あいらのひみつ箱

2006年の年明けとともにジュリーに堕ちました。日の浅いファンが 勝手な思いを書き連ねるゆるいブログです。

インタビュー・アワー!①

2010-04-26 17:20:31 | 書籍・雑誌
1976年初めごろの雑誌記事です。

あの~、こないだのSONGSで、フランスでのレコーディングの話のなかで、
「じゅりと加瀬さんが二人だけお弁当を用意してもらってホテルの部屋で食事した」
というエピソードが語られましたわよね。
アテクシ、あれを聞いて、「フランスで弁当」って、どっかで読んだわ~~って、心のどこかに
引っかかってまして、持ってる雑誌記事を探してみたんですの。
で、この記事のなかで、チラッとお弁当のことが出てきたので、たぶんこれだなと。
(①と②に分けたので、今日のUP分には出てきませんが。)
今日UPする前半部分も、じゅりが当時の歌謡界のことを語っていて、なかなか興味深いですわ。


以下引用↓
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インタビュー・アワー! 沢田研二と3時間
人生すべて成り行きよ。あせらへん・・・・・・

この冬、ジュリーのほほのまるみがとれ、男らしいするどさが増した。芸能人には致命的といわれた“結婚問題”を乗り越え、いま日本のエンターティナーをめざす彼に、何かが起こっている。気がかりだ。


――“日本歌謡大賞”、最初の投票では布施明クンと同数の14票だったのに、決戦投票で破れて、残念だったね?

「オレの場合、一昨年もらってるし、この4年間ずっとノミネートされてるからね。まあ、こんどの『時の過ぎ行くままに』は後半になってだダークホース的に出てきて、久しぶりの場外ホームランっていう感じだったんだけど、もちろんすごく惜しいとは思うよ。
でも、客観的に見て、オレのが本命にならないことはわかってたんだ。布施さんのほうが総合的に言って、1馬身半くらいはリードしていたことは認めざるを得ないもの。
結果論になるけど、布施さんがいままで賞をとってなかったほうがおかしいんや」

ポップ調の歌手って不利なんやろうね

――それにしても、あれだけの接戦の末負けたんだから、口惜しさもかなりのものだと思うけどね?

「でもねえ、これがほかの人がもうひとり出てきて、三つドモエの血みどろの決戦にでもなったんだったら、もっといやだったやろね。見てるほうは面白いだろうけどさ。
 だいたい賞なんていうのはひとりだけがだんぜんトップで走っていて、対抗なし、アナ馬なしでとるのが理想だと思うよ。その意味で、これまで文句なしに賞をとったのは、尾崎紀世彦さんの『また逢う日まで』くらいじゃないのかな」

――ポップスは、賞の対象になりにくいということがあるんじゃない?

「そういうことも言えるかもしれないな。いわゆるポップスというと、布施さん、オレ、そのあと野口五郎、西城秀樹、郷ひろみと続くんだけど、なんといっても層がうすいんだよね。これが演歌となると、三波春夫さんから細川たかしまで、入れかわり立ちかわりって感じだもんね。これはまあ、日本の歌謡界の体質の問題で、急にどうするってわけにもいかないんじゃない。吉田拓郎さんや井上陽水さんたちみたいに、無冠の帝王でいけるんなら、それでいいんだけどさ」

映画のことではウソつかれちゃった

――ところで、『紅白歌合戦』は、これまでにずいぶん出てるみたいな感じだけど、今度で4回目なんだってね?

「そうなんだよ。まあ、前はグループ・サウンドが出られないっていうことがあったからね。それが、今年はダウン・タウン・ブギウギ・バンドが出るわけだろ。それだけ世の中が進歩したっていうことになるんやろけどね」

――タイガース時代の仲間とそういう話することある?

「いやぁ・・・・・。みんな、昔をふり返ってるひまなんかないもの。会えばおたがいに“よくヒネたなあ”なんて言い合うだけさ」

――映画(『パリの哀愁』)の撮影のほうはどう?

「フランス語をしゃべらなきゃならないんでね、まいってるよ。相手役のクロディーヌ・ロージェさんがすごく親切なんで助かるけどね」

――正月には封切るという話だったんじゃない?

「そうなんだ。だからオレは引き受けたんだよ。正月映画に出られることは、ひとつのメリットやからね。それがいまになって2月になるとか、3月になるとか・・・・・・。約束がちがうと言いたいよね。それでなくても暮れは忙しいのにさ」

――作品そのものはどうなの?

「それがまたひどいんだ。脚本もろくにできてないんだからね。監督がスジ書きだけを持って、その場その場で頭をかかえながら悪戦苦闘してるよ。結局はタレントにおんぶしてるだけのものなのさ。
 それでもオレたちはプロだから、いちおう見られるような映画を作らなきゃならないらしいよ」

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↑引用終わり(ここまでで半分ぐらいです。続きは②で。)




そういえば時過ぎって、じゅりの代表曲なのに、歌謡大賞でもレコ大でも、
ビッグな賞は取ってないんでしたね。
布施さんのシクラメン旋風の年だったからなのか・・・・なるほどね。

しかし、このインタビュアーのラフな口のきき方、どうなの~?
ちょーっと、くだけすぎなんじゃない?
まあ当時、超人気者とはいえ、じゅりが20代の若者だからこうなったんでしょうかね。
今じゅりへのインタビューでは、なかなかお目にかかれない雰囲気ですわ。

ところでアテクシ、文中に登場する芸能人のなかで、
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドというのがわかりませんでした~。
「ツッパリなんとかロケンロー」ってやつかな、と思ったら、
それは横浜銀蝿さんだったようで。
ググッてみたら「港のヨーコ ヨコハマ ヨコスカ~♪」
って歌の方々だと言うことがわかりましたわ。
全然関係ないけど、勉強になりました。

でも、この曲がOKで、このわずか5、6年前にタイガースが出られなかったって、
ずいぶんヒドイんじゃないのぉ~?

あと、どうもわからないのが、
「正月映画に出られることは、ひとつのメリットやからね。」
という部分なんですが、正月映画ってのは、ある種のステイタスがあるんでしょうか。
それとも、動員が見込めるということ?
しかし、映画の製作は、かなり行き当たりばったりだったんですね~



※明日はトークショー用のコメント待ち受け記事(って何よww)
 になりますので、この続きはあさってUPしますね。