セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

お喋り三昧・横浜(終)

2016-05-16 | 旅行 見学
  はとこハルちゃんとの会話は留まる事を知らない。ホテルを出た頃は4:00をまわっていたし・・・。彼女の一番喜ぶ会話は田舎の事。
ハルちゃんは小学校三年生まで南房総千倉町(同郷)の田舎に住んでいたから、私の家族も皆親しかった。ハルちゃんのお母さんが小学校の先生をしていたのは聞いていたけれど、千葉の師範学校を出ていたとは初耳だった。あんな田舎なのに、小さいから千葉市の師範学校に行かせるなんて、余り例の無い時代だった。父親は勿論出て居ないけれど、代用教員の話が来た位だから。
二人の一番結論の出ない話題はレジェンド【海軍のおじさん】だった。
では親戚関係が10軒位有るので、大抵の話題は皆で共用できる。
お互いに【海軍のおじさん】と言う単語しか知らなかった。でも私の家族も彼女もずっと聞かされてきた事で・・・。私の父と彼女の母親はいとこ関係なので、共通の尊敬人だった。
海軍のおじさんは、子供の頃から海軍に憧れ、親の反対を押し切って家出同然で、一人広島・呉の海軍の基地?に向かい結果海軍大佐になったと言う立身出世のおじさん。
ヨーロッパ等に遠征し、当時では珍しいカラフルな絵本をお土産に買って来て呉れたおじさん。日本には存在しないおしゃれな絵本に、ハルちゃんのお母さんは舞い上がる程、喜んだと言う。お互いの家にバイオリンが有ったのも関係しているのだろうか?興味深い。
皆で尊敬していたのに、私達は細かい事を知らなかった。父親にもっと聞いておけば良かったと思ったが時すでに遅し・・・きっと親が話して聞かせようと思った時は、戦後生まれの私達には全く興味の無い話題だったに違いない。皇族の方々のお世話もしたと言う。ある宮様は船内でお食事の時全く音もたてず召上ったと。今の年になると二人共もっともっと聞いておけば良かったね、なんて話が終わらない。第一次世界大戦の頃なので、ハルちゃんの母親も、私の父もレジェンドおじさんとして話題が盛り上がった様だ。当然ネットで調べても出ても来ない。今度帰郷した際に訊いて見よう。おじさんの生家とは今も親戚関係のお付合いが有るので、お線香を上げながら・・・・。
田舎の小さなでも、寺子屋を開いていた人がいたりハルちゃんとのお喋りが止まないのも仕方のない事だ。
  山下公園は今が盛りとバラの花他の草花が満開だった。二人は傍らのベンチで会話を続けた。ハルちゃんが「潮風が冷たいね」と言う迄、そして横浜駅のそごうデパートに移動し夕食もゆっくりした。泊まりがけでなくちゃ終わらないねと言う程迄に。駅で彼女は小田原行き私は東京方面に乗り、又会う日までお・別・れ。

    
        山下公園           又々新郎新婦お幸せそう
    
       田舎には沢山咲いてたね、懐かしい「矢車草」