株式会社あいすくむり の川瀬です。本日はソフトクリームの歴史2です。
ソフトクリームが日本に初上陸したのは、1951年の7月3日のことです。
この年には、米軍主催でアメリカ独立記念日を祝うカーニバルが明治神宮外苑で開催され、このカーニバルの中で日本で初めてソフトクリームが販売されました。
ソフトクリームの老舗メーカーである日世の創業者である田中譲治氏は、「まだ日本では珍しいソフトクリームを売れば、大ヒットになる」と考え、普及を開始します。
日世は、当時高価で貴重だったソフトクリームマシンをいち早く導入し、デパートや食堂、喫茶店など徐々に販路を拡大していきました。
ただ、当時のソフトクリームの価格は50円。
アンパンが10円、かけそばが15円の時代ですから、まだまだ高級品であり、爆発的なブームには至りませんでした。
しかし、ソフトクリームの第一次ブームは意外な形で訪れます。
ちょうどこの頃、力士であった力道山がプロレスラーに転向し、大人気となっていました。
当時はまだ、テレビが一般庶民には手の届くようなものではなかったため、人々が試合を見るのは街頭テレビが主流でした。
特に、プロレスの放送時間である夜8時~9時は、街頭テレビ前に物凄い数の群衆が集まり、力道山の戦いに見入っていたそうです。
これに目をつけたお蕎麦屋さんが、集客アップのために店内にテレビを設置します。
目論見どおりこれがヒットし、お店の集客率は爆発的にアップしたものの、思ったように蕎麦の売れ行きは伸びませんでした。
これは、放映時間が夜8時~9時だったということもあり、お客さんの大半は家で食事を済ませてから店に来ていたため、あまり蕎麦が売れなかったのです。
何か売れるものはないかと思案した結果、目をつけたのが、デザートとして食べられるソフトクリームでした。
前述のように値段はかけそばより高かったものの、おいしくて食後でも食べられるということもあり、蕎麦屋で売り出したソフトクリームは大ヒット!
瞬く間に一大ブームとなっていったのです。
ソフトクリームを広めた田中譲治氏や、うまくセールスに繋げた蕎麦屋の判断も要因ではありますが、一般大衆を熱狂させ、テレビの前に釘付けにした力道山がいなければ、このブームは起こらなかったのかもしれません。