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打越通信

日記ふういろいろ

引き落とし

2012-07-31 07:42:42 | 日記ふう
小遣い用の銀行口座はカード利用が多いので、ほとんど通帳の記帳はしない。
しかし今回のように出張が続けば、旅費精算などは会社からこの口座に振り込まれる。
裕福でないサラリーマンの小額が入った口座だ。
たまたま通帳記帳をして確認すると、カード会社に63,000円も引かれていた。
エッ!と思って考えた。
確かにイチデジは買ったけど、こんな引かれかたはしないし、何を買ったのか検討がつかない。
ひょっとして間違いではないのかとクレジット会社に電話してみた。
「はい、え~と、九州旅客鉄道なんとかです」
利用日も言おうとしていたが結構ですと断った。



つまりクレジットで買った熊本博多2枚キップの引き落としだったのだ。
2枚キップが9枚分の引き落としだった。
購入時とタイムラグがあるのでこんな事になってしまう。
そのあと、会社からの振り込みもチェックしたことはいうまでもない。



ついでにEdyの残高だ。
通帳の残高とEdyの残高とnimocaの残高、合わせてもこれが私の全財産かと思うと情けなくなってきた。

収納ボックス

2012-07-30 07:17:18 | 買い物
わが家のリビングは夏になると西日が入り、とても暑い。
入居した当時はカーテンしかなく、夏風に吹かれると西日が入り大変だった。
他の方はどうされているのかと見てみると、葦簀(よしず)を掛けておられる方がいる。
「使わない時期はどこに収納するの?」
と妻だ言う。
物置が無い我が家では収納できないわけだ。
それで彼女は考えて、ブラインドをつけた。
確かにくるっとつまみを回せば、西日をキッチリと遮断できる。
しかし今のブラインドもかなり使いこんで傷んでしまった。
それで今、ホームセンタまわりをしている。
今日の目的地はハンズマンだ。
まあ、巨大な売り場でどこに何があるのか場所を調べるだけでも大変だ。
やっとの思いでブラインド売り場についた。



彼女が探しているのはひとつの窓に2つ付けられるタイプなのだ。
しかし、なかなかそれらしいモノが見つからない。
「専門家を呼んだら良いよ」
と言ってあきらめた。
私も買いたいものがあったので、探しに行った。



密閉タイプの容器なのだ。
イチデジを買って、今までのプラスチック製の容器に入りきれないでいる。
かなり大き目のボックスタイプがあったのでそれを買った。



ピアノ用の大きな乾燥剤とカメラ3台にレンズが2本、余裕で収納できた。

祝宴

2012-07-29 07:45:37 | 日記ふう
宴会場は博多駅前のホテル日航福岡だ。
2Fのある「レ・セレブリテ」だった。



結婚式で何回かは来ているが、貸切の宴会は初めてだった。
会費も今回は高めだったので良い料理なのだろう。
会は若手同僚の結婚祝い。


「レ・セレブリテ」HPより
披露宴をしないので、会社の同僚達でこういう場を作ったのだ。
残念ながら料理の写真は無いが。
シャンパンで乾杯の後、次々に料理が出てくる。
さすがに高級感ある料理で、テーブルマナーも要求される。


「レ・セレブリテ」HPより
パンにしてもスープにしても上品な感じだった。
メインの和牛のステーキも最高だった。
そういえば今日は土用の丑の日。
土用の丑の日にはうなぎを食べるというが、「う」のつく食べ物でも良いようで、牛(うし)でも良いのだ。
シャンパンにワイン、ビールに焼酎、すべて飲み放題。
お腹も一杯だし、少し飲みすぎたようでほろ酔い気分。



会は2時間ばかりで終わり、博多駅9時6分発のさくらに乗り込む。



熊本駅で20分の待ち合わせ。
上熊本からタクシーで10時少し前に帰宅した。

暑い一日

2012-07-28 13:24:37 | 日記ふう
朝バタバタと家を出て打越駅へ行く。
無常にも青ガエルが目の前を通っていくのだ。
汗を拭き拭き自宅に引き返し、妻に熊本駅まで送ってもらう。
キップを買って、長い階段を登ってホームへあがる。
8時44分のみずほを待つ。
待つ間も熱気で汗が滴り落ちる。
車内に入ると相変わらず乗客は多い。
夏休みのせいか子ども連れが多く、いつもの雰囲気とはすこし違う。
車内は快適なのだが、汗をかいているので寒いくらいな感じだ。
こんなんで体調を崩すのだろうと思っていると、クシャミが出てしばらく止まらなかった。
駅の売店で買った500mlのミネラルウォーターを一気に飲む。
セキも止まり、本を取り出して読みふける。
だいたいの作品は読んでしまったと思った、吉村昭、古本屋で見つけた「闇を裂く道」という本。
丹波トンネルの工事に関わる人々のドラマのようだ。
しかし一時間も無いのでなかなか読み進めない。
小倉駅で降りて、改札前で同僚と待ち合わせ、博多ー小倉間のキップをもらって改札を出る。
小倉も暑い、この日は結局500mlのミネラルウォーターを3本買った。
仕事も終わり、博多駅、相変わらず人が多い。



博多駅の名物、声かけおまわりさん。
一枚良いですかと声をかけて撮った。
「どこからですか?」
と聞くので
「熊本からです」
と答える。
「熊本でもあいさつ運動よろしく!」
と元気な声が帰ってくる。



駅前にはミントが噴出していた。
さあ、今から宴会が始まる。

梅雨明け

2012-07-27 07:01:30 | 家庭菜園
一週間も家を空けていたので、庭の芝生も伸び放題。
その芝生に負けないように雑草が大きくなっていた。
おまけにキノコまで生えている。
家の周りのカイヅカイブキには蔓草(つるくさ)が至る所にまつわりついている。
あの、梅雨の末期の大雨はどこに行ったんだろうと言わんばかりにいい天気になった。



畑の方を見てみると、あらら、キュウリが病気になって葉っぱが黄色くなってしまった。
そしてなすびも枯れているようだ。
ゴーヤもいまひとつ元気がない。
手を入れてあげたいが、先週の休みがひびき、今週は休みが無い。
妻に追肥をお願いして、ついでに芝刈りもお願いはしてみるが、ダメだろうな、暑いし・・・。
そういえば実家の隣のおばさんが、草は仮払い機を使うと種が飛んで、かえって広がる、そのような事を行っていた。
一本一本抜いてから芝刈り機を掛けた方が良いようだ。
妻はたぶんしないだろう。
時間を見つけてやるしかないな。



今日も今から小倉ゆき、そして博多でちょっとした祝宴がある。
帰っては来るつもりだが、ひょっとすると娘のアパートに泊めてもらうかも知れない。
さてと熊本電鉄の青ガエルの時間だ、行くとするか。

あわただしく過ぎて(3)

2012-07-26 06:48:57 | 日記ふう
翌日も朝から夏の強い日差しの中、告別式は無事に終わった。
3人の方が弔辞を読まれ、挨拶は私がした。
バタバタとした中での式、原稿など書く時間すらない。
簡単な挨拶だったと思う。
何を言ったかよく覚えてはいない。
出棺では弟が挨拶をし、火葬場から自宅に戻り、お坊さんを呼んで初七日まで済ませた。
その後は精進上げ。
狭い部屋に50人ばかり集まって料理にビールや焼酎、本家の伯父に献杯の音頭で始まった。
佐世保から駆けつけてくれた兄夫婦も、新幹線の時間に合わせて去り。
あわただしい3日間も何とかここまで終わったという安堵感で、その日は熟睡だった。

翌朝からは近所に住む叔母夫婦がやってきて、叔父と挨拶周りに出かけた。
団体への挨拶、社会福祉協議会、お世話になった病院などだ。
病院では父の最期を見届けてくれたナースと話をする事ができた。
「30分くらいで脈が下がり、潮が引くように亡くなられました」
との事だったようだ。
苦しみも無く、自然に亡くなったのを聞いて、涙が出てしまった。
翌日も挨拶回りは続いた。
その間に芳名帳と香典の整理をした。
息子にパソコンで入力をお願いして、私と妹で記帳して行った。
残った時間で分からない住所は電話帳で調べうめて行きある程度整理してしまった。

新聞広告を出した事は大きかったようだ。
通夜と告別式で弔問の方たちは済んでしまったことは大きい。
知らなかったと後でずるずると弔問があると大変な事になっていたろう。
それと数の問題だ。
私達が考えていた以上、葬儀屋の人が考えていた以上の方に来て頂いたことになる。
それと身内、特に近所の親戚の方の結束力には驚いた。
受付、そして精進料理作りや酒の手配、通夜での接待など、誰が指示するでもなく良く動いていただいた。
あわただしく過ぎて、やっと落ち着いてきたが、まだまだする事は残っている。

あわただしく過ぎて(2)

2012-07-25 06:33:50 | 日記ふう
翌日は通常通り7時前に目が覚めた。
父に手を合わせ、コンビニに買い物に出た。
梅雨も明けたのか、青空が広がり、夏の朝の爽やかな風が吹いていた。
地元紙の新聞を2冊買った。
家に帰り、1冊は母に渡し、新聞を広げた。
昨日メールでやり取りした囲い込み記事が出ていた。
そして、その横に別記事として父の事を書いた記事が出ていた。
わざわざ高い広告料を払って出す必要は無かったわけだ、しかしこれもケジメだから仕方が無いだろう。

朝飯を食っていると本家の伯父がやってきた。
地区のまとめはお願いするとして、会場からのバスの経路や立て看板など意見があるようで、すぐに会場にお願いの電話を入れた。
そうこうしていると親戚の伯父、叔母、近所の人たちが集まり家の中は凄い混雑になった。
会場から担当が来て、会葬の礼状の確認を行った。
喪主の母の名前、長男の私、妻の名前、義理の弟の名前、妹夫婦の名前、そして親族代表の本家の伯父の名前など確認をした。

会場の担当の方が枚数を確認するというので、対応していた義理の弟や叔父たちと話し合い、こんなものだろうと数字を言った。
会場の担当者の方は、その倍以上の数字を言う。
そして会場も通常は半分に仕切って使っているが、今日と明日はワンフロアーにして、他の予約は入れないと言う。
数は担当の方にお願いして、会葬の品も同数用意する事になった。
昼前には告別式で流すビデオの打ち合わせだった。
前日、近所の方に10冊以上のアルバムに付箋で選んでもらった写真を、一枚一枚見てもらう。
さすがにプロ、それ以外の写真も目に留まったものはスマホで撮っていた。



午後4時、いよいよ出棺、若い男性達に担がれて父は家を出て行った。
私達も喪服に着替え後を追った。
会場には前日渡した写真が遺影になって飾られていた。
祭壇も黒を基調にした立派なものだった。
通夜は6時から始まり、喪主の代わりに私が挨拶を行った。
原稿を書く時間も無く、思いついた事を私の言葉で口にした。
会場の後ろの方が暗くて良く見えないが席は埋まっていた。

無事に通夜も終わり、下の弟を責任者として残し、子どもたち(孫たち)が父を見守ることになった。

あわただしく過ぎて

2012-07-24 12:41:10 | 日記ふう
7月は3回の法事があることになっていた。
祖母の7回忌に祖母関係の叔父の3回忌、そして伯父の49日法要だ。
3連休に祖母の7回忌を身内だけで実家で行い、母も連れて自宅に戻り、眠りについたその時に病院から電話あった。
「容態が急変しています」
との内容だった。
時計を見ると午前2時22分だった。
それから10分ほどして、父の死亡が伝えられた。
母が近所の親戚に電話をしている。
息子を起こし、息子の運転で実家を目指した。
九州自動車道を走っていると白々と夜が明けてくる。
空には大きな虹が架かっていた。
病院につくと安置所に父が眠っていた。
義理の弟に父の兄妹の叔母夫婦が先に駆けつけてくれていた。
父の顔を見ると穏やかな顔をしていた。
叔父と弟と葬儀屋を検討し自宅に一番近い場所に連絡を入れた。
日程を考えると明日は友引になっている。
今日、仮通夜、明日、本通夜、明後日が告別式に決まった。
霊柩車が父を迎に来て、自宅に向かう。
久しぶりに自宅に帰って来た父を見て、なぜか胸がつまった。
葬儀会場の人が来て、通夜のやり方や仏壇の選択などの打ち合わせが続いた。
遺影も自宅から持ってきた正装した父の写真の中から少し微笑んだ写真を選んだ。
そして一番悩んだのが死亡掲載の広告を新聞に出すかどうかだった。
父のおくやみは告別式の当日しか掲載されないのだ。
今、記事掲載を決定すれば明日の朝刊に間に合う、しかし掲載料が目が飛び出すほど高いのだ。
弟が地元新聞社に電話し、校正のメールが私のケータイに送られてきた。
PDFで添付されていたのでケータイで初めてPDFの記事を確認した。
日にち、時間、場所、喪主の母の名前、長男の私の名前などを確認して、掲載をお願いした。
そうこうしていると仮通夜の時間になり、お坊さんが来て枕教が始まった。
その夜は、隣で用意された精進料理で近所の人や親戚関係でよる遅くまで賑わった。
ジロー夫婦も熊本打越から駆けつけてくれた。

かえるの子はかえる

2012-07-15 10:48:29 | people
娘のアパートには7時を過ぎてからだったろうか。
1Kの部屋に入ってビックリ、部屋の模様がすっかり替わっていた。
テレビとパソコンがすっきりと片付いていて、ベットが入っていた。



そしてなんと電子ピアノがあるではないか。



楽譜にはいろいろと書き込んであるが、どうも彼女が言う、部活動のためだとか・・・。
ダンスグループに入り、ダンスをしたりコーラスをしたりやっているようだ。



そのコーラスの伴奏をするため、楽器を買ったそうだ。
娘は物心ついた時から母である妻にピアノを習っていた。
当然ながら譜面も読めるし、ピアノの基礎はあるわけだ。
ヘッドホンをつけて練習していると、キーボードのカクカクという音と、ペダルの音がリズム良く聞こえる。
そんな娘も仕事に部活動、それに努めている会社で土日のアルバイトも頼まれて喜んで引き受けているようだ。
なんともバイタリティあふれる生活に頼もしい限りだ。

祇園祭り

2012-07-14 06:18:18 | 日記ふう
今週も2日にわたり小倉出張だった。
初日は早めに切り上げて博多には5時を少し回った時間だった。



博多駅を出ると10mはあろうか、巨大な飾り山笠が飾ってあった。
十三番山笠(博多駅商店連合会)の六波羅合戦(ろくはらんのかっせん)だそうだ。



そして裏側にはアニメ チャギントン。
そういえば一昨年はワンピースだったよね、と思いながら、あれから二年が経ったのだ。
博多祇園山笠も7月1日の注連(しめ)下ろしから始まり、7月15日の追い山笠で最後を迎える。
そう、明日がいよいよ祭り最大の呼び物の追い山だ。
そういえば小倉も小倉祇園祭りの最中だ。
6月29日の山鉾すす払いから始まり、7月20,21、22日の小倉祇園太鼓で盛り上がる。
「あっやっさ、やれやれー」の掛け声で街中を練り歩くのだろう。
山笠は昔、朝早く起きて見に行った事があるが、小倉祇園太鼓はまだ無い。



そんな事を考えながら娘が住む、美野島にやってきた。
娘の仕事は6時までで、それからキャナルに買い物に行ってアパートには7時頃だろうと言う。
しかたない、近くの焼鳥屋に入り、生ビールに酎ハイ、焼鳥に冷奴で時間をつぶした。

かつて経験したことのないような大雨

2012-07-13 06:20:39 | 熊本の風景
朝、雷の鋭い音と、もの凄い雨で目覚めた。
前日までの小倉出張の疲れもあり、少し遅めの目覚めだった。
7時22分のバスで行くか、クルマで行くか迷ったが、バスだと歩かないといけないのでクルマで出勤した。
自宅を出てすぐに渋滞が始まった。
ひょっとして寺原(てらばる)辺りが水につかっているのか、と思ったがそうでは無かった。
坪井橋辺りで坪井川の水位を見てビックリした。
こげ茶色の濁流が溢れんばかりに流れていた。
ワイパーを高速にするが雨の勢いが強く、前が良く見えない。
それでも何とか会社まで到着。
渋滞がひどく、普通の通勤時間より倍以上かかってしまった。
白川を見るとこれまたひどいことになっていた。



警戒水位をはるかに超えて、今にも決壊しそうな感じだ。



パトカーや消防車が出てもの凄い雰囲気になっている。
上空には数台のヘリが飛んでいる。

県外の人からメールや電話が次々にかかってくる。
そのたびに写メした写真と一緒に状況をメールした。



昼休み白川沿いを歩いてみると、割と静かに濁流が流れていた。
川沿いでは、濁流の影響か不気味な風が吹いていた。
川の中に目を落とせば、大木や木の破片らしきものが流れていた。
白川は天井川で、氾濫すれば市の中心部は大変なことになる。
これ以上降らない事を祈るしかないのだ。
仕事をしているとエリアメールなるものが入ってきた。
熊本市水防本部からだった。
避難勧告の通知だった。
定刻で仕事を終え、自宅に帰りテレビを見ていると、白川のちょっと上流域で数箇所氾濫した様子が写されていた。
午後から白川の水位も下がり避難指示や勧告は解除されたが、油断は出来ない、明日朝から再び大雨の予報が出ている。

うめのや

2012-07-12 07:06:52 | 食事
大津に来ると必ず立ち寄る店がある。
うめのやと言うそば屋だ。
そば屋と言っても妻の場合は天ぷらがお気に入りのようだ。
通い続けて何年になるだろう。
かけそばやうどんに、天ぷらのセットなどの裏メニューもあるお店だ。
仕事で来るとき必ず注文する一品がある。
高菜めしセットだ。
高菜めしとそばかうどんのセットなのだ。
セットで600円というのもうれしい。
さっそく出てきた。



高菜めし、普通、油を使って焼き飯風に炒めるのだが、ここの高菜めしはどうも違うようだ。
油っぽくなく高菜とごはんが良い感じ、混ぜごはんのような感じ。
そしてそばも掛けそばでは無く、肉ときつねがしっかりついてくる。
高菜めしとこのそばが良い感じなのだ。




妻の前に、でーんと出てきた天丼。
妻はこれにはまっている。
プリプリのエビにぞっこんのようだ。
そしてたれが良いのだろう。
食べだすと一切会話は無い。



食っているとエビが一匹飛んでくる。
そしてそばが去っていく。

うめのや
池郡大津町引水120-2


がんばれ!がんばれ!

2012-07-11 08:21:50 | 家庭菜園
久しぶりの良い天気に、妻は朝早くから洗濯物の処理で忙しい。
一段落して、もの凄い勢いで成長している野菜たちを見るのが日課になったようだ。
今までの収穫はナスが一本とキュウリが一本。



ナスはさらに二本の実をつけていた。



そしてキュウリ、高さ2mの野菜ネットもついに一番上まで成長した。
そして次々に花を咲かせ実を実らせている。
ミニトマトにいたっては鈴なりになっていた。
その横で妻が
「がんばれ!がんばれ!」
そしてキュウリには
「いい子いい子」
と声をかけていた。



いまいち成長がおそいのがゴーヤだ。
こっちも、がんばれ!がんばれ!なのだ。
梅雨が空け日差しが強くなれば一気に成長してくれるだろう。



ピーマンも大きくなっていた。
一畳ほどの畑にキュウリにナス、ピーマンにゴーヤ、ミニトマトそしてネギにシソなど賑やかだ。
でも一番賑やかなのは誰かさんだろう・・・。

願い事

2012-07-10 07:08:31 | 日記ふう
先週の土曜日は七夕だった。
上通りを歩いていると、笹の葉に色とりどりの短冊がぶら下がっていた。
少し覗いてみる。
いろいろな願い事があるもんだ。



こんなのや



こんなのだ。



こんな願い事まである。
いったい何をお願いしているのかわからない。
そんな短冊探しをしていると、ちゃっかり妻が短冊を書いていた。




<空が天国で幸せになれますように>

何のことかと妻に聞くと

「クーが天国で幸せになるようにって意味!」
妻の中ではクーは空になっていたんだ。
知らなかったぞ、いつの間にかクーに戒名がついていたのだ。

さんさん

2012-07-09 08:12:14 | 熊本の風景
重い機材を抱えて、撮影に出た。
菊陽町にある、杉並木公園さんさん。
グラウンドではサッカーの試合があっていた。
何枚か撮ってみたが、どうも気合が入らない。
昔、息子の試合を撮っていたこともあり、試合の流れの中で興奮気味にシャッターを切っていた事を思い出す。
俺のカメラって、原点はサッカーだったのだろうか?
そんな事を思いながら、公園をブラブラと何枚か撮ってみた。