2週続けて同じような台風が同じ進路と同じ時間帯でおいでになった。
朝からネットとテレビで台風情報を調べ、JR九州新幹線の運行状況を確認していた。
2週続けて九州に南側をかすめるように接近するようで大したことは無い事はだいたいわかっていた。
しかし雨に弱い九州新幹線なので運行は気になっていた。
数日前に同級生のコージから連絡を受けていた。
「小学校の同窓会をするけど来い」
という事だった。
クルマで行くか新幹線で行くかを迷っていると
「新水俣駅に10時半くらいに着く列車があれば拾って行けるよ」
との事だった。
おまけに台風の最接近と時間帯が重なっていたので列車で行くことにした。
自宅から博多駅(筑紫野口)へ送ってもらう。
新水俣までの2枚切符(14000円程度、高い!)を買って一度筑紫口を出た。
駅前には各地に向かう観光バス待ちの観光客でごった返していた。
そんなこともありちょっと早めに改札を抜けた。
通勤していた頃毎日通ったひかり広場改札、新幹線コンコースの懐かしい風景など、まだ3年ほどしか経ってないが懐かしく思えた。
帰りの列車を待ちながら一杯のビールに疲れをいやした店も変わっていなかった。
駅の土産品店、コンビニ(これはファミマからセブンに変わっていた)や待合室など変わっていなかった。
熊本までのツバメは11番ホームだったが、今日は熊本の先まで行くので博多通過のさくらに乗る。
定刻の9時7分のさくらに乗り込み席を確保する。
室内も窓からの風景もそのままの雰囲気だった。
懐かしさに窓からの風景を見ていると熊本駅に到着する。
まあ熊本駅が通過駅になることはそれこそ何年ぶりだろうか、いやいや博多からは初めてではないだろうか。
熊本から新水俣までは26分程度で八代から先は9割程度はトンネルなのだ。
駅にはヨシオとマサノブが迎えに来ていた。
途中であと2人乗り合わせ、隣町の出水に向かう。
出水の街中を抜け、武家屋敷が立ち並ぶ竹林の麓に和亭はあった。
私たちが着いてから次々と集まって(といっても8名程度)会は始まった。
水俣市の東に位置する全校生100名程度の小さな学校だった。
私は6年生に上がる時この学校に転校したわけだ。
隣町の大きな小学校から1学年18名程度の小さな学校だった。
それだけに仲間意識は強く、この一年間は貴重な一年だった。
それから中学校3年間も一緒だったが、中学校に上がればほかのマンモス校からの生徒たちと一緒になるので仲間意識も当然薄れてくるのものだ。
だからこの仲間意識は強かったのかも知れない。
今日は小学校の1,2年の時の担任先生の卒寿の祝いも兼ねているという。
初対面の先生に挨拶をするがとても90歳とは思えない若い先生だった。
先生を囲みなごやかに会は進むがいまいちその中には入って行けなかった。
だけどそんな彼ら彼女らを羨ましくも思えたが嬉しくも思った。
だって小学校の1年生の時の担任など私は完全に思い出せない。
そんな付き合いを長年続けているわけで、それはそれで素晴らしいのだった。
たった一年しか通わなかった小学校の同窓会に仲間として呼んでくれたこと自体嬉しかったが、変わらない仲間の意識が一つになったこともうれしかった。
帰りは唯一女子(おばさんか)と二人っきりで、駅まで送って頂いたのだった。
朝からネットとテレビで台風情報を調べ、JR九州新幹線の運行状況を確認していた。
2週続けて九州に南側をかすめるように接近するようで大したことは無い事はだいたいわかっていた。
しかし雨に弱い九州新幹線なので運行は気になっていた。
数日前に同級生のコージから連絡を受けていた。
「小学校の同窓会をするけど来い」
という事だった。
クルマで行くか新幹線で行くかを迷っていると
「新水俣駅に10時半くらいに着く列車があれば拾って行けるよ」
との事だった。
おまけに台風の最接近と時間帯が重なっていたので列車で行くことにした。
自宅から博多駅(筑紫野口)へ送ってもらう。
新水俣までの2枚切符(14000円程度、高い!)を買って一度筑紫口を出た。
駅前には各地に向かう観光バス待ちの観光客でごった返していた。
そんなこともありちょっと早めに改札を抜けた。
通勤していた頃毎日通ったひかり広場改札、新幹線コンコースの懐かしい風景など、まだ3年ほどしか経ってないが懐かしく思えた。
帰りの列車を待ちながら一杯のビールに疲れをいやした店も変わっていなかった。
駅の土産品店、コンビニ(これはファミマからセブンに変わっていた)や待合室など変わっていなかった。
熊本までのツバメは11番ホームだったが、今日は熊本の先まで行くので博多通過のさくらに乗る。
定刻の9時7分のさくらに乗り込み席を確保する。
室内も窓からの風景もそのままの雰囲気だった。
懐かしさに窓からの風景を見ていると熊本駅に到着する。
まあ熊本駅が通過駅になることはそれこそ何年ぶりだろうか、いやいや博多からは初めてではないだろうか。
熊本から新水俣までは26分程度で八代から先は9割程度はトンネルなのだ。
駅にはヨシオとマサノブが迎えに来ていた。
途中であと2人乗り合わせ、隣町の出水に向かう。
出水の街中を抜け、武家屋敷が立ち並ぶ竹林の麓に和亭はあった。
私たちが着いてから次々と集まって(といっても8名程度)会は始まった。
水俣市の東に位置する全校生100名程度の小さな学校だった。
私は6年生に上がる時この学校に転校したわけだ。
隣町の大きな小学校から1学年18名程度の小さな学校だった。
それだけに仲間意識は強く、この一年間は貴重な一年だった。
それから中学校3年間も一緒だったが、中学校に上がればほかのマンモス校からの生徒たちと一緒になるので仲間意識も当然薄れてくるのものだ。
だからこの仲間意識は強かったのかも知れない。
今日は小学校の1,2年の時の担任先生の卒寿の祝いも兼ねているという。
初対面の先生に挨拶をするがとても90歳とは思えない若い先生だった。
先生を囲みなごやかに会は進むがいまいちその中には入って行けなかった。
だけどそんな彼ら彼女らを羨ましくも思えたが嬉しくも思った。
だって小学校の1年生の時の担任など私は完全に思い出せない。
そんな付き合いを長年続けているわけで、それはそれで素晴らしいのだった。
たった一年しか通わなかった小学校の同窓会に仲間として呼んでくれたこと自体嬉しかったが、変わらない仲間の意識が一つになったこともうれしかった。
帰りは唯一女子(おばさんか)と二人っきりで、駅まで送って頂いたのだった。