
「口に出さなくても目をみりゃあ惚れているのが分かるよ」と言うことから始まって、単に艶っぽいこと意外に「考えていることが目を見れば分かる」と言う一般的に通じる道理として根付いた・・・腹芸とか”察する文化”みたいな日本人的な感覚にマッチしていた・・・と、勝手に考えています。
全く根拠も何も無い想像ですから、信用して他では言わないで下さい。
間違いを指摘されて恥をかいても当方は一切の責任を負いかねます。
出典はともかく、言葉の意味は言いえて妙であり、相当に当てはまる確率が高い
100%と言いたいけれど、もしかしたらゴルゴ13とか鉄面皮みたいな人がいるかも知れない、ニュースなどで「当社は一切関係ありません」などと公式コメントを出しておいてから「実はよく調べたら・・・」などと謝罪する人もいるので、断言は出来ないのですが、たいていの人なら当てはまりそうです。
私の知り合い、”碁知り合い”のSさんの場合は”好い時は隠す気が全く無いので、目を見る必要が無いのですが、口ではいつものように冗談を言いながらも、目は真剣なこともあるから、彼が打開策を考えている時はよく分かる。
彼は好調を意識すると、盆と正月が一遍に来たとばかり口笛・鼻歌も出かねない・・・気持ちがすトレートに表に手に出て来る。
口では「そんな失礼なことは、私みたいな紳士になると思っていても口に出しません!」とご機嫌です。
局面が思わしくない時は黙って考えることもあるにはあるが、たいていはボヤキ節も派手なものです。
マア、いい時にはしゃいで、悪い時に落ち込む・・・こういうことでストレスを発散させていると言うか碁を楽しんでいるのですね。
そういう楽しみ方のパターンなのでしょう
目に出るかどうか・・・目に出れば寧ろ分かりやすいのですね
尤もアマですから、相手に失礼にならない程度なら問題にならない。
その基準ははっきりしないから、本人の気持ち次第でしょう・・・例えばYさんの場合は・・・
彼はSさんの反対に相当にこういう感情を隠す努力をしているようです。
局面が好転して優勢を意識した時などにソレが出るのです。
彼はその時席を立つ「一寸失礼、お手洗いに・・・」が彼のパターンなのです。
これは確かに中座の非礼を相手に詫びているが、実は優勢を意識した時の常套句なのです。
一緒にトイレについて行ったことが無いから、見ているわけではないけれど、きっと誰に遠慮することなく晴れ晴れとした顔をしているに違いない。
トイレの中では思いっきり顔の筋肉を緩めて、碁席で我慢しているストレスを解放しているのだろう。
それは、よい碁を勝ちきるための儀式かも知れない。
だから途中で彼にトイレに立たれたら、「この碁はもうアカンか?」気の早い人は考えるのです
ということは「トイレに行っている間に、局面をよく見て気持ちを整理しておきなさい」と言う二重のメッセージなのか。
ソレならば、目でものをいうどころか行動で物を言っている。
成る程口で言わなくても行動とかからだの部分で意思表示されることがある。
つまりサインが出ているのです
目ではないけれど、Y田さんの場合は手に気持ちが現れるのです。
例えば局中、相手の要石を抜く時など・・・右手でリズム好く取上げていって、最後の1個を取った時、手首がクルッと独特の動きがします。
同時に歯切れの言い石音とともに碁笥に石が落とされる・・・
これは彼が気持ちよく打っている証拠です>>>見たり、音を聞かされる方は「目を瞑って・耳を塞ぎたくなる」ものです。
「敵さんの調子が良い」と見せ付けられるのだからたまらない。
ところで、こちらがカス石だと思っていた石が取られた時にこのパフォーマンスが出たとする。
「Y田さんがカス石を取って喜んでいる」と一緒に?喜ぶほど人間も棋力も出来ていません。
もしかしたら???と疑心暗鬼になるのです。
しかし相手に”手つき”のことで「本当に”そう”思っているの?」と突っ込みを入れるわけには行くはずもない。
これは日光のお猿さんみたいです。
見なかったこと、聞かなかったことにして、無駄口は叩かない・・・それでは素人の碁はチト寂しい?
