打越通信

日記ふういろいろ

春の一日

2017-03-20 16:56:23 | 日記ふう
3連休はやっぱり1日は仕事だった。
通常の仕事時間帯ではできないシステム的な仕事をしようと気合を入れて仕事場に向かったが、空虚の中に一日が過ぎてしまった。
なかなか3連休は取れなく、実家への帰省で夏草の対策や後片付けなどの後回しになっていた。
今回も彼岸ということもあり実家に戻り墓の掃除や墓参りなどを考えていたが取りやめた。
そういえば大手術を受けたジローさんも無事に退院の運びとなったようだ。
そのことは又の機会にするとして、3連休の2日目は何の当てもなく、カメラを担いで北に向かった。
どこに向かうわけでもなく、過去に仕事で長期出張をしていた門司港や小倉が何故か懐かしくなり行ってみようと決めたのだった。
国道をひたすら北に向かう。
国道3号から迷路のような小倉の街中を抜け国道199号線に出る。



赤坂海岸の延命寺臨海公園にクルマを止め、海岸線をゆっくりと散歩した。
風もなく海も穏やかで海岸線には多くの釣り人が釣りを楽しんでいた。
門司港での壮絶な仕事の後、火が噴いた物件があった。
部屋の一室にパソコンを運び入れ3,4人で朝早くから夜遅くまで張り付いて仕事をしていた。
午前様も当たり前でホテルには寝るだけという状態が5ヶ月近く続いた。
おまけに親父は肺炎にかかり絶体絶命の状態だった。
そんな状態の中、昼夜問わずこの公園に気分転換に来ていた。
そのころのことも書いていたと思う。
あれから5年が過ぎている。
あのころの精神状態は異常だった。
仕事はなんとか事なきを得無事に終わった。



199号線を門司港に向かった。
この門司港でも辛い日々を送った思い出がある。
仕様書もない物件を引き継ぎもなく渡され、担当になった。
会社の規模も大きく、何せ上場企業でこの業界ではトップ3に入る会社の完全子会社だった。
業界のしくみも言葉もわからないまま数年間通い続けた。
最初のうちは客からも相手にされず、なぜはるばる熊本からサポートに来るのかと疑問の目で見られいた。
それでもだんだんと打ち解けるようになり、なんとか信頼を受けられるようになった。



新しい機器に入れ替えることとなり、数年がかりで書き上げた仕様書が役に立った。
プログラムをすべて作り変えることになり、私を慕ってくれた若手の後輩と入念な打ち合わせを何度となく繰り返した。
300本近いプログラムの指示を出し、出来上がったプログラムを検収した。
全体的にシステムがうまく流れるか何度も何度も繰り返しテストを行った

なんとかこの物件も事なきを得無事に動き出した。
苦しかったが苦労のし甲斐があったのだ。
今、こうして思い出に浸るようにこの場所を訪れたのは哀愁を求めたわけではない。
苦しくなったら基本に戻れの言葉に従ったまでだ。



門司港は祭りで華やいでいた。
夜はプロジェクションマッピングで華やぐことだろう。
夕暮れになり寒くなったので帰ることにした。
黒崎から直方、飯塚を経由して自宅に戻ったのは夜中だった。