判明した、としても、今、”それ”を法的には問えないのでは。
それでも、神の規約か、それはそれとして、意味を持つかもしれないが。
「PC、或いはコンシューマにゲームを出したい正規のソフトメーカーは、アーケードゲームでの販売実績が必要になります」
という、これは、理解では「銀行側の要求」である…その条件を呑まない企業に金は貸さない。表面的な理解として、”これ”に従わないからと言って出荷出来ない訳じゃない、しかし。一応”ここ”には、不思議でさえ有る「道理」があり、それは、守った方が身を護る事にもなる、それは不意に感じる。
そう言う「国家的な法を超えた、道理」とでも言う法、それ自身の道理とは、何処か。
何となく、現状を形成する問題ある「壁」の一枚が見えた、感はある。
”それ”は、昭和天皇の死後、薄れた「紛争解決機構の意味」の外側で、自身に都合の悪い女性を、その決定を無視して、殺してしまった。
そして、それを罪に問われなかった。紛争解決機構に強制力?が無くなっていたから、だ。世間は”それ”の決定を護る事に、理由を持てなくなっていた。
結果、この犯人は、「自分は人を殺しても、如何なる権力にも罰する事は出来ない」という、そんな実例を創ってしまった事にはなって。
”それ”は或いは特に女性に対して、強力な畏怖、強制力、それを見せる事になった。
似たような事例は幾つかあったが、これの怖い所は「本当に殺してる」事、だろうか。
「自分は紛争解決機構の決定を無視しても何のペナルティも無かった」程度のそれじゃないのだ、人を残酷に殺しても、罪に問えなかったと言うそれは、逆に相手に「殺人は割に合わない」と言う理解を要求ても超えてくる訳で。「俺に逆らったら殺すよ?」が、奇妙な真実味を持ってそこに居る時、確かに、何かの脅威は感じる。
そして今も、「何をしでかしたか?」は判明したとしても、30年は前の過失を問う、それは出来るのか否か。それに、被害者はもう、死んでいるのだ。何に対してその人物は賠償をせねばならないか?当時の、娼婦の様な存在にも、残された家族そう言うのは居たろうか。
それでも過失は過失である、罰則を適用する。
それは、感情論としては道理である。
今の所、「合否の改竄などにより相手の人生を歪めた等の場合、発覚までの期間と等価な月日を、加害者は人力発電機のみで暮らして貰う事に成ります」と言うのが、ある意味で”近い”話、だが。20年後に発覚、という時、その後20年を、それまでの一切の収入を賠償に当てられ、自身の生活費?は人力発電機のみでしか得られない、と言う苦役を強要される、そんな道理、は。
…やっぱり”それ”は、この場合は似て非なる話、のような気も、する。
現状、本人に利益性は無い、普通に暮らす事も難しい事態、かもしれない。
”それ”はでも、この犯人に対して適当な応報か?ではある。
一応「大賀さんよりも逆らえない存在」その大きな一つは、発見された、感じもある。
その結果或いは、新型コロナウイルスへの認識も、ちょっと変わる可能性は、ある。
しかし、「たかが合否の改竄程度で?!」と言う、”そこ”に有る感覚とには、何かの衝突、違和感、そう言うのもある。
それは、何処へ帰結していくのか。
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