セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

赤坂迎賓館へ・・・②

2016-05-01 | 旅行 見学
    写真共にHPより拝借
迎賓館は、かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった広大な敷地の一部に、明治42年(1909)に東宮御所(後に赤坂離宮となる。)として建設されたもので、当時日本の一流建築家や美術工芸家が総力を挙げて建設した日本における唯一のネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築です。
戦後、わが国が国際社会へ復帰し、国際関係が緊密化してゆくなかで外国の賓客を迎えることが多くなったため、「旧赤坂離宮」を改修して迎賓館とすることになりました。
昭和49年(1974)の開館以来、世界各国の国王、大統領、首相などの国賓、公賓がこの迎賓館に宿泊し、政財学界要人との会談やレセプション、天皇皇后両陛下によるご訪問など華々しい外交活動の舞台となっております。また、過去3回の先進国首脳会議や日本・東南アジア諸国連合特別首脳会議(平成15年)などの重要な国際会議の会場としても使用されています。


 集合時間が一時間毎に区切られている為、混雑と言う思いもせずミーハーアミーは思い切り参観出来ました。何と素敵な建物、豪華で高級感のある各室内、それぞれの部屋に魅せられた。
 窓やカーテンをしっかり観ると、訪日の国賓の接待には、殆ど出て来る模様や色が思い出された。再び訪れる機会は全く無いので、心地良い絨毯を踏みしめてゆっくり歩いた。
各部屋のコーナーには説明して呉れる方がいたので、疑問に思った事を質問したり楽しい時間を過ごした。
 大理石は、白、グレー、薄いグリーン位しか見た事が無かったので、宮殿建築に使われている大理石の大柱は直径60cm以上も有り高さは20m以上も有る(想像)石柱は各部屋により、紫がっかったピンクがマーブル柄の様になっている物や、グリーン系やら一色では無いので、カメラに収めたかった。しかし自然石から切り出した100本位は有ると思われる。輸入はイタリア、スウェーデン等からだそう。この宮殿を建てる為の建材は、余りにも貴重で現代では、全く手に入らないと言われた。シャンデリアは全てバカラで直径2m位の物が、豪華に各部屋を飾っていた。装飾品の最たる物だと思えた。

輸入の仕方は、各資材、機材をフランスに集め、ベルギーorフランスから日本の港(横浜)に届けさせたと言う事だ。10万t位の貨物船数隻で運んだのだろうか?移動は重機など無い時代にどうしたのだろうか?東京湾まで着いた貨物船も有ったかもしれない。
どれ一つとっても今は手に入らないと、金額では無く。絵画も小磯良平画伯に依頼し、2枚の大作を描いて貰ったと言う。離れてると100号位かな?と思って近づいて見ると200号だと言われた

彩鸞の間(サイラン ノマ)広さは約160㎡。この部屋は、表敬訪問のために訪れた来客が最初に案内され、晩餐会の招待客が国・公賓に謁見したり、条約・協定の調印式や国・公賓とのインタビュー等に使用されている。

花鳥の間(カチョウ ノマ)圧巻は天井に描かれた36枚の絵や、欄間に張られたゴブラン織風綴織、壁面に飾られた『七宝花鳥図三十額』。広さは約330㎡。主に国・公賓主催の公式晩餐会が催される大食堂であり、最大約130名の席が設けられている。

朝日の間(アサヒ ノマ)天井に描かれた「朝日を背にして女神が香車を走らせている姿」の絵が美しい。天井画は長径8.26メートル・短径5.15メートルの大きな楕円形である。以前に行ったイタリアの美術館の天井絵を思い出していた。
壁には京都西陣の金華山織の美術織物が張られている。広さは約200㎡。
国・公賓用のサロンとして使われ、ここで表敬訪問や首脳会談などの行事が行われている。

羽衣の間(ハゴロモ ノマ) 天井に謡曲の「羽衣」の景趣を描いた300㎡。
曲面画法による大壁画があることに由来している。羽衣の間は舞踏会場として設計された。
迎賓館の中で最も大きいシャンデリア(重量800キログラム)がある。バカラが輝いている。

初めて知った事は、迎賓館の中にはホテルとして使われている部屋が有った事。最初入った時ルームサービスと称したお皿セットが飾られていたので、部屋の廊下に出て見ると番号の書かれた部屋が有ったので、もしやと思って伺って見ると「はい確かに20部屋程有ります」と言われた。随行員等も一緒なので、国賓、来賓の宿泊の為相当大きな部屋と思われる。
本館から出て建物の反対側に向かうと大きな庭園が控えていた。きっと建物から庭園がのぞめる為噴水も有り、疲れたお気持ちを癒していたかも知れない。
    
     どの辺が客室になっているのかしら?

    
     最後までお付き合い頂きまして、有難うございました。<m(__)m>