打越通信

日記ふういろいろ

霧の朝

2014-01-31 22:24:04 | 日記ふう
朝の4時半に目が覚めた。
別に起きても良いんだがせっかくだから、再び眠りの世界に入る。
まだ体が正常で無いようで、あと少し寝れるというありがたい状況ではある。
それでも体が目覚しの音を聞きたくない、という反応なのか時計を見ると5時20分だ。
ベットから出てリビングに降りる。
そんなには寒くない朝だ。
新聞を取りに外に出る。
新聞を3ページほど見ていると妻が起きて来る。
それから簡単な朝飯を食って仕度する。
家を出るのは6時20分過ぎ。
さあ、今日で1月も終わりなのだ、と心に言い聞かせ新幹線に乗る。
これだけはこの一年弱変らない列車なのだ。
N700系だったり800系だったり週代わりなのか良く分からないが決まってはいない。
でも新玉名駅や新大牟田駅、筑後船小屋と自由席に乗り込む人たちは多い。
800系の列車ではたぶん自由席は座れないだろう。
それに比べれば指定席の方はガラガラなのだ。
だからこの列車、800系の場合(6両編成)のときは1ー4号車までが自由席になる。
通勤には一番良い列車でさくらが止まらない新玉名、新大牟田、筑後船小屋にとっては大事な列車だ。
今日は新玉名駅に着く頃には濃霧が出ていた。
まったく真っ白な世界を列車が進む。



まったく見えない世界で新玉名駅、そして新大牟田駅もそうだった。
越後船小屋を過ぎると太陽が少し顔を出す。
でも筑後平野もなにか白い世界が漂っていた。
1月も最終日、間違いなく季節の移り変りを体感している。
今回の体調不良で食欲も無くなり、昨日体重計に久々乗ったら、51.7kg、われながら頑張っているではないか!
今日も昼食は例の食堂。
思い切って野菜炒め定食を頼んだ。
一緒に行った同僚2人がそれを見て、すごいと声を漏らす。
でも結局、三分の2くらいしか入らなかった。
でも完全に復活の兆しなのだ。

雨の朝

2014-01-30 20:57:12 | 日記ふう
ちょっと仕事空けすぎの感じで、今日は会社に行かなければなるまい。
朝まだ暗い5時半起き。
寝すぎた体にはちょっとキツイが我慢して起きる。
思ったようには寒い朝ではなかった。
でもベッドで聞こえていた屋根を叩く雨の音。
起きてリビングに出て窓を開けると憂鬱な雨だ。
傘をさして駅に向かう。
7時11分のつばめに乗り込む。
雨の熊本駅、車窓からまだ薄暗い熊本の風景が見える。
しばらく目をつぶり軽い睡魔に身を委ねる。
越後船小屋をすぎたあたりだったろうか、目が覚めて再び車窓を見る。
雲が深く垂れ込んで、青い世界がある。
えっ!とその光景に見とれる。
青い世界なのだ。
思わずデジカメを取り出し、撮ろうとする。
<カードが入っていません>
幻想的な空間をこの列車が走っているのだ。
ケータイを取り出して何とか雰囲気だけでもと思うがなかなかうまい写真は撮れないものだ。
春の予感が体にしみる。
もう春なんだと、私にとってあまり好きな季節では無い。
憂鬱、そんな春、PM2.5の警戒が出ている九州北部地区。
休ん分だけ、さすがに今日はきつい一日だった。

夢の中へ

2014-01-29 15:16:07 | 愛犬(Qoo)
<寝ても寝ても、寝足らん!>
そんな電話を会社に入れる。
会社の方も数名高度の熱で休んでいいるようだ。
寝ても寝ても、寝足らん、とは本当の事なのだ。
そして夢を見る。
悪い夢では無い。
父や母、そして懐かしい人々が大勢出てくる。
それを一つ一つ書いても、説明がつかないだろう。
そんなパラダイスのような世界、コイツが出てくる。
彼が死んでもうすぐ2年になる。
甘えん坊でわんぱくで、どうしようも無い、やつだ。
目覚めて、自分に帰る時がある。
そんな清らかな精神に帰る事はひさしぶり。
しばらくその雰囲気を楽しむ。
これは私だけでなく、妻も息子娘も同じ事なんだろうと思う。
クーは死んで2年になる。
でも私たち家族の中には、生き続けているのだ。

ps
妻が立ち止まって
「クーに会いたい!」
と涙ぐむ事、数回ある。

でも会うことはできないんですよね。

副作用

2014-01-28 14:26:34 | 写真投稿
朝5時半、目覚めて会社に出る。
こんな事が丸々一年続くのだ。
気管支炎から復帰して、病み上がりの体では少しきつい。
はあはあと言いながら駅の階段を上る。
まだ薄暗い駅のホーム、寒いの何の・・・。
列車を待っていると中腹にあたりが来た。
その場はこらえて熊本駅、急いでトイレに駆け込む。
ひとまず事なきを得て、コンビニで肉まんとミネラルウォータを買い列車に乗り込む。
すると再び便通だ。
博多で中コンコースを歩いていると再び襲ってくる。
数年前、経験したノロと同じ状態だ。
会社に出たが、30分起きにトイレに。
出るのは飲んだ水ばかり。
そう、激しい下痢は脱水症状になることがある。
血液の濃度が濃い私にとっては致命傷的な状況である。
気管支炎への薬の副作用なのか、不安になる。
会社を早退して、午後の列車で熊本に帰る。
主治医の元に行き、状況を説明する。
気管支炎の病院で出された薬を見ながら
「薬の可能性は否定できませんが。ノロの判断で処理しましょう」
との事だった。
再び大量の薬をもらい、会社には休み(ノロ疑い)の連絡を入れ休んでいる。

買い物

2014-01-27 19:59:53 | 日記ふう
何のためのウイークリーマンションだったのか、丸々3日間は寝て過ごすことになってしまった。
しかし今回は娘が何かと力になってくれた。
行った日の昼過ぎ、今度新しく家を新築した同僚への新築祝い。
何が良いかと妻と娘と買い物だ。
リラクゼーションの品物を見つけた。
加湿器のようなものに香りの元になるオイル数滴たらすと芳香的な機能にもなる。
そしてライト、鳥のささやきや波の音、森林の中にいるような雰囲気ある音楽が流れる。
それも小さいリモコンが付いていてそれで操作が出来るやつだった。
そしてパソコンやiPHONEと連携して音楽を取り込むkともできるようだ。
これなら良いだろうとレモンの香りが付いたオイルを一本つけて、彼の住所に送ってもらった。
一万円ちょっとだったので小銭を払い、後はカードの一回払いで支払った。
数日後
「ありがとうございました。家に帰ったら小鳥の声が聞こえてビックリしました。もう五、六年前に買ったのがあって、それをトイレに持っていって。○○さんから頂いたものをリビングに置いてます。」
との事だった。
以前、使っていたのなら価値も分かるだろうし、よかったよかった。



そして最終日、薬が効いてだるさも取れ、なまった体を動かすのにマンションを出てそぐ横にある住吉神社、裏門から入って表参道に出た。
てくてく歩いてキャナルに来た。
買い物にも着る物にも全然興味が無い私だが、アミュプラといいここキャナルといい男物の服やバッグといったディスプレイされているモノに良く目が行くようだ。
やっぱり熊本となんかと違ってディスプレイのセンスというのが非常に上手に思った。
キャナルの地図と店を書いた小さい文字を追いかけABCマーケットを探す。
店に入り見てまわるが良い物は3万円、4万円とある。
店員さんが声をかけてきたので
「雪道でも滑らなく、防水タイプの靴が欲しい。」
というと3種類の靴を持ってきた。
値段もあまり裕福でない私にとって手ごろな値段だった。
一つに決めサイズを言うとそれを持って来てくれた。
履くときにちょっと履き辛いが履いてしまうと快適な半ブーツ式の靴だった。
結局そのまま履いて帰ることにし、履いてきた靴はナイロンの袋に入れ持って帰った。





そして熊本へ。
たった一週間であったが、マンションの部屋にお礼を入れて帰ったのだ。

気管支炎

2014-01-25 09:21:27 | 日記ふう
コホン、コホンの軽い咳から、次第にゴホン、ゴホンとだんだんと咳が深くなってきた。
風邪で2日も寝込むことはここ数年無かったのだが、今回はきつい。
初日はまるまるベットの布団の中で過ごし、前日に買った咳止めの薬を飲んで安静にしていた。



博多に着いて博多駅中のユニクロで約5000円分のヒートテックを買ったのに出番は無かったわけだ。



2日目は朝から会社に電話して休みを告げて、ネットで地図を出し、内科クリニックを探し出かけた。
受付で問診表を記入している間に体温計が渡された。
問診表を提出するとき体温計を見ると37.2だったので微熱だ。
まだ若い先生だったが、最新の電子カルテに症状を入力していく、私の前にもモニターが用意されていて、内容を確認出来るようになっている。
最初、白内障、緑内障が出ているかどうか検査だ。
良く考えると道を隔てた先に親母体の眼科があるのだ。
問診を受け、出た結果は気管支炎との診断だった。
こじらせると肺炎の恐れがあるので注意が必要との事だった。
今飲んでいる薬を先生に出して見せると、今から処方する薬を飲んでその薬はやめるように言われた。
病院を出て隣にある薬局に行き処方箋を提出する。
ここでも今飲んでいる薬の提出を受け、差し出す。
同じ成分が重なっているので止めるように言われた。
結局処方された薬は、ウイルスや菌を殺す薬と炎症を止める薬だった。
後発(ジェネリック)が適用できる薬があるので希望するか聞かれた。
その後発の薬で咳を止める液体薬と気管を開く貼り薬が処方されたわけだ。
ウイルス性の気管支炎と判断されたのか炎症を抑える薬だけではなく、ウイルスを殺す薬が出たようだ。
病院を出て博多駅に向かった。
明日のキップを買うためと、食事だ。
何せ食欲も出ず、毎日バナナやイチゴ、みかんなどしか入らない。
それに栄養剤を1本飲んだだけだ。
キップを買って、アミュプラのくうてんに出かけてみた。



数件の店のディスプレイを見てまわるがどれも入りそうに無い。
ビアホールがあったのでそこにした。



生ビールを2つ、妻はフローズンビールだ。



ミックスピザを3かけら口にし後はビールで流し込むだけだった。
後はトボトボと飯場に向かい8階の部屋のベットで熟睡だった。

風邪

2014-01-23 21:01:29 | 日記ふう
ゴホン!ゴホン!
風邪をひいてしまった。
一昨日は氷雨が降る中、友人と遅くまで飲んでいた。
それがいけなかったのか、次の日は出社はしたが朝からセキがとまらない。
目の前の同僚からマスクをもらい、それでもセキが止まらず客先に出て打ち合わせだった。
そして、今日、休みの連絡を入れて一日寝て過ごした。
最初は軽いセキだったが、次第に深いセキに変った。
結局、一日飯場のベットで過ごした。
一日寝て過ごし、悪寒がする体で書いているので、頭はボーっとしている。
内容はどういうふうになって行くのか分からないが、おつきあいください。



えっと、どこまで書いたのだ。
出稼ぎ労働者の飯場からか。
博多駅のアミュプラをブラブラして、今日のウイークリーに向かった。
今回で5回目のウイークリーなので、過去4回の中で一番良かったマンションだ。



何せ2人でも十分広い。
1DKというのかな、トイレも風呂も別で、自炊生活もなんのその。
初日と次の日はお友達とのみに行ったので外食だったが、それ以外、朝食も妻が作ってくれる。
しかしね、風邪で寝込むとは思いもしなかったので、こういう時は良いのだ。
機密性の高い部屋なので、空調さえしっかりしていれば寒いとは思わない。



さて、体調との相談だが、たぶん明日も休みになるようだ。
今から熱燗を飲んでぐっすり寝るのだ。

再び

2014-01-20 20:52:00 | 日記ふう
日曜日、ゆっくり目の朝だった。
目覚しのアラームを切って寝たので目覚めたのは8時過ぎ。
土曜日は一日寝ていてそれでも日曜のゆっくり目の目覚めだった。
妻が用意してくれる朝飯をゆっくりとした時間の中で頂く、これが至福と言うのだろう。
朝飯食ってゆっくりとした時間をコーヒーを飲みながら過ごす。
テレビを見ながらゆっくりと過ごす。
10時を過ぎたので準備を始める。



背広をスーツ入れに入れ、キャリーバッグに着替えや寝間着、その他生活必需品を詰め込む。
やはり冬物は分厚いのでバッグはすぐに一杯になる。
ちょっとしたスペースが出来たのでEOS(6Dのほう)を詰めた。
妻のバッグも満杯なので仕事用のバッグ(パソコン入り)は別のした。
再び出稼ぎ労働者の一週間、飯場(はんば)生活の始まりだ。
準備が終わり、家の戸締り(一週間だからね)を見て周り、タクシーを呼んだ。
まあ、ジロー夫婦には連絡しているので何かあれば連絡してくれると思う。
上熊本に行き、直近の新幹線に妻の分と一緒に指定席を書き換える。



在来線で熊本駅へ向かい、一度改札を出て、つまみとビールを買う。
12時8分のつばめで博多を目指す。
ほろ酔い気分で博多駅。
コインロッカーを探すがどこも一杯だった。



しかたなくコロコロとキャリーバックを転がしながら、デイトスのカレー屋に入った。
妻の希望でカレーになった。
駅でのカレー、これは雰囲気があり、私も好きだ。
食事を終わり、まだ2時間ばかり時間がある。



ウィークリーは3時からなので、アミュプラをブラブラした。

ここまでで眠くなったので、続くにしたい・・・。

食欲全開

2014-01-19 20:19:09 | 食事
恐怖の立ちくらみも消え、この頃食欲が戻ってきた。
通勤の疲れからか土日の一日は完全に寝て過ごす。
これが当たり前になってきている今日この頃だ。
それでも昼になるとしっかり起きて食事に出る。
漫才で有名な地元出身の芸人のお兄さんが一気に店を出店。
あちらこちらに餃子の店を出店し、赤い服を来たご自身のキャラクターを店の前に出し華やかに見えた。
それから数ヶ月、あっという間にその店はすべて消えてしまった。
ブログでいろいろな方面の意見を見ると、従業員の教育が全然ダメで料理の方も餃子以外は全然ダメだったようだ。
噂によるとそういう店の経営を支援するコンサルがいるようでそのコンサル自体も経営悪化の状態にあるようで、結局そこを基点としていたようだ。
まあそんな話はどうでも良くて、その○○兄の店の跡に出来たなんとも不思議なハワイアン風の店だ。
コナ・リゾート・カフェ。
店内に入ると
「アロハ」
と声をかけていただける。
ハワイアンが流れていてなんとも不思議な感覚なのだ。
だだ広いテーブルに2人で腰かけメニューを見る。



テーブルにはマスタードとトマトケチャップ、ハンバーガー用のようだ。
メニューを見て「特製ナポリタン」の文字が見えたのでそれにした。
そして野菜スープとヨーグルトサラダが目に入ったのでそれにした。
ハワイアンのお店でなんでナポリタンなのか良く分からないがメニューにあるからしょうがないのだ。
妻はパンケーキにしたようだ。



サラダが来た。
コップに入った一見デザートにでも見えるがこれがサラダドレッシングなのだ。
これを入れてサラダをかき混ぜていただく。
最初の一口だけで後は妻が独り占めだった。



特製ナポリタン、なかなかの味を出していたがパスタが少しコナっぽかったような。
まあいいかコナ何とかだ・・・。



妻のパンケーキ、なんとパンケーキが3重4重で生クリームの量が半端でない。
「カロリー高いよね」
などといいながらペロリ。
次の日は郷土のデパートへ行く。
ここのお買い物券がまだ数枚残っているのだ。
レストラン街の店はほぼ制圧した。
残っているのはファミリーレストランのみ。



妻は豆腐料理



私は生姜焼きの定食だ。
食欲が戻ってきて体調も良くなってきているようだ。



虚構新聞

2014-01-17 22:00:22 | ネット記事
朝5時半に起きる。
あまりに寒いので新聞を取りに外に出たくない。
妻が起きて来て食事の準備をしてくれる。
その間、コーヒーを飲んでテレビでもみて過ごす。
食事の準備が出来て朝飯を食っている間に、妻が新聞を取りに行って、こたつに入り新聞を読み始める。
食事を終えて時計を見るとすでに6時を回っている。
こりゃ急がなきゃ!と洗面所に行って歯を磨いて顔を洗って背広に着替える。
結局、ここまで書いて何が言いたいかというと、新聞を読む時間が無いって事だ。
以前は朝日新聞を取っていた。
しかしね、あまりにも頭に来る記事ばかりでこれは体に悪いといって辞めた。
そして地元新聞をとるようになった(ちょっとした知り合いの関係で・・・)
しかし、この新聞もまるで学校の壁新聞みたいな内容ばかりで、これではアホになってしまうと頭に悪いので辞めてしまった。
もともと地元にでんとした報道(テレビ・ラジオ)が基盤で地元にあぐらをかいて革新性のない企業体質なのだ。
おもしろいはずが無い。
(母を預かるようになって読売新聞をとるようになった。
こちらも巨人嫌いな私としてはどうかなぁって感じだ。
しかし記事や特集(読んでも無いのに)は特に問題ないようだ。
朝からは読めない新聞なのだが、会社ではいろいろな新聞をネットで読んでいる。



<五輪返上>まったく地元の殿が立候補までして御乱心しているが要一シャンでは心もとない。
一体どこに行くのやら、原発廃止かどうか、確かに経済を考えると原発の問題は大きいが、それはそれで、夢が無いと将来は無い。
産経やその関連のZAKZAKなどは韓国や中国問題の記事が多い。
そして結構面白いのが沖縄タイムスや琉球新報、中日新聞等の地方紙だ。
その地方で何がおこっているのか手に取るように分かる。
たまに朝鮮日報なども見るが、反日記事や日本に対する記事が結構出ていて面白い。
最近、産経を読んでいて見つけた「虚構新聞」、でたらめな内容をもっともらしく書いているところが素晴らしい。
たった一人で運営しているのがからこれまた素晴らしい。

虚構新聞

どうせ報道の世界も虚構の世界だ。

ハウステンボス

2014-01-16 21:11:09 | 小旅行
ハウステンボスに来るのは2回目になるのかな?
いやいや、何回か来たのか記憶に無いだけなのかも知れない。
初めて来た時は開園したての頃で、義理の母とまだ幼い息子と娘と、佐世保から船に乗って西海橋の下を通って入った記憶がある。
道を迷いながらもなんとかだだっ広い駐車場に車を止めた。
入国ゲートに行き、入場券とパスポートを求める。
17時以降の入場が「光の宮殿イルミパスポート」というのがあって、通常5,900円が4,200円で売られていた。
時計を見ると16時40分だったのでそれを購入してゲートの前の広場で時間をつぶした。
仮面をかぶった係員が何人かが「光の宮殿イルミパスポート」の持った客のエスコートをしている。
まあ初めて来るようなところなのでしっかりと壁に貼ってある地図をみる。
しかし、娘という力強い味方がいるので今日は彼女に任せる。
会場17時前に、仮面を着けた係員が入場の宣言をした。
今日は娘が主力の我が家族なので
「さっこ!明るいうちに船に乗りたい!」
と言うと、許可が降りた。



早速、船着場に行き次の船を待つ。
良く分からないがホテルヨーロッパまでの片道のようで、再び帰ってくるには再乗船しなければならないようだ。
海賊のような恰好をした若い女性が船長だ。
10分くらいのクルーズで船着場に着いた。



船を降りてタワーに登った。
まだ明るいうちに街の全ぼうをを把握しなければならない。
それからブラリブラリと街の探索だった。



いくつかのテーマ館に入ってそれなりに楽しんだ。
今日は花火があがるとあって、食事をしようとレストランに入るがどこも一杯だ。



しかたなく、てくてくと歩いて園内をみて回る。







仮面舞踏会、音楽会、光の王国のパレードなどさまざまな催しが同時に行われている。





非常に寒いが、そんな光の王国のイルミネーションに見とれてしまうのだ。
午後8時半を過ぎて花火のアナウンスが流れる。
打ちあがる冬の花火だ。
ディズニーなどと違って有名なキャラクターもいないハウステンボス。
頑張っているな。
寒い冬の空に打ちあがる花火を見ながらそんな事を思った。

佐世保

2014-01-15 21:02:08 | 小旅行
翌朝はゆっくりめの起床だった。
兄夫婦は地域の世話人をしているので、どんどやのお世話で公民館に行っている。
朝飯を食ってゆっくりと過ごした。
昼になり兄が帰ってきた。
そして姉も帰ってきた。
公民館でゼンザイを作ってきたと振舞ってくれた。
お礼を言って実家を出たのが13時頃だったろうか。
九重九島の絶景ポイントを兄に教えてもらい、先ずはそこに行ってみた。
前日新年会があった料亭の手前だった。
208あるといわれる島々、実家に帰るたびに絶景ポイントを探すがはじめてのポイントだ。
それから佐世保の街中に向かう。
娘がこの佐世保の三ヶ町、四ヶ町が大好きで、佐世保に帰るたびにブラブラするのが良いらしい。
しかし駐車場がどこも空いていなくてしばらくウロウロした。



繁華街に出てみると晴れ着姿の若者で溢れていた。
アーケードに入ると、黒い肌の背の高い外人さん、白人のカップルなど佐世保ではありふれた光景も目に付く。
まあ、熊本ではあまり見かけない光景なので、さすが基地の街ならでは、といった所だ。
佐世保名物のバーガーのお店には長蛇の列が出来ている。
長い長いアーケイドを一通り歩いた。
時間調整もあり、お腹も空いたことだし、駅前にチャンポンを食いに行くことにした。
昔、佐世保駅前には地下道があり、その地下道に2,3件の専門店があった。
しかしその地下道も今は無い。
高架になったその下に店は移っていた。



妻はチャンポン、娘は柔らか麺の皿うどん、私は細麺のパリパリの皿うどん。
牡蠣入りの本格チャンポンに皿うどん。



味を変えようと醤油かな、と思ってかけた。
妻が言う
「長崎はソースなの」
ところ変われば、ってなわけだ。
3人で夢中になり平らげて、今回の計画のメインへ移動することにする。

平戸

2014-01-14 21:29:20 | 小旅行
長く長く続く松林を抜けて唐津の街中に出た。
この街も新しい道が出来て本線の204号線がハッキリしない。
娘のスマホの指示にしたがってやっと見慣れた道に出た。
204号線で伊万里に向かうことになる。
走っていると<平戸まで70分>の看板が出ていた。
思い切って右折してその道に入る。今では珍しい白の点線道路だ。
前に大型トラックが走っていたがそこそこのスピードだったので追い越しはせず、静かに後を追った。
しばらく走ると大きな橋が見えてきた。
伊万里湾大橋といって存在は知っていたがはじめて通る橋だ。
巨大な橋のおかげで、伊万里市街地まで行かなくて、ショートカットできるのだ。
それからは懐かしい204号で平戸を目指す。
息子が生まれた頃、お産で帰っていた妻と生まれたての息子を見に何度も通った道だ。
今福、松浦、田平を抜け、平戸大橋を渡る。



右手に平戸城(亀岡城)が見える。
娘が大好きな平戸の街。
何せ鎖国時代の前の時代からポルトガルやオランダと交易をしていた街だ。



なんとなく雰囲気がある街で歴史を感じさせる。
チョッと路地に入るとなんともいえない感じだ。
これだけは言葉では言い表せない世界だ。
教会があったので行ってみた。



フランシスコ・ザビエルがこの地にやってきて何年になるのか知らないが、生誕500年ということらしい。
割と小さな教会なのだが威厳がある。



中に入るとステンドグラスで囲まれた独特な雰囲気だ。
禁止事項には写真撮影は無かったので、正面から写した。
天草の崎津や大江の教会は禁止事項だったけどここは良いのかと疑問を持ちながらだ。
教会を出ると教会の前に猫がいた。



気品のある猫で写真を撮ろうとするとすたこらと逃げていった。
平戸を出て妻の実家を目指した。
夕方5時過ぎに着いたので、そのまま妻の両親の墓参りに出かけた。
墓は静かな山の登り口にある。
黒色の立派な墓で、金の文字で家紋と名前が書かれている立派な墓だ。
掃除をして線香を炊いて久しぶりの魂の挨拶だった。
今日は義理の兄夫婦にお世話になる。
兄が経営する会社の新年会とバッタリあってしまった。
その新年会に私たちも来いという。
でわでわと、出かけてしまった。
迎えのバスで山間にある料亭へ向かう。
ふぐの刺身に和牛のしゃぶしゃぶ。
それから佐世保市内に出てスナックに和風の居酒屋。
兄の家に戻ったのは午前様の1時過ぎだった。

牡蠣小屋

2014-01-13 15:21:20 | 小旅行
家を朝の8時過ぎに出て、植木ICから九州道で博多を目指す。
太宰府ICで高速を降りて国道3号線を娘のアパートを目指す。
妻の両親の墓参りと義理の兄夫婦への新年の挨拶を兼ねての計画である。
娘に「一緒に行くか?」と聞くと「行く!」と言う。
普段は鳥栖JCT から長崎道で佐世保を目指すのだが、今回は娘を拾って行かなければならない。
3号線から百年橋通りに出て美野島商店街を進むと娘のアパートだ。
妻がケータイで連絡をしていたのでしばらくすると14階の部屋から降りてきた。
さてと、今日の昼飯は糸島の牡蠣小屋で牡蠣を食うか、ちょっと足を伸ばして呼子のイカかと話が盛り上がる。
とりあえず住吉通りに出てそのまま薬園駅の横を西へ向かう。
西新付近で何を間違えたか細い路地に入り込んでしまった。
看板に<今宿、唐津>の文字が見えたのそれに沿って進む。
202号線、唐津街道と言われる道だ。
海岸べりの道を進む、今宿を通り糸島に入った。
ネットで牡蠣小屋の情報は入れてきたつもりだが、皆で牡蠣小屋の看板を見つける。
たまたま信号で停まった先に牡蠣小屋の情報を発見。



右折して港に着くとそこに2軒の小屋がある。
2つの小屋も結構人が入っていた。



メニューを見ると14個入りが1、000円とある。
くうてんや天神だと5、6個で2、000円から2、500円くらいする。
隣に座る同僚が
「それだったら糸島の牡蠣小屋が安いよ」
と言っていたが本当だった。
とりあえずそれを一つと牡蠣飯、かに汁、おにぎりなど注文する。



牡蠣の焼き方を教わり一気に焼く。



あちこちで牡蠣の弾ける音がする。
何とも賑やかな小屋だ。
焼けて口の空いた牡蠣を軍手をはめた手でつかみヘラのような道具で一気に殻をとる。
醤油を少したらし、先ずは汁から頂く。



潮の香りが詰まった汁に満足だった。
そして牡蠣、とろりとろける甘い味、いや~!これは酒が欲しいところだが、ノンアルビールで我慢だ。



14個の牡蠣も終わり、最後にサザエを焼いた。



これまた潮の香りが詰まった一品で美味しかった。
満足な食事を終えて、唐津を目指す。
ここは虹の松原と言う長い長い松林が続く。

日々が始動

2014-01-10 19:50:07 | 日記ふう
恐怖の立ちくらみも月曜、火曜日と出たが薬の影響かその後は静まっている。
ここ2日ばかりもの凄く寒い日が続いている。
あさ5時半起き、寒い中を新聞を取りに外に出るのが辛い。
新聞を読んでいると、朝食の準備が出来きそれを頂いて家を出る。
いつもの上熊本駅、電車を待っていると例のケータイ女。
今日も静かなホームに彼女の声が響きわたる。
それともう一人、当然女性(なぜ?)なのだが、毎日のように新聞に入っている広告だろうか、駅のホームのゴミ箱の前で広告を読んではそのゴミ箱に捨てているのだ。
最初何をしているのかみていると、広告を見てはゴミ箱に投入。
何かこれは、というのがあるとそれだけ持って帰るのかと思いきや、すべて捨てているのだ。
まったく熊本人って変なヤツが多い。



電車を待つのにホームに垂直に並ぶ、降りてきた乗客はどうするの?
降りようとすると乗り込んで来ようとするヤツがいる。
降りる方が降りないと乗れない理屈が分からないのだろうか。
まったく情けないがそれが熊本人のマナーのようだ。
冬休みが終わったのか、再び学生たちの通学で上熊本駅は大勢の学生が降りてくる。
乗り込む車両も空気を入れ替えた方が良いのではないかと思われるくらいによどんでいる。
わずか3分で熊本駅。



熊本駅に着くと、冬至を越えて少しは日が長くなったのか、しらじらと夜明けの雰囲気になる。
新幹線に乗り外の風景を眺めていると、鳥たちが目覚めたのだろう、幾十にも飛んでいく姿が見られる。
博多駅に着く頃、やっとお日さまが出て一日の始まりというのを実感する。
今日、博多では粉雪が舞った。



体のことを考えて今週は早めの新幹線で帰宅している。
明日から妻の実家の佐世保に帰る。
ネット環境の無い所なので通信は出来ないと思うが、その後をお楽しみに。