打越通信

日記ふういろいろ

冬の月

2018-12-25 20:33:10 | 日記ふう
土曜出社の朝は早く、終業もそれに合わせて早めの午後4時に終わり、ビルを出てタクシーを捕まえた。
病院の受付が午後4時半までなので乗るなりその旨を運転手に伝える。
病院名を言うが理解できないようで、住所か電話番号を教えろというので信号待ちをしている間に電話番号を伝えた。
ナビに入力したようですぐに場所はわかったようだった。
「大博通りの一本千代寄りに一方通行の道がある」
と云うと年末の混雑している博多駅前から大博通りと出て、その道に入りなんとか時間内に病院に着くことが出来た。
いつもは混雑している病院もこの日だけは患者は私一人だった。
1時間や1時間半は当たり前のように待たされるのでいつもは休みを取らなければならないのだが、その日は15分ほどですべてが終わった。
帰り道、今日は家人がいないことを思い出した。
アパートに帰っても夕食は無いのでどうしようか考え、娘に連絡した。
ちょうど娘も帰宅途中だったらしく待ち合わせて一緒に夕食を共にした。



翌日は朝から雨が降っていて、午前中は音楽を聴きながら本を読んで過ごした。
昼からは散歩がてら天神までぶらりと歩いた。
クリスマスイブの前日という事もありいつもの休日より人が多いように思ったがどうだろう。
イヤホンで音楽を鳴らしていたので決まったように流れるクリスマスソングはきけなかった。
天神までぶらぶらと歩いて来たものの行先はいつもの本屋とレンタルショップだった。
この日は時間もたっぷりあったのでメモを見ながら探した。
クラシックも探したがなかなか探し物はないものだ。
ビルエバンスとレッドガーランド、チャリーパーカーをそれぞれ3枚ずつと、なんとビッグバンドを3枚も借りた。
白黒の画像に雨が降っているような、そしてそれこそターンテーブルと真空管アンプが似合いそうなディーク・エリトン、カウント・ベイシーにグレーン・ミラーなどだ。
一度は聞いたことのある名曲が連なっているが、一度聞けば聞くことはないかもしれないと思いながらも借りたのだ。
本屋にも久しぶりに長い時間いたような気がする。



4冊ほど買い込んで細い路地にあるジャズ喫茶に入った。
博多の街にもこういう古い喫茶店がまだあるようで懐かしい。
どでかいスピーカーが並べて置いてあり程よい音量で重量感のあるピアノトリオの音楽が流れていた。
それが終わり、女性ボーカル(たぶんエタ・ジョーンズ?)のバラードが流れていた。
買ってきた本をパラパラと読み、2枚目のアルバムが終わると同時に店を出ててくてく歩いて帰った。



中州の広場ではバザーのような催しがあっていた。
クリスマスで賑わう雰囲気の中、なんか場違いのような気がするが、何せこんな催しがあちらこちらであっているのがこの街の特徴のようなのでしょうがない。
てくてく歩いているとビルの陰から満月に近い月が出ていた。
母が好きだった冬の月だ。

釣りバカ

2018-12-19 22:24:17 | 釣り
年の瀬も迫り、休みのどこかで実家の後片付けというか大掃除というか整理もしなければならないなと思っていた。
平成も最後という事で、ありがたいことに天皇誕生日(最後なるのかな)があり3連休になる、と思っていたら、出ました「土曜出社の日」だった。
それで一週間早めに月曜日に有休をとって3連休にして実家に向かった。
庭は相変わらず草が茫々で庭木も思いっきり伸びていて、着くなりそんな先制パンチを食らった。
それでも先に進めなければ整理はつかない。
家の中の整理も、親父やお袋の思い出があるものはできるだけ消してしまいたい気持ちと、残したい気持ちが半々でなかなか進まないでいたが、この際に整理(捨ててしまう)してしまおうと決心していた。
整理した遺品を廃棄するにはどうしてもごみ処理場は平日しか空いていなかったのでわざわざ平日に休みを取ったのだ。
運ぶ軽トラも近所に住むオジから借りる手はずだった。
初日は実家に着いたのが午後過ぎてからだったので3時間ばかりしか作業は進まなかった。
ところが翌日は平素からLINEのやり取りをしている先輩(小学、中学、高校と)から連絡が入り実家に遊びに来ることになった。



何しろ釣り好きでLINEでは釣果はもちろんの事、仕掛けの写真や、釣り場の航空写真でどのポイントが良いのかなどの情報を半ば一方的に送って来ていた。
会うのは10年ぶりくらいになるだろうか、家に上がるなりいきなり釣りの話になった。
ちょうど昼飯時という事もあって外食すると同時に釣り場を見て回ろうとなった。
場所は隣の県(鹿児島)になるが長島という島だった。



まだ寝ていた甥っ子のジュン(現在この実家に住んでいる)をたたき起こし一緒に連れ出した。
ジュンも幼いころから釣り好きでこの長島がホームグラウンドになっているようだ。
黒の瀬戸大橋を渡り、ジュンとこの先輩、なかなか話が合うようでお互いにどの釣り場でどんな魚が釣れるのか話は盛り上がっていた。



ジュンが良く行く釣り場、先輩が良く行く釣り場を雨の中ポイントまで行ってみた。
ある堤防では海の底に大きなチヌらしき魚が3,4匹確認できた。
私も親父に連れられて何度もこの場所には来ているが、青物釣りはしたことがなかったのでポイントもいまいち違う、しかしジュンとは話が合うようだった。
半島になった長島の来た道とは違う海岸線を何度かクルマを停め、ポイントを見て回った。
広い干拓地のような所に来るとツルの大群と出会った。
出水平野は日本有数のツルの越冬地で一万羽を優に超えるツルがいる。



クルマを停め外に出てツルのすぐ近くまで行くことが出来る。
ツル独特の低く響く声も大量にいるのでものすごい音量だった。
ところで食事はどうするという事になったが、すでにランチタイムとやらはとっくに過ぎていて、やっと食事にありつけたのは午後もかなり過ぎた3時ころだった。
それから実家に戻り、再び釣り談議で話は尽きない。
クルマの中でも家に帰ってきてからも釣りの話で一日が終わってしまった。
結局、3日連休の一番フルに作業ができるなか日の一日はそんなことで終わってしまったのだ。
釣り好きもここまでくるともうバカがついてもおかしくないな。
一大決心で臨んだこの大掃除(というか遺品整理)も進まなかったことはいうまでもない。

年かな

2018-12-12 20:58:12 | 日記ふう
日々に寒さが増してきてイチョウの落葉ももう終わりを迎えようとしている。
暖冬などと言っていたが一気に冬が到来した。
週末から冬服を取りに熊本の自宅に帰った。
冬物はかさばるので狭い福岡のマンションでは夏場に置く場所がないのだ。
自宅に戻ると庭の雑草取りとか部屋の整理とかいろいろとあるもので、そういうのを済ませ、慌てて福岡に戻る。
福岡に着き、クルマを立体駐車場に入れる前に荷物をおろすわけだが、その時にまとめていた冬物をそのまま忘れてきたことを思い出す。
何をしに熊本に帰ったのやら、やっぱり年かなと思う瞬間である。
せめてもの救いは着て来たダウンコートだけが救いとなった。
帰ってきたその足でユニクロに向かいヒートテックを買い求めることになる。



日々の生活は相変わらず単調でつまらない。
仕事を終わり、北風が吹く夕暮れをテクテクと歩いて帰る。
三日月が遠くに出ていて、西の空がだんだんと暗くなっていく。
このところスタンゲッツを気に入っていて良く聴いている。
オスカーピーターソンやケニーバロンとのデュエットアルバムもあるがビルエバンスとのデュエットアルバムが一番気に入って何度も聴いている(とえらそうな事を・・・)。
スタンゲッツの流れるようで時には甲高い叫びのような音と、ビルエバンスのキレのあるピアノが繊細に絡み合ってなんとも言えない。
夕暮れ時に三日月を見ながら冷たい北風に背を丸めポケットに手を突っ込んでそんな音楽を聴いているオッサンなのだ。

師走の博多路

2018-12-03 21:21:56 | ジョギング
11月も瞬く間に過ぎて師走に入った。
法事と結婚式、それに土曜出社なるモノが入り込みなかなか連続した休みが取れないでいる。
実家の後片付けや熊本の自宅の事など、連休がらみでないと出来ないこともあるわけで、それに旅行の計画などだ。
今はお金より時間、そうは思っても組織にいればそうもいかず、個人的には効率を考えてさばいていても組織として効率化できなければ、といったところだ。
休みの日もゆったりとした時間を作るため何をしたらいいか散歩をしながら考える。
博多駅に出て大博通りを散歩した。
すると沿道に多くの人垣ができ、緊急車両(パトカーや白バイ)がうろうろしている。
福岡国際マラソンの日だった。
朝から晴天で師走でありながら暖かい日だった。
昼過ぎから天気は曇天になり雨が降りそうな気配になってきた。
あまりにも人が多くせわしいので横道に入り静かな通りに入った。



旧博多駅があったところに出た。
数年前に博多通勤していたころ数回ウイークリーマンションに入った事があった。
この近くにも借りていたことがありこの付近の事はある程度知っている。
街中なのにうす暗い林のような所があり、ホームレスらしき人たちがいた場所だったところがきれいな公園に変わっていた。
旧博多駅があったところだったようだ。
今住んでいる美野島の近くに「国鉄通り」というのがある。
場所的にもここが旧博多駅だと、その「国鉄通り」というのに線路があったことは合点がいく。
博多の街はころころと形を変え、町の名前も変わっていくのでこういうのを見ると昔を感じる。
再び大博通りに出ると福岡国際マラソンの先頭集団が走っていた。
10名ほどの集団だった。
呉服町を過ぎ那の津通りに出て天神方面に歩いていると再び福岡国際マラソンの先導車がやってきた。







集団だった先頭に日本人が一人過ぎていく。
そして黒人が二人そのあとを追っていた。
ケータイを取り出しワンセグで状況を確認する。
そうこうしているすぐ横をトップランナーたちが次々と過ぎ
「設楽がんばれ!」「川内がんばれ!」
の声がかかるたび顔の表情を確認する。
こんな近くで国内のトップランナーを見ることが出来る。
残り3kmという一番つらい距離、川内の表情も辛そうだった。
彼もそうだったがその後のランナーたちも足はすでにパンパンに硬くなっているのがはっきりと目に入った。
一瞬だったがアスリートのすごさを目のあたりにした。
一分一秒に身を削りながら走っている姿を見ると、なんともだらだらと無駄な時間を過ごしている自分を情けなく思うのだった。