打越通信

日記ふういろいろ

睡眠不足の朝

2017-08-29 21:14:37 | 日記ふう
この頃睡眠がうまく取れず苦しんでいる。
金曜日の夜、ついに眠れずに近くの公園に行った。
行ったのは良いが突然雨が降りだし雷が鳴りだした。
ついに大きな雨粒と激しい雨になり傘も持たないため近くの民家の軒下で雨宿りをしていた。
すると夜中の1時半から2時くらいだったろうか、若い女性がずぶぬれになり激しい雨の中を歩いていた。
自転車に乗った若者や、中年の酔っ払いのおっさん達も雨の中傘も差さずに自宅に向かっているのだろう。
人生様々だ。
結局その日は自宅に戻りシャワーを浴びてオールナイトでやっている練習場に向かった。
深夜の国道は割と空いていて練習場も人はまばらだった。
さすがにこの時間に来る人たちは上手い人が多いので数球打つたびにそんな人たちのスイングを見ていた。
まあ、いろいろとスイングの癖は取れないわけで悩みも多い中、スイングの練習をするより考える時間の方がはるかに長いわけだ。
結局明るくなる寸前の5時近くまで練習場にいた。

そういえば昨夜も夜中まで寝つけずに朝は4時近くに起きて公園に行った。
ひと汗かいて自宅に戻ってニュースを見ていたら北朝鮮がミサイル発射のJアラートが画面に出ていた。
衛星からの情報で瞬時に警告が出るだからすごい事だと感心しながらニュースを見ていた。
ネットではどうなっているのかと読売、産経、毎日、NHKのWebサイトを確認してみた。
産経は早くも速報を流していたが詳細は流れていなかった。
読売にいたっては何時までたっても速報は流れずかなり遅かったようだ。



NHKはテレビ速報と同時のようでJアラートの画面とともに各地のライブ映像を流していた。
日本の北海道上空を通過して太平洋に落下したようだが、これは重大な出来事で戦争になってもおかしくない状況だと思った。
いい加減にしないとアメリカの総攻撃、と思ったがやはりここでも北朝鮮の挑発には乗らないわけだ。
朝鮮戦争は停戦状態でまだ戦争は継続しているわけで、北朝鮮としては戦争状態と言っても良いという立場にある。
何らかの結果(和解交渉)を得てそれなりの見返りを持って終結としたいのだろう。
まるで子供のような発想と言えばそれまでかも知れないが、それが朝鮮民族の本性なのだろう。
ほうっておけばそのうち自己消滅してしまうのかもしれないが、こんな危険で迷惑な事がこれまでも続いてきたわけだからほうっておくことも出来ない。
肝心な韓国もまったくの危機意識もなく、いまだかって過去の日本の行いに固執しているのだから情けないありさまだ。
睡眠不足はしばらく続くのか、ああいやだいやだ。

糸島の海

2017-08-27 21:08:21 | 小旅行
8月最後の休日だった。
週末の買い物や月に一度の通院のため病院へ出かけたりと2日休みも一日は完全につぶれてしまう。
特に病院は人も多く、検査までの時間と監査結果が出るまでの時間で3時間以上も待たされた。
カテーテル治療から3ヶ月目という事もあるのだろうが検査結果は順調のようだった。
あと3か月後には再び入院してカテーテルを入れて検査が控えている。
まあ病気にならなければこんなこともしなくて良いのか、と思えばやはり健康が一番だと思う。
結局2日休みもそんなことで熊本や実家に帰ることもできす、休日2日めを迎える。
福岡県内の地図を広げてどこか行楽地にでも出かけようかと行き場所を探す。
北を見ても南を見ても別段行きたい所が無い。
結局のところ海でも見に行くしかないので糸島に出かけた。
天気も良く、ナビに「二見ヶ浦」をセットして出かける。
福岡市内の道も随分と詳しくはなったつもりだが、結構複雑な場所が所々にありナビ無しでは最短の道のりはまだまだだ。
1時間ばかりで目的地に着いたが、すでに多くの人たちがいた。
夏休み最後の日曜日でもあり、家族連れやバイクでのツーリング、サイクリング仲間などで駐車場は賑わっていた。
福岡に来て一番気に入っている糸島だが、ここもいつも素通りしていた場所だった。
クルマを降りてジーパンのすそを織り上げ海に向かった。



結構風があり波もあるが海の中にサンダルのまま入った。
小さな波だったが結構足を取られる。



例のごとくデジカメを水面すれすれに写真を撮る。
それでも波をかぶりそのたびにハンカチできれいにふき取る。
しばらく波打ち際で水遊び(といってもくるぶしまでだが)をして砂浜への階段に座り込み海を眺めた。
海岸線を芥屋に向かった。
バスやクルマが多くなり一時渋滞があった。
そうか今日は男子プロゴルフの大会があっているのだった。
半島の先端の公園にクルマを停め展望所まで登ってみた。





日本三大玄武洞の1つと云われるが陸地からは見ることは出来ないが展望所からの眺めは素晴らしかった。





洞窟へは遊覧船で行くことが出来るようだが人が多いだろう。
展望所を降りて海岸線を南に向かう。
最初は島かと思ったがどうも半島のようだ。
行ってみると漁港があり、漁港の横にはカキ小屋が並んでいた。
しかし今は季節では無いようですべてしまっていた。



漁港には漁船が列を作って並んでいる。
ここには 記念碑があり旧海軍航空隊玄界基地があったところだった。
ここにも戦争のつめ痕が残っていたのだ。

初めてゆっくりと糸島半島をまわってみた。
玄界灘に面したこの地も自然が残り、心をいやしてくれる場所となった。

旅から帰って

2017-08-25 21:33:41 | 日記ふう
早朝の公園ではいろいろな事があるものだ。
まだうす暗い中公園に行くと野良猫たちが公園のあちこちにいる。
ベンチに寝込んでいるのもいれば、芝生の中にいたり、中には木の上から降りてくるネコもいる。
しばらくはベンチに座ってまだうす暗いのでしばらくは目を慣らすため猫たちを探すことから始める。
しばらくすると公園の雰囲気が徐々に把握できてくる。
ある時は公園にある滑り台に酔っ払いが寝込んでいたり、ある時は若い女性が突然公園にやってきてこちらの存在に気が付かずいきなり泣き出すこともあった。
そんなときは雰囲気を消して息をひそめている。
最初はシクシクと始まり最後は大きな声で泣き出してしまう。
ひとしきり泣いた後、いつの間にかいなくなってたりする。
まあ人生いろいろとあるもんだ。
そういえば5時20分頃に一斉に鳴き出していた蝉の声が、ある日から突然聴こえなくなった。
季節の変わり目だろうか、早朝の公園に吹く風も随分と涼しくなってきた。

2泊3日のクルマ旅から帰り、いつもの退屈な日々が始まった。
4連休で最後の日をゆっくりできたのは良かったのだが、やはりまだ体調も完全では無いようでこの一週間は辛かった。
おまけにここ2日ばかりは軽いアレルギーが出て、クシャミと鼻水に苦しんだ。
クルマ旅もやはり長距離の運転は2時間くらいが限界で、それを目安に休憩が必要だ。
高速道が良いのか一般道が良いのかもある。



時間的な事を考えれば当然高速道が早いわけだが、単調な風景で運転する身からするとつまらない。
安全性に関しても高速道の方が信号や交差点も無い分事故も少ないのかも知れない。



風景を見ながらゆっくりしたいときは一般道のほうが良い。
コンビニや道の駅も多くなってきたので便利になった。



そして今や幹線の国道になれば自動車専用道路になりつつあり高速道と変わらないようになってきている。
私としては一般道をゆっくりと楽しんだ方が旅としては良いのかなと思っている。
出来れば運転も交代しながら、そして昼間の運転より夜中の方が走りやすい。



道の駅や高速道のサービスエリアでキャンピングカーを良く見かける。
旅のあり方としてはこれもありだと思うのだが、高額な車代を考えればそのお金でビジネスホテルでもとってゆっくり休んだ方が得ではないのかなどと思ってしまう。
好きな時に好きなところに駐車して、という気楽さがあるようだがどうしたものだろう。
疲れとの戦いでもあるクルマ旅、旅の一つのあり方として再びロングドライブを計画しようと思っている。

瀬戸内の海を求めて(3)

2017-08-22 21:17:48 | 旅行
ホテルは周りには何もない山の中だった。
広島空港の近くなのか夕方には大きな飛行機が真上を飛んでいく。
夜は真っ暗になり周りがどうなっているのか見当もつかなかった。



朝目覚めると周りは高原のような所で朝靄で白い世界が広がっていた。
スパリゾートのホテルのようで朝から温泉に入り、バイキングスタイルの朝食だった。
こんな辺鄙なところなのに結構家族連れが多く、人気があるようだった。
広島市内や尾道市内のシティ型のビジネスホテルでも良かったが、ネットで探していてどうせクルマで行くので場所はどうでも良いという事で安いホテルを予約したのだった。
第一の目的地は尾道とその先(しまなみ海道か倉敷岡山、山陰へまわり松江や島根)と考えていたが、やはり体力に過信は出来ない事といくら盆明けとはいえ盆休みの最終日はどこも混むのではないかという事があった。
休みの前日という事もあり予約も取れるかわからないので連泊することにした。
ホテルを出て海べりの道を進み、初日に行く予定だった呉を目指した。
朝の瀬戸内の海は光輝いてすがすがしかった。
呉の街に入ると割と大きな町だった。



大和ミュージアムを目指しクルマを進めるが、突然大きなドラム缶のような物体が現れた。
「てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)」に入り海上自衛隊の活動内容を見て回った。
最後のに巨大な潜水艦の中を紹介され、いったいどうやって海の中から引き揚げたのか聞いてみた。
パネルにその様子が紹介されていて、巨大なクレーン車で釣り上げた様子が紹介されていた。
道を隔てた先に「大和ミュージアム」はあった。
さすがに休日(土曜日)という事もあり入口には多くの人で込み合っていた。



館内に入ると大和の大きな模型が展示してある。
その雄姿を見ながら展示を見て回った。
すでに70数年前に作られたものだが、当時としては最新の技術で作られたようで、その後の日本の発展の基礎ともいえるものだったようだ。
そういえば今では当たり前になったパソコン(コンピュータ)やインターネットの技術などは軍事技術から生まれたのものだし、潜望鏡などの光学技術もそこから発展したものだ。



しかし大和の展示の中で乗組員の母宛ての肉質の手紙を読んだときはさすがにやばかった。
敗戦も確実になり、戦勝品として戦勝国に渡るのも苦痛だし、自爆してしまうのも苦痛、結局片道だけの燃料を積み込み沖縄に向かう。
結局、乗組員たちはその運命を知っていたという事実だ。
戦争の悲惨さはこうして受け継がれていかなければならないのだろう。
結局2時間以上もその場で過ごし、係員から聞いた「アレイからすこじま」という所に行った。
現役の戦艦や潜水艦が見れるという。



小高い駐車場にクルマを停め、海べりに出てみると5隻の潜水艦がいた。



下関で見た巨大な運搬船も2隻も駐留していた。
湾内では修理を終えたのか巨大なタンカーらしき船がタグボートに引かれ湾から出ていくところだった。
呉の街は長崎佐世保と似た地形だった。
東側には結構高い山がせり出し、湾を囲むように山で囲まれている。



母方の祖父が海軍の軍人だったので佐世保の事は聞いていたが、きっとこの呉にも来たのだろう。
そんなことを考えていたが時間の方が午後三時を回ってしまった。
まだまだ回り切れなかった(行きたいところはまだまだあった)が帰ることにした。
高速はさすがに早いが単調で景色も見れないので暗くなるまでは山陽道と並走する国道2号線で帰る。
暗くなったら山陽道に乗ることにして、国道沿いの街の雰囲気を楽しんで帰ることにした。

瀬戸内の海を求めて(2)

2017-08-21 20:52:07 | 旅行
ホテルから尾道までは50キロ足らずで時間は一時間ばかりだった。
瀬戸内海の海が見えるまでかなり時間がかかった。
海が見える頃には国道も自動車専用道になり尾道の看板が見えたので国道を離れ千光寺を目指した。
小高い山をのぼり千光寺の駐車場にクルマを停めた。
今日は歩くことを覚悟していたのでカメラをリックに詰め込み準備した。
公園のように整備された山道を先ずは展望所に向かう。
大勢の観光客がすでに展望所にいて、地元の猫たちは地べたに寝転んだまま寝込んでいた。



高台から眺める景色は最高に気持ちが良く、風も気持ちいい。
目の前には向島が見え、尾道水道を観光船や水道専用のフェリーが行きかっていた。



しまなみ海道に架かる尾道大橋や造船所と、遠くに見える島々の山の風景が異質にも思うがこれが魅力なのかも知れない。
しばらくその風景にカメラを向けシャッターを切った。
展望所を後にして文学のこみちを降りる。
志賀直哉(暗夜行路)や林芙美子(放浪記)などの一説が岩に刻まれている。
しばし足を止めその一説を読んでは進む。





千光寺の境内に入ると石仏が迎えてくれる。
巨大な岩がごろごろしていて山寺というより岩寺といった感じだった。
ここからの眺めもまた素晴らしく、しばし休憩していると真横をロープウェイが音もなく過ぎ去っていく。
細い路地があちこちにあり「猫の細道」と呼ばれている。



古い民家なのか旅館なのか風情がある建物が多い。



その横を再び音もなくロープウェイが行き来する。
千光寺を降り山陽本線のガードをくぐるとアーケードに出た。
アーケードを抜け尾道水道まで来て海べりを歩いてみた。



古いアーケードを歩いていると古き時代の建物が次から次へと現れる。
長い行列が出来ているところがあり、どうも尾道ラーメンの有名店のようだった。
行列に並ぶまでは時間の余裕もなく、尾道浪漫館なる喫茶店に入り食事をした。
それからJR尾道駅まで歩いたが急に空に黒い雲がかかってきた。
急ぎ千光寺ロープウェイの駅を目指す。
ロープウェイを降りる頃には小雨になっていた。
頂上から雨上がりの瀬戸内の島々がとても美しくしばらく見とれてしまった。
クルマに戻り、さてどこに行こうかと考え、水道を行きかうフェリーに乗り向島に行くことにした。
乗るのも初めてで要領がわからないままいると、タクシーが横を通り船に向かう。
切符とかどうするのかと思ったが、エイとばかりにタクシーについて行った。
船に乗り込むといきなり動き出した。
係りのオジサンがお金の回収に来た。
なんと200円足らずの料金だった。
船は数分もかからず向島に着いた。
海岸線を走っているとサイクリングする人たちが結構いる。
因島大橋のふもとの駐車場でクルマを停め海岸に出てみた。



道路のすぐ下は砂浜になっていて家族連れが海水浴を楽しんでいた。
その先には青々とした海、海に浮かぶ島々が見える。
島を一周して再びフェリーに乗り込む。
岡山まで87kmの看板が見えるが今回はここまでとあきらめ夕日が落ちるなか尾道を後にした。

瀬戸内の海を求めて(1)

2017-08-20 09:48:07 | 小旅行
カメラ2台と標準ズームと望遠ズームの2本のレンズをバックに入れた。
コンデジにパソコンとタブレット、寝袋をどうしようかと考えたがテントは熊本に置いたままだし、野宿することもないかもしれない、最悪の場合は車中泊をすれば良い。
とりあえず今日のホテルは確保してあるが、明日以降はまだ決まっていない。
朝8時前だったかマンションを出た。
百年橋通りに出たとたん朝の通勤ラッシュの渋滞に入った。
平日の木曜日という事をすっかり忘れていて出だしから躓いた。
都市高速、福岡インターからの九州道にも乗りそびれ、渋滞の福岡市内を縦断して古賀インターから高速に乗った。
山口JCTで山陽道に入りナビは玖珂ICで降りるように言う。



ナビに従って国道沿いを走ると錦帯橋の看板が見える。
河川敷にクルマを停め橋のたもとまで歩く。
何せ初めて来たもので木造の橋の美しさに感動だった。
地元ガイドさんらしき人から山の上にある岩国城まで行かれたが良いですよと声をかけられた。
錦帯橋の往復券とロープウェイと岩国城の入場券がセットになった券(1000円位だった)を買った。



錦帯橋を渡るとさすがに木の橋なのでゆさゆさと揺れる。
橋は3つの大きなアーチ状の山になっており木の階段になっている。
川を見るとかなりきれいな清流でアユらしき魚がたくさん泳いでいた。
河川敷では子供たちが水遊びをしていた。
夏の日差しは強く暑いのだがそんな光景を見ているとこちらまで涼しく感じる。
平日だが子供たちは夏休みなのだ。



ロープウェイで山の山頂まで登る。



しばらくは鬱蒼とした木々の中を歩くとこじんまりした山城が見えてきた。
場内に入ると日本刀の展示が多くあった。
日本刀愛好家にはたまらない名刀がずらりと並んでいた。
長さ2メートルはある大太刀あり長船あり、全国の名刀が並んでいた。
最上階は展望所のなっており、岩国の町が一望できる。



さすが山の頂上にある山城なので秋風が気持ちよかった。
しばらくその風に当たって岩国の街並みと眺める。
大きく蛇行した錦川の河口に街が広がり、その先には瀬戸内の海と島々が見える。
ゆったりとした時間に浸りついつい時間を使ってしまい、すでに午後の3時を過ぎてしまった。
ナビにまかせ国道2号線を広島方面に向かう。
宮島口(安芸の宮島)あたりで渋滞に会う。
今日中に呉まで回りたかったが無理だ。
やっと渋滞から抜け出し、国道2号線は自動車専用道路となり高架の上を飛ぶように広島市内に入る。
2号線から離れ平和記念公園横の平和大通りを抜ける。
繁華街にあるお好み焼き村に行こうと繁華街に入りコインパークに駐車した。



ところがいきなり黒い雲に覆われて大粒の雨が降りだした。
アーケードに入り地図を片手に場所を探す。



なんとか見つけ出しイカ肉玉のお好み焼きを頂くことが出来た。
夕立だったようで小雨になり再び車に乗り、東広島に取ったホテルを目指した。



国道2号線も所々バイパス工事中でしかも通勤ラッシュの渋滞に巻き込まれた。
ホテル近くに着いたときはすでに周りは真っ暗で、心細い山道をぐるぐるとホテルを探す。
建物らしきものはなく、ナビでは検索できなかった。
とうとう電話で場所を教えてもらうがなかなか道が細くてわからない。
電話をつないだまま、細い道を進んで行くと10階建てのホテルが見つかった。



走行距離は400kmほどだったがとにかく疲れた。
温泉に入りベットで熟睡した。

夏休み

2017-08-16 22:01:52 | 日記ふう
盆の期間中は出勤だった。
金融機関が休みでないため支払関係の事務処理で事務方は結局全員出社となった。
若い女の子たちも文句も言わず出社して業務をこなしていた。
支払処理にシステムも絡むため何かあった時のため私も出社となった。
何もなく過ぎてしまったわけだがこればかりはしょうがない。
その代わりといってはなんだけど、時期をずらして交代で代休をとることになった。
そういうわけで明日から4連休の休みとなる。
会社を終えてビルを出るとまだ日も高くと良い日差しが降り注いでいた。
解放された気持ちになるのは久しぶりの事のように思う。
盆を過ぎれば涼しくなるというが、もうすでに暦の上では立秋(8月7日)を過ぎ秋という事になる。
そういえば昨日は夜半から大雨が降り午前中には青空が見えていた。
心なしか風も気持ち良い秋風が吹きだしたようにも思う。
さてさて明日からの4日間どのように過ごそうかと考えている。
両親が健在だったころは有無も言わず帰省していたのだが、今年はまだ草刈もせず実家はほったらかしにしている。
盆だというのに墓参りすらしていない。
両親やご先祖様には申し訳なく思うが、せっかくの休みなのでどこかに行こうと思っている。
別に計画があるわけでもないのだが、体調も随分と良くなってきているし、カメラでも担いでどこか山陽あたりにでも出かけようと思っている。
何せ行き当たりばったりなので明日目が覚めて気持ちがあったらの話になる。
今からしばらく地図でも眺めながら考える事にしよう。
パソコンは持って行こうと思っているので時間があればアップすることにする。

にんにく、にんにく

2017-08-15 21:11:49 | 日記ふう
普通は帰省というと子供たちが年老いた親が住む故郷を目指すものだが、我が家の場合は親が子供の住む故郷を目指すものなのだ。
帰省といっても我が家に帰るだけだし、たまたまそこに息子夫婦が住んでいるというだけなので帰省という言葉自体が当てはまらないのかもしれないな。
しかしこの時期やゴールデンウィーク、正月など多くの人が動くときには高速道路などめったに使わない。
一度や二度ならず高速道路での渋滞はひどい経験がある。
帰省ラッシュの渋滞しかり事故での渋滞ありで逃げ場が無いのでどうしようもない。
カス欠になりそうだったり、いきなりトイレに行きたくなったり、それを考えると少し時間はかかるかもしれないが一般道がベストとなる。
今回は熊本での夏祭りを終え、沖縄からの知人(泳げない海人さん)を福岡空港まで送るため高速に乗った。
それが13kmの渋滞につかまってしまった。
熊本ICから高速に乗り菊水IC近くでいきなり最後尾についてしまった。
帰省ラッシュの渋滞かと思ったがどうも事故のようだった。
ノロノロ渋滞が1時間近く続いた。
まあその分、沖縄の泳げない海人さん(シンヤさん)とも話が出来たわけで、彼は今回お子さんの九州大会(たしかバトミントンの選手として出場)で応援で長崎に来られたとのことだった。
その帰りに仕事がらみの案件と古き友人のジローさん夫婦との再会で熊本に立ち寄られた様子だった。
その長崎で大事な大事な財布を落とされてしまったようで、沖縄ではこんな時
「にんにく、にんにく」と心の中で呟くそうだ。
そうすると落し物は必ず帰ってくる、まあ魔法のまじないのようなものだ。
その話を聞いた妻が、学生時代に沖縄から来ていた友人も落し物をした時に「にんにく、にんにく」とつぶやいていたという。
落し物はおまじないのおかげで翌日戻ってきたそうだが、はじめて聞く言葉だった。

高速は大宰府ICで再び渋滞が発生しているようで一つ手前の筑紫野ICで降りた。
そのあと長い長い行列が出来ることで有名な天ぷら屋で長い長い行列に並んで天ぷら定食を食った。
少し時間があったので駆け足で天神まで行きショッピングだった。



買う時間がなかったので駆け足で空港に向かった。
福岡空港も帰省ラッシュのようで多くの人たちが行き来していた。
無事に時間内でチェックインをして泳げない海人さんは機上の人となった。

両親を亡くし、熊本の家を飛び出し福岡に出て、何か探し物をするような生活をしている。
「にんにく、にんにく」
そのおまじないのような言葉がぴったりなのかも知れないなと心に響いたのだった。

打越夏祭り

2017-08-14 21:23:15 | イベント
盆休みというか暦通りの休みで3連休だった。
盆も正月もない仕事なので今日は平常通りの出勤なのだが、世の中は休みなのでほとんど電話もなく過ぎてしまった。
初日はジローからの連絡で沖縄からの知人(泳げない海人さん)が来るというので熊本に帰る予定だった。
それでも午前中は何とか時間が作れるだろうと、福岡と下関の友人とゴルフに出かけた。
ゴルフの結果は散々の内容だった。
午後から熊本に向かったが筑紫野インターまでの一般道が混んでいた。
高速はそれほど混んでなく夕方までには熊本の自宅に着くことができた。
久しぶりにジローさん宅でゆっくりとゆんたくだった。



次の日は打越町の夏祭りとやらで、朝早くから会場つくりの手伝いだった。
ここ数年は会場も打越台団地内にある打越公園に固定されたようで、テントやそのほかの夏祭り用の道具は公園内のプレハブの倉庫に保管されている。
以前は公民館の倉庫から軽トラで運んでいたがその分は楽になった。
それでもテント5張りの組み立てや電灯の配電には人手が必要となる。



慣れたもので5張りのテントもあっという間に組み立てが終わり、着々と準備は進んでいった。



一通りの基盤が出来上がり後は各ブースの人たちの準備があるのでいったん自宅に戻った。
叔父から連絡があり、お参りに来たいという。
叔父にとっては両親と兄夫婦の仏前となるわけで、我が家が本家となる。
ふらふらとした本家だがそれなりにお参りを受け久しぶりに近況報告などの雑談で過ごした。



夕方になり公園に行ってみるとかなり多くの人たちが公園に集まっており賑やかに夏祭りは始まっていた。



町内役員の人々はもとより我が団地の人たちや町内の懐かしい人たちと会話を交わす。
熊本を離れ1年と4ヶ月ほど経つが熊本地震をはじめいろいろな事があり、時の変化を感じる。
通年と変わらない行事なのだが、人それぞれに年を取り時代は若い人たちに継がれていくものだ。



そんなことをこの場を離れていると感じてしまう。
公園にも子供たちの明るい声が響き、次の世代が育っている事を嬉しくも思う。



この子たちも大きく育ってこの場を離れても、この故郷の夏祭りが頭の隅にでも残ってくれればありがたいものだ。
10年後も20年後も続いてほしいのもだ。
そんなこんなで初日2日と過ぎて行った。

少雨の夏

2017-08-08 20:48:42 | 日記ふう
住んでいる博多の町では、今回の台風も街路樹をゆさゆさと揺らす程度でほとんど影響はなかった。
進路予報ではまっすぐ進めば直撃の所だった。
東に大きくそれたおかげで今回も大騒ぎにはならなかったわけだ。
確か去年もそういうことがあったような気がする。
すわ!直撃だと思っているといきなり熱帯低気圧になり肩透かしになった。
今回もかなり気を入れて台風対策を行っていたようだ。
ビルを管理する人々は念のために泊まり込みを決め、いざという時に備えたわけだ。
しかし何事もなく過ぎてしまった。
災害はそれに対して備えることができる災害と、地震のように突然起こる災害があるようで、突然起きる災害はどうしようもない。
しかし九州北部豪雨のように備えができる災害であっても予想をはるかに超える災害もあるわけで、何れにしても自然に対して人は無力でしかないようだ。
今では台風の状況も手に取るように把握できる情報が誰にでも手に入れることができるわけだが、昔の人たちはそんな情報もなく、ただ五感を研ぎ澄ませ大きな災害が来ることを予感していたのだろう。
そういう意味では現代人は情報に振り回されているのかも知れない。
まあそういう話は良いとして、博多の街にはこの梅雨の時期(空梅雨)もまとまった雨も降らず、今回の台風でもパラっと来ただけでまとまった雨は降らなかった。
数十km離れた朝倉や日田では「線状降水帯」という現象でとてつもない雨が降り土砂災害が出た。



空梅雨の影響で公園内の芝生も枯れてきている。
公園を管理する人が夕方に水道から放水をしているが、まるで焼け石に水といった感じだ。
公園内の土もからからになり、地面はかなり固い状態になっている。



アジサイも終わり、今では百日紅の花が咲いているがこれもまたあまり元気がないようだ。
あるイベント会場(結婚式場らしき)の壁際にはサボテンの木が植えてある。





さすがにサボテンだけは元気が良いようで砂漠のような都会にはあっているのかも知れない。
まあ、雨が降らずに快適に過ごせる都会の生活には雨は必要ないのかもしれない。
しかし公園の草木は悲鳴を上げているのだ。

夏祭り

2017-08-05 19:05:37 | イベント
土曜出社の帰り、博多駅近くの人参公園で地域の夏祭りが始まろうとしていた。



「東住吉校区夏祭り」と看板には出ていたので校区の祭りのようだ。
熊本にいた頃は町内役員を20年ばかりやっていた関係でどうにも気になりちょっと覗いてみた。
会場の公園は都心にあっては結構広い公園だ。
博多駅のすぐ近くにあり、住吉神社の名前のように住吉地区がかなり広がっている。



私たちが住む美野島の隣町にあたり、JRの高架をまたいで住吉は広がっている。
東住吉小学校や中学校(隣どうし)はJRの高架の反対側にあり、確か住所は博多駅南だったと思う。
住吉小学校や中学校はこれまた離れた美野島にあり、どうも町名と学校名が一致してない所が面白い。
こちらの夏祭りも町内(いやいや校区内)の有志(自治会なのか?)の手作りイベントのようだ。



焼きそばに焼き鳥といったバザーはどこも変わらないようで青年部や婦人部といった組織が運営しているのだろう。
それとも社会福祉協議会や体協などの組織別になっているのかは不明だった。



同じように音響もかなり古い器機を駆使しているようでいかにも素人イベントが丸見えだった。
我が打越町(熊本)でも夏祭りの計画と音響に携わっていたものとしては苦労がわかるってものだ。



集まる人たちもかなりの人数になるのだろう、焼きそばはすでに作り始めていてパックに詰めた焼きそばが山積みになっていた。



アルコールの方は缶ビールの箱が山積みになっていて、こちらはわが打越町の本格生ビールとは違っていた。
広いとはいえ都会の、それも博多駅のすぐ近くの公園でこんな催しがあっているとは思いもしなかった。
なんとなく親近感を覚えしばらく準備作業の様子を見入ってしまった。
台風5号も近づいていて、主催者の開催判断も難しい所だったと察する。
終わり次第後片付けも大変だろう。
熊本の打越町の夏祭りも今月12日と聞いている。
東住吉夏祭りを感じながら、熊本を離れて2年目、わが打越町の夏祭りが懐かしく思える。

餅は餅屋

2017-08-03 21:10:35 | パソコン
サーフェースに手を焼いている。
今年の5月だったかリースアップのノートパソコンの後継機という事でSurfacePro4を5台購入した。
現場への持ち込みが出来るという点と事務所内でも通常のパソコンとして使える、これが導入のきっかけだった。
Windowsパソコンが良いのかAndroidやiOS(MAC)ではだめなのか、どうせタブレットであればどれでも良いではないのか、などと意見は分かれる。
持ち出し用に1,2台準備して事務所で使う機器は別に考えた方が良いのではないのか、との意見も出る。
パソコンというと完全に個人専用という感覚があり、一台のパソコンを数名で使いまわす感覚というのがどうも出来ないところがある。
まあその辺はケータイやスマホの感覚に近いところもあり、個人に用意するようなところがどうしてもある。
使い慣れたOffice(おもにExcel)を中心に使用するので結局Windowsパソコンという事になった。
Microsoft以外でも2in1のパソコン(タブレット)を検討したところ、モデルチェンジ前のPro4が以外に安いこともあり導入となった。
SIMを同時に入れる事は頭からなくWi-Fiモデルを選んだ。
ただし純正の周辺機器が異常に高く、ドッグなどはサードパーティ製でそろえることになる。
社内LANへの接続はWi-Fiを考えアクセスポイント(AP)を入れ有線を廃止した。
しかし運用してみて画像の転送に以外にストレスがかかり運用するうえで問題が発生、USB対応のLAN接続端子を購入しなんとか解決した。
ディスプレイが小さくて見にくいという事もあり、外部ディスプレイも購入。
キーボードが使いにくいとかマウスがどうしてもいるとか、もう完全に据え置きのパソコンと変わりはない。
現場に持ち出すのかと思いきや壊すのを恐れてか誰も持ち出しはしない。
結局事務所で使う普通のパソコンと同じ状況になる。
ディスクトップでこのコストであればかなり高性能のパソコンがやってくる。
そのうちAndroidスマホを個人に配り、何が何だかわけがわからなくなってしまう。
まったく新しい機器だけがそろい何の統一性もなく、運用の方法さえも決まらないまま突っ走っている。
そのSurfaceに不具合が出ている。
一度はLanへの接続が出来なくなりサポートに連絡を入れる。
OSを初期化して特殊なパッチ(サーフェースブログスから)をダウンロードしなんとか解決した。
今度は違う機器で電源が入らなくなるトラブルが発生した。
ネットで電源トラブルで探すと山のように事例が出てくる。
何度も何度も解決方法を模索したが解決せずサポートに連絡を入れる。
あっさりと修理(交換)を言ってきた。
返却指示に従ってゆうパックで返却し新しいSurfaceが送られてきた。
しかし今度は外部ディスプレイへの転写が出来ない現象が発生する。
ほかのSurfaceを持って来て試してみるがこのSurfaceだけが写らない。
ふたたびサポートに連絡を入れパッチをあてたりOSの初期化を行うが改善せず再び交換となる。
ホントに醜い状態になっている。
OSの初期化やアップデートなど無意味な時間も取られ、使っていた本人は突然の電源トラブルによりメールやディストップのデータが飛んでしまい唖然としたりという状態だ。
やはりソフトメーカーであり、ハードはあまりにもお粗末なようだ。
しかし今後数年間は使うしかないわけで、先が思いやられる。

8月の空

2017-08-01 20:55:39 | 日記ふう
朝5時20時頃から一匹の蝉が鳴きだす。
そのうちに公園内のあちらこちらから蝉の大合唱が始まる。
夜明けとともに騒々しい夏の朝が始まる。
一通り運動を終えベンチに座り休憩を入れる。
蚊がうるさいようにまつわりついてくる。
空を見上げるといわし雲が出ていた。
熊本の夏と違い、常に風が吹いている。
朝まずめのこの時間帯は浜風が吹いて気持ちいい。
夏の最中というのに、この時ばかりは秋を感じさせる。
ついこの前正月を迎えたと思っていたがすでに7か月も過ぎてしまっているのだ。
あっという間の事だったけど、内面的にはいろいろな事があった。
人と人との信頼関係というのは定かで無いことを再び(過去にも)痛感した。
やるせない悲しみだけが残った。



さあ今日から8月に入る。