庭に立った灯篭

八月一日に、新盆の灯篭立て仏様の盆棚も作ったとの連絡を貰っていた。
新盆(ニイボン、シンボン)になると、夏のお盆までの一年間に仏になった人を丁寧に灯篭を立て
迎える。
仏壇の前を賑やかに飾って、新仏様を迎える儀式を行う。埋もれる様に父の遺影が
ほほ笑んでいた。
提灯は、親戚方から新盆見舞いの形で頂く。従姉妹や、本家、分家等から頂いていた。
提灯は電気を入れると、回り灯籠の様に中でゆっくりまわって目を誘われる。奇麗な物だ。
親戚で獲れたスイカや果物等が上がっている。きっと父が喜んでいる。
朝10:00から御前様の読経が始まった。正座慣れしてしていない私、まるでサービスかの様に
長いお経(不届き者の私)に「はしょってお願いします」って汗ぐっしょりの午前様に
向かって唱えてしまった。
午前様の頭も汗で光っているので、ご自分でタオルで拭きながら延々と続けている。
付箋を貼ってある経本は、新盆と一周忌を分けているのだろうか?
終わると兎に角大忙しの様で「法要も前倒し前倒し」で袈裟をまくって駆け回っているのだと。
うちのだけでも4件有るんですと。さすが超高齢者時代。南房総市の広い地域では・・・
そうそう「坊主駆け出す」の図がそのままらしい。
その後、親戚やご近所さんとで、ぞろぞろと墓参りに出かけた。昨年兄が新しくしたお墓に
丁寧にお参りした。墓石もチリチリする程の日が照りつけていた。
少し高台のお墓を下ると、千倉では有名な海水浴場"瀬戸浜"の近くの民宿の迎えバスが
待っていた。初めて冷房車の中で一息ついた。
昔からクーラーなど無くても屋根の下を流れる風が涼しくて気持ち良かったが、やはり
温暖化なのか家の何処を開け放しても、暑過ぎ。母親のベッドのある部屋にだけエアコンを
取りつけてあるっきり。
精進落としには20名位おいで頂きお昼を頂いた。昨年は悲しいばかりだったのに、一年後には随分気持ちが吹っ切れて皆さんの所にお酌にまわった。
皆、みんな子供の頃、いがぐり頭で野原を駆け回った男の子ばかり。
「おい、M子(私)いい供養が出来たっぺ?お前も安心したっぺや?」みんな私を慰めてくれている。
「M子は末っ子で泣いてばっかしだけど、はーこんで気が済んだっぺや?」等々房州特有の
だっぺ言葉で、慰めてくれる。
私は三人兄弟の末っ子なので、甘えん坊だと思っている。昔話やら苦労した話やらを
「今だからおめえに言うけどな」「恥ずかしながらの話、一杯あんだぞ」など、腹を割った話を
「そんな事今言わなくていいんだよ」と言う程、これまでのエピソード等を話してくれた。
そうかー、周りから見ていた家の印象と実際とは、全く違うんだなーと辛い思いもさせられた。
それでも、「おめ―ここにいる仲間はな、のエースばっかしだぞ。大したもんだっぺ。
おめえの実家の事は安泰だぞ。心配すんなよ!」
みんなが私が、実家の事を、東京で心配していると思っているとの優しい思いやりの言葉を
浴びるように投げかけてくれた。
本当に故郷の皆さん有難う。皆さんのお陰で兄も頑張れるのよね。
夜遅く、バスで帰京したが、いつに無く心が温かくずっと優しい気持ちになった。
人情の深い地域に生まれ育ち、そこが私の幸せの原点なんだとつくづく思わされた。


八月一日に、新盆の灯篭立て仏様の盆棚も作ったとの連絡を貰っていた。
新盆(ニイボン、シンボン)になると、夏のお盆までの一年間に仏になった人を丁寧に灯篭を立て
迎える。
仏壇の前を賑やかに飾って、新仏様を迎える儀式を行う。埋もれる様に父の遺影が
ほほ笑んでいた。
提灯は、親戚方から新盆見舞いの形で頂く。従姉妹や、本家、分家等から頂いていた。
提灯は電気を入れると、回り灯籠の様に中でゆっくりまわって目を誘われる。奇麗な物だ。
親戚で獲れたスイカや果物等が上がっている。きっと父が喜んでいる。
朝10:00から御前様の読経が始まった。正座慣れしてしていない私、まるでサービスかの様に
長いお経(不届き者の私)に「はしょってお願いします」って汗ぐっしょりの午前様に
向かって唱えてしまった。
午前様の頭も汗で光っているので、ご自分でタオルで拭きながら延々と続けている。
付箋を貼ってある経本は、新盆と一周忌を分けているのだろうか?
終わると兎に角大忙しの様で「法要も前倒し前倒し」で袈裟をまくって駆け回っているのだと。
うちのだけでも4件有るんですと。さすが超高齢者時代。南房総市の広い地域では・・・
そうそう「坊主駆け出す」の図がそのままらしい。
その後、親戚やご近所さんとで、ぞろぞろと墓参りに出かけた。昨年兄が新しくしたお墓に
丁寧にお参りした。墓石もチリチリする程の日が照りつけていた。
少し高台のお墓を下ると、千倉では有名な海水浴場"瀬戸浜"の近くの民宿の迎えバスが
待っていた。初めて冷房車の中で一息ついた。
昔からクーラーなど無くても屋根の下を流れる風が涼しくて気持ち良かったが、やはり
温暖化なのか家の何処を開け放しても、暑過ぎ。母親のベッドのある部屋にだけエアコンを
取りつけてあるっきり。
精進落としには20名位おいで頂きお昼を頂いた。昨年は悲しいばかりだったのに、一年後には随分気持ちが吹っ切れて皆さんの所にお酌にまわった。
皆、みんな子供の頃、いがぐり頭で野原を駆け回った男の子ばかり。
「おい、M子(私)いい供養が出来たっぺ?お前も安心したっぺや?」みんな私を慰めてくれている。
「M子は末っ子で泣いてばっかしだけど、はーこんで気が済んだっぺや?」等々房州特有の
だっぺ言葉で、慰めてくれる。
私は三人兄弟の末っ子なので、甘えん坊だと思っている。昔話やら苦労した話やらを
「今だからおめえに言うけどな」「恥ずかしながらの話、一杯あんだぞ」など、腹を割った話を
「そんな事今言わなくていいんだよ」と言う程、これまでのエピソード等を話してくれた。
そうかー、周りから見ていた家の印象と実際とは、全く違うんだなーと辛い思いもさせられた。
それでも、「おめ―ここにいる仲間はな、のエースばっかしだぞ。大したもんだっぺ。
おめえの実家の事は安泰だぞ。心配すんなよ!」
みんなが私が、実家の事を、東京で心配していると思っているとの優しい思いやりの言葉を
浴びるように投げかけてくれた。
本当に故郷の皆さん有難う。皆さんのお陰で兄も頑張れるのよね。
夜遅く、バスで帰京したが、いつに無く心が温かくずっと優しい気持ちになった。
人情の深い地域に生まれ育ち、そこが私の幸せの原点なんだとつくづく思わされた。


遠く離れた実家に帰ってみんなに暖かく迎えられる、お盆という行事は日本人のこころの故郷でもありますね。
古くからの行事は大切に残していきたいものです。
ロングバケーションの地は都心より朝晩は涼しい事でしょう。
東京はぐったりの猛暑です。
故郷の皆さんはいつも暖かく迎えて下さって
有難いと思っています。
兄の代までは何とか古式に近い方法で法事などをやっている様ですが、問題はどこの家も
次の代はどうなるのかと案じていました。
見せたい次世代が何となく頼りなげだと・・・・
それでも父は遺影を見ると穏やかでホッとしました。
皆さんに集まって頂き有難い事です。
都会では簡素化することが多く(わが家だけ?)
身内だけで済ませることが多いです。
記事を読ませていただいて 和やかな雰囲気にホッとした気持ちになりました。
お陰さまで、皆さんの陰で無事に済みました。
地域の方々には本当に感謝です。
こう言った法要は、場所地区で違うでしょうから
何とも言えませんが、どんな形でも心を込めて、と言うのが大事かと。
私も、とても穏やかな気持ちになれました。