なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

メガネの続き

2009-01-07 16:12:43 | Weblog
 宅急便の運転手さんとか、電気製品や家具の配達の方などは持っていると思いますが、全ての家が書き込まれた住宅地図・あるいは動態図と呼ぶのでしょうか、そういう地図があります。
 よく街中の一軒一軒の表札の名前をメモしながら歩いている人がいますが、多分その地図のための確認作業でしょう。
 集合住宅でも住んでいる人でも、自分の名前を出さないようにしている人以外は何号室の誰が住んでいるのかわかるようになっています。
 まあ、移転して次の新しい情報で出版されなければ正しい情報ではない期間もありますが、概ね正しくて、仕事によってはこれはなくてはならない地図です。
 私の住んでいる市で、地図は区の数と同じく6分冊。
  更に2種類の地図に分かれます。
 使用目的に合わせてあるわけで、要するに誰がどこに住んでいるのかを確認するためには住居表示と住人(戸主で表示)だけでいいのですが、それでも結構細かい。
 それで価格は概ね1冊15000円くらい。
  ところが仕事によっては住居表示だけでは困ることがあります。
 地番と言うものが土地にはついていて、これは明治時代に土地台帳ができた時代から続いているもので、土地に関する権利・義務などはこの地番によって表示するものです。
 ですから同じような住宅地図ですが住居表示+地番+住んでいる人が分かる地図もあって、こちらは住居表示のみの地図のお値段の約倍の価格です。

 いや、地図帳の値段の話ではなくて、そういう細かな地図ですので、私の眼ではとても裸眼では判別できません。
 住居表示、住人などは黒、地番は青、川と地形に多少色を加えてありますが・・・何かを探す、調べるために見るわけで、眼鏡は最低限必需品。
 更に効率よく記載されている文字を見るために虫めがねも用います。
  ですから眼鏡をかけて虫めがねをかざして地図帳を舐めるように調べている・・・自分の姿に笑ってしまうと言うか、ちょっと哀れな感じですね。
 全く、視力が良い人は羨ましい。
  昔、土地と道路の境界に関する仕事に携わっていた事があり、そのころは毎日毎日地図で下調べをしていました。
 それで今でも地図で調べるのが特技のようになってしまって・・・マア、特殊技能とは言えないまでも得意技があるのは良い事かも知れません。
 今では別の用事に地図を利用していますが、思わぬところで役に立っています。

 さて、本を読む時は本から顔を30cmは離しなさいと言いますが、それは裸眼で問題のない人の場合です。
 私の場合は、30cmはかなり問題の距離です。
  目が悪いだけで、全く見えないわけではないので、ちょっとしたメモ程度のものを見るだけならそれでもよい。
 かなりぼやけるのですが、文字の輪郭など推理しながら判読することができなくもないのです。
 但し何かの数字を正確に見る事は自信がないし、長いもの、長い時間の作業では
目は疲れるし神経も疲れて気力が問題です。
  ですから仕事中は首からひも付きの眼鏡をつるして歩いたり、移動中は手に眼鏡を持ったりしているのです。

 昔、車での仕事が多かった頃に、運転しながら地図とか書類を見なければいけない用事が多かったので眼鏡を胸のポケットに入れていました・・・これが大失敗。
 軽い方が良いと思ってプラスチックのレンズでしたので、ポケットに入れたり出したりすることで表面が擦り傷だらけになってしまのです。
 眼鏡が曇りガラスになってしまいました。
  と言う事で、首から下げるか手に持つわけです。
 歩く時は老眼鏡はやや危険で、文字を読む時は必需品ですから困ったものです。
  ですから、家には眼鏡を4,5個置いてあります。
 一つはメガネ屋さんでキチンと調整したものでレンズはプラスチックで軽くしてあり、長時間の使用にも疲れないもの・・・これは読書用。
 その他に今使っている眼鏡の先代のもの。
  更には百均でかった眼鏡が2個・・・これは+2とか+1.5とか書いてあるアレです。
 どこにあるかと言うと、一つは居間のいつも私が据わる場所のあたり、もうひとつは玄関の靴箱の上です。
 玄関は郵便屋さんとか宅急便が来て「ハンコを下さい」と言われた時に困りますから。
 更にカニ眼鏡みたいな携帯用を一つ。
  これは出かける時に鞄に入れておくものです。
 これがあれば、電車の中でも囲碁の本を見ることができます。
  詰め碁などの問題では、ちょっと図柄が確認できれば良いわけで、これも必需品。

 さて、今まではネットで碁を打つ時は眼鏡をはずして対局開始でしたが、先日度の弱い眼鏡をかけたまま画面の碁盤を見ると、余りにはっきり見えるので愕然としました。
 考えるのは頭の中ですから、必ずしも現実の碁盤がはっきり見えている必要はない・・・
 碁石を置く時、あるいはパソコンで正確にカーソルをおいて間違わずにクリックできれば良いだけなんですが・・・
 しかしどこかぼんやりした視界の中で碁を打つのに慣れてしまっていたので、こういうはっきりと見えることに驚いてしまったのです。
 現実には何か差があるものなんでしょうか?
  どちらが良いのでしょうか?
   多少ピンボケの世界で暮らす方が良いのか、全てくっきりと見える方が良いのか・・・私のボケ気味の性格はそのせいだったのかとも思えますが。