子供の頃、作文は苦にしませんでしたが日記は大の苦手でした。
ですから年が改まって、真新しい日記帳を使い始めた時は『今年こそきちんと日記をつけよう』と思うのですが・・・毎年そう思うのだけれど、最短で3日、どんなに長くても1月の終わりまでもったことはない。
「三日坊主」と言う言葉は私のためにあるようなものだと思いました。
普通の作文とかテーマが決まったことの文章なら、さして苦労は感じないのですが、何と言っても毎日書くと言うことが出来ない性格でした。
いや、書くと言うことが問題と言うより、毎日きちんと積み重ねると言うことが出来ないのです。
それに、何を書くかと言う事ですぐに行き詰ってしまう。
非日常的なことは記録しやすいのですが、平凡な日常生活を記録するのは難しい気がしてしまうのです。
だから「昨日と同じ」とか「特に書くこと無し」になってしまう。
夏休みの宿題のような日記だと別な要素も加わるのです。
大きな問題点は日記は本来ごく個人的な記録のはずなのに、宿題ですから提出と言う事で先生と言う他人の目にさらされます。
更に宿題ですから、何かの形で評価の対象になるに違いない。
そういう中で自分を飾ったような嘘も書けないし、そうかと言って提出が前提 それに何から何まで本当のことだけを包み隠さず書きたくもないし。
マアまともにかけるのは「家族旅行」とか「海水浴」や「町内の行事」などだけですから、40日分の日記を創作するのに苦労したものです。
何と言ってもまともに宿題をやるのは夏休みの最初の1週間と最終日8月31日だけですから、日記もその日に殆ど全て書くようなものです。
お天気の記録と矛盾が無いかどうかの辻褄合わせに苦労したり・・・
そういう事で私の日記嫌いは小学生のころから始まっています。
でも不思議なことに日記帳そのものは嫌いでは無くて、毎年年末近くなると翌年分の日記帳が本屋・文房具屋さんの店頭に並びますから、それを見ると「イイナア」などと憧れ半分で見てしまします。
いかにも重厚なものや、恰好が良いものがありますから、そういうものを目にすると私も1冊買って、来年こそ日記をつけようかなどと思わないでもない。
しかし、仮に始めても最初の3ページだけしか使わない可能性はほぼ100%に近いし値段も安くないので、おいそれとは手を出せません。
日記を毎日つける人への尊敬と同時に、強いアレルギーみたいなものも持っていました。
アレルギーと言うよりアンチ日記シンドロームみたいな感じでしょうか。
それが約6年前に、一緒に働いていた若い同僚が彼がやっていたブログを教えてくれたのです。
それはサッカー関連のブログですから、応援するチームは違っていてもテーマとしては理解できるわけで・・・彼が転勤してからもインターネットでそこの記事を読んだり、たまには書き込みをしたりしているうちに、ブログと言うのもなかなかおもしろそうだと思ったのです。
学校の宿題ではないから何の強制もないし、それこそテーマは自由だし、日記でも良いし都合の良い時に更新でも良いわけで・・・これならモノグサ太郎の私でもやれそうだなと思いました。
それにしても、ともかく続いています。
内容はともかく、おかげ様でこの年にしてはキーボードの操作は結構速いようです。
ブラインドタッチは難しいものの、両手で打ち込むのはまあソコソコ。
職場でもほぼ毎日データを入力していますし、家ではブログに文を入力しています・・・そいうことって老化防止に少しは役立っているような気もしますが、どうなんでしょう。
いずれにせよ、学校で「日記」という科目があったら、きっと落第点だったに違いないのですが、それが毎日ブログを更新しているなんて変わるものですね。
ですから年が改まって、真新しい日記帳を使い始めた時は『今年こそきちんと日記をつけよう』と思うのですが・・・毎年そう思うのだけれど、最短で3日、どんなに長くても1月の終わりまでもったことはない。
「三日坊主」と言う言葉は私のためにあるようなものだと思いました。
普通の作文とかテーマが決まったことの文章なら、さして苦労は感じないのですが、何と言っても毎日書くと言うことが出来ない性格でした。
いや、書くと言うことが問題と言うより、毎日きちんと積み重ねると言うことが出来ないのです。
それに、何を書くかと言う事ですぐに行き詰ってしまう。
非日常的なことは記録しやすいのですが、平凡な日常生活を記録するのは難しい気がしてしまうのです。
だから「昨日と同じ」とか「特に書くこと無し」になってしまう。
夏休みの宿題のような日記だと別な要素も加わるのです。
大きな問題点は日記は本来ごく個人的な記録のはずなのに、宿題ですから提出と言う事で先生と言う他人の目にさらされます。
更に宿題ですから、何かの形で評価の対象になるに違いない。
そういう中で自分を飾ったような嘘も書けないし、そうかと言って提出が前提 それに何から何まで本当のことだけを包み隠さず書きたくもないし。
マアまともにかけるのは「家族旅行」とか「海水浴」や「町内の行事」などだけですから、40日分の日記を創作するのに苦労したものです。
何と言ってもまともに宿題をやるのは夏休みの最初の1週間と最終日8月31日だけですから、日記もその日に殆ど全て書くようなものです。
お天気の記録と矛盾が無いかどうかの辻褄合わせに苦労したり・・・
そういう事で私の日記嫌いは小学生のころから始まっています。
でも不思議なことに日記帳そのものは嫌いでは無くて、毎年年末近くなると翌年分の日記帳が本屋・文房具屋さんの店頭に並びますから、それを見ると「イイナア」などと憧れ半分で見てしまします。
いかにも重厚なものや、恰好が良いものがありますから、そういうものを目にすると私も1冊買って、来年こそ日記をつけようかなどと思わないでもない。
しかし、仮に始めても最初の3ページだけしか使わない可能性はほぼ100%に近いし値段も安くないので、おいそれとは手を出せません。
日記を毎日つける人への尊敬と同時に、強いアレルギーみたいなものも持っていました。
アレルギーと言うよりアンチ日記シンドロームみたいな感じでしょうか。
それが約6年前に、一緒に働いていた若い同僚が彼がやっていたブログを教えてくれたのです。
それはサッカー関連のブログですから、応援するチームは違っていてもテーマとしては理解できるわけで・・・彼が転勤してからもインターネットでそこの記事を読んだり、たまには書き込みをしたりしているうちに、ブログと言うのもなかなかおもしろそうだと思ったのです。
学校の宿題ではないから何の強制もないし、それこそテーマは自由だし、日記でも良いし都合の良い時に更新でも良いわけで・・・これならモノグサ太郎の私でもやれそうだなと思いました。
それにしても、ともかく続いています。
内容はともかく、おかげ様でこの年にしてはキーボードの操作は結構速いようです。
ブラインドタッチは難しいものの、両手で打ち込むのはまあソコソコ。
職場でもほぼ毎日データを入力していますし、家ではブログに文を入力しています・・・そいうことって老化防止に少しは役立っているような気もしますが、どうなんでしょう。
いずれにせよ、学校で「日記」という科目があったら、きっと落第点だったに違いないのですが、それが毎日ブログを更新しているなんて変わるものですね。