打越通信

日記ふういろいろ

駕与丁公園

2014-10-29 19:24:10 | 日記ふう
2週にわたって2泊3日で博多に来ている。
息子と妻と3人で来て私と妻は娘のアパートに泊まり息子は自分のアパートに泊まった。
昼過ぎからの出発だったのでその日は泊まるだけ、今日は2日目となる。
昼過ぎに娘のアパートを出て昼飯を食いに出た。
南里という所に行きそばを食った。
博多で仕事をしていた頃良く行ったところだ。
食事を終えて志免町のシンボルである炭鉱跡の建物を右手に見てクルマを走らせる。
走っていると右手に大きな池が見えてきた。
仕事の関係で何度も通った道だ。
公園の駐車場にクルマを停めてぐるりと散歩をする。



粕屋ドームと呼ばれる建物に入る。



ドームの中にはバスケットコートが4面もある広い体育館とこじんまりした体育館とあり、地元の園児たちがゲームのような遊びをしていた。
粕屋町の施設なので建設費や維持費はものすごい金額になるのだろう。
博多のベットタウンとして人口の増加率は凄いことになっているという。
現在の人口は約4万5千人、しかしまだまだ増加しているようで増加率は全国でもトップクラスという。
糟屋郡ということだが博多駅まではJRですぐの場所だし、クルマならほんの30分くらいでいける場所だから便利も良いところだ。
駕与丁(かよいちょう)池をのんびり一周することにする。



紫外線が強いが風は秋風で、ベンチに座りのんびりと過ごす。
池の中央には時計台のような建物があり、そこに行ってみるとバラ園になっていた。



日差しが強く秋のバラたちがいっせいに咲いていた。



平日なので人の姿はまばらだが、釣りをする人、幼子をカートに歩く主婦らしき人たちとすれ違う。
池の一周が42195mというからちょうどフルマラソンの10分の1の距離だという。
公園内には野良猫たちが沢山いる。



一匹の猫が擦り寄ってきて私の足に体を摺り寄せている。
餌をねだっているのだろうが何も持ってはいない。
人なれした猫たちがあちらこちらに見かける。
池を一周したが結構な距離だった。
平日の昼下がり、仕事をしていた頃では考えられない至福の時間を過ごすことが出来たのだ。



亭ノ元

2014-10-24 20:47:48 | 食事
妹からメールが来る
<おじチャンの命日なので墓参りに行く>
それで私たち夫婦も出かけた。
叔父の墓は自宅からすぐ近くなのだ。
お参りも終わり、てちゃんに電話した。
親父たちの兄妹は6人、親父が長兄で前出の叔父が次男だった。
そしててっちゃんが一番下の弟と言うことになる。
だから私としてはおじになるのだけど兄貴みたいなものだ。
父の兄弟も仲がよくて、兄妹でちゃん付けして呼び合っていた。
オヤジは<しろちゃん>次男の叔父は<マーちゃん>、もう一人の叔父は<りょうちゃん>、女性人は<オッペシャン>と言う具合だ。
墓参りを終え、一番下の叔父<てっちゃん>に電話した。
何か旨いものでも食いに行こうと事だ。
<ケン、だご汁の旨いところがある>
それでクルマを走らせて、というか山の中に来た。
西浦荒神という神社の近くにあり、熊本市長選もあり何にかと変な雰囲気だったが、今回は出馬しないそうで改めた。
場所は分かりにくいところで、叔父が言うには
<だご汁屋>
というだけで店の名前も分からない。
昼前になると混むので早く行こうと言っている。
こここと言っているが店らしい看板は無い。
ハイハイと車を停め叔父に従うわけだが、分け入った先に平屋が見えた。
中腰で店に入ると昔ながらの母屋になっていた。
何だこれはとメニューを見る。
和紙で書かれたメニューはだご汁定食と単品のだご汁、それと焼き魚定食のようなモノだった。



私と妻はだご汁(単品)にした、叔父と妹はだご汁定食にしたのだ。
出てきただご汁を見てびっくり。



私は半分くらいしか食べれなかったが、妻は完食、妹も叔父も定食に負けず完食だった。

打越神社例大祭

2014-10-23 16:58:15 | イベント
結婚して上の子が生まれ土地を買って家を建てて、この打越町に住むようになって27年目になる。
引っ越してすぐに下の子が生まれた。
したがって我が家では下の子だけが打越(菅原)神社の氏子という事になるわけだ。
27年になるがやっぱり私たちは地の人たちからすると参入者なのかも知れない。
だけど町内役員等で老人会や子供会、婦人会などとふれあっているのだ。
今日はそんな行事の中の宮総代主宰の打越神社の例大祭がある。
当然、町内役員もお手伝いと例祭に参加する。
27年住んでいて2回目の参加になる。
大体平日に行われるため仕事の関係で今まで参加できていなかった。
宮総代のフナコイから電話があり台風の影響で今日に変更になったのだ。
午後2時半公民館に出かけた。
神社にはすでに幕が張られ高平神社の宮司が来られていた。



神事のことは良く分からないが供養のための鯛や果物などお供えする。
打越神社は菅原神社なので天満宮の筋に当たるので九州では大宰府天満宮の筋に当たるようだ。



神社の鳥居の前には、神を導く猿田彦の石像がある。
1851年、嘉永四年に建てられたものと何かで知った。
神事は良く分からないが例大祭が始まった。
どうも町(里)の安全を祈願する祭りらしい。



神事が進み神楽が始まる、首を垂れてみそぎを受ける。
神事は約30分で終わり、公民館で懇親会だった。
神社と鳥居にかかるしめ縄には由来があるようで、しめ縄自体は雲、垂れ下がった縄は雨、そして紙で作った紙垂(しで)というのが雷との事だ。
紙垂(しで)、当然、猿田彦の石像にもつけるのだ。



公民館でお神酒をいただき無事に打越神社の例大祭は終わった。

シーサイドももち

2014-10-21 17:33:57 | 日記ふう
博多3日目、朝起きてバナナと牛乳で簡単な朝食を摂り散歩に出かけた。
娘のアパートのドアを開けると秋晴れの素晴らしい風景が広がっていた。
住吉神社までてくてくと歩く。
境内では何かのイベントの準備をしていた。
都会の喧騒の中、ここだけはまったく違った静かな時間が流れている。
そんな境内のベンチに腰を降ろす、秋の朝の日差しに木々子木漏れ日が美しい。
1時間ばかりそんな秋の日差しの中を散歩してアパートに戻る。
今日一日、どうやって過ごそうかと妻に問いかける。
キャナルも近いし博多駅や天神も歩いて行けるので街ブラでもいいかなと思っていたが
「ももちも良いよ」
と妻が言う。
そう、ウィークリーやホテルに入っていた頃、妻は福岡総合図書館や博物館に行っていたのだ。
私はというと毎日新幹線で博多に通っていたわけだが、博多の街の観光などしていないのだ。
アパートの駐車代ももったいないし早速クルマで出かけた。
住吉通りから渡辺通りに右折せず真っ直ぐ進むと薬院町の駅の下を通り、六本松、西新と進む。
ももちに到着、図書館の駐車場にクルマを停める。



2時間の約束で駐車券をもらう。
福岡タワーのほうに歩いていくと何かイベントがあっていた。
ラジオ局の何かのイベントのようだ。
まあこんなのはどうでも良いんだが、一通り見て回ったがありふれたイベントで面白くない。



妻の案内で先ずは博物館だ。
福岡の志賀島で発見されたという漢委奴国王印と言う金印がある博物館だ。
建物は立派で中に入ると広大な空間がある。
展望室という所に妻が案内してくれた。



ふわふわのベンチがあり、人影も少なく、妻は隣の図書館で借りてきた本をここで読んで過ごしたらしい。
昼食の時間になったので妻がレストランに連れて行ってくれた。
この博物館にも隣の図書館にも軽食がいただけるレストランというかカフェみたいなところがあるそうだ。
博物館のカフェの前に立ちメニューを見る。
1000円以内で手ごろなメニューが並ぶ、そこに入った。



昔風のカレーにした、妻は日替わり定食を頼んでいた。
じっくりと時間をかけランチで過ごした。



博物館と隣の図書館の間の道はサザエさん通りと呼ばれているらしい。
福岡の街にももう少しで紅葉の季節が来るかのような風景だ。



総合図書館も雰囲気のある作りで、市民の人たちが本を読みながらくつろいだ時間を過ごしていた。
ちょっと先のヤフオクドームではパシフィック・リーグのクライマックス戦があっているようだ。
結局、秋山監督が率いるソフトバンクフォークスが最終戦に進出したようだ。
ハイテク企業が集まり高層の建物もあり、教養文化の拠点もあり、福岡のプロ野球の聖地でもあり、シーサイドももちは博多の副都心化しているようだ。

旧伊藤伝右衛門邸

2014-10-18 20:29:43 | 小旅行
博多に来て2日目、妻が飯塚に連れて行けと言い出す。
何のためなのかを聞くと、どうも「花子とアン」に関係するものらしい。
新幹線通勤でドラマは半分ほどしか観ていない。
でも妻が面白いというので土曜日に今週の、というのを観ていた。
主人公、花子の生涯の親友であった柳原白蓮の関係らしいのだ。
とりあえずネットで場所を調べ娘のアパートから飯塚を目指すことになった。
百年橋通りを進み国道201号線を篠栗方面にクルマを進める。
それから先は未知の世界、結構山岳地帯を進む、福北ゆたか線が平行している。
会社の数人がこの線で通っていたわけだが、こんな山岳鉄道のような電車で通っていたとは知らなかった。
とりあえず峠みたいな所を過ぎ飯塚の街並みが見えてきた。
201号線を降り200号線を進むと「旧伊藤伝右衛門邸」の看板が見える。
でも、臨時駐車場の看板が見えるが場所が分からずウロウロとした。
臨時駐車場に着くと沢山のクルマがある。
昨日の九州国立博物館と同じだ。
えっ、今日は平日なのに!
クルマを降り細長い路地を歩く、100mくらい歩いただろうか、突然巨大な門が現れた。
その門をくぐり伊藤伝右衛門邸に入る。
人で一杯だ。
ドラマの影響なのだろう、筑豊の帝王と呼ばれる屋敷にはそんな魅力があるのだろう。



敷地面積2,300坪、建屋床面積300坪といわれる、まるで熊本城のような個人宅なのだ。
先ずは庭園を見る。
芝生が綺麗に管理されている(そこだけは我が家とそう変わらない)がその広さには驚いた。



中央には東屋があり水は流れていなかったがその周りには池があり、まるで水前寺公園のような日本風の庭だ。
そして邸にお邪魔した。
桐や桜の一枚板を使ったと見られる玄関。



入ってすぐ横には応接室があり、和風な屋敷でありながら洋風の雰囲気を感じる。



そして先ほどの庭が見渡せる驚くべき広間だ。
食堂やたぶん女中部屋と思われる部屋などものすごい部屋がある。
調度品や書なども凄いのだろうが良く分からないのでパスする。
家の隅から隅までものすごく長い、そんな家の両側には蔵がある。



基本平屋なのだが唯一2階がある、そこが白蓮が使っていた部屋だったらしい。
いやはやこれが個人宅なのだから凄いもんだ。
その当時の背景(皆さんご存知だから書かないが)筑豊の炭鉱王、10年間一緒に住んだ白蓮に潔く別れを告げ九州男児としての男気を感じる。
邸内はやはり「花子とアン」の雰囲気で飾りつけなどもあり盛り上がっていたが、そんなことより、この屋敷を見て九州男子の男気を感じた。

それから国道200号線で直方を通り門司港まで行こうとしたが、黒崎で、そう、資さんうどんでかしわそばを食って博多を目指した。

門外不出の名品

2014-10-17 20:45:50 | 日記ふう
実は2泊3日か3泊4日の予定で博多に来ている。
別に5泊でも6泊でも良いし、一週間でも一ヶ月でも構わない。
娘のアパートはまだ借りているのでそこに宿泊できるのだ。
だから娘は休みになると週末は博多に行ってしまう。
今回はある目的で2泊3日の予定でクルマで出かけた。
自宅を正午少し前にパッソで出かけた。
出来るだけ高速を使わず国道3号線を使う。
途中で食事などをして、信号のタイミングが悪く渋滞する久留米だけは避けるため広川ICから高速に乗る。
筑紫野ICで降り大宰府天満宮を目指す。
いやいや、大宰府天満宮で無く九州国立博物館なのだ。
東京でも開催されている「台湾の故宮博物館展」を観にいくのだ。
筑紫野から道に迷いながらも何とか午後3時過ぎに到着した。



到着したのだがなんと駐車場はほぼ満車状態だった。
えっ、今日は平日なのだが?
クルマを停め会場に入ると、4階の会場までのエレベータの前で入場規制をしているのだ。



やっと規制がとかれエレベータで会場に入るとものすごい人で混雑している。
特別ブースと1から3のブースにわかれ順番に見ていく。
でも人が多く最前線で観る事は出来ない。
最初の特別ブースではあの肉形石が展示してありとてもマジカで観る事は出来ない。
確か台北の故宮博物館でも観たと思うし白菜の何とかも観ている。
故宮博物館も中国観光客の団体が凄かった。
10名から20名のグループ(ツアー)が数十団体が絡み合い鑑賞どころの話ではなかった。
そしてうるさかった。



そんなことを考えていたがここはやはり日本、混みあっているが静かだ。
でも今回2回目の九州国立博物館なのだが、前回はフェルメールだったがそのときと同じ状況だった。
ゆっくりと観せてもらえないのだ。
閉館近くになり妻と順路を変え最初のブースに戻った。
やっと人山が無くなりゆっくりと鑑賞した。
午後5時に閉館になり、美野島の娘のアパートに向かった。



14階のアパートからの眺めは相変わらず綺麗だった。
息子の仕事を終わるのを待って食事に出かけた。

ピーカン

2014-10-15 19:50:43 | 熊本の風景
朝飯食って坪井川遊水公園にウォーキングに出た。
いつもの堤防を歩く。
5kmほど歩いていると何か腰が重い(痛い)腰の付け根(牛乳を飲むとき手をやる場所だ)を指で押すと痛みが出る。
まあ筋肉痛なので心配はいらないが念の為中断した。
台風一過の晴天。
あまりにも天気が良いのでドライブがてら熊本港に行ってみた。
ホントは天草あたりにドライブしようと思ったが、妻が遠いところは嫌のようだ。
自宅から熊本駅を抜け花岡山をくり抜いたトンネルを抜け田崎市場の横を通る道だ。
何とか大橋を抜け、アクアドームを左に見てあとは真っ直ぐな道を雲仙普賢岳を正面に見て熊本港まで走る。
しばらく行き大橋を渡れば熊本港なのだ。
つまり熊本港は干拓された離れ島になっているのだ。



ここからは長崎の島原までオーシャンアローというフェリーが発着している。
駐車場を探すがどこも満車だ、一番遠くの駐車場が空いていたのでそこに駐車した。
今日は平日なのになぜクルマが多いのだろうと思った。
待合室の建物に入ると中は切符売り場はもちろん、港カフェなるレストラン、物産館などもある。
港カフェなるものでドリンクなどいただき建物の外に出た。
すると黒い子猫が2匹愛らしい顔で迎えてくれた。
人怖じしないようで、おいでおいでをしていると、どうもお腹がすいているようで食べ物をねだっているようだった。



するとおじさんが売店でパンを買ってきたようでそのパンをちぎりながら子猫に与えていた。
するともう2匹大きな黒猫が現れたのだ。
その様子を見ていると親猫のようで家族のようだ。
妻と横並びで<タラララッタ ラッタタン タラララッタ ラッタタン>などとCATSのテーマソングを口ずさんでいると黒猫ではなく茶色の猫がもう一匹現れた。
<猫にえさを与え無いでください>の看板の下でそのおじさんはその猫にもちぎってパンをやっていた。



その茶色の猫はCATSの主人公のグリザベラのように年老いてくたびれた感じの猫だった。
私の頭の中は<メモリーの歌>に切り替わった。
どうも野良猫の様だがいったいどうして家族をなしているのだろう?
黒猫のほうは目がエメラルドグリーンをしていて日本の品種では無さそうだし、離島化している熊本港にあの長い橋を歩いて渡ってきたのだろうか?
飼い主がここに捨てたとしか考えようも無いのだ。
しばしそんな事を考えながら猫たちを見ていた。



堤防には釣り人たちがいて
「何を釣っているんですか?」
と聞いてみた。
ハダラ(ザッパ)を釣っていると言う。
このおじさん話好き様でこっちから何も聞かないのに釣りより口のほうが動いている。
ハダラはママカリ(岡山名産)の魚で日本ではどこでも釣れる魚のようだ。
下におもりの付いたカゴがありそれに撒き餌を入れ釣る、アジゴ釣りと同じ要領だ。



クーラーを見させてもらうと何十匹かのハダラが釣れていた。
そんなおじさんの話と釣れ具合を見ながら熊本港を後にした。



真っ直ぐな道を市内方向に走っていると目の前に阿蘇の噴煙が見える。
えらく今日は噴煙をあげているようで、数週間前の御嶽山を思い出す。
後ろは雲仙普賢岳、目の前には阿蘇、熊本はそういう所なのだ。

台風19号

2014-10-13 15:59:31 | 日記ふう
息子は交通の混乱を避け、昨夕博多に帰って行った。
逆に娘は台風最接近の今日帰るという、兄妹だというのに性格は違うようだ。
朝起きてリビングの窓から外を見るとささやかな風が吹いているだけだった。
雨も降っておらず、テレビでは枕崎に上陸とニュースが流れた。
いよいよこれからなのだろうかと覚悟してニュースを見ていた。





正午、熊本県に最接近する時間帯、なんと日が差してきたではないか。
風もたまに突風が吹くだけで、以前体験した暴風と比べれば穏やかだ。
あの時の暴風は家が吹き飛ぶのではないかと恐怖を体験した。
実際、あの時は団地の何件かの家の屋根が吹き飛ばされたっけ。
家の窓ガラスが割れて吹き飛んだ家もあった。
あのときの体験があるので昨日は台風対策をした。
庭にある吹き飛びそうなものはすべて家の中に入れ(吹き飛ぶのはかまわないが他の家を襲う凶器になるためだ)、倒れそうな木々には添え木を立ててくくりつけたり、窓ガラスは雨戸やシャッターがあるのでそれでいいとして、無い窓ガラスの近くにあるものは家の中心に移動だ。
今からかと思ったが雨がたまに強く降るだけで風はそんなに強くない。
2時3時と時間が過ぎ、今は4時、その間に雲の流れを見ていると、北から南に流れていく。



そして西から東の風に変わってきている。
そして最接近の正午より強い吹き返しの風が吹いている。
今回の台風の名前は「ヴォンフォン」そして前回の18号は「ファンフォン」と呼ばれているようだ。
鹿にスズメバチ、スズメバチに刺されない事を祈るばかりだ。

ウォーキング

2014-10-11 19:39:01 | ジョギング
3連休を前に金曜日には博多から息子が帰ってきた。
そして娘は逆に博多に向かった。
そんな日だったがなぜか体調を崩してしまった。
博多にいたときと同じ現象で鼻水が出て止まらなく、下痢と嘔吐だ。
そして食欲も無く牛乳やトマトジュース、コーンスープしか入らない。
ウイルス性の風邪なのだろうかアレルギーだろうか、せっかく52kgくらいまで食い戻したのに再び50.4kgまで減った。
この3連休も台風19号の影響で明日からは雨が降るだろう。
退社して、ここ1ヶ月ちょっともう少しで2ヶ月になる。



体もなまり何とか体調を戻すためたまに坪井遊水公園を歩いている。
ジョグをしていた頃のナイロン製のジャージとくたびれたラン用のシューズで歩いている。
やはり街靴とは違いクッションが良いので歩きやすい。
おまけのここ坪井遊水公園の堤防は土なので脚や関節に良いのだ。
一番体重が重かったときは72kgあったのでそれからダイエットのため15年ばかりほとんど走っていた。
いきなり走りだすと関節や腰を痛める可能性があるので、今は10kmくらい歩いて足の筋肉を鍛えながらストレッチを入れながら歩いている。



昔かなり走りこんだ遊水公園、でも夏草が背の高さまで伸びていて、場所によっては台風風の影響で通りにくい場所もある。
遊水公園の外側の約5km、ジョギングをしていた頃の内側の1.8kmを3週歩いた。



歩く速度は通常歩く速度で速度を変えないようにリズムをとりながら一定の速度を維持するように集中して歩く。
ジョグを意識して一歩ずつかかとから着地し真っ直ぐ歩くように意識する。
これ結構、集中して行うと結構な運動になる。
そして真っ直ぐ歩く、これも意識すると、人間なかなか正常に歩くことが難しいことがわかってくる。
かかとで着地して集中して一歩一歩を同じテンポで確実に歩くのだ。
やってみれば難しいことが分かると思う。



そんな運動をやっている、公園の野球場では小学生たちの野球大会があっていた。
試合は始まったばかりのようで1回の裏表を観戦した。
小学生といっても大きな子は大人より大きいし、小さな子はまだ140cmくらいしかない子もいる。
小さな子はバッターボックスに入ればなかなかストライクが入らないのでフォアボールで出る。
そして体の大きな子がヒットを打つ。
小学、中学時代と野球をやっていたのでなんとも懐かしい思いだった。
風が強くなりかぶっていた帽子も風に飛ばされそうになるので手で持って歩いた。



近所のテラチャンとばったり、彼もスロージョギングをしているようでかなり様になっていた。
午後1時過ぎ家を出て帰ったのは4時だった。
まあ子供たちの野球を観ていたのでその分も含めてだ。
ダイエットのために始めたジョギングなのだが、今は食欲を伸ばすためのジョギングを開始する(?)
まったく逆の目的なのだが、台風の風が気持ち良いしこんなことに時間があることはいいのかも知れない。

ドライブ日和

2014-10-09 22:11:36 | 小旅行
「おとう、どこか行こうよ」
休みの日、娘がい言う。
高千穂に行きたいというが時間的に11時過ぎなので難しい。
熊本市内からだと天草や阿蘇は1時間で行けるのでそういう話をする。
「内牧温泉にいまきん食堂ってあるよ行ってみようよ」
と言う。
どこからの情報なのか知らないが妻と3人で出かけた。
内牧温泉はかつて仕事で何度も来ているところなので約1時間で街中に到着した。



専用の駐車場にクルマと停め食堂に行くと、なんと長蛇の列が出来ていた。
店員さんが言うには2時間から3時間待ちになると言う。
時計を見ると1時過ぎだ、2時間待ったら午後3時ということになる。
あきらめて内牧温泉を後にした。
娘が言う、大観峰に行って見たいしそこで何か食おうよ。



阿蘇と言えば大観峰なのかクルマを走らせると駐車場は満杯だった。
それにツーリングのバイクも凄い数だ。



コスモスにススキ、秋の阿蘇はすばらしい。
娘のやつ早速とうもろこしを買ってかじりついている。
確かに今の時期とうもろこしが旬だ。



外輪山を降りて阿蘇神社に来た。
縁結びのご利益があるらしく娘も真剣にお参りしている。
阿蘇神社の横参道の水基めぐり人であふれている。
さてさておなかもすいてきたしどこかで食事でもしようや。

加茂川

2014-10-08 16:24:10 | 食事
ちょっとした買い物で街中に出た。
あまり肉料理を食する事は少ない。
肉料理といえば、先ずは焼肉だろう、そしてステーキにハンバーグ、しゃぶしゃぶもそうかな。
そういえばとんかつや水炊き、から揚げやホルモン、焼き鳥もあった。

私たちの子供のころ肉といえば鯨肉ばかりだった。
まだ凍った赤みの刺身や白いベーコンを酢味噌でよく食べたものだ。
鯨の肉は焼くと硬く、子供には食うのが大変だったような記憶がある。

たまにオヤジが<今日はビフテキだ>などと買ってきては焼いてくれた、あの頃の味は忘れていない。

骨が付いたぶつ切りの鶏肉を水から炊く、水炊きも母の得意料理だった。
それは兄妹での戦場となった、いやいや家族での戦場だった。

そしてマトンが多かった。
羊の肉なんだけど、子供にはただの肉でしかないのでそれなりに美味しく食べたのだった。

熊本といえば馬刺しがある。
低カロリーでビタミンや鉄分がありたまねぎで巻いて生姜で頂く。
淡白であっさりとした食感なのだ。
そして阿蘇の赤牛の熊本ブランド、そして天草の天草大王(大きくて7kgもあるニワトリ)もあるな。
博多の代表的な料理の水炊きで頂くと良いだろうな。

街を歩きながら
「すき焼きが食いたい」
と妻に言うと、良いねと返って来た。
熊本で肉料理というとやっぱすき焼き加茂川なのだ。
実はその昔ユーザーだったのだ。
本部では牛一頭をさばく冷凍室があり、ぶら下がった牛を見るとそれは壮大なものだった。
そこで部位ごとに解体され行く。
加茂川さんはこういう料理店や直売の精肉店だけでなく新鮮な肉をホテルや料亭、レストランに卸す事業もあるのだ。
そういう付き合いで忘年会や新年会といった宴会で何度もお邪魔している。
本格的なすき焼きは、まずダシから炊き上げるのだ。
普通は水から炊き上げるのだが、加茂川さんは秘伝のダシ汁から始まる。



それはそうとして話が長くなるので進めよう。
店内に入り窓側の席に案内された。
メニューを見るとランチメニューがあり、すき焼鉄鍋ランチ(950円)が目に入りそれにした。




国産黒毛和牛牛丼  800円

妻は牛丼のようだ。
先に妻の牛丼が出てきた。
いやいや牛丼というより牛ステーキ丼、牛肉の量が半端でない。
街中の○○屋の牛丼とは全然違う。




すき焼鉄鍋ランチ  950円

私のすき焼きランチも出てきた。
鉄鍋の中には野菜と牛肉がたっぷりとある。
急いで食べなければ目の前にいる食いしん坊に持っていかれるので必死で食った。
そんなわけで久しぶりスタミナ和食のすき焼きだった。

ショウキズイセン

2014-10-07 14:04:11 | 季節の花
広大な我が家の庭にも秋が来たのか黄色い彼岸花が今年も咲いた。



今年の夏は雨ばかりで何を考えたのかアジサイが狂い咲きしてしまった。
そして広大な庭には夏草がはびこってしまった。
でも一日一日と手入れをしていくとそれなりにどうにか管理された庭になってきた。
いつもの黄色い彼岸花はどうしているのかと思っていたが、にょきにょきと姿を現すと一気に開花したのだ。



今年は10本の幹が出てきて一斉に開花した。
ここ数年来、植えたのでは無く自然発生の花だ。



彼岸花が終わろうかする時期に一気に芽生えあっというまの開花だ。
この季節、秋分の日も過ぎつるべ落としで日暮れも早くなり、熊本でも朝夕は肌寒い日がやって来た。
季節の花は自分の出番と落ち際が人間より良くわかっているようですばらしい。
黄色い可憐な花を見ているとそんなことを考える。
今年もありがとう、などとそんな花を見て思うのだ。

※広大な我が家の庭(表現に少し問題あり)

秋刀魚としめ縄

2014-10-06 17:49:12 | イベント
いつもとおり7時前に目が覚めた。
朝飯を食って庭の草取りだ。
台風18号の影響で風が吹いてきている。
テレビでの報道では熊本への直撃は無いが、今日の秋刀魚は大丈夫なのだろうか。
そう思っている8時半、ジローさんからメールが届いた。
<ケンちゃん、台風の風が強いので風対策をするので早めに来て>
事前の連絡では9時半からの事だった。
慌てて公民館に行くと銀友会(打越町の老人会の名前)の人たちがもう準備をしていた。
ジローちゃんとグッチが作ったバーベキュー用のコンロ(ドラム缶を半分に切って足を付けたのも)を取り出し、さあこの強風の中でどうやって火を起こそうか考えた。
新聞紙やゴミで火を点けるとこの強風では飛んでしまい危ないのだ。
公民館の台所に行くと、あったあったカセットボンベにつけるバーナーがあるではないか。



早速それで炭に点火した。
一度点火してしまえばお互いの炭同士で点火する。
そうこうしているとノボルのオヤジとマーのオヤジがやって来た。
約30匹の秋刀魚を焼くのだ。



でも台風の影響で風が強くそして舞っているので目は秋刀魚の煙で大変だ。
秋刀魚の焼く匂いで公民館の中も煙が漂っていた。



やっと焼きあがって良い火だねと言うので、ジローさんと買い物に出た。
そう残った炭火で焼き鳥をしようとの考えだ。
一人1000円出しでジローちゃんと買出しに出た。
老人会の会議後、皆で秋刀魚を食べる、恐るべし打越町の老人会なのだ。



私たちにも一膳が用意された。
ありがたい事に<○○さん、今日はありがとう>と老人会会長から言葉を頂いた。



老人会の催しは無事に終わり、その後打越神社のしめ縄作りがあるのだ。
マーのオヤジが最初の縄を編む、そして右から左の合図でしめ縄が編まれていく。
台風の影響で雨も降ってきた、だけど長老が言うにはこういう湿った時が良いようで、カサカサした状況ではわらがかさついいて編みにくいようだ。
ジローちゃんとそういう風景を見ていて
「打越町も捨てたもんじゃないね」
編みあがって会長のセイのオヤジ(自治会長)
このまま鳥居に取り付けると言う。



台風の風が強いので危ないと思ったが、会長の命令なのでしょうがない若手の二人がと取り付けた。
私とジローちゃんはこの後の飲み会にためスーパーで買って来た鶏肉をフライパンで炒めた(もうすでに炭火は雨のため終了していたのだ)。
約10人で炒めた鶏肉で久しぶりの宴だった。



清めた酒に焼酎、セイのオヤジにレシートを渡すと
「安いね、ケンちゃん上手」
と言って4500円分をも貰ったのだ。
ジロー、グッチ、自治会長のセイのオヤジ、ノボルのオヤジ再びの付き合いが出来るのか。
それはテラのオヤジ、そしてケイのオヤジが握っているのか?

先輩

2014-10-04 21:02:39 | people
久しぶりに上熊本駅まで妻に送ってもらった。
時間帯は全然違うが、通勤していた時以来の上熊本駅のホームだった。
今日はハマさん(会社の先輩だった人だ)と熊本駅近くで飲むのだ。
約一ヶ月ぶりの熊本駅に来た。
通勤の頃は在来線のホームから新幹線のホームには連絡通路を使って行っていたので、白川口に出るのはずいぶんと久しい。
熊本駅は新幹線側のフレスタと在来線側のフレスタがあるが、落ち着いて飲める店が少ない。
どちらにもビールセットなどのメニューはあるのだが、店自体が狭くてゆっくりと落ち着いて飲める雰囲気ではない。



そしてフレスタの名前も「駅前一丁目」という名前に変わるそうだ。
JR九州のホテルがありその一階に「うまや」という和食系の食事処なのか居酒屋なのかわからないところがあるのでそこにしようと考えていた。
ハマさんからのメールでは午後の4時くらいとのことだったので、上熊本3時31分の在来線だった。
熊本駅には約3分で着く。
しばし熊本駅周辺をブラブラした。



熊本駅の新幹線側の駅前広場も開業当時は何も無かった所だったが住宅やマンションが出来少しはにぎやかになっていた。
そして白川口のほうも高層のマンションあり銀行が出来たりと昔に比べれば様変わりの様相だった。
4時になりハマさんにメールを送る<今熊本駅にいます>すると<5時を少し過ぎる>とのメールが帰ってきた。
しばらく本屋で時間を潰しているとケータイが鳴った。
白川口の改札前で待ち合わせをして「うまや」に向かった。
店に入り先ずはビールで乾杯だ。
ハマさんとは仕事を始めてからの付き合いになるのでかなり古い。
歳は私より5歳上なのでもう定年を向かえ別の会社で再雇用中でまだ現役で働かれている。
「今日は何事ですか?」
と切り出すと、彼の実家は八代市の日奈久という所にあり、お父さんは早々と亡くなられお母さんが今一人で暮らされているとの事、近くにハマさんのお姉さんが住んでおられるようなのだがお母さんもずいぶんと歳をとられて介護認定が2程度の事のようで介護施設に入られているようだ。



しかし痴呆が進みいったんは介護施設を出て医療施設に入り、今日退院だったそうでそれに近親者の立会いがいるようでそれで今日となったようだった。
私たちの年代になると、子供たちがやっと巣立って行き、今からが私たちの自由があると思いがちなのだが、さらに歳を取った親の面倒はやはり子の責任でもある。
私も両親を見て来て、妻が言う
「おとう、何で休みに実家に帰らんと行かんと?」
と口ぐせだった。
門司港や小倉に出張で出っ放しの時の土日は休息の時間、帰らないと母や妹から叱咤の言葉が飛んだ時期があった。
そんなことを思い出しながら彼の話を聞いていた。
福岡にマンションを買い、もう実家には戻る事は無いようだ。
私も同じような環境にいるのだけど実家に帰るのか熊本の今の家にいるのかはまだ判断できない。
妻が嫌がっていることもあるのだけど、そっちのほうがはるかに経済的であることは明らかなのだ。
先輩の生き方、私の生き方、今後真剣に考えないといけない事のようだ。