気味なものです
 その近くには、おばあさんが事故で溺れ死んだ溜池がある。
  昼間は遊び場なんですが街灯などの無い時代ですからね
 暫く行くと真っ暗な田んぼに挟まれた道、道端に農機具小屋があり殺人事件現場
  ココでは絶対に走り出さないことが肝要・走り出すと何かに追いかけられているような恐怖感に取り憑かれます。
 やっと目的地の本家の神社ですが、境内裏から親戚の家まで大きな木が茂ったチョットした森・木の下を通るのですが、実はココは何人かぶら下がった場所・・・
  そんなことで日常生活の中で肝試しをさせられていた。
 今はそういうことに恐怖を感じなくなった・・・
 暗い道が無くなったせいか、人が多いと言うか、番組に慣れてしまったようなところでしょうか。
 尤も、よく息子に言うのは「生きている人間の方が怖いぞ!!」
  年をとって、『ああいう世界があるのなら、自分の将来も保証されている』みたいな開き直りと言うか、期待感に近い
 無くてもいいけれど、あってもいいな

 ところで7連勝のあと1敗
  それはそうですいくら点数が落ちたといってもそうは続けては勝てませんから、何処かで負ける。
 問題はその後ですね
  その対局は日本では南の方の国の人で点数はほぼ同じ・・・と言うより最近はアチラの方が勢いが良い。
 去年辺りから比べるとかなり進歩しているような感じだから、もしかしたら若い人なのかも知れません。
 最も私の年では、周りのたいていの人が若い人になってしまうけれど・・・
 さて対局は全く同点ですから互い先で、運良く半目勝
  
 今ネットには3月以降の自戦対局が保存されています。
 ほぼ半年前のものからで200局です。
 コレは新しいものが入ると古いものが消えて行くみたいなトコロテン式らしい
  ともかくココに保存されている記録では彼の人との対戦成績はコレで10戦5勝5敗となりイーブン
  ところでこの半年間で2度目の「半目勝」だった
  同じ人に半年で2度とは珍しいでしょうね
 10戦の結果の内訳は中押しで決着が6局あるのですから、残り4局の数え碁のうち半分が半目だったというわけです
 何だか相手に気の毒みたいな感じ
  何と言っても私レベルですから、半目は運そのものですからね
 その時の対局でも最後に「結果についての承認」みたいなところで相手は随分慎重に時間を使ってからサインアップでしたから、慎重なのは勿論、何処かに計算違いがあったか心残りがあったでしょうね。
 
 さて棋譜記録200局を見てみるとこのうち119局が中押しで決着がついています。
 そのほかに数十目差と言う、何らかの事情で最後まで打ってしまったものが3局
 相手の時間切れによるものが2局
 だから実質数える碁は76局と言うことになる
  この中で1目半とか2目半以内となると更に少ないはず
 結局半目勝は全部で4局あった(半目負けが無かったのは運が良かったのか?)
 出現率2%・・・お化けよりはよく出る
  しかも先ほどの人だけで2局あるから、それは彼が運が悪かった?
   私が特別運が良いという種類の人間ではないはずですからね。
 ともあれ結果オーライですが何だか充実感があり、嬉しい勘違いをさせていただけます。
 反対の時は孤独な反省会が・・・何と言っても半コウだって勝負に直結しているのですからね。  

ただの下手イジメか?

2007-08-15 18:14:14 | Weblog
 先日昼休み囲碁仲間のFさんが所要のため当分お休みなので、久しぶりにKさんの方から声が掛かりました。
 1ヶ月ぶりくらいだろうか?
 彼は性格が穏やかと言うか、他人に気を回しすぎると言うか、遠慮しすぎるくらい遠慮深い・・・コレも問題ではあるかな?
 私は仕事は消極的ですが食べる事と遊ぶことには積極的。
 彼も趣味の遊び事ですからもっと自己主張しても良いと思うのです・・・もしソッチで”過ぎる”のなら当方も遠慮なく言うし
  まずは対人関係の遠慮
 私に対しての、碁に関することだけで気がつくこと
  彼は昼休み私に5子で確か1,2勝で負け数はかなり・・・だから白の私に
「あまりたくさん置くと白がつまらなくなるでしょう?」とか
「あまり黒が弱いと白はつまらないでしょう?」と言う風にKさんは考えるのです。
  5子で黒さん思うに任せない無いのなら6子でも良いのに、石が多すぎると迷惑をかけると言う風に考えてしまう。
 彼だって5子で勝率が悪くて面白くないのかも知れないけれど・・・
 この辺の心理は微妙で私から何かできることがあるかな?
 ともかく何子でも楽しいとか、彼自身のためになりそうなら、私のことなど考える必要は無い。
 それとも何か感じさせてしまうものがあるのかな?・・・
  
 ともかく今日は彼と私しかいないのだから、5子で対局
  そこで第二の問題=遠慮に関するデス。

 碁の内容で性格が現れると言いますが、盤に向かうと普段の感じと180度変わる人も居ます
 隠れた性格が現れると言うか・・・
  アノ紳士がと思うほど穏やかな常識人が、石を持った途端に人が変わる。
  ハンドルを握ると人が変わるとか、アルコールが入ると別人になる怖い人も居ますね
 月夜の狼男さながら、経済学者だって盤上経営で破綻します。
 ところがKさんは普段の穏やかな性格が盤上でも増幅されてしまうから、5子の優位性は見る見る失われてしまう
 白(私が)余りに厚かましいので、呆れているうちに局面が進んでしまうと言う感じでもあるかな?。
 ともかくおとなし過ぎ!

 生活上でおとなしいという事は良い事の部類ですが・・・
 ところがこのKさんもFさんとの対局では決しておとなしくは無いそうです。
 何と言っても”くんずほぐれつ”のバトルを一晩に10連戦はやるのですから
  という事は私のとの対局は”猫かむり”か何かの勘違い?
  ともあれ棋力的に近い相手には力比べ、反面上手には超従順になるらしい
 局後「おとなし過ぎますね」と感想を言うと
 「もっと戦わないとダメですか?」と返ってきました。

 端的に言うとその言葉通りですが、非常に誤解されやすいので説明の必要を感じたのですが、一瞬説明に詰まりました。
 戦うと言うことではFさんとの碁は戦いに継ぐ戦いでしょうから、「戦い」=いつもの対局での戦いをイメージするとしたらコレは少し違いそう。
 5子の置き碁ですから黒は敢えて戦わなくても、優位性を保てばいいだけの事、まずは部分的には5分に近い別れを計り、全体のバランスに気を使う・その上での戦いの姿勢を説明したいと思うのです。
   これは消極的だと思いますか?
 黒に上手く打たれれば、白は碁にならないから、少々無理をしたり変化球を投げるのです・・・その時が問題なのです。
 白からエサ・ワナ・隠し玉いろいろあるでしょうが、黒としては無理手・無茶手など許さないと言う態度で打てるかどうか?
 その前に白からの悪手を見破れるか?、あるいは感じられるか?
  この辺の呼吸が大事ですね。
 冷静な外交と、いざとなったら断固戦うと言う意志・・・そういうことを念頭に打って欲しいと・・・言ったつもりですが・・・分かってもらえたかどうか

 さてKさんとの雑談で、Fさんは何処かで○段の認定を受けたとか
 認定と言うのが、あるグループで○段格を認められたと言うことなのか、棋院支部の推薦で免状を受けたのかは定かではないのですが、どうも話の様子では後者らしい
 という事は私には黙っていたのですが、彼は何処か、例えば土日祝などで打つ場所がありそう。
 だから私ごときに5つも石を置くのが不本意だったでしょうね
  彼の段位に+5いやそれは有りえない
  少なくとも今は4つで勝ったり負けたり
    そうそう、置石を段位の物差しにするのは少々危ない感じがしますね。
  一対一の置石関係では、それらが正確な距離感とは思えないのです
   しかも石が多いのは分かりません、まずまず正確そうなのは3子からでしょうね、後は分からないというのが感想です。
 そして私の場合は、多分Kさんから見たら”下手イジメ”、良くても”下手こなし”だと思われているでしょう。
 ゴマカシ上手なジイ様と言うところだろう。
 もっとも私の方はまだ”勝負碁では無い”と言う気分で打っているつもりだが、Kさんは「白はよく考えている」と言います。
 つまり「勝ちに来ている」と思っているのでしょう・・・が、勝に行くのと真剣に打つのは似ているけれど少し違うと思う。 

薬があっても

2007-08-14 17:48:07 | Weblog
 その朝出勤して事務所に入るとなにやら怪しげな空気。
 案の定悪い予感が当たり
 同僚のご家族が先週末にお亡くなりになっていました。
 まだまだお若いのに・・・「薬石効無く」とあるから何か病気だったらしい。
  合掌
 私にとって対岸の火事では無いです
  病中閑有り!お金と健康は無く暇だけは余っています
 朝目が醒めた時の日課がその日の薬の整理なんですから・・・
 朝・昼・夕食後の薬、寝る前の薬、更に常時使用するもの、急なときに使うもの、薬が効きすぎた時に用いるもの・・・全く
 全部を持ち歩いて、食後に出していたらかなりの荷物になってしまうから、その日の分を小分けして置くのが日課です。
 中には薬ではなくて健康食品みたいなものもある・・・イワシだかオリーブのオレイン酸だかの肝油みたいな粒。
 ともかく朝は全部で11種類もある
  これらの薬のおかげで、まがりなりにも仕事をしながら生活していることになるからまさに”生きている”ではなく”生かされている”がピッタリ。
 罰当たりついでに、仏様にではなくお医者様と薬のおかげでと言う事になりそう

 定期的な診察、検査、薬代金はバカになら無い額
  今は社会保険様サマですが、将来についてはまさに”年金問題”です
  もし薬代が払えなくなったらなんていうのも恐怖です
 但し「受給資格まで生きていられるかどうか」鬼が嗤っているかも知れません
  
 ところで薬は対症的にキメ細かく効く薬があるらしい・・・
  そんなに進歩したのですから頭のよくなる薬だってあっても良いと思うのだけれど・・・
 ひところスーパーの魚売り場でエンドレスに流れていた「サカナサカナサカナ・・・頭がよくなる・・・」は誇大広告らしく自粛?
 でもいくらか効果があるかもと期待したい。
  何故って、イワシの油代用の肝油を朝晩飲んでいるのですから有り難い副作用!、サカナ・多分青サカナのイメージで頭が良くなるのだったら、肝油だって効果があるかも知れない!! 便乗的なご都合主義的願望

 そういえば筋肉増強剤と言うものがありますね。
 コレはドーピングに引っかかるとか引っかからないとかの開発と検出のイタチゴッコみたいな所がありそう
 発覚すれば資格が剥奪され、その世界から追放されかねないのですが、何としても人に差をつけたいという願望でしょうか、こういう事件は後を絶ちません
 アスリートのモラルと薬の魅力の狭間で揺れているのかも
  例えば美容整形とか鬘などは”ズル”的な感じはするけれど、他人に迷惑をかけていないと言う点で黙認されているでしょうか?
  自分の責任でやる分にはと言う意味で・・・
 髪の毛を染めたりピアスだって似たようなものと言うことでしょうね。
   ところが例の薬は”ズル”そのもの
 但しこれらの薬は飲むだけでは効果が少なく、人一倍のハードトレーニングをしないと効果が出ない・・・そこまで聞くと”ズル”とはいえ涙ぐましい努力ですね
 そして発覚すると犯罪者扱いですから

 ところで頭がよくなる薬が開発されたら、少々高くても親は必死で手に入れようとするだろうな。
 その薬で自分の子供の将来が決まるみたいに必死になったり
  但し、ハードトレーニングをこなさないと効果が殆ど無いものだったら・・・
 ついでに”碁が強くなる薬”も開発してしまおう(どうせ空想ですから)
  これまたトレーニング無しで服用しても効果が無いだったら、コレは結構ブラックユーモアになりそうな気がします。
 
 世の中お盆休みの会社が多いのですが、当方はカレンダー通りの勤務
  休みたければ年休を使えば良いのですが、周りとの調整があるから今年はまだ3週間分も残っている・・・
 愚痴はともかく、お客が来ないことには仕方が無い、電話も無い、何にも無い居眠りしているわけにもいかない。
 勿論囲碁の本カンニングも出来ない
  またまた空想の世界へ行くしかない。  

6連敗・7連勝

2007-08-13 17:53:57 | Weblog
 飛行機で言うとエアーポケットとでも言うのでしょうか。
 先月から今月にかけて6連敗を喫していたのです。
ホンモノの方は一瞬で2,3百メートル動くのだそうで、通路を歩いていたりすると天井にぶつかるとか・・・こちらの方はそこまでのエネルギーはないし事故でも無い、気流みたいな外的要因は無い
  もっとも仲間みたいに思い込んでいた相手がやたらと実力を発揮すると言う迷惑なことも無いでは無い。
 とは言いながら、たいていは自分が原因で自分が被害者の人災みたいなもの
  コレは中波くらいの大きさの波でしょうか
 尤も、6連敗の前にも5つくらい負け越しているから・・・例えば5勝10敗みたいに・・・だから短期間に11は累積の負け越し、コレはチョットした大波の部類ですね。
 タイゼムでは勝率が問題ですが、ココでは”決算”がプラスかマイナスかで上下します。
 いつもですとコレくらい負けるとかなり悲観的になる
 「もう年だから下がるしかない」とか「十年一日ワンパターンだから手も無く捻られる・・・」などとなる
 マア、ザル碁キチですから「いっそ止めようか」だけは無い
  気持ちが弱いようで案外しぶとく強い?・・・いやしつこいだけ?
 今回は不思議とそれほど悲観的な気分にはならなかった
  お馴染みの名前の方たちも結構点数の変動が見えるから、もしかして点数が流動的になっている・・・<点数の液状化現象?>そういう事があるかどうか知りませんが。
 ともかくめげずに「再出発」「出直し」「立て直し」みたいな気分です。
  実際には若くは無いから相当苦しいですけれど、ともかく何かの対策らしきものは必要です。
 取りあえずネットの棋譜倉庫にある自分の棋譜の再点検から取り掛かりました。
  よく「負け碁のほうが勉強になる」と言います。
 その通りだとは思うのですが、「負け碁」を見直すとき「こうやれば良かった」「ああすればこれからの碁だったかも」と反省点は多いはずですが、ややもすれば自分勝手な反省に陥りやすいような気もします。
 もし局後に相手と並べ直して「こうすれば良かった」と言えば「それならこちらはこうやる」となる筈。
 という事は自分からの反省点は見つかるかもしれないが実はそこから先はわからない部分もあるのですね。
 それにコレだけ負けて、負け碁ばかり並べていると本当に気持ちが暗くなる・・・この辺のバランスが難しいです。
 
 今回は大波の底のほうで喘いでいることでもあり、勝った時の碁を並べてみました。
 同じくらいの相手との対局で出来るだけ僅差のもの特集
 並べるのは棋譜倉庫から呼び出して、「一手進む」をクリックすれば自然に再現されるのですから、コレは手間は要らない。
 ただ自分の碁を再度見るのに耐えられるかどうかだけです。
  先ほどの「負け碁」特集では暗くなり、今度は「勝碁」特集では明るくなるとしたら、それだけで良いか・・・良い筈が無いですね。
 絶不調ですからこれ以上暗くならないようにと言う意味です。
  ですから「勝って兜の緒を締めよ」ですね  
   つまり勝った時にすぐやらなければいけないケアを遅ればせながら今やっているわけです。
  
 それでパソコン上で再現するだけではあまりにも安易過ぎる気がして、パソコンで再現しながら手書きで棋譜に書き取っています。
 更にそれを別の棋譜管理ソフトに打ち込む予定です
  全く手間がかかる
 実は自分の参加しているネットの棋譜は印刷できないみたい
  変だな?パンダでは出来たのに 
  プロの碁や他人の碁も含まれるのですから制限されているのだろうか、でも自分のは・・・相手の了解が要るのかな
  ということで別のソフトに写してプリントしようと考えたのです。
 もう一つ情けないことに、そのソフトに転送することが出来ればそういう手間は無いでしょうね
 但し、”手間がかからない事が良い事”かどうかが難しい所。
  結論はどちらが自分の為になるかでしょう
   『どっちでもたいしたことは無い!』
   正解!ですが『それを言っちゃーお終いよ!』

 それでも僅差で勝った碁の如何に危うい勝ち方なのかがよく判りました。
 やらなくていいことに手を出し、大事な所を放っておいて・・・全く実生活そのものです。
 結果半目の碁など、随分良い碁を損に損を重ね行き着いた先が”半目”で、よくマア残ったものだという碁だったり、同じ半目でも何処で勝敗が別れたのかハッキリしないしないのがあったり・・・
 以前知り合いが「碁は運、麻雀は実力」と茶化していたのを思い出します。
  勝敗を争っていると言うより、どちらの運が良いのか「運」比べです
 一つ言い訳みたいな話をすると
  勝碁とは言え時間が経つと、ただ「勝って嬉しい」より、もう少し客観的に碁盤が見えるような気がします。
 そういう意味では「負け碁は直ぐ並べて見て気持ちをサッパリさせる」「勝碁は時間を置いて振り返る」・・・
 ともかくこういう事が効果があったかどうか、現在7連勝中
  大波で沈んで、中波で少し浮きあがった所。
   勝ったり負けたりなら良いのですが、「相手が勝ったり、私が負けたり」(落語の花筏)にならないように・・・

出来たらいいな

2007-08-12 17:02:42 | Weblog
 やっとJリーグが再開。
 全く待ちに待ったと言う感じです・・・たいした中断期間でもない?
 いや40日間は長いです。
  スポーツの性質上、選手のコンディションを考えればもっと長くオフでも良いとも言えますね・・・自分ではこの暑い夏の最中スポーツはおろか体を動かすのも嫌なんだから勝手なファンです。
  休みの間にもアジアチャンピオンとか、U22四カ国対抗とかコリアピース、なでしこジャパンなどなどあったのですが、私はやはりJを見るのが好き。
 それにスカパーとのJ1契約だとこの間何も見せてもらえないのに月会費だけ取られたという「ぼったくられ感」が強い。
 まるでもっと見たければ「J2」「総合」みたいな追加契約をしろと言わんばかり・・・マア愚痴ですね、イヤなら止めればいいんです。
 ところでそのサッカーの試合、特に中国瀋陽での4カ国対抗は酷かった。
  確かに中国東北部では日本に対して独特の感情はあるでしょう。
   国全体でそういうムードもあるでしょう、それは戦後60年以上経っても仕方の無いことだとは思う、しかし
 スタジアムの5万人の観衆と審判が一体となったような・・・
 アレはスポーツを楽しむのではなくて、何でもいいから日本が負けるところを見に来た観客です・「他に楽しみは無いのかと悪口を言いたくなるような観衆」その数5万人。
  そこまでやるなら日本を招待しなければいいのに・・・「呼んで置いてコレかよ」だった。
 ホスト国の義務など関係なく、全試合自国審判だとか、自国を優勝させるためのシナリオを感じたし、選手たちも審判がファールを取りやすいプレーをしているように見えた・・・身びいきだとは言い切れないと思う・・・。
 そういう意味では開催国が自国民に見世物を提供し、「被招待国」は協力したと言うことでしょう・・・いつも日本は敵役で登場します。
 「ホームの有利性」を言うなら、”スポーツにおけるルールとは”から議論しなければいけないでしょう。
 いずれにせよスポーツのこういう面ではあそこは経済発展はともかく後進国なんだと思うしかなかった。
  
 サッカーでは判定に対する抗議は極端に規制されています。
 ルールの解釈上のことしか許されていない、そこは野球とは全く違う
  だから判定の疑惑があると途端に白けてしまいます
 そういえば日韓WCの時も疑惑の判定が多かった・・・
  サッカーだけでなくプロボクシングは言うに及ばず、過去の冬季オリンピックでショートトラックの失格判定などスポーツ大国を自任している国だって相当身勝手な所がある。
 尤も体操やシンクロ、フィギアスケートなどの採点協議では多かれ少なかれ”ありそう”なのが常識?
  柔道などの判定も「国際基準」と理解すべきか「意図を持った判定」あるいは単に「審判のレベル問題」なのか難しい。
 そこへ行くと囲碁将棋、イヤたいていのボードゲームにはそういう判定システムが無くてよかった。
 マア厳密に言えばリアルでは、どちらかの本拠地で対戦すると言うことがあれば多少の有利不利はあるだろうが・・・ 
 まさか招待棋士のホテルの部屋でエアコンを止めたり騒音作戦はやらないでしょう。
 国内でも江戸時代の家元同士の争いでもそこまで露骨なことは聞いたことが無い  ともかく盤上ではそういうホーム有利な石の動きなど無いのは当たり前です。
  (坂田栄男九段が子供時代に「時間攻め」で苛められた話は有名ですが、アレは「醜い」作戦ですね)
 
 マア、そういう意味で盤上の出来事は全て自分の(あるいは相手との共同の)責任なわけで、この厳しさと言うか潔さが好きですね。
 コレならもしも観戦している人から厳しい事を言われようと、自分で納得できることなら逆にありがたい言葉となる。
 ネットでなら、そういうブーイングも聞こえないわけです
  
 今参加しているネットはほぼ国内の会員しか居ない
  北海道から沖縄までの会員と楽しんでいますが、ネットですから本来在住する県は関係ないのですが、それでも自分の出身県の人とか、自分の住んでいる県の人と対戦したり、対局を観戦すると何だか嬉しくなる。
 ただそれだけのことで、不思議だけれど嬉しくなります。
  そういう意味で、入場者リストで「名前」「住んでいる都道府県」「戦績」が出ているのは大事ですね。
 名前だけなら、「ああそういう名前」と言うだけで、殆どは知らない人でしょうから
  ところで最近自分の住んでいる県の人と当たることが多くなりました。
 戦績からすると新入会員さんらしい・・・嬉しいことです。

 そこでネットの機能と言うか、会員紹介あるいは対局相手の紹介でこういうのもあったらいいなと考えたことがある。
 別のもう一つある実名ネットでは顔写真があるような話を聞いたことがありますが、そこまでは望みませんし、自分の顔が出ているのは逆に恥ずかしくて?打てません。
 タイゼムみたいにイラストとか写真を出せるのもありますが、定型から選ぶか、本当は誰の顔写真かわからないような・・・これも自分のマークみたいなものでしょうから、これらはお遊びの域を越えないと思われます。
 私のあったらいいなは
  現在戦績のトータル表示を細かな数字にして欲しいということです
 「トータル表示」のみ→「今月の成績」「今年の成績」「トータルの成績」の3つに増やして欲しいこと
 入会してどのくらいの人とか、入会した時の設定点数と現在の違い、今の調子など想像できます。
  それと顔写真ではなくて対局者の「一言コメント」を名前の下に貼り付けたらどうだろうか?
  相手がどんな人かとか、どういう調子とか「想像できる」と言うことが大事だと思うのです。
  何がどう大事か上手く説明できないのがもどかしいのですが
  もし「実名」ではあるけれどそれだけならば、余程有名な方以外は実名も記号も変わらない・・・
  名前も記号の一種には違いないけれど
  もう少し「こういう人らしい」と言う虚像であっても想像できる材料があったら楽しいし、それが個人情報で個人が不利益を蒙らない範囲であれば是非是非
 コメントは入会した時に書いてそれっきり同じでは無く、毎月書き換え可能みたいな・・・結構年令が高くても(私もそうですが)ネット愛好者ですからそれは出来そうです。
  「実名」は「マナーを守ってお互い気持ちよく打ちたい」という自己抑制には効果が大きいと思いますが、そこからもう半歩・一歩前進させて欲しいな

 実はネットから「数ヵ月後に年会費引き落とし」の案内状が来ていて・・・
  サービスが増えると嬉しいのにと考えていた。 

言えない事もある

2007-08-11 16:34:13 | Weblog
 ここ数ヶ月悩まされている・・・少しオーバー・・・気になるパンフレットがあります。
 自分の勤めている事務所がどんな仕事をしているのかをPRするもので、新年度のものがこの春配布されました。
 管内の地図とか計画の進展状況などが出ていますから自分の課以外の・事務所全体の仕事を知るのには良いガイドラインでしょう。
 もっとも今年度も続いてここに居る職員にとっては「パラパラ」お終いみたいなものでしょうか。
 コレは外部の方のためと新任・転勤者用ですね。
  ところでその今年度のパンフレットで「間違いと断定は出来ない程度の間違い」を発見してしまいました。
 間違いと言うか、解釈の違いと言うか・・・
  それは2枚の写真の説明
 1枚には「○○から見た左岸風景、もう一枚は「○○からみた右岸風景」とある
 私がこの事務所に転勤する前にこの川を管理する事務所に居たので良く土手上の管理用通路を車で走った馴染みのある風景・雑木林から飛び出した高層マンションとか、川沿いの田んぼにその向うの小高い岡・・・見慣れた風景なので左右が違うことに気がついた。

 左岸とか右岸とかの言葉に馴染み出ない人に少し説明すると、川の上流部から川下(海方向を見て)右側が右岸、左側が左岸となります。
 ところでこのパンフレットの川は人工的に作られた部分があるので普通の川に比べると少し複雑です。
 途中に排水機場(大きなポンプ場)があってその向こう側の水が多すぎるとこちらにくみ上げて流します。
 ですからココがまるで分水嶺です。
  ココから水を流す方向を見ると右岸左岸がはっきりしますね。
  ところがこの排水機場の向こう側の水は自然状態ではアチラ側に流れて別の海に注ぐ・・・したがってココで右岸左岸が入れ替わる!
 コレが常識的な解釈なんですが、人によっては全ての川を1本の帯と見て右岸左岸を表現する人も居る・・・この場合向こう側に住んでいる人とこちら側では表記が入れ替わることになる・・・
 昔小学生の夏休みの宿題で川を調べているこどもから質問の電話を貰ったことがある・・・その際その事務所では内部的に統一見解を確認し、関連市とも話こどもにも解答した・・・そういう場所なのです。
 どうでもいいようなことを大げさでしょうか?
  解釈の差なのか、本当のミスなのかわからない・・・もしかしてこういういきさつなど考えても居ないかも知れない。
 判らないけれどこのパンフを編集した人の立場を考えると言った方が良いのか、言わない方が良いのか・・・
 「そんなことは先刻承知だ!!」と叱られるか。
 顔を潰されたみたいな嫌な顔をされるか・・・感謝されることは無さそうだから自分から唐突には言い出し難い。
  余程自然にコレが話題になるタイミングが必要ですね
   でも気になって(地下鉄漫才ほどではないけれど)

 そういえば碁にもこういうのってありますね
 自分の予想と全く違う進行になった場合・・・それが相手のミスなのかあるいは自分の思い違いがあったのか・・・何かの考えに基づいての手なのか判らない場合。(自分の手が自分で思った以上に良い手なんて事はめったにないし)
 そこを断定的に指摘したら、相手の信念に基づいた「思わぬ反撃」を食うかも知れません(感想戦ですが)

 昔は小目にかかる方向とかカカリにつける方向とか「常識」が幅を利かしていました。
 ところが今は研究が進んだせいか「どちらもある」と言う風に変わったものが多いですね。
 それなら何でも有りかとも思って筋悪も大手を振って歩けるでしょうか?
 昔、星の石に対する両小ケイマカカリで、普通なら強いほうにつけるとか、攻めたい石の反対側につけると言う所を趙治勲九段が大方の予想と反対側につけたことがありました。
 コレがコロンブスの卵だったようで、「趙治勲だから許される掟破り」から「常識にとらわれずどちらも考えられる」と言うものが多くなった。
 したがって「ありえない手」は少なくなった?から、断定的にものを言うのはとても危険なことで、「もしこう打ったらどうなります?」と批判ではなく質問が多くなったような気がします。

 元々私は「感想」で弱きですから断定的な発言は出来なくて「質問形式」が多かったのですが・・・コレだと少なくとも相手を怒らせることは無いでしょうね

 プロだってこの辺りの見解の相違が微妙で全員が同じ考えと言うものと逆に全員が違うと言うものがあるらしい・・・尤も私らのはもっと別のレベルではある
  先日izuizuさんのブロブに書き込ませて戴いた局面、いかにも「厚みに近づく」悪手に見えるけれど、ココを控えて打つのは「自分らしくない」と言う気持ちでした。
 善悪は判りません・いや自信は無いのですが、自分らしく無い手も打ちにくいものですね。
 そういう意味ではブログ主さんの棋譜ですから彼らしかったのかも知れませんからそれもまた善悪ではないのかも知れません。
 要するに自分ならこう打ちたいという感想ですね。

 アマチュアレベルで善悪を言うのは難しい
 それはプロにお任せして、どう打ちたいかを考えます。
 結果は夫々についてきますから、勝ちたければ勝率の良さそうな手を選べば良いし、気持ち優先で打つのもあり(アマ・ザルなんですから)だと思うのです。

謎の転入生

2007-08-10 18:57:18 | Weblog
 謎の転校生をもじりましたが、本当は30代に見える新職員です。
 それも中途の新規採用ではなくて、急遽送られてきた人
 先々月は病気のため長期急用の末退職した人が居ました。
 と思ったら、先月は若い職員が急な死・仲間と飲んだ翌日再び目を醒まさなかった。
 彼ら自身の無念さと残された家族の悲しみは察するに余りあるのですが、ともかく職場としては現実に欠員2名でした。
 言い方が我ながら冷たいのですが、コレが私のキャラで気持ちまで冷たくはありません・・・言い訳がましいですが
 
 先週事務所の窓口に両手に重そうなペーパーバッグを抱えた人がやって来て「○○課に来たのですが」と汗をかきかき
 私は何も聞いていないものですから「お客さんですよー」
 彼が補任の転勤者でした。
 それでその日は挨拶のみで、彼は夏休みに突入・・・したがって昨日が初出勤

 私は今年の4月に転勤してきたので、年令はともかく約三分の二は先輩で、三分の一は同期、この事務所での後輩はアルバイトの女性2名だけでしたが、コレで後輩一人。
 イヤそれがなんだと言うわけではないのだけれど、「アレはあそこにあるよ」とか「業者の弁当は3種類あって」とか事務所の周りのお店のこととかを教える程度の先輩風ですが。
 別の課に配属ですから遠くに背中が見える程度ではあります。

 さて気になる転入生、最大の関心事は「彼は碁を打つかどうか」です。
 仕事の能力は他の課でもあり当方は一切感知しません。
 性格が少々明るいか暗いかなども問題外。
  ひたすら昼休みの1F休憩室の常連になるかどうかです。
 昼休みのアノ部屋の常連は囲碁3名、将棋が2名、それにひたすらゴロ寝TVが1名・・・マア囲碁将棋で言うと約20名中5名・・・確率25%
  これは民間会社から見たら確率は高そう
  但し教員の世界よりは少ないかも
 ともかく新人に期待するわけです。
  顔だけ見ると打てそうなんだけれど「そんな顔あると思います?」
   仮に打てなくてもいい、その場合は彼の斜め前のFさんの出番でしょう
  巧みに誘って新人をゲットできるかどうかは彼の腕次第、責任重大

 ところで昨日の昼休み碁はお休み
 いつものメンバーが私以外は仕事が長引いてしまいました。
 昼休み・12時になったとたんお客が居なかったので事務所は一斉消灯
  かなり薄くらい状態で、お弁当タイム。
   私の好みではこの明るさで許せるのはキャンプの食事くらいでしょう。
  この電力節約で年間いくらになるか・・・それより気持ちよくお昼を食べさせて欲しい。
 もっともPさんと言う方がいれば、彼女は窓のブラインドを開けて歩くからかなり明るさは確保できます。
 昨日は彼女はお休みで、男連中は面倒くさいのか、ブラインドを上げることでエアコンの効きが悪くなるのを懼れているのか・・・

 お昼の弁当を食べてもまだ45分もある・・・結構長いですね。
  家から持ってきた棋譜管理ソフトをデスクのパソコンにダウンロードして、いつも持ち歩いているリムーバブル・フラッシュメモリーを接続。
 かなり前の対局を再現しました。
  もう半年は前のものです
 運よく勝たせてもらったのが良く判り、冷や汗かきかきでしたね。
  時間が経った碁は相手の立場に立って考えやすいのか、自分の碁ですがかなり客観的に見えるような気がしました。
 勿論レベルは言わないで下さいね。
  何時だって「私なり」という括弧つきです。 

 

出会った人

2007-08-09 18:16:11 | Weblog
 タイトルからして女性と出会ってロマンチックな・・・ンなことは無いか・・・ならば「出逢った」と言う字で書きたいところですが「出遭った」に近いと非難されるでしょうね。
 山の中で熊笹を掻き分けて現れ出でた・・・私の方が熊ですハイ。
  さて”であった”方々はロマンチックとは縁がない面々、私にとって囲碁を通じての出会いで、全国区で有名な人たち(有名でもプロ棋士は当然囲碁界では有名ですから入りません)。
 何度か話題にさせて戴いた方々ですが(お一人は元気で活躍中ですが)、鬼籍に入ってしまった人もあり、この時期になると一層懐かしく思い出されるのです。
 
  でも湿っぽくなくミーハー的に、マイ囲碁関連有名人ベストスリー
 なんと言っても1位は過去現在トータルでのマスコミでの露出度から言って、かつて胸にバッジをつけて絨毯の上を歩いていたあの人でしょう。
 昔からやりたい放題みたいなところが”売り?”みたいに見えていたが・・・現在は年令もあり口だけ言いたい放題かも。
  ところで、碁は以外や以外本格的な碁を目指しているように見えました。
 勿論ザル碁レベルでの話ですから話半分以下に聞いてください。
 ”言いたい放題”の割には乱暴はやってこない。
 強いとは思えないのですが、割合土台がシッカリしている分なかなか崩れないしぶとさがありましたね。
 見るからにギャンブル好きなところが、囲碁では「勝負勘」みたいなところに発揮されていて、ここぞと言うときには力強くやって来ます。
  実際には私は3局程度しかお相手していませんが、気に入りの相手との碁はかなり拝見しました。

 2番目はアノ爺ちゃんだろうな。
 ピー缶のヘビースモーカーでした。
 彼は作家でしたから名前を知っている人は全国的に居るはず・・・但し私が読んだ本では地方色の強い題材だったから、一般的には県内では知られているかも知れないが、全国的にはかなり苦しいかも
 そうそう地方紙には連載もあったし。
 尤も題材が若い人には受けそうも無いからその点も割引かないと
 囲碁のほうは超早見え早碁だからミスも多いし・・・でも投げっぷりも良かった。
 囲碁歴は長そうだから、嵌った時の破壊力は相当でノータイムでビシビシやって来るから閉口してしまいます。
 こちらが投了すると、ニコッと笑顔が良かったです。
  本当に可愛がってもらいました。

 囲碁に関してはこの人がナンバーワンでしょうね。
  残念ながら鬼籍に入っていますから、追悼を込めて・・・
 囲碁的なお付き合いはありません・・・が何度もお見かけして、こちらからは一方的にお馴染みではあります。
 TVでの有名人を”知っている”と言うに近いところもありますが、同じ時間に同じ部屋の空気を吸っていたという、本当にかすかな縁ではあります。
 この方は私が常連だった碁会所のすぐ近所に住んでいて、子供の囲碁指導に熱心でした。
 熱心とは言っても、最晩年に近いこともあり頼まれれば指導する程度にせざるを得なかったかも知れません。
 それで偶に小学生を連れて碁会所にやってきまして、「借りるよ」と声を掛けて明るい窓際に席を取ります。
 この「借りるよ」の顔パスが凄いところです、ごく自然に出ますからね。
 先生は子供と盤を挟んで座りますが対局ではありません。
 小学生が最近打った碁を並べて、時々意見を挟む・・・そうアノ秀行塾の感じでしょうか、アレのマンツーマンスタイル。

 そういえば恥ずかしいことにこの先生は映画人でもあったらしい・・・イヤパソコンでの検索ではそうなっているから間違い無さそう・・・でもこの頃は私はそれを知りませんでした。
 ただ囲碁の強い人、昔新聞棋戦に観戦記を書いていた人、子供の指導に実績のある人だと思っていた。
 検索の結果では先生はかつて白烏人として朝日プロ十傑戦やアマ十傑戦の観戦記を書いていたとある。
 すると私が何となく毎日見ていたのが朝日新聞だったから、もしかしたら読んでいたことになる・・・そういえば”白鳥人”・・・

 さて秀行塾の話を引き合いに出しましたが、この方は親交があったらしい
 と言うのは自分が指導した小学生を秀行門下に送り込んでいる。
 三村智保、森田道博、それに高尾紳路(敬称略)。
  彼らは市内の大きな囲碁センターで毎週土曜日に指導を受けていたらしい
 * そういえばそこは私のお師匠さんK畑さんのかつてのホームグランドでもあったはず・・・だから「俺も紳ちゃんを鍛えてやったことがある・・・」なんて威張っていた。
  話は戻ります。
 町の碁会所ではありますが、一隅ではあるけれどピンと張り詰めた空気があると、全体の雰囲気が変わります。
 実際には先生が場所を借りているのだけれど、皆が先生の指導の邪魔にならないようにいつもとは違って猫を被って打っています。
  良いお手本は大事ですね。

そうそう、このとき教わっていた彼は全国大会では活躍できずプロにもなっていませんが、囲碁を続けていることを願っています。
 アマの大会でも名前を見かけないので心配していますが、プロになった先輩みたいにはいかなくても、碁を続けることも大事なことだと思うのですが・・・
 
 
 

私の助走期間

2007-08-08 17:26:52 | Weblog
 夏休みと言えば少年少女囲碁大会
 この大会を経験してプロになった棋士が大勢居ます。
 院生制度もありますが、将来が海のものとも山のものともつかない少年時代にいきなりプロ棋士の内弟子にしたり、通い弟子にしたり・・・親が大の囲碁ファンだったり、親が棋士ならばそれもあるとは思うけれど、そういうのは本人より以上に親の方にも相当な覚悟が無くては出来ないでしょうね。
 棋士の弟子とか、プロ棋士のもとでの院生修行はあるものの、嫌になったらとか、上手く行きそうも無けれやめればいいとそうは安易には考え難い分飛び込むのは大変でしょう。
 そこへ行くと、こういう大会の実績とか、そのときの評価によってある程度の見通しらしきものも見えそうな気がします。
 プロの目から見た現在の力と、将来性も含めたものと
 そういう意味ではその部分は底辺が広がったようです。
 (もっとも見通しを立ててからやるのが100%いいかどうかは判りません)
 
 その意味でも良い時代ですね、私の頃には少年大会とか、子供向け教室などは無かったのですから。
 もっともあったならどうなったとは言えませんが・・・
 少なくとも接触可能な範囲で囲碁を打てる大人が居たら随分違っていたかも知れません・・・まさに人生にモシモは無いですね。
 但し棋士になっていたなんて大それた事ではなく、今よりは1、2目強くなれたかも知れないと言う程度ではあります。

そんなことで、囲碁の事は全く分からない少年時代・・・と言っても毎日毎日新聞の棋譜を見て数字を追いかけて、(小学生ですから)判る字だけを拾い読みしていても何となくゲームの流れみたいなものが見えてくるのですね。
 門前の小僧は習わぬ経を読むのです。
 但し何となくです・・・続いた所を見るとつまらないという事は感じなかったようです。
 この時期が私の囲碁助走期間ですね
 小学1年から初めの1局目を打つ中学1年までの間が助走期間前期
 そこから大学に入ってから2局目を打つまでの間が後期でしょう。
  更に大学で後輩相手に打っていた頃から囲碁道場にお世話になるまでが迷走期
  名前は無いけれど<碁会所で段になるくらいまで>
        <プロ棋士に打っていただいたり、高段者の碁に触れてから>
        <教室のお手伝いで棋譜取りなどしてから>
  などなど自分なりには<マイエポック>があるような気がしています。
 
 さて何にも知らないのに新聞の棋譜欄を見ていたと言いました。
  まさに見ていただけなんでしょう、碁の内容については全く憶えていません。
  理解できないのですからそれは当然でしょう・・・が、小目だとかケイマとかコウなど用語と形を知らずに憶えていたり、三目中手・隅の曲がり四目を知っていたりは結果的に大収穫だったかも知れません。
 つまり誰か先生から言葉で教えられるのではなく、ゲーム進行の中で”そういうもの”として受け入れていた。
 だから”何故””どうして?”などの疑問とは無縁な形でルールなどを憶えていったのですね。
 逆に言うとこういう事が、私が立場を変えて教える場合には全くネックです。
 ・・・教える言葉が無いのですね

 碁の内容については判らないのですが、拾い読みによる記憶・思い出は結構あるのです。
 助走期間は概ね昭和30年代です
  この頃は棋士の名前の前に必ずと言っていいほどニックネームがついていました。
 中国の小説の水滸伝の梁山泊の英雄みたいな名前がついています
 近頃ではサッカーの中継の選手名の横にサブタイトルみたいについていたり・・・バレーボールでは○○コフ205とかプリンセス○○だとか・・・これは少し商業的な効果も狙っているみたいであまりすっきりしませんが。
 ただ私が小学生時代に触れた囲碁記事の棋士名が、囲碁のことを全くわからなくてもその後40年は経っても生きているように、バレーもサッカーも将来そういう効果があるのかも知れないから一概には非難は出来ません。

 武宮といえば宇宙流、殺し屋加藤、コンピューター石田、二枚腰の林海峰などなら若い人でも判るでしょうね・・・それよりもう少し前の呼び名
 猛牛宮下・確か群馬在住の棋士だったような記憶がある
 地方と言えば甲州の親分星野・この方も対局に通って来ていたはず
 囲碁の神様杉内・見るからにそういう感じなんでしょう
 ドリルの梶原・惜しげもなく時間を使って妥協の無い手を捜す
 長考と言えばこの人も・加田・確かこの人は詰め碁の名人でしょう
 詰め碁といえばこの人前田陳爾も有名ですよね
 天才宇太郎、燻し銀島村、豆まき碁の岩本
 カミソリ坂田、平明流高川、初物の藤沢秀行、変幻藤沢朋斎
  内容は知らなくてもニックネームで判っているような気になるからニックネーム恐るべしですね。
 今みたいに研究が進んでいなかったのでしょうが、逆に個性が強い棋士が多かったのでしょうね。
 職業柄棋士と言う人種は個性が強いと思いますが、更に上を行っていたのでしょう。
 そういえば怪童丸木谷さんは病気欠場中で弟子の育成に力を入れていたのでしょう、殆ど棋譜が出ませんでした。
 呉先生がごく稀に載るくらいだったような気がする・・・してみると呉先生の長寿=「21世紀の碁」など囲碁面での長寿ぶりは凄いですね。
 
 

昭和23年

2007-08-07 19:00:27 | Weblog
 この間NHKで昭和38年特集の番組を見ました。
 私などは中学生の時代ですね。
 ”そうだったな”と思い出すことが多かったですね。
 今の生活で当たり前になっていることが、当たり前ではなかったのです
 例えば道の舗装にしたって今は余程のところでない限り・私道は土の道だとしても・・・当時は幹線道路以外はほぼ未舗装か、良くても簡易舗装でしたね
 だから建材業の義兄の手伝いをしていて、泥道で動けなくなったトラックを動かすのに膝まで泥まみれになって頑張ったことなどを思い出しました。

 そんなことに触発されて自分の生まれた年の記事を調べました。
 これは「ザ・20世紀」と言うもので以前私が子供時代を調べるために検索してプリントアウトしておいたものです。
 ある小さな町に住んでいた13年間の世の中の動きを纏めたもので、リングファイルに綴じて本棚に置いてあります。
 横道にそれますが、買ってきた本は読み終わって、繰り返し読む予定が無いならば手放すのに(誰かに差し上げるとか古本として処分する)とかにそれほど躊躇はしません。
 が、囲碁の本とこういう資料的なものは絶対にダメです

 さて昭和23年、印刷した最初の所に美空ひばりの切手が出ている。
 しかも80円切手だから何だかちぐはぐ・・・これは戦後50周年記念の切手だ他のですね。
 他に手塚治、石原裕次郎などがあります。
 美空ひばりのものは例のタキシードにシルクハット姿。
 美空ひばりは昭和23年4月にデビューと言うことです。
 歌で言うと1月に笠置シヅ子の東京ブギウギ、9月には近江俊郎の湯の町エレジー、10月は岡晴夫の憧れのハワイ航路・・・成る程
 社会面では混血児救済施設のエリザベスサンダースホームが出来たのがこの年
 まだまだ”戦後”の真っ最中だったのですね。

 世の中全体がまだ貧しくて、家だけが貧乏ではないから貧乏はあまり気にならなかった・・・そういう意味では良い時代。
 家などは5人兄弟の子沢山で7人家族で父の収入と母の内職ですから大変
 もっとも社宅ですから家賃・電気・水道・高熱費全てタダだからやっていけたのでしょう。
 世の中貧しかったと言うと・・・私には忘れられない思い出がある。
 物心ついている時代ですから30年代だろう
 港に時々米軍の艦船が寄港しました。
 このとき米兵が船の上からガムとかチョコレートを撒くといいます
 私も友達に誘われたけれど、米国の船が入っている時は絶対に港に行きませんでした。
 豆まきなら分かるけれど
 新築の家のお祝いならまだしも・・・
 私には「食べ物とお金は投げて渡すものではない!」と躾けられていたから、コレを守る意地があたのですね。
 一人で力んでもしょうが無いのですが・・・思えばその頃から依怙地な性格は変わっていませんね

  さて囲碁関係では、昭和23年
 4月3日 港区高輪に囲碁会館が開館
 6月6日 日本棋院に院生制度が出来、第1回の院生研究会が行われた
これは多分院生制度が新しくなったと言うことでしょうね。
  藤沢秀行九段も昭和9年に院生になっているはずですから、院生制度はあったでしょう。
  ところでこの昭和23年には誰が院生だったのか調べようと思ったのですがですが、今の所データが見つかって居ません。
  尚、昭和23年8月に石田芳夫九段が生まれている・・・同じ年だからではないだろうが好きな棋士です。
  扇子を買うとしたら石田さんか呉先生ですね。
  その呉清源先生
 呉清源VS岩本薫の十番碁が始まる(第8局以降は翌昭和24年)
  呉清源八段 7(○○●○○○△○○●)2 岩本薫八段
 タイトルではなく実力十段と言っても良さそうなんですが・・・

自分の物差し・秤・目線の高さ。

2007-08-06 18:12:57 | Weblog
 子供時代の懐かしい場所に行ってみて、大きな建物やモニュメントだと思っていたものが、実際には案外小さかったして驚くことがあります。
 また町内のお兄さん格のリーダーが何でも出来る人だと尊敬して居たのに、上には上が居たりもあります。
 こういう事は碁でも起きます。
  毎度自慢たらしい話も含むので、だいぶ聞き苦しいかも知れませんが・・・先日もそういうことにぶつかっています。

 昼休みのFさんとの碁、当然正味45分しかないから早碁の部類だろう
 そういう碁はどちらかと言うと捻り合いになることが多いですね・・・その方が決着をつけやすい・・・足を止めて打ち合って、乗るか反るか
 しかし、偶には数える碁になる時だってあるのです。
 この「数える碁」の認識が問題です。
   Fさんにしてみれば、どちらもKOを奪えなかったのだから「数える碁」になったと言う認識らしい。
  ところが、碁にはコミだとかジゴ白勝(マア決め方ですが)などがあるから、数える碁であっても必ず勝敗は決まります。
 昼休み碁だから、数える碁は=引き分けみたいな考えがない事は無いにしても、きちんと数えれば勝敗は自ずから分かるはず。
 それに地が不利でもどうしようも無くて打ち進めている場合もある(4子の白ですからね)

 それで、先日1時前に決着がついて地を数える事になりました。
 数える前にFさんが「この碁はどう?」と言うから「1目勝負でしたね」と答えたのですが、図らずも結果は黒1目勝だった。
 さてFさんの感想としては私が「1目勝負」と言ったのを、「偶々結果と重なった偶然」と思い込んでいる素振。
 だから、「ネットでも数えるのですか?」
 「勿論ですよ」
 「でもそんなことしていたら(1目勝負などを読んでいたら)時計が切れ負けになってしまうでしょう?」
 「それは数えても間違う事だってあるけれど、持ち時間45分で秒読みもついているからたいていは時間は大丈夫」

 しかし疑いの目で私を見ている!
 正確に地を数えられるという事が信じられないのですね。
 彼の目の前に居る私が信用が無いのでしょうが・・・しかし彼は自分の認識で周りを測ろうとしているのに、その認識に間違いがあることに気がついていない。
  例えば、プロなどならかなり細かい所まで地を読み切る・・・これは彼も信じている。
  但し私などのクラスが出来るとは信じていない。
  勿論常に正確ではないから威張れないのですが、マアマアそこそこには出来るわけです。
  しかし彼は全く信じていない。
  つまり自分が出来ないし、大雑把にしか局面を見ていないのですから、ザル仲間は皆そんなものだと思っているのですね。
  
 マア私がむきになって彼に逆らった所で、彼にとっては滑稽な事でしょう・・・
 しかしこのことを私の方から見ると「彼と私の置き石、4ないし5子の差はソノ差なんです」・・・口に出して言えたら随分すっきりするだろう・・・もっとも人間関係もすっきりしすぎてしまうかも知れないですね。

 今日も似たような事が起きました。
 これは、中盤で白が黒石を捕獲して盤面で大差の状況・・・マア15目は固そう
 但しその取られている黒石が白地の中で暴れる手があるかも知れない(それは黒の立場では読むでしょう)・・・(逆に白の立場ではココは読み切り)白からコウに持ち込んで凌げる。
 実際に黒はやってきた!!
 私は読みきりだったものの、もう一度読み直し、間違いが無いことを確認して正確に対処・・・この一連の白の態度におかしい所は無いはず。
 ところがFさんに言わせると「いざとなってから考えたら、白に運よく凌ぎがあった」となるのです。
 だから読みの勝負ではなく運の勝負だと言わんばかり・・・
 「だってあの時随分考えていたでしょう」と私の方を疑わしそうに見る
 彼は読んでおいたところを確認しないのでしょうかね?、ココは勝負どころですよ!
 
 Fさんは部分的には良い手を打って、かなり筋良く強いこともある。 
 しかし、何でこんな所で??と言うようなミスも出る
   その点はきっと相当強い人から見れば私もFさんも五十歩百歩であることは確かだが、でもその50歩と百歩の差が問題でしょう。
 そこの差を認めてくれないのですね。
  私が尊敬されないとか、ザル仲間だと思われるのはその通りだから一向に構わないのですが、彼にとって4,5子上手も自分と同じ事を考えたて打っていると思っているとしたら、白も黒のFさん同様何か問題がおきてから考えると思っている・・・それはもしかしたら・・・そういうことに気がついていないとしたら碁的には不幸ではないだろうか。
 
 自分の物差し・秤・自分の目線で物を見て判断するのも大事だけれど・・・ 

小噺の本

2007-08-05 16:00:24 | Weblog
 今日で先日借りた小噺の本と昔の笑いのタネ本を読み終わりました。
 相変わらずの乱読なのでほぼ同じに読み終わりとなります。
 私は本を読むのが好きなのですが、集中力が無い・・・少し変ですね。
 本を注意深く読むことで若干ではあっても集中力が増すトレーニングにもなる筈なんですが、私の場合はそうはならないようです。
 つまり余程面白い本で、手元に読みたいものが1冊しか無い場合は、眠くならない限り・読み終わるまで読むと言うスタイルです・・・この場合は集中しているはずです。
 そうは行かない場合が多いのです。
 例えば塩野七生さんの「ローマ人の物語」のシリーズなどの場合は、量的にも出てくる人名がローマ人などのためそうは早くは読めないからこれは最初から読み終わるまで読み続けるという本ではないですね。
 年に1冊のペースで刊行されていたので、発売されるとすぐに買いにいったもので、楽しみに待っていた分かなりの勢いで読んだはずですが・・・注意深く読む必要があるからそれほどスピードは上がりません。
 そのような本が数冊あった場合に私は並行して読むような感じになります。
 3冊くらいの本を少しずつ読み進める。
 飽きっぽいと言うのではないけれど、私としてはこの方が読みやすいのです。
 だから今回も先ほどの2冊はほぼ同時に読み終わりました。
 内容も共通の話もあり、比較も出来たりしました。

 さて落語の本では「古典落語」の本は持っていて、昔長女を寝付かせる時に読み聞かせの本にしていたこともあります。
 普通は「大草原の小さな家」シリーズなどを読んでいましたが、そういう本が終わってしまい、読み手の私の趣味もあり、何時からか落語シリーズになりました。
 さてその本の中にも囲碁がネタになっているものもありましたので、小噺とか小ネタ的には囲碁関連はかなりあるだろうという期待を持って、今回の本を読んだのですが、その点に関してはヤヤ期待はずれで、囲碁関係の話は2つしかありませんでした。

   一つは面白いけれどもう一つピンと来ません・・・
 暇でしょうがないから碁か将棋を始めようか(憶えようか)と言う人
 碁と将棋の違いは「字の書いてある駒」と「字の書いてない石」の違いだと教えれあれ、”それなら碁の方をやろう”と言うのですが・・・
 これは碁・将棋に纏わる面白みではなく単なる識字に関する話のような気がします。
 それに面白みとしての深みが無いような感じ

   もう一つの方が囲碁ファンとしては何となく居そうな感じです
 碁会所で口を出したがる人・・・居ますよねこういう人、人は悪くないのですが横から口を出されてはたまらない。
 「口出しは迷惑だ」と言われ”尤もだ、見ていれば口を出したくなるから帰ろう”と歩いていく途中で、これから碁会所に行くという友達に出会います。
 「向うへ行ったら言伝を頼む」
 「どんな用だ?」
 「どう見ても白が勝だと言ってくれ」
   
 この話のほうが、ありそうな感じがします。
  口出しはいけない事と知りつつ、黙っていられない・・・
 実際に「見ていると黙っていられないから帰ります」と言って帰る人も居ましたからね。
  私にしても”危ない”時は席を外したのですから。
 でも、「横からゴチャゴチャ口を出さないでくれ!」と言われて・・・
 「申し訳ない事をしました」と言って口出しをやめた人とどうにもならない人の確率は半々くらいかな
 少し強い調子で言えばその対局への口出しは止めるけれど、河岸を変えるだけで”迷惑の元”が他に行くだけみたいなところもある。
 「シッシッ!」と言われても懲りない人が殆どでは?
 こういう人は、たいていの場合「口出しさえしなければいい人」な事が多い
  マアその碁会所では仲間に愛されてはいるわけです
 更に本人としても横からつい口が出るのが良い事だとは思っていないのですが、つい口が出てしまうらしい
 自分の気がついたことを言わずには居られない人!
 黙って観戦は苦行なのかも知れない。

 私の知っている人でこのような”病気”の人が居ました。
 自分でも勿論打つのですが、おつまみと他人の対局を肴にビールを飲むのが大好きで、コレで静かに見ていられば相当高尚な感じだし、黙ってみているだけに打てば強いと思われるはずなんですが・・・初めは何も言わないけれど、実戦に現れなかった手があったりするとコメントしないではいられなくなって来る・・・
 こういう人に取りつかれると背後霊と言うか地縛霊に取り付かれた不幸みたいなものでしょう
 「見ている俺にはわかっているゾ!」と回りに知らせずには居られないみたいです・・・終局後の検討では忘れてしまうとか復元不能を懼れて対局中にもかかわらず・・・
 本人はすでに過ぎ去った部分だから現在の進行に影響が無いと勝手に判断しているらしいけれど・・・打っている他人には迷惑なことに変わりがない。
 現在進行中の対局の手を評価されながら打つのですからね。
 それでもこの人が対局する時にいつも迷惑を蒙っている人が報復的にコメントを入れるということは無い!
 もしやればコメントを入れることを認めてしまうことになることを皆分かっているのです。 
 
 
 

哀れまれてしまったかも

2007-08-04 17:00:16 | Weblog
 この間はネットで私の理解を越える経験をしてしまいました。
 リアルにせよネットにせよ、結果はともかく全力で対局すると言うのが前提ですよね?
 棋力により、そのときの調子によっては不本意なことはあるし、相手だっていつも好調とは限りません。
 それなりに頑張って・・・そういう中に楽しみもある筈だと思うのです・・・
 報酬と言うほどのものではないけれど、点数制度の点とかタイゼムみたいな所の昇降級査定の実績などになる。
 コレのやり取りも単なる利害ではなく楽しみみたいなもののはず。
 いつもの昼休みの碁だって、お互いに全力で打つから楽しいのであって、もし片方でも”どうでも良い”と言うような態度・姿勢ならいっぺんにつまらなくなるでしょう。
 泡の抜けたサイダー・・・敢えて”ビール”とは言いません。

 さてネットでの件の対局
 実は感じからいうと他の人と対局すると思っていた。
  勿論リアルではないし、そういう組み合わせは分からない時もあるのですが、詳しく説明すると。
 対局待ちリストにÅ・Bの二人が載っている
 AさんとBさんは14点以上の開きがあるから(A>B)、Aさんが置き碁も打つと意思表示しなければ、Bさんが上の人は誰でも良いといっても対局は不成立
 そういう状態だっただろう
  私は「置き碁なら3子までは打ちます」という条件が入っているので、私が対局オファーを出した瞬簡にBさんと対局設定となったのです。
 Aさんの方が点数が近いので、何となくAさんの向う先での対局だと思っていたのですが・・・これは早い順で手合いをつけているのでしょうね。
 マア、どちらでも良いから、そこまでは問題は無い。

 さて、出だし早々に白に”ヤヤ”不利と思える分れが生じた。
  ”ヤヤ”と言うのは客観的ではなく、私の見方かも知れない
 『出だしから大変だけれど、実際には取られた石で利かしたりすると、ゆっくり行って追いつけないことは無いかも知れない』と思ったのです
 但し、相手は別の評価だったのだろうか?
  戦いは別の隅に移って・・・突然黒は「パス」をしたのです。
 将棋と違って囲碁はパスが有ります。
  でもそれは、終盤で打つところが無いと判断した時・・・相手が手入れを要求しても、不要だと思った時は、打つ手で地がマイナスになる場合は「パス」を使う
 然るに、序盤でのパスです。
  考えられることは二つ
一つは、余りに形勢に差が有るので一手くらいパスしても大丈夫
あるいは、余りに白が可哀相なので遊んであげよう・・・
 他にあるだろうか?
  その後も時々黒はパスをする。
    そして突然投了
  何だったんだろうかこれは
 今までにも彼と2,3回対局したことがあるのだけれど、こんなのは初めて
  もし形勢大差で私に警告をするつもりなら「形勢大差ですよ」と書き込みをされた方が気持ちが良い。
  但し私はこの時点では投げませんが・・・「申し訳ないですが、もう少し打たせてください」と返信するでしょうね。

 リアルなら「形勢が悪いのに、白はクソ粘りでひっくり返しに来るんだから・・・」と言われるところでしょう。
 それならそれでいいのです、お師匠さんみたいに「勝負は終わって見なければ分かりませんね」と言い返せる。
  しかしパスを繰り返し、投了とは・・・後味が悪い囲碁、いや碁と言えるのかどうか。
  チラット頭を掠めたことがある
 Bさんは対局相手が私に決まった瞬間に、やる気がなくなったのかも知れない
 だからと言ってアンフェアと言うかマナー違反的な行為が良いとは思えないけれど。
 彼は投了して退室し、すぐ対局リストにエントリーしていた。
 私には追っかけてエントリーするほどの根性は無い。 

オニの居ぬ間の対局

2007-08-03 18:24:42 | Weblog
 夕べは私以外は誰も居ないからTVは見放題・・・でも見たい番組が無い
 パソコンも息子が「pod」などと割り込んでこないから、これも気兼ね無しの全くのドフリー。
 尤も普段でも遠慮とは縁が薄いですが。
 女房と息子は県外の娘の所へ遊びに行っているから、まさに大鬼、子鬼が留守
 いや私が餓鬼みたいな鬼で、息子がホンモノの餓鬼、女房殿は鬼より怖い人
  普段からのうのうと暮らしていますが、更に気を使わなくて良いということです・・・これだけフリーなのに、情け無いことに宵のうちから寝てしまい、夜中の目が醒めたのに、それから風呂を沸かすにはチョッと時間が・・・
 そこでシャワーを浴びたらまたいい気持ちで寝てしまった。
  全く年は取りたくないものです。
 こういう”ツケ”は必ず来るもので、翌朝4時過ぎには目が醒めてしまったのです。
 このあたりは朝3時半には新聞やさんたちが走り回っているから、耳ざとい爺様は自然に目が醒まされてしまうのです。
 しかし睡眠時間は充分だし・・・何もやることが無い。
  まさかこの時間からTⅤを見たり、新聞を開いたりする気にならないし、話し相手など勿論居ない。
 一つ大きな悟りを開きましたね。
 「女房より長生きしてはいけない!」
 こんな生活が日常になったら堪りません。
 仕方なく(そう言ったらネット仲間に失礼ですが)ネットで観戦に限る。
 しかし”いずこも同じ秋の・・・いやまだ夏だが”、ネットの対局リストに載っているのは3組のみ・・・そりゃそうかも。
 しかも2局は対局終了・・・つまりどちらかが残って並べているか、観戦者が居眠り居残りか?
 進行中は1局だけで、対局者は少し下手なので入室を遠慮・・・
  無理も無い朝5時近いから普通は寝ているだろう・・・
  と、そこへ同じくらいの点数の人がエントリー、思わずダボハゼみたいに飛びつきました。
 その人とはコレまでに数度対局したことがあり、もち点が上になったり下になったりだし、ネットで見る名前をHPで見たことがあるような気がする・・・リアル見たいには分からないもののマナーが良さそうな人です。
 そして特に最近はよく考えて打つので、こちらも心構えが必要です。
  前回の対局は序盤から猛烈な捻り合いとなり、私がアホな手を打って負けました。
 途中「攻め合い有利」だと思っていたのですが・・・コレがシッカリと手を読んでの感想ではなく「何となく」だったので、気がついたときには1手負けになっていたのです。
 局後に「私に手順前後」があって1手負けで逆転したことを発見した。
 情け無いことに局後の発見ですから、まさに「後で気がつく○○」なわけです
  改めて「何となくはダメ」と自分に言い聞かせたのですが、コレが何回目になることだろう、両手では足りないな。

 さて本日は私黒番コミ4目半出し、黒2連星に、白両小目、黒は白の小目に小ケイマカカリ、白2間高ハサミ、黒2間トビ、白間トビ、黒ケイマカケ、白出切り・・・とマア定型みたいな展開
 白さん時間を使いながら進行する。
 私だってノータイムなどではないのですが、白の考えている時間に一緒に考えているわけで、それほど自分の時間を消費しなくて済みます。
 私としては結構考えてはいるのですよ、他にやることが無いのですから。
  局面は一触即発の気配はあるものの淡々と進行する
 中盤では少し地合いでリードしている気分です
  尤もコミを出すのですから少しは良くないといけないわけで、油断は禁物
   ヨセで白が利かしに来た時、黒は手抜きして更に稼ぎに行ったのが危険な手だった。
 白は待っていましたとばかり、放り込んでコウ勝負を挑んでくる
  ココで勝負に来るということは白も地合いで不明あるいは良くないと考えていたということでしょう。
 実戦ではそんな解説者みたいなことを言ってられませんが・・・

 コウに負けると10目は損するからこれは勝負を左右します。
 但し白からも大きなコウ立てが続かないから、5,6目のコウ立てだとコウを解消した時に、白がコウを打ったとして、黒から先手で4目儲ける手があるので、運よくコウの危ない橋は2目損で済んだのです。
 この辺りでは白は時間に追われていて常に残り2,3秒で打っていたのですが、最後は残り1秒で投了したのです。
 「時間切れ」でもなく「数え」でもなく「投了」に彼らしさを感じる。
 投了していただいたから言うのではない、ココまで来たのだから数えても良いわけだし・・・でも黒からチャンスらしきものを提供してしまい、白はそのチャンスを生かそうとした・・・
 勝ったからではなく、何となく爽やかな朝になりそうな気がします・・・
  時刻は6時半、顔洗ってヒゲ剃って時間はたっぷり 

出来れば投了したい

2007-08-02 17:57:32 | Weblog
 昨日に続いて人体の秘密みたいな話。
 いえなに、今週は生活習慣病クリニックの診察がある日なので、こういうことへの意識が高まっている。
 喉元を過ぎるとたいしたことはない・・・意識はノビ太タイプ
  それで、専門医の経過の診察はともかく、栄養指導なるものが気が重い
 一定の三日間の朝昼夕の食事と間食など食べたものを全て書き出して、その日までの体重の変化、血糖値、体脂肪などと見比べながら食事・運動・生活習慣などから改善を促すと言うプログラム。
 体重・体脂肪測定、血液検査などで目に見える変化ががあればいいけれど、私などは遅々として進まないので、この「指導」が針のムシロ
 今度の検査でも血糖値に相当良い変化があったものの、体重はさほど動いていない・・・それを受けての指導です
 ここの所連日空腹感に耐えながら生活をしている気がしているのですが・・・
  「おかしいですね、もっと減っていいはずなんですが」
 『そんな事言ったって、ワシは知らん』
  「今度食べた物を紙に書かなくてもいいですから、携帯の写メールでもデジカメでもいいから撮ってください。そうすれば内容も量も分かりますから」
 『そこまでやる!?』
  「書き忘れていることがあるのではないですか?」
 『全く信用がない』
  「ま、何年もかかって増えてきたのですから、ゆっくり減らしましょう」

 だんだん『食べる』と言うより『摂取』みたいで、食事を楽しむ部分が削られ「必要最小限」と言う設定に押し込まれていくような気がする。
 マア病院と先生は「全てはあなた自身のためです」「自分に跳ね返ってきます」という切り札を持っているから強い。
 確かにあちらは失うものは何にもない、せいぜい患者一人・・・
 でもでも『食べることはもうどうでも良い』『食べなきゃいいでしょ』みたいなふてくされ気分に・・・気分は投了ですよ、先生!
 全く私の体で生き延びる道は狭いらしい。

 さて食事記録の他にもう一つ家庭内血圧記録と言うものがある。
 血圧は病院で測るのと家で測るのでは多少違うらしい・・・緊張感が左右するらしいから普段の血圧と言う点では家での数値は大事です。
 ともかく私の測定ノルマは就寝前と起床後30分から1時間以内の測定値
 測定自体は簡単な機器でえ自動ですから難しくはない・・・しかし別の問題がある。
 これはもしかしたら私みたいな、いい加減な性格な人間には他の人にはなんでもないことが難問として立ちはだかるみたいなことかも
 つまり就寝前血圧で、何時が就寝30分前なのかが分からない。
 私は寝るときに”布団を敷いて””さあ寝るぞ”という寝方はここ数十年したことがない。
 本を読んでいて面白ければ読み終わるまで読んでしまうし、気がつけば寝ていることがある。
 ネットで対局中にはさすがに寝ないが、観戦の場合は自信がない。
 だから布団を掛けて寝ていることは三分の一もあるだろうか・・・夏ならばそれでも風邪は引かないし冬でも夜中に目が醒めて布団を掛ければ何とか・・・
 だからベッドで敷布団の上にいないと危ない?
  約30分後に眠ることを予知するとか、予定できないのです
 ともかく何時まで起きているのか、何時眠るのか油断が出来ない
 
 それに入浴直後とかネット対局直後とか血圧に影響がありそうなときは測定できないし全く困ったものです。
 ですから、就寝前血圧欄は空欄として残ってしまうことが多い。
 30分後に眠ると分かっていて生活をしている人は凄い
  そこへ行くと起床後は戸惑うことは少ないのですが、初めは驚いた事があった
 起床後の血圧と言うのは思ったより高いのですね
  一晩中寝ている=安静状態だから相当低いだろうと、何となく思っていたのに事実はそうでは無いから、逆に一晩中こんな血圧だったら危なくて安心して寝ていられないと言う気になります。
 マア、起床後急激に上昇して30分から1時間で落ち着くと言うことらしい
 コレを知って一安心しましたが、起床後、洗顔・小用・着替えなどはいいとして、食事・薬などの前に測定となると、これまた半端な時間となる。
 全く生活の間に測るというより、測定時間を設定して生活するような・・・オーバーに言うとモダンタイムスのチャップリンでしょうか?

 それと最近もう一つ不思議に感じることがありました。
  人体の謎と言うほどではないのですが
 今日病院の自動測定器で測ると血圧は良いとして「脈拍52」でした
  私はマア52,3から60未満が普通ですが稀に48とかもある。
  それで60に近いほうが血圧が低くて、50に近いほうが比較的血圧が高いと言うことはあるだろうか・・・そのような気がすることがある。
 心拍が多い×血圧が低い=心拍が少ない×血圧が高いで流れる血液量が同じ?
  それとも心拍数は心臓がサボタージュを従っている証拠?
  心臓電池切れとか油切れは嫌ですね