打越通信

日記ふういろいろ

年の瀬

2012-12-31 07:14:32 | 日記ふう
いよいよ大晦日を迎える。
今日は、母のたっての願いでお世話になった方への挨拶のため実家を目指す。
何もこんな押し迫った時にと母に質したが、これが母の流儀である。

 

そういうわけもあり、晦日の日に正月用の買い物に子飼商店街に出かけた。
あまり体調の良くない妻、買い物メモを作り、あまり動かないで良いように心がけた。
さすが年末になると日頃の商店街とは一転する。
駐車場は長蛇の列、だから近くのコインパーキング。
しめ縄や正月用の花、野菜に肉に魚。

 

若い人たちもチラホラ見かけるが、圧倒的にご年配の方々が多い。
元気の無かった妻も、少しずつ目が覚めたようになってきた。
あれもこれもといった感じで、メモ以外の商品をゲットしはじめた。
「今はコンビニもあるし、昔の正月とは違うとよ」
などと言っている。
「それはそうだけど、それを言っちゃおしまいよ」
などとトラさんみたいになってきた。
ア・ラモートのおじさん。



走る自転車(赤色)のパン屋さん、新本さんがいた。
「写真、良いですか?」
と言うと
「なんか照れくさい」
などと言いながら、いい顔をされていた。

  



賑わいの中、ノラなのかわからないがニャンコがいた。
照れくさそうになかなか正面を見てくれない。
やっと正面を見てくれた。
霧雨が降る、子飼商店街、年の瀬の活気溢れる光景だった。

今年一年間ありがとうございました。
良いお年をお迎え下さい。

今年、Youtubeを圧巻した下記の動画。
変な曲に、変な踊り、年の瀬を忘れていただくには良いのかと貼り付けました。









Windows7

2012-12-30 08:57:31 | パソコン
どうもパソコンの調子がイマイチ。
そう、安く買ったWindows7のパソコンだ。
メモリー1GBにハードディスク40GBのパソコン。
インターネット閲覧用に使っているだけれど、それも今は良くない。
タスクマネージャからパフォーマンスを見ているとなんとメモリ使用が1GBを超えている。
スワップを繰り返しているようだ。
そこでWindows7の仕様を調べたら、メモリーは2GBが推奨されていた。
やっぱりメモリー1GBでは無理があるのだろう。
それでパソコンの仕様を調べた。
空きスロットが一つある、512MBのメモリを2つ使っていれば増設はできない。



パソコンの裏側をあけて、メモリーのスロットを見ると一枚しかささっていなかった。
XPへダウングレイドするか、メモリを増設するかだ。
XPを再インストーするのもめんどくさいし、どうしようと考えた、



メモリーを取り出してパソコンショップに増設メモリーを買いに行った。
パソコンの型式や、メモリーカードの形式もメモしたが、現物を持っていった方がいいだろうと思ったのだ。
最初のパソコンショップはこの中古パソコンを買った店だった。
サイドパーティの品を出してきた1GBと2GBだった。
1GBが1980円で2GBが2980円だった。
ネットで調べたような価格だった。
「パソコンとの相性があり、買われても実際使ってみなければわかりません」
と言う。
そして次に出してきた商品は型番も全く同じ商品。
「これで良い、いくら?」
と聞くと、1980円と言う、決まりだね。
お金を払おうとしたら
「すみません、これ規格がちがうので2980円です」
などと言いやがる。
怒ろうとしたが堪えた。
何も言わず店を出た。
次の店、同じタイプのメモリーがあった。
しかし2GBのタイプだった。
パソコンの機種によっては認識できなタイプもあるという。
機種を言うとネットで調べてくれた。
「あいにくこの機種では2GBのメモリーは認識できません」
と言う、最初の店ではそんなこと言ってなかった、ただ1GBと2GBがあります程度だ。
仕方なく3件目の店、店員さんに持ってきたメモリーを見せると、これと同じでは無いがタイプはこれですと持ってきた。



1980円、これでいいのだ。
買って早速パソコンの空きスロットに差してみた。
電源を立ち上げるとメモリー初期化を聞いてきた。
ハイを選択して終了。



1GBのメモリーが1980円、昔は64MBのメモリーが一万円くらいした。
これって、デフレじゃ無いよね。

仕事納め

2012-12-29 07:56:28 | 日記ふう
複合機に書類を載せスキャンする。
もの凄いスピードで読み込んでいく。
読み込んだ書類はPDFの書類となってパソコンに取り込まれて行く。
しかし書類の中にはホッチキスやクリップでとめてある書類もあるわけで、その度にこいつがピーと言って止まってしまう。
その度に取り除いて再開なのだ。
一応スキャンする前に事前にチェックするがとめてある場所がさまざま。
パイプファイル10冊分を処理した。



新しくフォルダーを作って、そこに放り込んで名前を書き換える。
読み込んだ書類はそのままシュレッダー行きとなる。
そんな作業を半日やって、大掃除。
今年も無事に仕事納めが出来た。

さてさて、今日から9連休、何をしますかね・・・。

セブン弁当50円引き

2012-12-28 12:44:04 | 食事
昼休み、野暮用がありクルマで外出。
用事は済んで、さあ昼飯だと、うどん屋に入ったが満席状態。
しかたなく、ファミレスに行ってみたが、こちらは駐車場が一杯。
そうだ、あそこに行ってみようと時計を見るともう時間が無い。
しょうが無い、コンビニで弁当でも買うことにする。
セブンイレブンに入って弁当売り場をのぞいてみると、350円以上の弁当がすべて50円引き。
さっそく、おにぎり弁当を調達した。
しかし何でこんな押し迫った年の瀬に、こんなキャンペーンをするのだろう。
28日で御用納め、弁当の売上の減少を抑えるためなのか、大掃除やおせち料理作りなど年の瀬の忙しい人たちに弁当を売りさばこうとしているのか?
いずれにしても、私、裕福でないサラリーマンにはありがたいことだ。

領収書

2012-12-28 07:19:09 | 日記ふう
年末の大掃除じゃないけども、机の中を掃除していたら新幹線のキップの領収書が出て来た。
旅費の精算は公共交通機関は領収書の提出はいらない。
だからホントは領収書は取らなくても良い。
しかし会社から支給されたキップもあるため、自分で買ったキップとわけが分からなくなる時があるので、今では必ず領収書を取るようにしている。
机の中に放り込んでいたらこんなに出て来た。
領収書を取らない時期や、取りわすれもあるので実際には倍になるのだろうか。
下関や門司港に行った時、新幹線への乗り換えは新幹線のキップだけで良かった時期があったので、在来線のキップはそのまま手元に残る。
そんなキップもある。
今は在来線のキップと新幹線のキップの両方入れないと通れないようになっている。



なんだか懐かしいので捨てないで残しておくことにしよう。

ミュー

2012-12-27 08:16:32 | 公園の犬達
カメラをいじっていると妻が
「坪井川遊水公園に行くと色んな犬がいるよ」
というのでカメラを片手に公園にいってみた。
前回のルーカス以来、久しぶりの公園。
あちこちに色んな犬が散歩をしている。



妻のヤツ、ネットで調べていた犬がいて、とうとうメールのやり取りをしていた。
埼玉県かそこいらのブリーダーだったが、あまりにも高額だったのであきらめてしまった。
「お母さんも一緒に住んでいるので、今は室内犬は無理よね」
などと言っている。



それで公園に犬を見に行って、癒されているようだ。
今日の犬は、柴犬のオスの7ヶ月の「ミュー」。
まだあどけない仕草が可愛い。
妻が近寄ると、顔をペロペロ舐めまわしていた。
「色んな犬にあえるから楽しいよ。」
というので新しいカテゴリを作り、定期的にアップするか・・・。

老猟師、そしてチヌ(2)

2012-12-26 08:23:16 | 釣り
 十八番の銅線に木切れを直角に結びつけ、釣ったチヌのエラから刺して泳がせ、数が増せば、さらにひもをつけて大きな石にくくりつける等、色んな工夫をしたものである。
 食いが立っている時は、岸に戻る途中でアタる事があり、釣ったチヌ共々泳ぎながら岸にたどり着くこともしばしばあった。とにかく、この方法で面白いように型の良いチヌを数多く釣り上げたが、さらに大きなチヌを求めて沖目を狙うようになった。
 入り江の南側に小川があって、その打ち出しの沖を「徳爺や」の舟で通った時『ここには太かチヌのおるバイ』と「徳爺や」が言った言葉がしばらく私の頭から離れなかった。
 ある日曜日、ボラ釣りに連れて行ってもらった。舟からのボラ釣りはイカリを打って舟を固定し、ハリをたくさんつけた仕掛けに練りエサを盛ったいわゆる「吸い込み釣り」である。
 「徳爺や」にこの練エサの作り方を教えて欲しいと言ったら
 『これは秘密じゃかなナ、どうしても教えられんばい』
 と堅く拒否された。
 その夜、夕食を済ませてから、ソッと「徳爺や」の家をのぞいたら、エサを練っているところであった。
 『お前、何に使うんじゃ』
 と聞くので
 『これでチヌを釣ろうと思うとる』
 と答えた。
 『これじゃチヌは食わんゾ』
 と打ち出しの事を相談すると
 『そんならやってみい』
 ということになり、やっと練りエサの材料とその配分の仕方を教えてもらい、出来上がった練りエサを半分もらう事に成功した。
 翌日、それを使って、例の打ち出しを攻めてみたが、以外に水深があり思うようにいかない。何度やっても、練りエサのダンゴを落とした位置と、仕掛けを落とした位置が大きくずれてうまくいかないのだ。最後には潜ってダンゴのそばに仕掛けを落としてみたが、流れのためにどうしても駄目だった。


 
 その夜、「徳爺や」に再び教えを乞うた。
 『仕掛けをダンゴで包めばどうじゃろう』
 練りエサを野球ボール大のダンゴにして、ヤドカリをつけたハリを包み込み、水中メガネで確認しながら落としてみた。かなりの水深であるが、小さな濁りを出して、かけ上がりの根にうまく着底したようである。
 しかし、岸に上がってアタリを待ったが、なかなかアタリは来ない。
 ボラのように、うまく練りエサを吸い込むのか、あるいはこのダンゴにチヌが寄るのか、迷っていたところに、不意を突く大きなアタリが来た。チヌの二段引きなんてものではなかった。
 立ち上がって取り込みにかかるが、引きが強くて寄ってこない。そうこうするうちにパッと軽くなってしまった。かけ上がりの石に擦れて、道糸が切られたのだ。
 夜、いろいろと考えた。
 結論はウキを中通しのフリーにして、道糸を浮かせたらということになった。
 早速、ウキを作り、この方法で挑戦した。何度も失敗を繰り返し、キロを超えるチヌを仕留めた時の感激は、格別のものであった。



 春、海辺の桜の開花は早い。早朝の浜を歩いていたら、「徳爺や」が舟を出そうとしていた。
 『今からハエナワを上げに行くが、お前も一緒に行かんか』
 と誘うので、ついていく事にした。
 ハエナワ漁は数百メートルもある幹糸に多くの枝バリを付け、シャコやエビ等の餌を刺して、海底に仕掛けを這わせる方法であり、夕方遅くに仕掛けを入れて、朝早くに取り込みをする。
 漁場に着くと、私がろをこぎ、「徳爺や」が次々に取り込んでいく。その朝は大チヌが数えきれないほどヒットしていた。
 『ウーン、今日は大漁じゃネ』
 と言うと、大きくうなずきながら、満面クシャクシャである。
 取り込みを終えて、舵先をわが家の方に向け、こぎ出そうとすると、大きな声で
 『ちょっと待たんかい』
 と言う。
 『今から何ばするとネ』
 と聞き返したら、一方のイケスからチヌを一匹出して
 『ここに来てみろ。このチヌは何か分かるかい、よう見てみい。腹太チヌじゃ。この海に卵ば生みに来た大事なからだじゃゾ。うんと良か卵ば産んでもらわにゃいかんとタイ』
 と説明する。
 ろを操りながら気がついていたのだが、魚を取り込む時に魚体を見ながら、二つのイケスに仕分けをするように入れていた理由がこの時初めて分かった。
 タモでチヌを一匹一匹すくっては
 『こいつは一貫メなしじゃナ』
 『おーっ、こいつは一貫メあるぞうー』
 と独り言をブツブツ言いながら、いたわるように腹太チヌを海に返している「徳爺や」の姿を見て、少年期後半に差しかかっていた私は、いい知れぬ感動を覚え、胸が熱くなっていた。



 進学のため、その年に村を離れた私は、父の転勤もあって、その後再び「徳爺や」に合う事はなかった。しかし、今自分がその年齢に達し「徳爺や」のことがたまらなく懐かしく思い出され、今年八月末、車を走らせて久ぶりにその地を訪れてみた。
 当時、自動車一台もなかった村は三号線が村の中央を走り、車があふれていた。わらぶきのとま屋は跡形もなく、敷地は埋められ、海岸線は高いコンクリート擁壁で固められて、広々とした道を大型車が唸りをあげて走っていた。
 松の緑はすでになく、ただ昔と変らぬ渚だけをヒタヒタとさざ波が濡らしていた。
 階段を降りて波打ち際を歩いてみたが、小魚が波と戯れる姿は全くなく、ズボンを脱いで海に入り、底を濁してみたものの、チヌゴ一匹も寄ってこなかった。
 台風が九州西岸をかすめた後であったが、浜には水イカの代わりに無数のゴミが打ち上げられ、寂寥(せきりょう)の風景がそこにあった。

1992年   寿々木 誠吾 

寿々木誠吾とはもちろんペンネームだ。魚のスズキとセイゴから名前をもらったといっていた。
1992年というとちょうど20年前だ。親父も定年退職して釣りに没頭していた時代だ。そんな父も今年7月16日に他界した。海の日だった。潮が引くように亡くなった。そして今日は、生きていれば85回目の誕生日。

老猟師、そしてチヌ(1)

2012-12-25 07:04:08 | 釣り
 ゴマシオ頭にしゃくれたアゴ。八の字眉が細い目に垂れ下がり、時折、小柄な体を大きく揺すりながら笑うと、真っ黒に日焼けした顔がクシャクシャになる。ねじり鉢巻き姿で、刻み煙草を長いキセルに詰め、手のひらに落とした火を器用に着け、いかにもうまそうに煙をくゆらすがさまになっていた。
 善良でちょっと間の抜けたお人よしのこの老漁師を人々は、親しみを込めて「徳ドン」と呼んでいた。
 この「徳ドン」実は私にとってはとても大切なお人であったのだ。
なぜならば、当時小学校生であった私に、釣り鈎の結び方から、小舟の操り方まで、まさに文字通り手取り足取り海釣りに関するノウハウ一切を、教えてもらった「お師匠様」であって、私は畏敬の念をもって「徳爺や」と呼び、慕っていたのである。

 熊本県南、芦北郡から水俣へ至る海岸は典型的なリアス式海岸で、複雑に入りくんだ入り江が多くなっている。
 その海岸線の中ほどに、U字の下方を大きく膨らましたような、大きな入り江がある。三方を切り立った山に完全に囲まれ、ほとんど平地はなく、隣の集落とは山で遮断されており、村人は鉄道のトンネルを利用して行き来をしていた。
U字の下辺の当たるところが美しいなぎさになっていて、山懐にへばりつくように二百戸ばかりの家が建ち並んでいた。正面には不知火海をはさんで天草の島々が遠望された、風光明媚で長閑なゆっくりとした村のたたずまいであった。
 「徳爺や」の家は、村の中央部の最も山が海にせりだした海と山の狭間にあった。
 六畳三間古びたわらぶきのとま屋で、土間や庭には所狭しと色んな漁具が積んであり、家の前にはリヤカーがやっと通れる位の細い道で、道下には小石混じりの砂浜が広がり、緑の松とともに美しい渚が弓状に走っていた。
 村人の話によると、この海はすり鉢状のドン深で、藻場が多く、色々な魚の産卵場所になっているとのことだった。
 事実、秋近くになるとヒタヒタと波打つ渚には、五~十センチ位のチヌゴやタイゴが無数に群れており、腰まで海に入り、足で砂をかき混ぜて濁りを出せば、チヌ独特のツーツーとした泳ぎで、手の平を超す四、五匹のチヌがすぐに寄って来るといった状態が日常的に見られた。時にはクロの集団がワーッと湧きあがって乱舞するも良く見られ、海が時化た後では大型のミズイカが生きたまま浜に打ち上げられており、それを朝早く拾いに行ったものである。



 小学校に勤める父の転勤で、この村に住むようになったのは、日米開戦の前年であった。それまで山村地区に住み、川釣りばかりをやっていた私にとって、海の風景はとても新鮮で、海釣りの技を磨く恰好のステージとなったのである。
 家が近い関係で「徳爺や」とはすぐ仲良しになり、いつも家に呼ばれては囲炉裏を囲みながら、鈎談議をしてもらったものである。道具の作り方や仕掛け、海に関するあらゆる知識、潮の読み方、ポイントの選定、実際海に出ての実技指導など、学校の勉強よりはるかに面白く、次第にのめり込んでいったのである。
 チヌ釣りもその中の一つであった。
 この海で多くのチヌを釣ったが、竿釣りの記憶は全くない。すべて海に入りながらのニゴシ釣りである。
 仕掛けは至って簡単。今様に言えば、ハリス一~二号を約一ヒロ、渋柿で染めた道糸を木製の糸巻き、
鈎は二~三号、エサは渚で採れるヤドカリを使った。パンツ一つで海に入り、腰から胸までの深さで、両足または片足を使い海底をかき混ぜて濁りを出し、仕掛けを確実にその中に落とした後、糸を送りながら岸に引き返し、右の人指し指で糸をもち、アタリを待つのである。

 アタリは指先にジワーッと来るので、そのときは抵抗のないように糸を送り、次のアタリでピシャとアワせる。それが唯一のコツであった。かけた後は、チヌの大きさにもよって両手の弾力をうまく使いながら、取り込みをするのであるが、キロ近くになるとスリリングなやり取りにになる。最初の頃は取り込みを焦り、かなりのバラシがあった。

続く・・・。

上記の文は、釣りが大好きだった親父が1992年の1月号の釣り雑誌「釣春秋」に投稿した文章。
何度も投稿し掲載されているうちの一つだ。
親父の釣りの原点だろう。
親父が小学生時代に「徳爺や」と暮らした海辺の町(芦北町海浦)に行ってみた。
写真を撮った。
その頃の風景とはずいぶん変わったのだろうが、不知火海の先に見える天草諸島の風景は変わっていないはずだ。

散歩

2012-12-24 15:15:48 | てくてく
コタツの暖かさにそのまま寝込んで、一夜をコタツで過ごしてしまった。
朝起きて、朝食食って、自宅から坪井川遊水公園を散歩。



カモの群れがいた。
望遠レンズを取り出して、200mmくらいにズームをセットして撮ってみた。
粉雪が舞っていて、寒いけど歩いてるとそうでもない。
いろんなことがあるが考え事も歩くうちにまとまって行くこともある。
しばらくは、カメラを片手にウオーキング、それも良いだろう。

餅つき

2012-12-24 10:49:09 | イベント

当日は田舎に法事の用があり、恒例の餅つき大会には出席できなかった。
それで前日、町内会長のセイのオヤジにコンデジを預けた。
15枚くらいで良いと言ったのに、50枚近く撮っている。
オヤジ達の写真は取り除いて、何枚か編集してみた。
町内会長さん自らが写した、打越町内餅つき大会だ。











法事には叔父であるてっちゃん、そして伯母と三人で出かけた。
熊本市内から約二時間。
叔父といっても歳は10くらいしか離れていないので兄貴みたいなものだ。
私はキャノン派、彼はニコン派の違いはあれど、彼もカメラが趣味で、写真談義に盛り上がった。
法事は10時に始まり、なんと一時間半のお経だった。
最初のうちは正座をしていたが、チーンと鐘の音が鳴るたびに再びお経が続く。
長い長いお経だった。
法事を終えて自宅に戻ったのは五時すぎ。
町内会長のセイのオヤジがコンデジを持ってきた。





写真を見ていると去年の事を思い出す。
昨日来てくれたお母さんのような方、打越に住んでいた時は、毎年もちを買いに行くのが楽しみだとおっしゃっていた。

快気祝い

2012-12-23 06:54:03 | 日記ふう
同じ団地の、母と同じ年代のお母さん。
前回、お上がり頂いて、いっきにお近づきになった
しかし、大腿骨骨折をされて、入院、リハビリ、そして要支援になられた。
入院の時、お見舞いに行った。
そのお返しに快気祝いを持って再びおいでになられた。
足のほうは、もうすっかり良くなられたようで、娘さんに送ってもらいわざわざ来られたのだ。
上がって頂いて、しばしおしゃべりタイム、母も起きてきて話が弾む。



絵手紙を頂いた。
なんてんの絵柄、難を転ずるという意味がある。



快気祝いに、ご出身の小豆島のうどんを頂いた。
そして、なんとも懐かしい粟おこし。



海苔のセットに、もち吉のお菓子まで頂いた。
退院後、自宅には戻られず、息子さんたちが住むマンションに引っ越されたそうだ。
ご夫婦で来られると思い、うまい焼酎も用意していたが、今日はお母さんだけだった。
2時間ばかり楽しい時間を過ごさせて頂いた。
クルマでお送りして、再びの再開をお願いしたのだった。

うまや

2012-12-22 08:00:48 | 食事
今日は午後から博多に入り、打合せを行う。
この頃、朝の目覚めが悪く、出社ギリギリまで寝ているため、まともな朝食が摂れない。
今日も味噌汁とコーヒーだけだった。
熊本駅まで歩いて、さあ、何を食おおか考えた。
吉野家の牛丼、ラーメン、いやいや、もっと正式な食事を取らないといけない。
熊本駅の在来線側、新幹線側には飲食店は数あるが、一品料理の店ばかりで正式な定食系の店は少ない。
そういえば一軒あったな、と思い出し、「うまや」に入った。



日替わり定食が750円で肉か魚かが選べる。
魚で麦ご飯を選んでしばらく待つ。



目の前には生卵がおいてあり、自由に食べる事が出来る。



料理が出て来た。
サバの煮付けにシシャモのから揚げ、それに麦ご飯と味噌汁。
ご飯を半分くらい食ったら卵の出番だ。
割って麦ご飯にかけて醤油をかけてかき混ぜる。
お腹も一杯になったし、正午前後の新幹線に乗り込んで打ち合わせ。
その後、19時から飲み会(送別会)があり、熊本に戻ってくるのは午前様になるだろう。

白川沿い

2012-12-21 07:08:42 | てくてく
新市街サンロードからシャワー通りに来た。
冬の斜めからの斜光に紅葉を終えようとした木々が美しい。
シャワー通りから階段を上り国道に出る。



横断歩道を渡ると白川沿いに結構大きな木々が植えられた公園のようなものがある。



歩いていると「大洋デパート火災の慰霊碑」が建っていた。
1973年11月29日だからもう40年も前の事だ。
犠牲者103名、負傷者124名を出した、デパート火災でも最大級のものであった。





歩いていると野良ネコだろうか、何か食べ物をよこせ、見たいな顔で構えている。
4匹いたがやっぱり野良ネコのようだ。
歩いていると落ち葉がカサカサと音がして気持ち良い。
ホウキを手に落ち葉をかき寄せて掃除をしているオバチャンがいた。
そういえば近頃は、落ち葉焚きなるモノを全然見ることが無くなってしまった。
ダイオキシンがどうだ、CO2排出で環境破壊だ、などと世間が変わってきたからかな。
~垣根の垣根の曲がり角 たき火だたき火だ落ち葉焚き~♪
などと頭の中で歌っている。
あれ、題名はなんだっけ。
かえってネットで調べたら「たき火」という題名だった。



さあ、落ち葉が落ちて木々も裸になると、木枯らしが吹く季節になる。
横を見ると斜光に輝く白川の流れが見える。
荒れ狂った川も今日は穏やかな顔を見せていた。

年末ジャンボ宝くじとカレー

2012-12-20 07:08:21 | 日記ふう
ドブにお金を捨てるようなものだ。
3000円あればかなり高級なステーキ、フレンチのフルコース、中華のコース料理などが食える。
とは言ってみても、買わなければ当たらない。
クジ運の強い娘からは
「3枚連番で3箇所から買うこと」
というミッションが届いている。
前後賞あわせて6億円、うまく行くと18億円を当てようという考えだ。
「ハイハイ」
と笑って答えたが、ネットで調べると12月21日までしかない。
18億円なんて当たったら、それこそ大変なことになる、カメラのレンズを買えるくらいが当たったらちょうど良いのだ。



裕福でないサラリーマンは、昼休み、センタープラザに行ってみた
窓口に行き、10枚の連番を買った。
側ではタイムサービスだといって、ワゴンに並べた宝クジを、まるでバーゲンのような売り方をしていた。
バーゲンの宝クジでは当たらないだろうと思ったが、夢をつかむという意味ではこちらが正しいのかも知れない、などとわけの分からない状態になってしまった。
さあ、年に一度の宝クジもゲットしたし、昼飯にしよう。
今日はカレーにしよう。
ハンバーグやカツといったものが乗っていない、純粋なカレーだ。
昔、夜行列車や新幹線の食堂で食った、いたってシンプルなカレー。
そう喫茶店で食うカレーだ。



いつも生ビールセットに魅かれて入る店だ。



ご期待通りのカレーが出てきた。
シンプルな味に福神漬けが似合う、期待通りの500円。
18億円が当たればいったい何杯食えるのだろう・・・・。

50周年

2012-12-19 14:11:52 | 写真投稿
今日は手ぶらで家を出た。
いつもの時間の新幹線、小倉駅には9時半着だ。
いつもはそのままタクシー乗り場、今日はコンビニに用があり立ち寄った。
そのまま2階の歩道橋に出た。
そしたらなんと「鉄郎」と「メーテル」がいるではないか。



そしてちょっと離れた場所に「キャプテンハーロック」が立っていた。
松本零士はここ北九州の出身のようで北九州市漫画ミュージアムの名誉館長でもある。
今は「ルパン三世」展があっている。
松本零士といえば学生時代に良く読んだ「男おいどん」を思い出す。
今年は漫画家活動50周年という事らしい。
そして北九州市も来年(平成25年)2月10日に市制50周年を向かえる。
そういえば街中や、そうこの前初めて乗ったモノレールにも「50」の文字があった。



仕事を15時過ぎに切り上げて、降れば雪という曇天の中、旦過市場に行って見た。
年の瀬には賑わいを見せるであろうアーケード、もうすでに正月用の数の子などもちらほらと見かけた。



古くて細いアーケードには200軒以上も店がひしめきあっている。



地元、郷土料理の「じんだ煮(ぬかみそ炊き)」が数軒。



そしてこちらには鯨の専門店。
大正時代にすぐ横を流れる神嶽川から、各地からの食材の荷揚げ場として発展したそうだ。



市制50周年というわけでもないが、老朽化が進んでいるので、再開発に動くようだ。
懐かしさを残す、この市場のこのような姿はもう見られなくなるのだ。