あいらのひみつ箱

2006年の年明けとともにジュリーに堕ちました。日の浅いファンが 勝手な思いを書き連ねるゆるいブログです。

音楽はボクの救世主だ

2009-09-23 23:41:13 | 書籍・雑誌
東京勤労者音楽協議会機関紙の「ひびき」1974年2月号の記事です。
「沢田研二 ワンマンショウ」の告知に、若じゅりの文が載っております。



「音楽はボクの救世主だ」  沢田研二
ボクにとって、音楽は時には救世主のようなものだ。例えば一つの仕事が終わった時、ボクの歌を歌いつくした時、ボクの胸の中には言いようのない極度の寂しさが湧き上がってくる。ショーの出来が満足するものであればある程、その寂しさの底は深い。後悔と不安とあせりと迷いが、一度にふくれ上り、ボク自信を包んでしまうのだ。
 ボクにとって、歌えば歌う程、この寂しさは大きくなってゆく。そして、その寂しさが再びステージを求め、歌う場所を欲しがってさまよい続け、ボクの行動の原点になっているような気がする。
 ボクの中に出来たこの空虚な穴を、次のステージで埋めていきさえすれば、ボクはそれだけ成長したことになるのではないか。その穴が大きければ大きい程、ボクはもっともっと成長する・・・・・・そう信じたい。
 そんな時、申し合わせたように、あの迫力のあるロックのサウンドが、ベースに守られギターを扇動し、ドラムに拍車をかけて、ボクの心の中にとびこんでくる。歌を仕事にしている筈のボクが、このロックのリズムで、ハッと我に返り、再び歌・音楽への意欲をとり戻すのだ。だから、音楽はボクにとって、救世主なのだ。("沢田研二新聞"より抜すい)


74年の2月と言うと、じゅりさま25歳の頃なんですが、凄くないですか、これ。
アテクシこの文章にけっこう打ちのめされてしまいまして。
だって、何度か読み返して、やっとなんとなく意味がわかるかな?という感じですよ~。
雰囲気としてはわからなくもないですけど、未だに、きちんとこの文章を理解できてる自信ないですもん。
もともとは「沢田研二新聞」なるものに記載された文章だそうですが・・・・ナンデスカソレ?
ファンクラブの会報みたいなものでしょうか。
抜粋なので、たぶん文章が丸められちゃっていると思うので、これの元文をぜひ読んでみたいものです。

この「ワンマンショウ」の会場と記載されている渋谷公会堂で、
(まあ、CCレモンホールと名前は変わっちゃいましたが)
35年の月日を経て、明日ツアーのファイナル公演を行うじゅりーです。

今も音楽は彼の救世主なのでしょうか。
明日、Julieがステージの上で、ロックのサウンドに突き動かされ、歌を呼び覚ます瞬間に
客席で立ち会える皆様、どうぞスペシャル・プレジャーなひと時を!