大晦日の今日、やっと一週間が過ぎ外出許可が出た。
前回の回診で主治医と年末年始の外泊は出来ないか相談したがダメだった。
それには納得したが、大晦日と元旦の連続外出に対してもめた。
医院側は1日にまとめられないか?との意見だった。
気のみ気のままの状態で入院したので、今日は書類関係の目通しや必要なモノのチェックをしたいし元旦は年賀状のチェックや家族での初詣などあるので普通の連続外出とは意味が違うと反論した。
結果了承していただいた。
そんなことがあり朝食、朝礼の後、妻と娘が迎えにやってきた。
3週間ぶりの自宅、風呂が沸くまでの時間、書類関係のチェック、病院にもって行く品物のチェックなどしてゆっくりと風呂に入り、今年の汚れをすべて洗い流したのだ。
昼前になり妻と娘の買い物に付き合うため上通りのアーケイドを歩く、歩く速度が遅いため妻と娘に追いつけない。
そして食事処を探すが<ラーメンのこむらさき、山水亭>や蕎麦屋には長蛇の列が出来ていた。
色んな店をアタックするが大晦日という事でほとんどの店が休みだった。
娘が<ここあいてるよ>と言うのでパン屋のような洒落た店に入った。
私はカレーを頼み、妻と娘はパン生地なのか良く分らないが野菜とベーコンをくるりと巻いたもの、クレープ生地の真ん中に生卵を置き横にソーセージというのかウインナーというのか分らないがそんなのが入ったプレートだった。
今日は1ヶ月ぶりの外食というので朝の病院食も三分の一は残して期待したいたのにこんなもんかと少しがっかりしたのだった。
カレー一つにしてもココナッツ味、鶏肉やたまねぎなどの食材はすぐに分る。
確かに美味いがカロリーや成分など分らない(何を食わされているのか)。
外食の怖さを感じたのだった。
妻と娘が買い物をしている間に本屋で時間待ちした。
色んな本があり、あれもこれもといった10冊以上の欲しい本が目に飛び込んできた。
そういえば文芸春秋の1月号、高倉健の最後の手記が載っている本を次号が出ていたのに必死で妻が買って来てくれたことを思い出す。
そんな本屋で1時間ばかり時間をつぶし2冊の本を買った。
病院に帰る時間になり病院への帰り道、もの凄い雷雨だった。
クルマの運転もひさしぶりだし街中の喧騒も久しぶりだったが気持ちの切り替えにはもってこいの大晦日だった。
病院には予定より30分早い帰宅(帰院?)で看護士もホットした表情だった。
今年は病院のベットの上で新年を迎えることになる。
親父の死、その前にはペット(クー)の死、その8ヶ月後の母の死など淡々と乗り越えてきた。
何があってもそれが現実なのだと自分に思い聞かせ淡々とやり過ごしてきた。
今年は父の命日の日に退職の願いを伝えて無事退職が了承された。
そして今回の緊急入院、これまた淡々と現実を受け止めている。
これまでは母の死に対する事を考えるのが多かったのだが、近頃は親父の事を考えるようになった。
父はどんな思いで問題や現実をとらえ考えてきたのだろうという事だ。
我が家の場合、両親もいないし私が家族の柱になっているわけだ。
入院などしている場合では無いけども、ゆっくりとそのあたりの事も考えながら新年を迎えることになりそうだ。
前回の回診で主治医と年末年始の外泊は出来ないか相談したがダメだった。
それには納得したが、大晦日と元旦の連続外出に対してもめた。
医院側は1日にまとめられないか?との意見だった。
気のみ気のままの状態で入院したので、今日は書類関係の目通しや必要なモノのチェックをしたいし元旦は年賀状のチェックや家族での初詣などあるので普通の連続外出とは意味が違うと反論した。
結果了承していただいた。
そんなことがあり朝食、朝礼の後、妻と娘が迎えにやってきた。
3週間ぶりの自宅、風呂が沸くまでの時間、書類関係のチェック、病院にもって行く品物のチェックなどしてゆっくりと風呂に入り、今年の汚れをすべて洗い流したのだ。
昼前になり妻と娘の買い物に付き合うため上通りのアーケイドを歩く、歩く速度が遅いため妻と娘に追いつけない。
そして食事処を探すが<ラーメンのこむらさき、山水亭>や蕎麦屋には長蛇の列が出来ていた。
色んな店をアタックするが大晦日という事でほとんどの店が休みだった。
娘が<ここあいてるよ>と言うのでパン屋のような洒落た店に入った。
私はカレーを頼み、妻と娘はパン生地なのか良く分らないが野菜とベーコンをくるりと巻いたもの、クレープ生地の真ん中に生卵を置き横にソーセージというのかウインナーというのか分らないがそんなのが入ったプレートだった。
今日は1ヶ月ぶりの外食というので朝の病院食も三分の一は残して期待したいたのにこんなもんかと少しがっかりしたのだった。
カレー一つにしてもココナッツ味、鶏肉やたまねぎなどの食材はすぐに分る。
確かに美味いがカロリーや成分など分らない(何を食わされているのか)。
外食の怖さを感じたのだった。
妻と娘が買い物をしている間に本屋で時間待ちした。
色んな本があり、あれもこれもといった10冊以上の欲しい本が目に飛び込んできた。
そういえば文芸春秋の1月号、高倉健の最後の手記が載っている本を次号が出ていたのに必死で妻が買って来てくれたことを思い出す。
そんな本屋で1時間ばかり時間をつぶし2冊の本を買った。
病院に帰る時間になり病院への帰り道、もの凄い雷雨だった。
クルマの運転もひさしぶりだし街中の喧騒も久しぶりだったが気持ちの切り替えにはもってこいの大晦日だった。
病院には予定より30分早い帰宅(帰院?)で看護士もホットした表情だった。
今年は病院のベットの上で新年を迎えることになる。
親父の死、その前にはペット(クー)の死、その8ヶ月後の母の死など淡々と乗り越えてきた。
何があってもそれが現実なのだと自分に思い聞かせ淡々とやり過ごしてきた。
今年は父の命日の日に退職の願いを伝えて無事退職が了承された。
そして今回の緊急入院、これまた淡々と現実を受け止めている。
これまでは母の死に対する事を考えるのが多かったのだが、近頃は親父の事を考えるようになった。
父はどんな思いで問題や現実をとらえ考えてきたのだろうという事だ。
我が家の場合、両親もいないし私が家族の柱になっているわけだ。
入院などしている場合では無いけども、ゆっくりとそのあたりの事も考えながら新年を迎えることになりそうだ。