打越通信

日記ふういろいろ

さらば博多

2014-08-31 19:50:23 | 日記ふう
今日で8月も終わり、そして夏休みも終わるわけだ。
一番楽しいはずの日曜の夜、博多を向いていた頃は一番憂鬱な時間だった。
退職して2週間近くがすぎてしまった。
そのことはまた書き始めるとして、というか書き始め良いものか?

<これからはじまるあなたの物語 ずっと長く道は続くよ>
<ひとつひとつがあなたになる 道は続くよ>
毎朝こんな歌を聴いているとそんな気分になってきたのだ。

送別会のあと娘のアパートに向かって歩いていると
「お父さん!」
と声をかけられた。
息子の彼女だった。
「お疲れ様でした!」
というので息子を呼び出し、これまた私の仕事の最終日だというのに東京にツアーで行っていた妻と娘を呼び出し、焼鳥屋に向かった。
午前様近くまでみんなでワイワイと盛り上がった。
そして翌日、娘のアパートを出て博多駅に向かう。
切符を買って改札を抜け新幹線の2階コンコースに出た。
かつて帰社の途中でビールを飲んでいた喫茶店風のお店。



トマトソースのきいたナポリタンと生ビールだった。
この一年半の通勤のストレスをいやしてくれた店だ。
そんな思いを胸においしくいただいた。



これで見たくもない新幹線、そして博多の街ともさらばだと思うと何となく複雑な思いだった。
さくらに乗り2時頃には熊本に着いた。
やっぱり熊本は良い、これから博多を考えないで良いことにほっとしている。

ごきげんよう

2014-08-25 16:35:26 | 日記ふう
ここ数日ばたばたしていて、やっと落ち着いてパソコンの前に座ることができた。
実は7月16日に退社の相談を上司にして、8月20日をもって会社を退社してしまった。
理由は通勤のストレス。
ほかにも理由はたくさんあるが、今回は「通勤のストレス」の一本でやり通した。
ほかにグタグタ言ってもしょうがないし、何を聞かれても「通勤のストレス」なのだ。
確かにそれが最大の理由であるのでそうした。
時期的にも今進めている2年がかりのプロジェクトも私の持ち分が終了しようという時でタイミングもよかったのかなと思っている。
退社が決まってからは社外社内含めて引き継ぎだった。
結局、有休消化もせず円満退社出来たと思っている。

この仕事を始めて33年、システムエンジニア(SE)としての道筋一本だった。
一時期、管理職としての仕事もあったが小さな会社では管理職といえどフィールドからは抜けられない。
入り立ての頃はプログラムを覚えるのに苦労したし、覚えてからも残業は当たり前の時代だった。
プログラムの翻訳に20分かかったり、大きなプログラムだと1時間ほどかかる。
修正しては翻訳の繰り返しなので時間はどんなにあっても足りないわけだ。
担当する業種も様々な業種にわたりいろいろな会社を持つので、そっちの知識もいる。
でもいろんな会社の心臓部的なところに簡単に入っていけるのでそれはそれで面白かった。
ここ10年位は、結構大きな会社を担当した。
場所も門司港だったり小倉だったり博多だったりしている。
現在はプログラム的なことは若手に任せ、現状分析や基本設計的な仕事が主だった。



最終日、博多駅の近くの居酒屋で送別会があった。
挨拶を言う、それを誰かが録音か録画知らないが撮って送っているみたいだ。
他の拠点の同僚から数人だが
「良い挨拶だったね」
などと電話が入る。
今やスマホの時代だ、怖いと思った、変なことはいえない。
今考えれば、こぴっと頑張れば良かったかなと思うが、それも出来ない状態だったかなとも思う。

引継ぎ

2014-08-19 21:11:08 | 日記ふう
なかなか難しい仕事があるようで、それが引継ぎと言う仕事のようだ。
私も引継ぎを受ける事は何度も経験したが逆の立場は初めてだった。
現地引継ぎは挨拶と雰囲気をつかんでするものでそんなにたいした事はない。
実は今日も大雨の中、3人でクルマに乗り熊本を目指した。
客先での引継ぎ社交辞令と今システムに問題ないかの話になるわけだ。
私の客は仕事をし始めた頃からの客が多いのでもう30年以上の客ばかり。
挨拶にも熱が入るがそれだけだ。
2日間の客先まわりもスケジュールを間違えるとまわりきれない。
そこだけだ。



しかし問題は社内の引継ぎだ。
4階の小会議室にパソコンを持ち込んで丸々4日間かけて1対1の引継ぎなのだ。
システム的なところは問題ないのだが、業務的な事となると難しい。
企業の成り立ちから今日までの経緯の説明、担当者とのかかわりなど多岐にわたる。
そして業務について、これが一番難しい。
概要を説明し、細かいところを一緒にみて行くのだが私も忘れているところが多い。
私がわからないので説明を受けている相手はどこまで理解しているのが分からないのだ。
逆の立場は何度もあるが、私の性格上なのか解らなくてもどうにかなるといったところがあったが、相手が違えばそうもいくまい。
そんな難しさを痛感した。

食欲

2014-08-18 18:17:30 | 食事
ストレスも抜けてきて食欲が少しずつ戻ってきた。
そこで少しでも美味しいものを食べようとこの盆休みは食べまくりだった。
先ず熊本だったら「たけした」の冷し中華、博多では食えないものを食う。



実家に戻ったときは「矢城食堂」の冷し中華だ。
冷し中華の麺にからしを付けていただく、なんとも日本の夏の食べ物として風情があって良い。



それにお好み焼き屋も多いかな。
熊本風ちょぼ焼きだったり広島風お好み焼きだったりと色々あるが、一言にお好み焼きと言われるが種類も多いのだ。
お好み焼きって日本以外で食されるのだろうか?などと考える。
アメリカ、フランス、イタリヤ、イタリヤはピザがあるけどお好み焼きとはちがうな。
中国はどうだ、などと考えてしまう。



当然、家庭料理もパスタが多い。
私と妻の好みもあるのだろう。



当然、外食(特に駅の食堂)ではトマトが利いて結構な味を出す店が多いような気がする。



せっかく食欲が出てきて少しでも食い戻そうとする。
すると今度は歯が痛くなり食えなくなる。
今日は朝からなぜか気分がすぐれなかった。
家で2度、新幹線の中で2度、そして会社で3度ほど嘔吐した。
それを見ていた上司が
「体調が悪そうなので早退してください」
と言う。
それで早退してその足で博多の街の内科に行った。
血液検査と医師から点滴をするよう進められた。
500mlの点滴を2時間かけて入れた。
こんなに嘔吐がひどい事もはじめての経験なのだが点滴もはじめての経験だった。
私の場合どうも栄養の補給が下手なようだ。
だから肥る事ができないようだ。

福岡から

2014-08-12 16:45:58 | 日記ふう
缶コーヒーを2缶買って娘のアパートに向かった。
エレベータで14階まで登り娘の部屋に入ると2人してまったりと休んでいた。
まったく台風が来ているのにのんびりしたもんだ。
急かせて30分後には戸締りをして部屋を出た。
百年橋通りから3号線に出て福岡流通センターに向かった。
ここ4年ほど仕事で通い続けた所なのだ。
流通センタと呼ばれるだけに衣料関係の問屋が軒を連ねている。
そのひとつに小売りをしている店があるんで妻と娘を連れて行けば喜ぶと思ったわけだ。
思惑通り娘が喜ぶ。
Tシャツが安いものでは300円とか400円とかの値段なのだ。
結局、先を急ぐので30分くらいで引き上げたが、6着買って3400円という安さだった。
「小売りの半額の値段だね」
妻が喜んでいた。
さて昼はどこで食べようという話になった。
「おとおが迎えに来たので新幹線代7200円が浮いたよ」
と私が言うと。
「柳川でウナギを食べようよ」
と娘が言うので全員納得した。
国道3号線を鳥栖まで行き34号線で佐賀を目指す。
娘はスマホで柳川のうなぎ屋を検索し情報を話してくれる。
妻と私は娘の情報より行く店を決める。
34号線から「大川」の看板を見つけ左折するが来た道とは違う。
大川から柳川に入るが地理不案内の場所だ。
娘がスマホのナビで行き先をつかもうとするが通信状態が良くないらしく、いらついている。
妻が何か看板を見つけたようでその方向にクルマを走らせると川下りのポイントみたいな処に出てしまった。



しばらくそこを散歩してふたたび迷いの世界だ。
とりあえず208号線を探し出し大牟田方面へクルマを向けた。
しばらく走ると探していた「山田屋」の看板が見えた
とても大きな料理屋で門を開けて店内に入ると立派な中庭がある。



案内された部屋に通されメニューを開く。
妻とここで運転を交代するのでとりあえず生ビールを注文する。



すると御通しにウナギの骨の煎餅が出てきた。
それをポリポリと生ビールの美味しい事。
妻と娘はウナギのせいろ蒸し、私はうな丼にした。
料理が出て来て肝吸いを一口、何とも次元の違う旨さだ。



せいろ蒸しも軟くて美味しい、私のかば焼きを娘がとる。



「かば焼きの方が香りがあって旨い」
などと言っている。
満足な昼食を終えて、妻の運転で自宅を目指す。



雲は大きく左の方から右の方へ大きく動いていた。
心配された台風11号も九州の西側はほとんど被害も無く通過したようだ。
夕方6時無事に自宅に到着した。

国道208号線

2014-08-11 20:08:52 | 日記ふう
間違ってデジカメの写真を消してしまった。
台風の時の写真でキーボードが狂ったパソコンで複写しようといたら異常な動きをして全て消してしまった。
今日会社に出て、会社のパソコンに入れていた復活ソフト(フリーソフト)にかけてみたら見事復活してくれた。
したがって、戻ってしまうが、そこからの話になる。
先週の土曜日からだ。

金曜の夜、ヤフオクドームに野球観戦に行っていた妻と娘、野球観戦というよりバイキング付きの野球観戦というのが正解で、妻も娘もバイキングが主のようだ。
土曜の朝早く起きてしまった。
朝の6時頃目が覚め、テレビの台風速報を観ていたら、種子島近くを時速15kmで北上していると言う。
これなら迎えにいけるな、と思って妻に電話した。
電車のキップも買っていないようだし「今から迎えに行く」と言って家を出た。
途中で朝食を摂り、国道3号線を北上するか国道208号線を博多を目指すか迷ったが国道208号線を選んだ。
この道は妻の実家の佐世保に行く頃良く通っていた道だ。
懐かしさもありこちらを選んだ。
県北の玉名を通り、大牟田、柳川、家具で有名な大川を通り佐賀に出る道だ。
今回は快調なパッソで出かけた。
数日まえオートバックスでETCの装置もつけたばかりだ。
パジェロioよりキビキビした動きとやっぱり燃費だ。
懐かしい道を快調に進むがやはり台風の影響なのか風でハンドルを取られる。
玉名もバイパスが出来て渋滞もなく快調に進む。



荒尾から県境、ここを過ぎれば大牟田だ。
大牟田から左に折れ208号線は続くのだ。
しばらく走ると水郷で有名な柳川の街を過ぎる。
そして家具で全国に有名な大川の街並みだ。
私たちの婚礼の家具を買った街、今は亡き義理の父と待ち合わせ昼食にステーキを頂いた思い出のある街だ。



しばらく走ると佐賀市に入る。
ここで208号線と別れ国道34号線で鳥栖を目指す。
鳥栖で国道3号線に入る。
後は高速道路並みの自動車専用道路なので渋滞してなければ快適に進めるはずだ。



博多に入り百年橋通りに入る。



JRの下をくぐれば右折して美野島商店街に入る。



娘のアパートの駐車場にクルマを停め14階の娘の部屋に着いた。
家を出て朝食の時間もあったけど、約4時間、10時半過ぎに無事に着いた。

続く

台風

2014-08-08 18:08:44 | 日記ふう
今年は台風が多いような気がする。
今度の台風はいったい何号だろろう?
台風には名前が付けられているようだが、何って名前だろう。



今日は立ちくらみの関係で有休を取って午前中病院に行った。
注射を打たれ血液検査の結果は明日以降になる。



せっかく休みを取ったのに、妻と娘は博多に行ってしまった。
私と交代するようにソフトバンクの試合を見にヤクオクドームにいってしまった。
そういうわけで彼女らを熊本駅まで送る。
いつもと逆のシュツエーションだった。
熊本はまだ台風の影響はない。
無いといっても風が強くなってきている。
まさしく台風風だ。
雨は降っていない。
しかしこれからだろう。

おれ鉄

2014-08-07 22:47:58 | 日記ふう
熊本を9時9分のつばめで新水俣駅に向かった。
肥薩おれんじ鉄道の新水俣駅で電車を待っていると入線してきた電車、何かが違う。



良く見ると車体には「くまモン」がいた。
そうくまモンラッピング電車だった。
乗り込むと車内にもくまモンが沢山いた。
肥薩おれんじ鉄道には他にも銀河鉄道999のラッピング電車もある。
しかし今は「おれ食」といって、おれんじ食堂車が人気があるようだ。
数か月先まで予約が一杯でなかなか予約が取れないと聞いたことがある。
旧鹿児島本線から線路を譲り受け営業しているが新幹線に押され、今は生活路線として学生やご老人達の足として活躍している。



私も仕事や私的な事で何度か利用している。
熊本発のスーパーおれんじというのがあって、熊本駅から出水までの列車があるので一度利用したら、新水俣駅には停まらず水俣駅から引き返した思い出がある。
八代から日奈久、そして田浦あたりまで海のすぐ近くを走るので、不知火海に沈む夕日をみながら・・というのは良いかもしれない。
暇ができたら「おれ食」一度は乗ってみたい列車なのだ。

杖立温泉

2014-08-03 20:59:08 | 小旅行
朝ゆっくり目の8時半。
朝飯食って珍しく娘が起きてきた。
「さっこ、杖立温泉行か?」
と聞く
以前に娘が行きたい温泉の一つと聞いていた。
「行く、行く!」
と喜んでいる。
そんな会話を聞いている妻もうれしそうな顔をしていた。
10時過ぎ家を出た。
阿蘇までの中間点にある大津「うめのや」、ここは私たちのお好みのうどん、そば屋だ。
だいぶ食欲が出てきて朝食を食ったばかりだったが天丼とミニそばが入った。



内牧温泉から外輪山を駆け上がり小国を経て杖立温泉だ。



小雨がぱらつく天気だったが杖立川では鮎釣り人がいた。
川沿いを娘と妻と3人で散歩した。



駐車場のすぐ近くにある泉旅館だ。
館に入り温泉に案内された。
湯船は4つ内湯と露天風呂、そしてジェット風呂と蒸し風呂だった。
ほとんど露天風呂で約30分至福の時間だった。
客は私一人、小雨が降る露天、川のせせらぎが気持ちいい。
杖立温泉は初めてだが、親父の写真では若かし頃の親父とお袋の写真がたくさん残っている。
そんなことを思い出しながら温泉を楽しんだ。
妻たちと時間を決めていたがずいぶんと早くあがってしまった。
ミネラル水を買い飲み干した。



この旅館、『まんだら屋の良太』と映画の舞台になった旅館のよだ。
確かに玄関をまたいだ瞬間独特な雰囲気を感じた。
こんな山奥の温泉地にロケに来た有名女優さんたちがいたわけだ。
情緒ある杖立温泉を後に、どうしようか考えたがそのまま日田を目指した。



途中道の駅「おおやま」に立ち寄った。
結構な人がいて、桃、スイカ、梅干し、そのほか地元産物が一杯だった。
そこで休憩し先を急ぐ。
日田の街なみ、筑後川に沿って各街の雰囲気を楽しんで久留米をめざす。



久留米をすぎて八女に入ったところで見事な虹が出ていた。
途中で夕食をとり夕方7時には帰宅した。
まあ、ほんの日帰りのちょっとした小旅行なだけど、こんなのが良いのかもしれない、と思った。

ストレス肥り

2014-08-02 15:59:13 | 日記ふう
ストレスが掛かるとついつい食べてしまい肥ってしまうという。
うらやましい限りの話なのだ。
私の場合は全くの逆で食事がのどを通らなくなってしまう。
娘のアパートにいた頃は朝はゆで卵かバナナを押し込むように入れて、昼は外に食べに出たり弁当をとったりして食べる。
弁当の場合はタッパに入れた弁当と弁当箱に入って配られて回収されるタイプの弁当だ。
先出の弁当は残すと会社のゴミとして扱われるので会社に迷惑が掛かるので後出の弁当だ。
箸をつけるが半分だったり三分の一しか入らない。
食っていて心の中で「ハイ!試合終了」となってしまう。
外に食いに出る時は、やはり麺類になってしまう。
こんな時は食いたいものを食いたいのだが、悲しいかな博多の街には「冷やし中華」なるものは存在しないのだ。



そんな理由もあり、もっぱらざるそばになってしまう。
ざるそばなら何とかはいるし、調子の良いときは稲荷を2個ほど頂いている。
しかし毎日ざるそばでは栄養が偏ってしまう。
それで夕飯が大事になる。
野菜を摂らないといけないと思い、全国チェーンのチャンポン店。
最初は知らないで普通盛りのちゃんぽんだったけど、私好みのスナックチャンポンや皿うどんがあるのだ。
通常のチャンポンのスモール版だ。
それにこれまたスモールのチャーハンをつけていただいている。
でもそれが毎日では飽きてしまう。
たまにはスモールサイズがあるすき屋に立ち寄る。
ミニ牛丼(210円)なのだが50%の割合で試合終了の合図が出る。
ストレスのせいばかりでは無いのだろうが「食えない」これが今一番の悩みだ。
この前の休み、近くの温泉(坪井温泉)に行って体重計に乗ってみた。
体重計の針は50の数字をウロウロしていた。
苦しかったが、今はある判断をしたのでだんだんと食えるようになってきている。
ストレス肥りか、うらやましい限りだ・・・。