打越通信

日記ふういろいろ

東風吹かば

2017-01-29 16:38:47 | 季節の花
腰の痛みも随分と和らいできた。
それと時を同じようにして、柔らかな春を感じさせるような気候になってきた。
腰の痛みは精神的にも落ち込むようで、しばらくは底なし沼に入り込んだような様態が続いていた。
こんな時は部屋に閉じこもっていては苦しくてしょうがない、久しぶりに一眼レフを取り出してバス停に向かった。
薬院駅から西鉄のドンコウに乗り込んだ。
二日市駅で降り、乗り換えの時間を見ると20分以上の待ち合わせがあった。
一旦、駅を出て、通りを歩くことにした。
小雨が降りだしたがジャンパーのフードをかぶり歩く。
五条駅を過ぎ大宰府駅に着くと、駅前には多くの人がいた。
参道も駅からの人の群れと、駐車場からの人の群れがぶつかり合い、混雑していた。
どうもお隣の国の人たちのようで、格好も言葉も普通とは違っていた。
そういえば旧正月だったような気がする。
太鼓橋も団体さんの流れに任せるように進む。
桜門をくぐるとすぐに参拝者の行列が出来ていた。



参拝をあきらめ、裏の梅園に行ってみた。
まだまだつぼみが膨らみ始めたばかりだった。



それでも咲初めの梅がちらほらと見える。
ブラブラと園内をぶらついていると綺麗なオネーさんから声をかけられた。
顔を見るとこれはこれは好みの美しい人だった。
首をかしげてしきりに話しかけてくるのだが、言葉がわからない。
「すみません。韓国語はわかりません」
というと頭を下げて行ってしまった。
私の言葉はわかったようだ。



一生懸命に写真を撮っているオネーさんがいた。
「まだ少し早いようですね」
と声をかけると、こちらは言葉のわかる娘(ひと)で笑い顔が素敵な人だった。
しばらくベンチに座り話し込んでしまった。
時間はたっぷりあったのでしばらく話をして、梅園をブラブラと歩いた。



くもり空で時々細かな春雨が降る中だったが、春の気配を十分に感じ取った気がした。

へこんだ一日

2017-01-24 20:40:55 | 日記ふう
朝3時半起き。
当たり前のようになってきた今日この頃。
それから再び眠りに入っていくこともあるが、今日はそのまま朝を迎えた。
こんなこったろうと、前日は眠くて眠くてしょうがなかったが12時近くまで起きていた。
だが計算ははかなく崩れる。
ここ数日の睡眠時間は3~4時間、まあ日曜日に休養をしたので少しは救われるか。
早出のため6時半ころにはアパートを出た。
まだうす暗く風も冷たい。
いつもの通勤道を歩く。
JRの高架下に来る。



工事のため通行止めだった。
ここは車道専用で、人が通るトンネルはただ今工事中だった。
帰りも同じ道を通るのだが「あっ工事中だった」とその場に来てから驚くのだ。
もうかれこれ10日以上になるが、行も帰りも繰り返している。
そのたびに大きく迂回して違う高架下を潜り抜ける羽目になる。
まったく学習能力がない。
早出だったので早めに仕事を終え、今日は整形外科に行くことにした。
会社が入るビルの出口をいつもとは逆方向に出た。
いきなり社長と面があった。
頭をポリポリかいて「お先します。今から病院にふたたび・・・」などと訳のわからんことを口走る。



しばらく歩き、高架下に来た。
課長とすれ違った。
ウォークマンで耳元ではハービーハンコックが鳴り響いている。
めんどくさいので敬礼をした。
笑って手を振っていた。
高架下を抜けるとすぐ横にかわいい女性が立っていた。
腕を引くような動作をするので誰かなと見ると、現場スタッフの社員だった。
イヤホーンをとり、しばらく腕を組んでお話をした。
駅前4丁目のバス停で私の腕から離れ来ていたバスに飛び乗った。
再び敬礼をした。
住吉通りを真っ直ぐに歩き、精華女子高の近くの整形外科に行った。
そんなに待たされることもなく、診察室へ通された。



若い男性の医師だった。
簡単な初見があったがレントゲンを撮るという。
レントゲンを撮り再び診察室で説明を受けた。
腰の上、つまり背中あたりの骨に骨折の跡があり、それがどうも潰れているという。
心当たりは全然ないがショックだった。
それが原因なのかはわからないが、この後一週間くらい痛みが止まらなければ必ず受診するように言われた。
MRIで詳しく検査しなければ詳しいことは分からないという。
ショックのあまり首をうなだれてトボトボとアパートに帰った。

雪の朝に

2017-01-23 21:07:08 | 日記ふう
今度の腰の痛みは随分と長い。
もう10日近く経つが一向に回復する様子が無い。
とうとう日曜日はアパートから一歩も出ず休養だった。
休養の割には、今日も夜中の3時に痛みで起きた。
窓の外は嵐のようで窓に時々風がぶつかる音がする。
再び布団に入り目が覚めると6時過ぎだった。
テレビのニュースでは福岡でも積雪があり雪化粧の風景が出ていた。



もしやと思いカーテンを開けてみると雪景色が見えた。
ただマンションなどのビルが建ち並び、一面の雪化粧とはいかない。



マンションの8階の風よけには横殴りの雪だったようでガラス面に雪が張り付いていた。

日曜日は本を読み、音楽を聴き、久しぶりに昔のブログを顧みた。
誤字や脱字、意味不明の文章など相変わらずすさまじいものだ。
去年の今頃はどうしていたのか・・・。

音楽に目覚め、オーディオを組み立て、オーディオ用のラックを手作りしていた。
引退間近の青ガエルを連日のようにカメラ片手に追いかけていた。
人生の中でももっともパラダイスの真っ最中だった。
そんな過去記事を見ていると「反り腰」というのを見つけた。
あれれ、あれは確か2,3年前の事だと思っていたら去年の事だったのだ。
あの時と同じ痛みなのだが、時期もほとんど変わらない。
ちょうど一年前だった。
そうかあの時はレントゲンまで撮ってストレッチの方法まで教えてもらい、それでなんとか復活していたのだ。
記憶というものがいかにあやふやなのかと思う。
それから先輩から声がかかり、今福岡で去年と同じ時期の雪景色の中にいるんだ。
随分と変わったな・・・つくづく思う。

寒い日は何故か焼き鳥屋

2017-01-21 20:53:24 | 日記ふう
朝から病院に行った。
予約の日を一週間間違っていたようで、今日がその日だった。
左脚の痛み(運動すると)の原因が血行不良によるものかその検査だった。
しかし痛めた腰(肩)の痛みがいまだに取れず、仰向けに寝ることができない状態で検査は中止になった。
先週から取り掛っている仕事がだんだんと危ない領域に入ってきた。
納期が迫り、原因不明の現象が解決できず、まさにドツボに入りかけている。
休みだったが病院からそのまま会社に出た。
やはり休日の電話や人の対応が無い日に少しでも進めたいと思っていたのだ。
しかし社内では蛍光灯の取り換えや、いったん作業をあがってきた社員で賑わっていた。
結局4時間ほどデスクに座り格闘したのだが、集中出来たのは30分から一時間ほどだった。
それでもその30分から一時間の集中でなんとかドツボから這い上がることができた。
アパートに戻ったのは夕方近くだった。
妻はテレビで撮りためた映画を観ていた。
横になり30分ほど眠ってしまった。
目が覚めるとすでに外は暗い。
アパートを出て美野島商店街を歩く。
冷たい風が吹いていて、割と薄着だったので震えが来た。



なんだか心までもが縮むような、さびしい感じだ。



それでも妻はてくてくと歩いて住吉通りまで来た。
焼き鳥屋に入ってみた。
しかし満員のようで再び寒い中をてくてく歩く。
2件目の焼き鳥屋だった。
ここも満員のようだったがなんとか2つ席が空いていた。



鶏皮が専門のようでそれを塩とタレで10本、それにぼんじりを5本追加した。
妻は冷え切った体にかかわらすビールを頼んでいた。
こんな寒い日は熱燗で一杯やったらどんなに良いだろう。
これはまさしく拷問以外の何物でもない。
しかし私はノンアルで対抗した。
妻とは何も話すことはない。
黙って隣に座った2人組の話を聞いていた。
船舶関係の話をしている。
話を聞いていると、門司港でしていた会社の事を思い出した。
話しの内容に加わりたかったが、たださびしく聞いていた。

地下鉄に乗って

2017-01-20 21:06:48 | 日記ふう
福岡市郊外のショッピングモールに仕事で出かけた。
今の会社に入ってからはほとんどデスクワークで、一日中事務所の檻に入っている猿のような感じだ。
以前の仕事では会社にはほとんどいない状態で、仕事場というとユーザの事務所のデスクだった。
伝票処理と会議と飲み会ために会社に帰るようなものだった。
だから一つの場所にじっとしているのが逆につらいこともある。
会社を出てバスで薬院駅に向かう。
そこから地下鉄に乗り目的地を目指す。
まあ福岡の地下鉄は単純な一本線なので座ってしまえば乗り換えることもないので安心ではある。
しかし短い路線なのに駅が多い事には驚かされる。
たぶん真っ直ぐに進めば10分くらいで着くのに、ご丁寧に1駅1駅と進むので30分くらいかかる。
音楽を聴きながら本を読んでいると終点駅に着いた。
郊外の田んぼが見える駅だった。
周りには何もなく駅舎だけが立派で人影はほとんど無いようなところだった。
海からの風が冷たくて、時には突風が吹くような中に駅から出た。
仕事は4時間ばかりで終わり、帰りの電車で寝込んでしまった。



終点の駅で車掌に起こされ周りを見渡すと誰もいない。
あわてて電車を降り、折り返しの電車に乗った。
福岡の交通は西鉄が独断場と言ってよい。
バスはほとんどそうだし、鉄道は大牟田線や貝塚線などあるがまったくといっていいほどJRや市営の地下鉄と連絡がない。
市営地下鉄はJRの乗り入れを行っているが西鉄は軌道が違うこともあるのだろうがまったくだ。
久しぶりに東京などに行くと、なんでこんなところを会社の違う電車が走っているのとびっくりする。
客のため相互乗り入れみたいなのが当たり前になっている。
陥没事故で問題になった七隈線(市営)も空港線(市営)に乗り換えは天神では1㎞ほど歩かなければならない。
同じ市営でこれだから困る。
西鉄、市営地下鉄、JRと各社ばらばらでまとまりがないようだ。
おまけにまだまだクルマ社会なので思ったほど乗客は伸びていないのだろう。
おまけに料金は高いと来れば当然そうなるのだろう。
久しぶりの外出がなぜこんな話になってしまうのだろう・・・。
いつもの事だ、気にしない!

疲れない音をさがして

2017-01-19 22:16:35 | 日記ふう
ポータブルオーディオプレイヤーを買ってからどこに行くにも手放せなくなっている。
通勤時はもちろんの事、旅行や散歩など休日もどこに行くにも必ず持ち歩くようになった。
オーディオのセットは熊本の自宅に置いてきたし、博多の狭いマンションではとても音を出せる環境ではない。
福岡に来てネット回線(ケーブルテレビ)を契約した時のキャッシュっバックのようなもので買った。
ケータイをスマホに変えそれで聞けば良いのかもしれない。
しかし多機能はそれだけで先が無いように思える。
カメラの画像もそこそこ、ネットにしてもそこそこ、音楽ににしてもそこそこのようで毛嫌いしている。
カメラはやはりそれなりの専用のものを、音楽にしてもそれなりに質の高い音を求める。
性格的なものだろうな、そんなこだわりがある。
買ったウォークマンも最初のうちはイヤホーンというのがあまり気に要らなかった。
やはりスピーカーから流れる音を耳だけではなく全身で聞くところが良い。
そう思っていたし今もそう思っている。
しかし今の環境ではどうしようもない。
ウォークマンも最初のうちは疑心半疑だったが、手軽にそこそこの音を持ち出す便利さには重宝している。
Bluetoothで身近な機器に接続でき、クルマではナビとセットになったプレイヤーに接続して使っている。
ノイズキャンセリングで周りの音を消すなどというとんでもないことも今では行われている。
買ってきた機器に付属としてついてきたイヤホーンだった。
そこそこの音と耳のすぐ近くで鳴る音に最初は不快だった。
こもるようなべとっとした感じの音に、慣れるまでは違和感があった。
先日実家に帰った時に、甥っ子のジュンが今は使っていないというイヤホーンを何本か見せてくれた。
その中にこれはと思うのがあった。
イヤホーン独特のこもった音、それが全くなく通常のスピーカーから流れてくるようなものだった。
「しばらく貸せよ」
といって借りてきたものだ。
耳に後ろから耳たぶ沿いに引っかけて使うタイプだ。
装着感がいまいち良くないが、音はずば抜けて鮮明で特に高温の伸びが良い。
価格も3万円ほどする中級クラスのものだが世界が変わった。
今までのは何だったのかと思うほどの違いがあった。
ただ右側のツイーターが不良のようで高音域が割れる感じがある。
3ウエイのようでその一本が割れているようだ。
ロックやジャズのように音が詰まった音楽なら別に気にはならないが、ピアノとなると気になりだしたら気になる。
それでも全体的な雰囲気のようなものは断然良いので、昔には戻れない。



ここ数日、会社が終わるとヨドバシに出向いている。
前からなんでこんなにヘッドホーンやイヤホーンの数が多いのか疑問に思っていたが、今では納得している。
持っているプレイヤーで視聴できるようになっている。
いろいろと聞き比べてはいるがどれも個性があって面白い。



オーディオ独特の臭い音から、シャカシャカした音など聞き比べてはいるのだが、店内に流れる音楽やアナウンスがうるさくてしょうが無い。
やはり値段が高いのは音が落ち着いている。
奥行や臨場感、鮮明さが違う。



その中でもfinalが良いのかなと思っている。
値段もプレイヤーより倍近く高い。
そのうちプレイヤーも買いなおさなければならないようになりそうだ。
買おうと思っていたオディオプレイヤーの事を思えば安いものだがどうしたものだろう。
熊本での環境、福岡での環境、その違いはこんなところにも出てきている。

あやしいメール

2017-01-17 20:50:46 | 日記ふう
隣に座る女の子が
「○○さん、これ怪しいですよね」
と言ってメールを見せてくれた。
モニターを見ると受信フォルダーにずらりと同じメールが並んでいた。
会社の代表アカウント宛てのメールだったがマイクロソフトからのメールで気になり私宛に転送してもらった。
送り先のアカウントやドメインを見るとマイクロソフトらしきものだった。
しかし内容を読んでみると、私の日本語の読解力が怪しいのか、どうも意味不明な内容だった。
攻撃者ってなんだ?ご本人かどうか確定出来ないのにどうやって検証するのだろう?
と思ってはみたものの半信半疑だった。
それからネットで情報を集めた。
ある地方新聞を読んでいると、ありましたね。
まったく同じ内容でフィッシング詐欺メールに注意するような記事だった
マイクロソフトのホームページにも同様のメールに注意するような内容が書かれていた。
さっそく隣に座る女の子に削除するように指示した。
そしてグループウエアのインフォメーションにこのメールに注意を喚起するためにアップした。
彼女は素直に削除して削除フルダーからも追い出してしまった。
私のパソコンには残っていた。
フィッシングならウイルスにかかることもないだろう。
どんな内容を盗もうとしているのか興味深々だった。
思い切ってクリックしてみた。



現れたのはウイルスチェックソフトの注意喚起の画面だった。
すでに把握をしていたわけだ。
それだったらこんなメール自体を通さなければ良いものをと思った。



この頃、妻のケータイにもやたらと怪しいメールがくるようだ。
そのメールを見せてもらった。
こちらはソフトバンクのドメインがぶら下がっていた。
それ自体で不信になるのは私だけだろうな。
これまたおかしな文章で、みんなの未来が掛かっているので現金を受け取れという、それが助けになるそうだ。
どこからこんな発想が出てくるのか?不思議だ。
どこかお隣の国の人なのかな?
まったく幼稚な内容だ。
しかし、何故か私には誰からもメールが来ない。
愛しき女(ひと)はもちろんの事、迷惑メールもフィッシングメールも、今大流行のランサムウェアさえも、何も来ない。
なぜだ・・・。

ジジラック

2017-01-16 21:46:43 | 日記ふう
やはり夜中の1時半だった。
痛みで飛び起きた。
いやいや飛び起きたら大変なことになるので、ジワリとつっている肩の痛みに堪えるようにして起きた。
痛み止めと昨日のきれいなオネーさんが進めてくれた薬を飲んだ。
初めてパッケージをしかと目にした。



なんだこれは<ジジラック>、人を馬鹿にしたようなネーミングに<俺はジジでは無い>と怒ってみたが、よく目を擦ってみると・・・。
1時間ほど痛みが消えるのを待って再び眠った。
朝起きるとき再び大変なことになる。
ジワリジワリと起き上がるのだが、そのたびに何度かの攣りがくる。
それも次から次へと襲い掛かるものだから、スローモーションのような起き上がりだった。
起き上がってもしばらくは攣りが収まるまでは我慢しかない。
痛みが去ると伸びをしても前屈をしても何ともないものだから不思議なものだ。
痛みで目覚めだけはバッチリだったが睡眠不足には変わりない。
今日も福岡は寒い朝だった。
降れば雪かなと思ったが、夕方近くは氷雨だった。



昼休みに郵便局に行った。
去年の暮れから郵便局のこれまたかわいいオネーさんと良い関係になってしまった。
最初に行った時は相談のようなものだった。
しんみりと話を聞いてくれ、別れ際に名刺をもらい、また来てね、といった仕草で見送ってくれた。
それからは行くたびに指名するようになった。
今日は店に入ると私を見るなりニコニコとこっちへ来いと仕草で呼んでいた。
年末年始は忙しいからと思い、会うのを我慢していたものだ。
免許証とハンコと書類を出ししばらく待った。
あとは書類が郵送されますので、これで手続きは一旦終わりです。
別れの宣言だった。
ショックは計り知れない。
郵貯銀行にたまたま行ったら相続されていな母の口座があるという。
ほかにもあるかもしれないから、それを探すという書類と今ある母名義の口座をどうするかという書類だった。
金額は聞いていないがひょっとすると数兆円?
夢は大きく膨らむが、あのオネーさんと会えなくなる寂しさはつらいものがある。
はかなきジジラックにならなければいいのだが・・・。

安静にできない理由

2017-01-15 16:21:44 | てくてく
昨夜は寝返りを打つたびに背中に電流が走るような痛みが出た。
腰だと思っていたが腰より少し上の背中あたりだった。
そのたびに布団の中でじっとしていたが、それでも少し体を動かそうものなら痛みが出る。
思い切って起きてみた。
時計を見ると午前2時半すぎだった。
起きてしまえば痛みは和らいだ。
風呂に入り体を温めたのがいけなかったのだろうか?
さっそくパソコンを開いて「背中のつり」で検索した。
いろいろな情報が出ていた。
すっかり頭も冴え、腹も減ったのでパンをかじりながら、冷蔵庫からハムの塊を出して食った。
ストレッチの方法が動画で出ていたので、しばらくそれをしながら様子を見た。
まったく痛み止めの薬など効きやしない。
時計を見ると3時半を過ぎていた。
こりゃ生活のリズムがくるってしまう。
眠剤を飲んで再び眠りについた。
朝9時過ぎに目が覚めた。
起き上がる時に激痛が走った。
立った後もしばらく激痛は続いたが、なんだかもう慣れてしまった。
しばらく堪えると痛みは引いていく。
どうも筋肉が固まってしまっているようで、それを動かそうとすると筋肉がつる。
こむら返りの背中版のようだ。
ビタミンB6が良いらしい。



エレベータを降りて美野島商店街に行き薬局に行ってみた。
こむら返りに即効性のある薬を見ていた。



薬剤師らしい美しい女性の店員さんがそばに来ていろいろと説明を受けた。
ビタミン剤と彼女が進める薬を買った。
かなり高い値段だった。
処方されている薬との飲み合わせがあるようだがそんなことは言っていられない。
今夜も再びこのような状況が続けば仕事に影響が出る。
3月末までの契約なので、もう一杯一杯のところに来ている。
残った仕事に切り(おり)をつけなければならない。
夜だけの対策で良い、睡眠が必要なのだ。



午後から散歩に出た。
横になると痛みが出るためだ。
住吉神社からキャナル方面に向かった。
参拝客もぱらぱらとあり、しばらくベンチで参拝の様子を眺めていた。



住吉橋を渡り、柳橋連合、百年橋まで足を延ばした。
ゆっくりと時間をかけて歩く。
那珂川には渡り鳥だろうか、数羽の群れが羽を休めていた。
自宅に戻りパソコンの前に座り書いている。

過去のデータほど大事なのだ

2017-01-14 21:29:22 | パソコン
やはり痛みで睡眠は浅かったようだ。
しかし前日までの睡眠不足と痛み疲れ(痛みとの抵抗疲れ)で起きるのは遅かった。
マンションの一室(かなり狭い)でも冷気を感じるくらい寒い。
暖房をいっぱいにかけていても、一部屋外に出ると背筋に悪寒を感じる。
外は北風なのか窓ガラスに風の当たる音が時より聞こえる。
今日は用心のためこの部屋でゆっくりと過ごすことにした。
普段はあまり見ないテレビ(録画)を観て、そのあと音楽でも聞きながら本を読んでいた。
突然、ケータイが鳴った。
「データを探しているけど、どこを探しても見つからない」
会社の先輩社員からの連絡だった。
すぐに心当たりがあったので要件を話した。
「あのデータが無いと困る」
急を要した内容のようだったのですぐに着替えて会社に出た。
実はバックアップをとっているNASに保管している過去のデータが削除された可能性があったのだ。
毎日のバックアップをNASに採っているため過去の日付のデータはその都度削除をしている。
そうしないとNAS自体の容量があふれてしまうからだ。
削除するとき間違ってそのデータを削除してしまった可能性はある。
復元のフリーソフトも何種類かダウンロードしてみたが、どれもローカルドライブしか対応していなかった。
LAN上のドライブを復元する方法はある程度入手していた。
まあ、時間があるときやってみるか程度の感覚でいたわけだ。
そしてもう一つの方法があった。
故障で壊れたNASを廃棄したときにハードディスクを取り出して保管していたのだ。
ひょっとするとこの中にそのデータがある可能性がある。
さっそくその先輩社員に連絡して確認すると、絶対にあるとの返事をもらった。



事務所に出てNASを分解した。
今あるハードディスクを2本取り出して、昔のハードディスクを指してみた。
RAID組をしてあるのか確認するとそれは無いようなのでハードディスクがどちらか回ってくれればなんとかなる自信はあった。
しかし差し込んだ瞬間に赤いランプが点滅している。
PINGを飛ばしても反応はない。
正常に稼働するディスクの1本を片方に差し込み、2本目に古いディスクを差し込んでみたが現象は同じだった。
こりゃ古いハードディスクは2本ともダメだ。
本格的に復旧をするなら現ハードディスクに復旧をかけるか、古ハードディスクからデータを取り出すかしかないわけで専門の業者にお願いするしか方法はない。
NASを組み立て正常に稼働するかデータの中を確認していた。
古い日付が順番に並んでいるデータの一つを開いてみた。
通常退避する内容と違うデータがあった。
これがそのデータだった。
退避するたびに過去に退避したデータを削除し、新しく退避したかたまり(フォルダー)に日付を書き換えていた。
間違ってそのフォルダーを書き換えてしまったようだ。
さっそくフォルダーの名前を書き換え、サーバーの違う場所へ複写した。
まったくもってこれで解決したわけなのだが、そんな大事な過去のデータを退避用のNASに保管するするほうが悪い。
サーバのほかのドライブは山のように空き領域はある。
せっかくの休日、それも寒い日にとんだとばっちりだった。
それでも腰の痛みを少しは忘れさせてくれたのかもしれない。
寒い北風が吹く中、帰り道で背中を丸くしてそう思った(いやいや思うようにした)。

吐き気がするような痛み

2017-01-13 21:09:59 | 日記ふう
あまりの痛さに会社を抜け出して病院に駆け込んだ。
医師は血圧と酸素濃度を調べ痛み止めと貼り薬を処方しただけだった。
クリニックだからそんなものだろう。
整形外科に行ってもレントゲンを撮ってあちこち痛いところを探っても、結局の処方は同じなのだ。
一時様子をみて長引くようなら精密検査をというだけだ。
ただインフルエンザでないことは確かだった。
そんなわけで痛み止めでなんとか一日過ごした感じだ。
痛みが吐き気に変わるそんな痛みで、自宅に戻ってしばらく横になっていると痛み止めが切れたのだろう、腰がつる、そんな痛みが再び来た。
今夜寝るのが怖いのだが、明日が休みで良かった。
風呂に入って温めて寝ようと思うが、それもよしたほうが良いかもしれない。
歯の痛み、腰の痛み、まあ痛みがあると何事も集中できない。
とにかく寝よう・・・。

こりゃ春から・・・

2017-01-12 20:29:08 | 日記ふう
朝起きると腰と背中に痛みを感じる。
ぎっくり腰かなと思ったがそうではないようだ。
2,3年前だったか横になると腰に痛みを感じ、寝る事すらできないことがあった。
あの時もギックリ腰かなと病院に行ったが、はね腰ということが分かった。
寝る前のストレッチでなんとか克服した記憶がよみがえった。
あの時とはまた違う痛みだった。
心あたりを探してみたが思いつくことはない。
ふとゴルフかな?とも思った。
しかし、あの時もそんな筋肉痛になるほどは振ってはいない。
もしそうであれば、やはりかなり体がふにゃふにゃということになる。
脚のほうは随分と筋肉がついてきたと思う。
今日も仕事で天神に出て、帰りは博多駅の事務所まで寒空の中歩いた。
昼食後の階段上り(1階から11階まで)も欠かさず行っている。
しかしこれにも問題があり、右脚は何ともないのだが左脚全体にどうしようもない痛みを感じる。
血流が悪いのだろうか?そのため左脚全体に酸素が回らずこんな痛みになっているのではないのだろうか?そんな疑問を持った。
前回病院に行った時、若いが頭の回転が良い医師とそんな会話をしたら、血流検査をしようといわれた。
まあ今度の土曜日なのでその時にははっきりするだろう。
そんな今まで気にもしなかった体の異常が出るのは・・・やっぱり。

そういえば同級生から立て続けに電話がかかった。
一人は学生時代に1年間だけだったが気が合った友だった。
電話口の声は昔のままで、もうかれこれ数十年もあっていない。
博多に出てきたことを喜んでいるようで、京都に住む彼と近く会うことにした。
もう一人は、小学校時代(5年生のとき)1年間だけ一緒だった友だった。
彼は5年のはじめに転校してわが学校に入ってきた。
そいつとも気が合い良く遊んだことを覚えている。
5年を終わり今度は私が転校することになった。
だからわずか1年の擦れ違いのような仲だった。
もうかなり昔の事だ。
両友人とは若かりし頃にたった1年の付き合いだということ、そして彼らは京都に住んでいるという共通点だけだ。
だから京都に行けば一緒に会えるかと言えばそうはいかない。
彼らは顔見知りでも友達でもない、この世ではまだ出会っていない間柄なのだ。

年賀状のやり取りはこんな時に威力を発揮するのかもしれない。
でもそんな威力は憧れだった女(ひと)にはどうも発揮しない(というか年賀状のやり取りもしていない)ようだ。
<こりゃ春から縁起が良いや!>とはなかなかいかないものだ。

※写真は巫女のアルバイトをしていた姪っ子

ある程度

2017-01-11 19:38:43 | ゴルフ
クラブを握るのは2年ぶりくらいだろうか。
息子を誘って打ちっぱなしに出かけた。
ひどかった腱鞘炎もだいぶ回復して、はたしてクラブを振れるのかとちょっと不安もあった。
キャディバックは駐車場の奥の棚に埃をかぶっていた。
久しぶりに担いでみると結構重い。
ガタガタとクラブが絡み合う音が何とも懐かしい気分だった。
練習場もそれはそれは久しぶりでどのようなシステムになっているのだろう。
どうせまともな振りが出来ないのなら高いお金はもったいないと思い、200球一打席を選択した。
キャディバックを開けてみるとウェッジは赤錆がびっしりとついていた。
息子はクラブを握ることすら初めての事で、グリップの握り方とボールを置く位置を教えた。
あとはしばらく打つのを見ていた。
なんとか当たるがまっすぐに飛ばない。
「おとう、打ってみて」
というので久しぶりにアイアンを手にした。
なんとかグリップも握れるし素振りをしても手の痛みはなかった。
ボールを前に一球打ってみた。
割と真っ直ぐに飛んで行った。
思ったよりいい感じだったが、体が全然回らない。
良いところを見せたのですぐ代わった。
しばらくアイアンを打つのを見ていろいろとアドバイスをする。
最初からボールには当たっているので、今度は構えを教えた。



構えた所に構えた形でおろす、と言ったとたん真っ直ぐに飛びだした。
残りのボールがだんだんと無くなり終了した。
ゴルフを始めたのはちょうど息子の年くらいだったと思う。
それはそれは熱心に練習場に通ったものだった。
うまくはなれなかったが、ある程度一緒に回る人に迷惑をかけない程度にはできるようになった。
それで仕事や友人たち、そしてこの頃は団地のおやじたちとワイワイと騒いでやったものだ。
しかし今のふにゃふにゃな体をなんとかしなければ無理だと思う。
結局、私が打ったボールは10球足らず、あとは息子が頭をひねりながら打っていた。

マイルストーン

2017-01-10 22:17:42 | 日記ふう
正月休みの休みと言った感じの3連休はありがたかった。
福岡での初詣を終え、熊本に向かった。
着いたのは夕方、暗くなってからだった。
相変わらず友達関係のような息子夫婦を見ていると、しばらくは新しい家族の登場は先になりそうだ。
高校時代からの付き合いだからもう10年以上になる。
それかな、と思うがしょうがないか。
息子は新しいクルマを買うとはしゃいでいる、
今のクルマはどうするのかと思いきや、嫁がそのまま乗りたいという。
そんな話は勝手にしてくれ。



翌日は実家に向かった。
正月に行きそびれたのでこの3連休にはと思っていた。



熊本の家から約1時間、実家は無事に建っていた。
甥っ子のジュンが親父と喧嘩して家を飛び出して住み着いていた。
この町の職員(公務)をしている甥っ子は、都会暮らしを蹴って小さなこの故郷に帰ってきた。
性格も、まあ恰好もそこそこなのだがまだ彼女がいない。
家の中は相変わらず片付いてはいなかった。
しかしリビングに行ってみると巨大なスクリーンにスピーカーやウファーが置いてあり5.1のサラウンド環境が出来上がっていた。
生きていれば父が、定年したら私がと思っていたことだった。
その夜はネットで視聴できる映画を迫力ある映像と音で過ごした。

実家の周りは親せきが取り囲むような環境で、さっそく新年のあいさつ回りだった。
再来年には米寿を迎えるという元気のいいおばさんや脳梗塞でリハビリ中のおじさん、そして本家のおじさんたちだ。
本家のおじは朝から酒を飲むような豪快な人柄で、おばは酒を嫌がっていた。
断酒をしている私に異様に興味があるようで、得々と酒の怖さや、いかに周りに迷惑をかけているのかを説教してしまった。
酔って自分は忘れているが、その間に他人には不愉快と迷惑をかけている事、しかし本人はすっかりと記憶が飛んでいて迷惑をかけたことを忘れ悪気が全く無く、それが一番太刀が悪いことなどだ。
おじは小さくなったように正座をして聞いていた。
おじには悪かったが酒で苦しんだ経験から少し真剣になってしまっていたようだ。
おじといっても私の祖父の兄弟(末弟)なのだ。
はっと我に返り、おじにとんでもないことを口にしたことをわびた。
しかし、おじは私の真剣さに恥じたように赤い顔をして<ありがとう>と小さな声で言った。



思い起せばここは祖父と祖母の地なのだ。
そんな祖父たちを事を考え、責任感のあった父たちは定年してこの地に住んだ。
私にとってはどういう所になるのだろう。
もう祖父も父母もいないこの地なのだ。
それを考え続けている。
そんな心境で氏神である実家の神社にお参りをした。
境内には神社建立の記念碑に父の名前を見つけた。
なぜか懐かしさを覚え、やさしい気持ちになった。



甥っ子のジュンは東京という大都会からこの地を選んだ。
私はどうすべきなのか・・・。

初詣

2017-01-07 21:06:37 | 日記ふう
熊本の正月から帰り、仕事始め、新年会など、この会社に入って初めての出来事に戸惑いながら過ごした。
博多一本締め、まあこれは昔の会社でもやっていたことだが、少し違った。
何が違うのかうまく言えないのだが、リズムかな。
前の会社は博多出身者(博多っ子)はいなかった。
今の会社もほとんどが私もはじめ他県出身者が多い。
今はこちらに住居を構え、終の棲家を決め込んでいる人も多い。
家を持つ人もいるがほとんどが郊外の地で、若い連中は私と同じように賃貸マンション暮らしをしているようだ。
それでも中には博多っ子も数名いて、本物の博多一本締めを披露したのかもしれない。
そんな新年の一週間を過ぎ、地元、住吉神社に初もうでに向かった。
3連休の初日だったので昼前に自宅マンションを出て、てくてく歩くこと5,6分で住吉通りの出る。
信号待ちをすると目の前が住吉神社だ。



唐門だったかな?をくぐり3日恵比寿に詣でた。



大きな石が組あげられて、小さな鳥居がある。
何かを祭った小さな神社だろうと思うが、よくわからなかった。
今度調べて紹介しようと思う。





境内には大きな木々が立ち並び、都心の地ではあるが周りの喧騒を遮断して雰囲気を守っている。
住吉神社には博多通勤時に大きな仕事を抱え、娘のアパートにお世話になりながら苦しんでいた時によく来ていた。



年末からの悩みを解消してくれるのか、参った。
おみくじを引いた。
内容は熊本の神社で引いたくじとほとんど同じ内容だった。
偶然かもしれないが、これには参ってしまった。
参拝を終えお守りを2つ買った。
意味はないが一つはお土産にしようと思っている。
海の街、博多の海の神様と聞いている。



正門の近くに博多の古地図が説明書きで案内されていた。
ここ住吉神社も、博多山笠で有名な櫛田神社も海沿いにあったことを語っていた。