打越通信

日記ふういろいろ

自然の癒し

2017-09-24 21:54:25 | 日記ふう
彼岸の中日(秋分の日)という事もあり実家に帰った。
今年は5月の初めに実家に帰ったきり、その後の入院(手術)やその後の体調の不調のため、盆も帰省することは無かった。
台風の影響や山の木材の切だし道路の件、実家の周りに住む親せき筋の状況、実家に住むジュンの様子見など様々な事があり実家に向かった。
実家に着いた瞬間にそんなことはすぐに吹き飛んだ。
庭を見て背の高さまで成長した草に目が点になった。



あーあ、これがあったんだ。
庭の半分くらいはジュンの頑張りが確認できたのだが、あとの半分と庭木に絡みつく蔦を見て俄然と闘志がわいてしまった。
このところ体調がすこぶる良く、実家に着くなり作業着に着替え草刈機を取り出して草と格闘した。
あいにく天気もくもり空という事もあり、またジュンも手伝ってくれたおかげで半日でなんとか庭の除草は目途がついた。



夜は久しぶりにジュンの親父(義理の弟)に連絡を入れ一緒に食事をすることになった。
ジュンたちが幼かった頃は家族ぐるみで海や山にキャンプに出かけたり、釣りにゴルフに彼とは兄弟以上に親しくさせていただいた。
ただ、お互いに仕事が忙しくなり、特に彼は教育関係の仕事で上に立つ役職になり、会う時間がなかなか出来ないでいた。
積もる話も尽きなかったが様々な事が蘇りながらも貴重な情報交換が出来たのだった。

次の日も朝早くから庭の草取りや畑の草刈にかかった。



畑のほうの草は例年以上に豊作で私の背よりはるかに高く成長していた。
草刈の後、耕運機を入れて根から取り除かないとだんだんと巨大化するようだ。
その間にも親せきへの挨拶や祖父祖母、両親が眠る納骨堂にお参りに行った。
納骨堂への坂道に真っ赤な曼珠沙華(彼岸花)が咲きほころんでいた。
今年に入って何回目なのだろう、もう一年以上も墓参りしてないのでないだろうか。
納骨堂の周りもきれいに清掃されていて、外壁工事でもしたのだろうか立派になっていた。
墓参りから帰ってからも草刈は続く。
去年はたしか夏草の日とやらが出来たようだったが、それが今年が9月の終わりまでずれ込んでしまった。



畑のあぜ道にも彼岸花が咲きほころんでいた。
それを切らないように草刈機に気を配った。
去年と同じようにあと数回はかかるだろう。
にくっき草との格闘なのだが、何とも爽やかな疲れになるのは不思議なものだ。

ノンアルコールビール

2017-09-22 23:28:10 | 日記ふう
酒をやめて2年とんヶ月になる。
緊急入院が3年前の12月だから、あと3ヶ月で3年となる。
飲んでいた頃はビールだった。
いやいや何と言ったらいいのか、ビールだ、そう発泡酒ではなく第三のビールでもないビールだった。
ある日団地のオヤジたちが遊びに来て
「ケンのところはまだビールを飲んでいるのか!」
と呑み助のオヤジが口にした。
それから「クリアアサヒ」という黄色いラベルのビールに変わったのを覚えている。
ビールと言えばそれまで「ラガー」や「一番搾り」といったメーカーのモノを好んで飲んでいた。
団地のオヤジの一言でそれまで愛飲してきたビールが黄色のカンカンに変わったのだった。
いまでは「オールフリー」というサントリーのノンアルコールを飲んでいる。
これがあるのでアルコール入りのビールが無くてもなんとか過ごせてきたわけだ。
今では会社の飲み会でもこのノンアルコールがあるので酒の相手もなんとかできるのだ。
しかしね、居酒屋や料理店の中にはノンアルコールを置いてない店も時々ある。
飲み会になるとそこいらを心配してノンアルコールを置いてある店を探してくれたりするが、これもまた例外的なところがある。
だいたい料理や酒は飲み放題という店が多い。
しかしこの飲み放題という中にはノンアルコール飲料が入っていないのだ。
だからいつも別料金で注文することになる。
これには困ったものだが個人的には会費の中で処理されるので痛みは無いわけだ。
しかしランチなど行くと中には小瓶が600円などという店もありこれには参る。
同僚たちと立ち飲み屋などに行くと生ビールよりノンアルコールの方が高いことも良くある。
特に博多駅周辺では午後五時まで生ビール半額などという事もありその傾向は歴然となる。
そしてあまり量が出ないのだろう、出てくるノンアルコールビールはキンキンに冷えている事はまずない。



そんな境遇にいるノンアルコールビールなのだが、スーパーに行けば当然段ボール買いをする。
これまでは「オールフリー」オンリーだったわけだが、この前呉に行った時、大和ミュージアムの駐車場が一杯で近くのショッピングモールに駐車したのだ。
その時タダでは悪いと思いノンアルコールビールを買うことにした。
「オールフリー」の横で「零ICHI」というのを販売員が進めていた。
試飲して買うことにしたらサンプルを4,5本別につけてくれた。
これは儲けたなと博多まで運んできたわけだ。
それからというもの我が家ではこの銘柄に変わってしまったのだった。

台風一過の日

2017-09-18 20:52:38 | 日記ふう
台風が過ぎ去った朝を迎えた。
朝6時頃の自宅玄関を出てエレベータホールから眺めだ。
まだ台風の吹き返しの雲もかかり北の空には黒い雲も残っていた。
日課になった公園でのストレッチと軽い運動を終え部屋に戻り朝食をとる。
外は先ほどの雲も取れ台風一過の晴天となった。



天神にショッピングらしきものに出かけたが、街中は何時の間にかリーグ優勝をしたホークスの優勝バーゲンがあっていた。
福岡に来てびっくりしたことの一つには、朝からテレビでホークスのユニフォームを来たキャスターらしき人が前夜のホークスの試合結果に大声を張り上げている事だった。
夕方仕事を終え帰ってくると必ずどこかのチャンネルでホークスの試合があっていた。
NHKの夕方の地方版の番組ですらホークスを追いかけているのだ。
プロ野球にまったく興味を無くしたのは例の江川事件(古いな)からだった。
福岡出身の有名人の中にも西鉄ライオンズがいなくなってプロ野球に興味を失ったという人がいるようだ。
年に1,2度ほどは娘の仕事の関係上でチケットをもらうのでドームに行くことはあるがホークスのファンという訳ではない。
したがって野球自体は面白いとは思うのだが、あのドームの雰囲気や地元だからとやたらと持ち上げるマスコミには嫌気を感じている。
昨年日帰り旅行で行った広島のあのカープファンの盛り上がりと、福岡のホークスファンとはちょっと(いやいや全然)違うような気がする。
どこが違うかと聞かれれば困るけど、ホークスはどうも作り上げられていうような気がしてならない。

店内には若鷹軍団の歌がエンドレスで流れてた。
ウォークマンの音量を上げなんとか対応したのだった。



久しぶりに外でのランチだった。
しゃれた雰囲気の店でこの店の週間ランチとやらを頂いた。
食事をしながらなぜか「冷やし中華」の事を思い出した。
もうそんな季節ではないのにね。



帰りゲーセンでコインゲームに夢中になった。
一時は結構大量にとれ一時間ばかり遊んだ。

台風の影響は

2017-09-17 15:21:21 | 日記ふう
昨日のうちに一週間の食料の買い出しも済ませた。
まあスーパーの人の多かった事、開店すぐに行ったけど駐車場は屋上まで一杯だった。
当然店内もてんやわんやの大騒ぎだった。
まあみなさん考える事は同じなのだ。
せっかくの3連休もこの台風では行楽に行くことも出来ないわけで、この際に屋内作業の充実でもすることにする。
そのあとレンタルショップで「上原ひろみ」と「ロン・カーター」のCDを10枚ばかり借りてきた。
今日は朝から雨、テレビのニュースを見てびっくりした。
今回の台風も福岡を避け、進路ははるか南(鹿児島方向)にそれていた。



ニュースでは実家のある地方都市に中継が出ていて台風の様子を写していた。
さっそく実家に住むジュン(甥っ子)に連絡を入れてみる。
「うん、外は風が強いね。木が根元から倒れている。雨も強いよ」
とのことだった。
淡々とした調子で緊張感はまったくなかったのでそんなに心配すことは無いようだった。
ただ、いつ緊急出動(市職員なので)がかかるかわからないので待機しているような事を言っていた。
それに比べ穏やかな風と時より降る雨にどんよりとした福岡だった。
朝起きて一番に感じたことは「なんて静かな朝なのだろう」という事だった。
朝から晩までうるさかった飛行機の爆音が全くないのだ。
ニュースでは九州新幹線も始発から運転見合わせだし、空の便は全面的に欠航になっていた。
静かな一日になりそうなのでさっそく妻のパソコンの調整にかかった。
どうもCドライブの空きが無くなり立ち上げの度にメッセージが出ているという。
Cドライブが20GBくらいしかパーテーションを切っていなかったためそれが影響していた。
使っていないプログラムを削除しディスク クリーンアップを行うが思ったほど空き容量は出来ない。
しかたなく外付けハードディスクを取り出してDドライブを複写した。
Dドライブを削除しようとしたがどうもシステムが使っているようで削除が出来ない。
スワップファイルの指定を停めてみたがそれでも削除が出来ない。
しかたなくWindows7のDVDを取り出して再インストールする羽目になった。
しかしそのDVDを認識できない。
どうもDVDもダメになったようだ。



USBメモリーにコピーしていたのでそれからインストールをしてみた。
ただしパーティションの設定は出来ないようで仮想Dドライブにインストールした。
結局、仮想Dドライブの領域がCドライブに変わり、仮想CドライブだったのがDドライブに入れ替わったようになった。



Dドライブを削除したが連続領域は確保できす、再割り付けはDドライブ(20GB程度)とHドライブ(10GB)を割り付けた。
変な構成になったのだがまあ良いか!
結局そんな感じで台風は過ぎて行った。
いま(午後3時半)は日が差してきた。

さりげなくゴルフ--復活なるか

2017-09-11 21:57:10 | ゴルフ
娘はインドに旅行に行き、親友のジロー夫婦はそろって沖縄に行った。
沖縄は今エイサーの時期で旧盆の真っ最中なのだ。
みんな良いなあと羨んでもしょうがない。
朝の8時前に家を出て熊本に向かった。
テラちゃん(団地のオヤジ仲間)からは
「1時スタートなので11時半に自宅前に」
とメールをもらっていた。
自宅を出て日赤通りから筑紫野市への国道に出たがえらい混んでいた。
まあ4時間近くあるのでなんとかなるだろうと構えていた。
ナビの地図情報も新しくなったことだし、違った道を帰ろうと思ったのがいけなかった。
久留米を過ぎて大牟田方面から熊本を目指そうとしたがナビが異常?道に迷ってしまった。
結局、テラちゃんに連絡を入れ、そのままゴルフ場に直行となった。
メンバーは4名、1人が会員なので料金は薄暮で3000円ちょっとと安い。
しかし肝心の会員さん(ケイのオヤジ)は左手の腱鞘炎とやらでゴルフは出来ないわけだ。



それでも通常のプレイ料金を払ってカートの運転手兼キャディとして一緒に回るという。
準備運動も何もなくいきなりスタートとなった。
通いなれた山岳コースの狭いフェアウェイとトリッキーなコースだ。
この数年間(3,4年)はまったくゴルフから遠ざかっていて、右手の腱鞘炎もだいぶ良くなったのでこの頃、練習場通いを始めている。
腱鞘炎の頃も練習場には行っていたが50ヤードのアプローチしか練習できないでいた。
スイングなどすると物凄い痛みが出た。
おまけに右手がものをつかむことが出来なかったのでクラブを握れない。
徐々に息子あたりを連れ出して練習場でコツンコツンとやっていたのだが、右手の腱鞘炎も少しずつ良くなり、おまけに腰の方もレントゲンの結果は全然異状なしという。
やっとスイングができる事を知り、素振りからやり直すことにした。
どうせならスイングも初心に帰り最初から作り変えることにした。
アイアン(といってもウェッジ)から始めた。
徐々に玉は当たり出したが距離が全然でない。
力を入れると今度は方向がめちゃくちゃになるのだ。
むかし野球をやっていたせいでトップからの切り返しで右肩が前に出てスイング方向がくるってしまう事を動画を撮って観て気づいた。
それからというものトップからの切り返しだけを何度も何度も動画で確認しながら練習したのだった。
結果、手で振ってはいけない事を知ったのだが、腰の返し、胸の返しそして腕振りのタイミングがつかめない。
つかめないまでもそれを意識することで左右に散っていたボールは集まりだしたのだ。
更にトップ位置の確認(特に左手の甲の向き)を気にしながらウェッジの練習ばかりだった。



アイアンも8番アイアンまででいつも練習球は無くなり、ドライバーなど練習場に持っていくことすらなかった。
まあ今回はその実践の成果発表のようなものだ。
スコアなどどうでも良いのだが内容はそれなりに良かった事と悪かった事がはっきりとした。
結局、力が入らない分だけスイングは割とスムースだった、が距離が出ない。
特にセカンドからのアイアンの距離が以前より2クラブ以上落ちていた。
全てのショットが20ヤード以上ショートしあるホールでは距離が足らずに奈落の谷底に落ちるなどと散々だった。
結果は100をちょっと超えた所だったが得るものもあったのは確かだった。
和気あいあいとラウンドを終え仲間(テラちゃんとケイのオヤジ)と夜の街に飲みに出た。
熊本の夜も久しぶりだった。
飲めないこともあって仕事を終えた嫁と待ち合わせして、代わりに娘(息子嫁)が生ビールを飲み干して自宅に戻ったのだった。

さりげなくジャズ

2017-09-09 06:38:13 | イベント
早いものであっという間に一週間が過ぎて行く。
何事もなく過ぎて行く事はもったいない事なのか、はたまた、幸せなのか、凡人にはわからない。
気候も良く、会社帰りにぶらりと中州方面に歩いてみた。
「中州ジャズ」があっている。



キャナルに入るとさっそく電子ピアノと何だろ(フルートっぽい管楽器)の演奏があっていた。
ボーカルはあまり良く聞き取れない感じだったが良い雰囲気で会場を包んでいた。



キャナルを出てレッドステージと言われる場所ではビッグバンドらしきグループが重量感のある音を出していた。
何せ人が多くて通路には係員がいて立ち止まり禁止となっている。
会場はすでに人が一杯で入る隙もない感じだ。



重量感のある音を聞きながら進んでいくと中州屋台が並んでいる。
人通りは多いがまだ時間が早いのか客はまばらだった。
出会い橋を渡ったところの会場でも管楽器とピアノをそろえたバンドが演奏をしていた。
去年も確か昔の会社の連中と飲んで来た。
今年で9回目というからそんなには歴史は古くない。
それぞれに名前のある人たちなんだろうがさっぱりとわからない。
人が多くて真正面からは見ることが出来なかったので、舞台の横(というより後方)から演奏を見ていた。
まだ若い細めの外人のドラマーが目に留まった。
きっちりとした背広姿でいとも簡単にドラムを叩いていた。
これがまた見事なスティックさばきでリズムを作っていく。
さりげない技を随所に散りばめる。
これには感動した。
トランペットの人が指を2本立て合図を送ってくる。
うなずきながらも正確なリズムを刻んでいた。



世の中にはいろんな人がいるものだ。
音楽にすべてをかける人たち、それでも名前が売れる人たちは一部なのだろう。
ジャズの良さは、クラシックのようにかしこまった形式ではないところが良いのだろう。
いつ始まったかわからないうちに音が鳴り始め、その音にみんなが引かれていき、各パートのテクニックで頂点をのぼりつめるような感じかな。
まああまり音楽(ジャズ)は詳しくないのだが、そんな感じでさらりと楽しませていただいた。
秋風が吹きだしたなか、ジャズの音と満月に近い月がとてもあっていた。

地図データのアップデート

2017-09-04 20:44:09 | パソコン
この頃助手席に乗る機会が多くなった。
何故かは知らないがどうも運転している方が楽な時があるらしい。
そんな時、前を見るのがつらいことがあるし文句の一つでも言いそうになるので、ナビをいじってみる。
操作がわからない時にはダッシュボードを開けてナビのマニュアルを取り出す。
知らない機能があるものだ。
USBのケーブルが飛び出していたり、Bluetoothの機能がついていたりしてしている。
ハンドルの上についているマイクはいったい何に使うのかな、と思っていたがハンズフリーで使うマイクだった。
別売りの音声認識の装置(何というのか知らないが)をつければナビでの音声検索ができるようだ。
パラパラとめくっていると地図データの無償アップデートという欄を見つけた。
2017年の11月に無償アップデートが終わるような事が書いてあった。
無償が過ぎても有償のアップデートはできるように書いてはあるが、このナビになって2年半になるが未だアップデートをしたことが無かった。
そういえばここの所(福岡に来てから)ナビ無しでは動けなくなった。
福岡市内も随分と道は覚えたが、細かな道や市街地に行けばまだまだ大活躍している。
一時期スマホが欲しいと言っていた方向音痴もナビがついてからは言わないようになった。
そんなナビも今回の尾道行や九州管内でも現在の地図データでは対応できない場合もあった。
特に基幹道路が自動車専用道路になりつつあり、いたる所で拡張工事が行われており、今回もまだ先に道があるのにここで降りるような指示が出たり、無視して走っていると海の上を走っていたりしていた。
全国各地でこれでもかと言われるように新しい道が出来ていたり、改修工事が行われているようだ。
クルマ社会になって久しいと思われるのだが、まだまだ公共事業の無駄遣いは行われているようだ。
クルマ社会に関係ない人にとってはそんな無駄遣いは腹立たしい事なのかもしれないが、社会はそんなこと関係なく進んでいるわけだ。
地図会社の苦労もわからないではないが、今から自動運転などという技術にとっては欠かせない基礎データなのだろう。
話が大きくそれてしまったが、地図データのアップデートをしてみた。



とりあえずマニュアルに沿ってSDカードの16GB以上(32GB)を用意した。
ナビにこれを挿入するとナビが初期化を聞いてくるので応答すると数秒で初期化は終わる。



マニュアルに書かれているサイトをパソコンから呼び出し、アプリをダウンロードする。
SDカードをパソコンにセットして、まずは顧客情報(名前、住所など)を登録する。
ダウンロードしたアプリからアップデートを選択するのだが、ここでSDを認識できなかった。
サポートに連絡を入れ云われるがまま操作しているとSDカードを認識した。
後はダウンロードが開始する。
たぶんダウンロードに時間がかかるだろうと、いつもは無線で接続しているパソコンに有線LANケーブルで接続する。
しかしこれにかなりの時間がかかるのだ。
一昼夜ダウンロードしたままにしておいてやっと朝には終わっていた。
どうもネットからいったんパソコン内のディスクにダウンロードしてからSDカードに書き込むようだ。
ご丁寧な事でSDカードに書き込んだデータとディスクに書き込んだデータの照合までやっていた。
そうしないとナビに書き込んだときに不具合が出た場合にとんでもないことになるのだろう。
これでだいたい終わりかなと思ったところ、次はナビにこのSDカードを突っ込んだ。





自動的にアップロードは始まったが置き換えの時間がなんと1時間半(90分ほど)かかるのだ。
えっと思ったがエンジンを切っても次にエンジンをかけた時に再びアップロードが自動的に開始するようだ。



結局2日がかりで無事にアップロードできたわけだが、まだ実感としては確認はしていない。
ナビ自体もそのうちネットにつながる(今でもできるようだが)時代が来て、まるでラジコンカーのように自動運転の時代になればこんな事(アップデート体験)も昔話になるのだろうなと思った次第だ。

ある訃報

2017-09-01 21:08:46 | 日記ふう
ラジオ体操でブログを検索するとかなりの量の記事が出てくる。
2年前の9月の頃、私は会社を辞め1年間の休養(パラダイス)中だった。
初めての入院が以外にも長期になり、休養も含め回復に努めていた時期だった。
同時に発症した右腕の腱鞘炎(今もまだ完治はしていない)の痛みがひどく、何件もの整形外科医を受診したが痛みがとれず、痛み止めの薬が欠かせない時だった。
また、息子の結婚式が10月に決まりその準備やらで忙しくしていた頃でもあった。
長期療養から解放され、自宅療養になり早朝から毎朝ウォーキングと坪井川遊水公園でのラジオ体操をしていた。
体力の回復と気力の回復、そして社会復帰への意欲があった時期だったようだ。
ラジオ体操を指導していた米さんは打越町内会で同じ役員をしていた間柄でその他にも数名町内の方々も参加されていた。
脚の筋力と右腕の腱鞘炎のせいでラジオ体操がまともに出来なかった。
腕を伸ばしたり前後左右に振ることすら痛くて出来ないのだ。
おまけに脚の筋力低下でジャンプすら出来ないでいた。
私よりはるかに年齢が上の方々が楽々とできるのにと悔しくもあり、また本当に体力が回復するのかといった不安にも思った頃だった。



ラジオ体操の仲間に新しい顔があった。
どこかで見た顔だった。
そういえば小学校の運動会の時、ビデオカメラを回しながら一生懸命に自分の子供の解説を入れている父兄がいた、その人だった。
自宅近くの地方テレビ局のアナウンサーでもあり、そんな人が朝早くからラジオ体操の仲間にいることが不思議だった。
ラジオ体操の指導者の米さんとは親しいようで体操が終わってからはいつも一言二言会話を交わしているようだった。
ある日、米さんから一枚のDVDを渡された。
どうもその地方テレビ局の夕方の番組で取材を受けられたようでその時放映された番組が収録されたものだった。
なぜ私にくれたのかは知らないが、その内容を見て、あのアナウンサーの方がテレビクルーを連れて来て番組にしたものだと知った。
なぜ私にと思いお礼を言った事を覚えている。
彼はきょとんとした顔をして、どうもっ!といった感じだった。
彼の意図ではなく、米さんの好意だったようだ。

つい最近、ネットニュースで彼が突然亡くなった事を知った。
ニュース番組でニュースを読み上げ番組終了後に突然倒れてそのままだったという。
2年前のあのころから体調の不良はあっていたのかも知れない。
ちょうど同じにして私も将来に向けて体調の不安を抱えていた時期なので、そのことを知って他人事とは思えなかった。